【マンダラ夢分析】アニムスの両極端な表現形の間で伸縮する両性具有的主語による夢/<述語による“変容>の象徴”
はじめに
心の動き方を「マンダラ」状にモデル化する
夢のビジョンにおいて、見られ、記憶され、覚醒後に言葉で報告される不思議な世界というのは、心の「深層」の脈動から立ち昇る振動が、表層意識の一番底・感覚印象の記憶の束に投射されたときに、そこに浮かび上がるパターンである。
神話も夢も、人間の心の「深層」の同じところ脈動から立ち昇る振動が表層意識の一番底に、その底面の平面に浮かび上がらせるパターンであり、そのパターンを意識が自覚できる相にまで浮かんできた姿こそ、「マンダラ」である。
マンダラは、円と正方形を組み合わせた姿をしている。
正方形ゆえにおのずから四項・四極が際立ち、そしてその四項の中間に配される中間項四つが浮かび上がり、合わせた八項関係を描く。

視覚的イメージとしてのマンダラ
語りに現れる「述語」としてのマンダラ
このマンダラは四項関係や八項関係のイメージ、いわゆる曼荼羅として直接ビジュアル化される(視覚的なイメージなる)場合もあれば、夢の中での自/他の距離感が伸び縮みするような経験として現れる場合もある。
例えば、夢において、四人の(もちろんこの四人がもっと多くに分かれてもいいし、そのうちの幾人かが省略されてもいい)登場人物が喧嘩したり仲良くなったり、分離したり結合したりを繰り返すようなことである。
夢で「私」と私ではない他の登場人物たちとは、ある場所において(円形の空間の中や、四角形の部屋の中、四角いテーブルの周囲)で繰り広げる分離と結合、愛/憎の両極の間を揺れ動く。

神話論理と夢分析
マンダラは「神話」の語りとして、神話的な神々や超自然的な存在者たちが結合したり分離したり、ぐるぐる回ったり、逃げたり追いかけたり、半分になったりする話として言語化されることもある。
神話の場合は、語りの終わりで、下図におけるΔ1〜4を分けつつも過度に分離しすぎないようにつないでおく、正方形と内接円(外接円)を組み合わせたような曼荼羅状のパターンを描き出すことを目指している。

神話の語りはじめには、まだΔはない。
何もないところから(ある/ないのペアすら”ない”ところから)、まずΔたちが収まる「余地」を切り開くこと、Δたちを配することができる「場」を生成することからはじめないといけない。
そこに野生の思考の神話論理が動く。
経験的に対立する両極の間で激しく行ったり来たりするような振幅を描く動きをみせるものや、経験的に対立する二極のどちらでもあってどちらでもないようなあり方をするものを両義的媒介項(図1ではΔに対するβ)という。
神話の語りは、まず図で「β」と表記した両義的媒介項二項が、第一象限と第三象限の方へながーく伸びたり、β二項が第二象限と第四象限の方へながーく伸びたり、 中央の一点に集まったり、という具合に振幅を描く動きを語る。
これを言語的な語りに託さずにイメージだけで感覚しようとすると、ちょうど一点から螺旋が回転し始め、その回転の渦が拡大して、安定的に円を描くようになる、といった具合になる。この円の中に(外に)正方形が、Δ四項を四つの角とする四角形が浮かんでくる。一方、あくまでも言語で語り、「登場人物」たちに託して語る神話では、お餅、陶土、パイ生地を捏ねる感じで、四つの両義的媒介項(β)たちのうち二つが、第一の軸上で過度に結合したかと思えば、同時にその軸と直交する第二の軸上で過度に分離する。この”分離を引き起こす軸”と”結合を引き起こす軸”は、高速で入れ替わっていく。
*
両義的媒介項(β)は神話では、「火を使うことを知らず鶏のように土を啄んでいる人間」であるとか、「服を着て弓矢をもって二本足で歩くジャガー」とか、「ヤマアラシに変身して人間の女性を誘惑する月」とか、「下半身を上半身と分離して上半身だけで川に飛び込み流れる血の匂いで魚を誘き寄せて捕らえる人間」、といった姿をしている。
そのようなものたちは、経験的感覚的には(Δ項としては)「存在しない」が、神話は、この経験敵に何かが存在する/存在しないを分別できるようになる手前の「/」の動きを捉えて、これを安定化させることを目論んでいる。
そうであるからして、人間/動物、獲物/狩猟者、といった経験的には真逆に対立するはずのΔ二項を短絡することで、どちらがどちらかわからないような状態をあえて語り出すというやり方で両義的媒介項を制作(ブリコラージュ)するのである。オオゲツヒメの神話の吐瀉物を食物として供するといった凄まじい話もこれである。こういう経験的に対立する両極の間で激しく行ったり来たりするような振幅を描く動きをみせるものや、経験的に対立する二極のどちらでもあってどちらでもないようなあり方をするものを両義的媒介項(図ではΔに対するβ)という。
このβたちを四方に引っ張り出し、 β四項が付かず離れず等距離に分離された(正方形を描く)ところで、この引っ張り出す動きと中央へ戻ろうとする力とをバランスさせる。

ここで拡大と収縮の速度は限りなく減速する。
そうしてこのβ項同士の「あいだ」に、四つの領域あるいは対象、「それではないものと区別された、それではないものーではないもの」(Δ)たちが持続的に輪郭を保つように明滅する余地が開く。

私(この文章を書いている筆者)は、以前から、クロード・レヴィ=ストロース氏が『神話論理』で分析している神話の語りを、八項関係のマンダラ状の図式に照らし合わせて読み直してみようという試みを続けている。ぜひご参考にどうぞ。
このような分離しているところを結合へと向かわせたり、結合しているところを分離へと向かわせるような動きを「夢」のビジョンにもみることができる。
主語たちの述語的様相にフォーカスする
「何であるか」はとりあえず脇に置いて
「どう動くか」をみる
Δでもβでも「項」は、人間からみるとなにか固まったもの(主語的なもの)に見えるという意味で仮に「項」と呼んでみているが、これはどちらかと言えば動き、脈動、振動、振幅を振る…、行ったり来たり、という感じの述語的な様相である。
夢の登場人物たちは、主語の位置に据えられて報告される。つまり夢を見た者・夢見手が分析者に対して報告する場合に、「帽子を深く被った女性が・・」などという具合に語らざるをえない=言語化せざるを得ないのであるが、これが実は述語的様相の残像が共鳴して主語的様相を呈しているのだ、と読んでみたい。
「何が」ではなく「どう動いているか」に注目をしてみよう。
そしてさらに、この「動き」は、どうやら「分離する動き」と「結合する動き」の多様な複合として動いているらしい。
『C.G.ユングのセミナー パウリの夢』の前書きに、監修者の河合俊雄先生が次のように書かれている。
ユングは繰り返しマンダラの中心性に焦点を当てるけれども、その中心を巡っての円環運動が生じてくることも繰り返し指摘している。運動としては、一度上に蒸留されたものが再び下に落ちるというものも興味深い。「無意識は運動でもある」としているように、意識も無意識も実体化されず、運動となっていく。それと同時に対立物の関係や合一は必ずしも意識と無意識の関係ではなくて、いわば抽象的なものになっていく。これは後に最晩年の「結合の神秘」において「結合と分離の結合」として結実していくものである。
分離したり結合したり伸縮する述語
この「どう動いているか」の「動き」とは、夢の中は、自/他の距離感が伸び縮みするような経験として、もっと細かく言えば、概ね下記のような2パターンに集約されるようにおもわれる。
<<分離状態にある相手(物事)と結合したいと望み、結合しようと動くが、うまく結合できない>>
あるいは
<<結合状態にある相手(物事)と分離したいと望み、分離しようと動くが、うまく分離できない>>
実際、私たちは、夢ではなく現実の日常生活においても、分離したいことと結合されたり、逆に結合したいところと分離されたりするときに、不安や怒りを感じ、この不安や怒りを鎮静化するために、結合や分離の動きを触発する相手方との関係の取り方を試行錯誤する。
夢は、いや、夢として記憶の残像を残す深層意識の伸縮する述語的な動きは、この分離したいことと結合されたり、逆に結合したいところと分離されたりする状態を付かず離れずに均衡させるよう、意識的にではなく無意識的に、意識の立場から見れば<自動的>に動いているようである。
マンダラの円環の上で向かい合い対立する諸項も(この場合は「意識」と「無意識」)、いずれも「運動」である。マンダラやマンダラの上で対立する諸項は「実体化されず」、つまり固まって輪郭が定まり性質が定まった個物として転がっているものではなく、分離したり結合したりする運動、動き、動き方のパターン、それを表現する「述語」や主語たちの述語的な様相によって記述される。
◇ ◇ ◇
以上を踏まえ、今回は、筆者の研究仲間の方の夢を対象として、マンダラ状のパターンを描くように述語が伸縮する様を浮かび上がらせてみよう。
この夢には、アニムス、あるいは女性性に対する反-女性性としての「男性性」の両極端な表現形が登場する。そして女性である夢見者はこの二つの男性性を調停しうるような存在である両性具有的な姿に変容する。本記事への掲載についてはご本人の承諾を得ている。また掲載にあたり、夢見者が記述したテキストの一部を改変している。
*
二つの両極端なアニムスのあいだへ
はじめに断っておくと、
男 / 女
という二項対立の両極は、われわれ人類の日常の感覚的経験的な現実において、主語的に非常に重たいものである。
筆者らが開発している動的マンダラ伸縮モデル(Δ-βモデル)では、主語的な様相を脇において、述語に、分離したり結合したりする述語の伸縮に注目するという方法を奨めるが、「男」「女」という主語は経験的感覚的に重たく、なかなか意識的に脇に置いておくというのが難しいものでもある。そこであえて、意識の焦点をこの対立二極から外して、述語的な様相の伸縮にフォーカスしてみると、よい夢分析の練習になるだろう。このことを念頭に置きつつ、テキストで報告された夢を辿ってみよう。
夢見者はビルの一室に男女数名でいる。
そこに凶器を持った人たちが入ってくる。緊張感がみなぎる。
その中に、拳銃を持った男がいて、「動くと撃つぞ」と言う。
そして気まぐれに「そこの男、ちょっと来い」などと名指しては、室内にいる人質たちを撃ち始める。
人質たちは自ずと後退っていく。そうなると「動くなというのに動いた」と言われ、さらに撃たれる。一人、また一人と拳銃で撃たれ、人質たちは皆、次は自分の番かと焦る。
*
私(夢見者)は、拳銃男が発砲している間に、隙を見て部屋から逃走することに成功する。
ビルにはエレベーターがあるが、待っている場合ではない。
非常階段を転がり落ちるように下りる。
私(夢見者)だけが、銃撃現場から脱出することに成功する。
* *
ビルの外は大都会の大通りである。
オフィスビルが立ち並んでいる。
先ほどまでの出来事が嘘のようだ。
私(夢見者)は、オレンジと青のマークを示した地下鉄駅の入り口を見つけ、地下におり、ホームに駆け込む。
ちょうど電車が到着するタイミングだった。
私(夢見者)は、何度も何度も後ろを振りかえり、銃撃犯たちが追いかけてきていないか確認する。
犯人たちの姿は見えない。
しかし、追いかけられている感じがして焦る。
乗り込んだ地下鉄は駅から出発する。犯人たちは乗ってこない。
私(夢見者)はどうにか一旦は難を逃れることができた。
そうして私(夢見者)は日常生活に戻るが、しかし、銃撃犯たちが私の居所を探しているかもしれないという気がして、常に恐れながら生活する。
そうしているうちに月日が経つ。
* * *
場面が変わって、私(夢見者)は、学生寮のような建物の一室にいる。
古いアパートの部屋を借りて、女の子数人でシェアハウスのように使っているらしい。個人ごとのスペースが区切られていて、トルコ風のランプ、南米の民芸品、カラフルなバティック模様の布、天井から吊り下がったレース、たくさんのキャンドル、奇妙な人形などで彩られた部屋は、少女趣味でとてもかわいい。
夜市の占い小屋のような妖しさがある。
この部屋の管理人のような仕事をしている男性がいる。
黒のハイネックを着た、穏やかそうな西欧人の男性で聖職者を思わせる。
外国語なまりだが流暢な日本語を話す。
とても優しい男性に見えるが、何やら胡散臭いという感じもする。
私が「ここは学生だけが使えるのですが」と尋ねると、「学生も、どなたでも使えますよ」とこの聖職者風の男性は応える。
私はここに暮らすことに魅力を覚えたが、しかし、すぐにアパートから立ち去ることにした。
キラキラのビーズのれんをくぐると、ドアの上にはガスメーターがあった。
改めて見ると、本当に古びたアパートである。
* * * *
件の銃撃事件に巻き込まれたことは、その後も私(夢見者)の中で壮絶なトラウマとなって残る。突如事件の様子がフラッシュバックしたり、同じ様な部屋に閉じ込められることをおそれる様になり、日常生活を制限され続けることになる。
ついに仕事に通うことができなくなった私(夢見者)は、体を売って日銭を得る暮らしになっているらしい。体を売っている最中には、一時的に銃撃事件のトラウマを忘れることができるため、ますますこの商売に依存している様子である。ところで、この体を売っている時の私は女性の姿、女性の身体であるが、同時に男性器もついていて両性具有になっている。
いったいどの様な構造で両性具有の身体になっているのか、不思議に思う。
以上
細部まで明瞭に記録された非常におもしろい夢である。
分離したまま過度に結合し、また分離する
冒頭、女性である夢見者は衝撃的な銃撃事件の現場にいる。
銃撃犯は男性である。そしてこの銃撃犯が無闇に引き金を引く「拳銃」は、いわゆる男性の象徴であもる。
このような主語的なものから主語的なものへの言い換えによる解釈は、動的マンダラ伸縮モデルでは積極的に推奨するものではないが(主語が「何であるか」だけでなく「どう動くか」にフォーカスする為)、動きを浮かび上がらせていくための手がかりにはなるので利用できるものは利用しよう。

拳銃を発射する。
銃弾が飛ぶことで、犯人と被害者のあいだの分離した距離が短絡される。
被害者の中には女性もおり、男性と女性のあいだの分離した距離が<筒状の物体から発射されるもの>によって一挙に短絡される事態でもある。
男 / 女
→
媒介物
(発射された銃弾)
ここで展開する述語的様相は、はっきりと遠く分離されているもの同士の間が、一挙に短絡するということ、分離が結合に転じる、あるいは分離したまま結合するということである。
銃に限らず、神話によく出てくる弓矢でも吹き矢でも釣り針でも、命を奪うものと命を奪われるものとの間を分離したまま結合する両義的媒介項である(この様に書くと、銃撃犯と狩猟者を混同するように読めてしまうかもしれないが、あくまでも述語的様相がマンダラを描く動きに注目して読んでほしい。ここは主語的なものたちの価値をジャッジするための分節を行なうところではない)。
*
この被害者と銃弾との結合により、生/死の分離が短絡され、生が死に転じる。
分離→/←結合
生→/←死
この二極が、分離されたまま突如結合され、結合されたかと思うと、またすぐに生/死、分離/結合をはっきりと分別して、その一方の極(結合、死)だけを選ぶ、という動き方をしている。
*
逃げるー追いかける?|上から下へ
ここで、夢見者は事件現場のビルの上層階の一室から逃げ出し(分離し)、一挙に階段を降下し、さらにさらに地下へと降りていき、銃撃犯たちからの分離を確定しようとする。

夢見者(女性) ←/→ 銃撃犯(男性)
結合から分離へ
危うく、銃弾を介して過度に結合しかけたところが、夢見者だけが部屋から逃げ出すことができるという形で過度に分離する。
この結合から分離への転換は、夢見者が銃撃犯をビルの上階に残して、非常階段を「上から下へ」駆け降りるという述語的様相で表現される。

この時、夢見者は常に、銃撃者たちが追いかけてきているのではないかと気にしている。分離しておきたいところが、結合してしまうのではないか、と不安を覚えているのである。
実際には銃撃犯は追いかけてきていない。
いや、姿が見えないだけで、追いかけてきているかもしれないが、少なくとも、夢見者が地下鉄に飛び乗り、地下鉄が発車する時まで、結局銃撃者たちの姿を夢見者がみることはない。
夢見者はヒアリングの際、列車がホームに入線し、扉が開き、そしてまた扉が閉まるまでの時間を非常に長く感じたという。
列車の扉が閉まるまでのあいだに、いつ追いつかれるか、気が気ではなかったのである。
この、追いかけてきているのか追いかけてきていないのか、どちらか不可得であるというあり方が、β項たちのあいだの距離が分離したり結合したり伸縮する述語的様相をよく表現している。

* *
分離したいものと結合してしまう可能性に苛まれる(分離されていても、いつ結合してくるかわからないという不安)
しかし、夢見者は、脱出に成功した後もずっと、あの銃撃者たちに狙われているような気がして(分離しているのに結合しているような気がして)苛まれる。
乗り込んだ地下鉄は駅から出発する。犯人たちは乗ってこない。
私(夢見者)はどうにか一旦は難を逃れることができた。
しかし、銃撃犯たちが私の居所を探しているかもしれないという気がして、常に恐れながら、月日が経つ。
夢見者は、分離/結合、生/死の対立二極のあいだの急激な転換の場からは、距離をとること=分離することに成功する。とはいえ、分離したもののまだ結合しているのではないか、追いかけてくるのではないか、自宅まで探されているのではないかという、神話型のおにごっこ(三枚のお札のような)の述語的様相を経験している。
このようにはっきりと十分確実に分離を確定する方向に向かっているにもかかわらず、どこかで、まだ結合しているのではないかと、分離したいところと結合してしまう可能性を恐れることが、人間の不安の典型的なかたちである。
男性性の去勢された様相
非-男性性の極へ
さて、次に場面が大きく変わる。
恐ろしい暴力的な銃撃犯のような男性から完全に分離された、女性たちだけが保護された空間、アジールが開ける。
場面が変わって、私(夢見者)は、学生寮のような建物の一室にいる。
古いアパートの部屋を借りて、女の子数人でシェアハウスのように使っているらしい。
個人ごとのスペースが区切られていて、トルコ風のランプ、南米の民芸品、カラフルなバティック模様の布、天井から吊り下がったレース、たくさんのキャンドル、奇妙な人形などで彩られた部屋は、少女趣味でとてもかわいい。
夜市の占い小屋のような妖しさがある。
この部屋の管理人のような仕事をしている男性がいる。
黒のハイネックを着た、穏やかそうな西欧人の男性で聖職者を思わせる。
外国語なまりだが流暢な日本語を話す。
私が「ここは学生だけ使えるのですが」と彼に尋ねると、「学生も、どなたでも使えますよ」とこの聖職者風の男性は応える。
私はここに暮らすことに魅力を覚えたが、すぐにアパートから立ち去る。
キラキラのビーズのれんをくぐると、ドアの上にはガスメーターがあった(本当に古びたアパートなのである)。
この女子寮の様相は、冒頭の銃撃現場のビルの一室と、みごとに対になっている。

冒頭の銃撃現場では男女が混在していたが、学生寮では女性のみ、男女がはっきりと分離されている。
未-分離(結合) ←/→ 分離
分離しておきたいところが不意に過度に結合してしまうような急転換を引き起こしかねないモーメントは、ここから排除されているようである。
室内に登場するものたちも「トルコ風のランプ」「カラフルなバティック模様の布」、「天井から吊り下がったレース」「たくさんのキャンドル」「キラキラのビーズのれん」などなどが、インドラの網を思わせるすべてがすべてを互いに妨げない、差異が、分離が、はっきりと分けられつつも、過度な分離には転じない均衡したあり方をしている。
* *
さきほどの襲撃事件のビルの一室が「拳銃」という<爆発的な力を発車する筒状の物体>によって、分離を結合へ、そしてまた分離へと過度に伸縮させる動きの相にあったのにたいして、こちらの空間にあるものたちは、どれもしっかりと分離しつつもしっかりと結ばれている、といったあり方をするものたちである。子宮をおもわせるようなランプがあったりする。
分離ー結合間の伸縮 → 分離の相の確定(伸縮運動の停止)
伸縮が、激しい動きから、静かに落ち着いた様相へと落ち着いている。
*
また、特にここでの男性性のあり方が興味深い。
この女子寮を管理しているのは男性である。ヒアリングしたところによれば、この管理人の男性は、寮生の女性たちの部屋の中に一緒にいて、働いていたという。
女子寮は男/女をはっきりと分離する。
が、しかし、一歩、寮の外に出れば、そこには当然男性もいる。男/女は互いに他方ではない一方としてのみ存在するものであり関係概念である。マンダラ状に対立関係の対立関係を引き出していく無意識の論理は、女性たちだけの世界をイメージさせると同時に、なんらかの男性性をもイメージすることを要請する。そこに夢見者の記憶から引き出されてあてがわれたのが、聖職にあり、理念的には去勢された男性性であるべき男性である。
さらにこの聖職者の男性が外国の方であるというのも興味深い。外国の方で、日本語に不慣れかもしれないのに、努力して洗練された日本語でコミュニケーションを取ろうとする。先ほどの銃撃犯の一方的な命令口調「動くな」と、見事に真逆に対立している。双方向的な聞く耳を持っている。
一方的な命令口調 / 双方向的な傾聴
銃撃犯の男が破壊的な様相で対立関係を分離→結合→分離と転換してきたのに対して、この男性でありながら女性たちの一員として女性たちとともに暮らす管理人は、男/女を繊細に分離しつつ結合する媒介者、調停者であるようにみえる。
* * *
アジールからの分離、ガスメータを目撃
さて、この夢見者ご本人は女性であるが、彼女はこの女子寮の空間に肯定的な魅力を感じつつも、ここから離れる、分離することを選ぶ。
銃撃犯のような暴力的な男性に追われている感じに比べると、「女性だけ」の空間はいかにも安心できる、理想的な場所のように思われる。
しかし、分離したり伸縮したりする述語の動き、という観点からすると次のように言える。
1)女性である夢見者が「銃撃犯の男性に狙われる」ことは、男/女二極のあいだの分離から過度な結合への急転換である。
2)一方、このアジールは、男性性を排除しているという点で、男/女二極のあいだを過度に分離している。
この1)と2)、どちらも、適度に分離しつつ適度に結合するというマンダラ状に調和した心のあり方とは相容れないのである。男/女は関係概念である。男性とは「男性ではない-ではない」ということであり、女性とは「女性ではない-ではない」ということである。
この辺りは、「Δ男」「Δ女」というものが端的に実体として存在すると想定するところから始める日常の経験的感覚的分別からすると「分かりにくい」ところである。
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女子寮を出る時、夢見者は「古いガスメーター」を眼にする。
ガスメーターにはガス管がつながっているが、ガス管とは、破壊的なエネルギーの塊(ガス)を内包した「管」である。
圧縮されがガスがぎゅっと詰まった管は、銃撃者が手にしていた<爆発的な力を発車する筒状の物体>としての拳銃と、述語的には交換可能な、異なるが同じものであろう。
いや、もし万が一高圧に圧縮されたガスが大爆発したら、ガス管は、拳銃以上の大変は破壊力を表すことになるだろう。

この一見「女性だけ」に見える保護された世界も、その出入り口、分離する動きを担う「扉」というもののすぐ隣に、破壊的なエネルギーを内包した「管」をともなっている。そしてこの管は、このアジール空間の生活を維持管理するためのインフラ、ライフライン的な役割を担っている。
男/女間を分離し、引き離しているが、その分離された女性だけのアジールの入り口の扉(男/女の境界になるもの)のすぐ上に、破壊的なエネルギーを内包した「管」としての男性性がしっかりと結合している。そしてそれは古くからあるもので、ずっと前から、このアジールの暮らしを支えているもので、取り除けるものでは(遠く遠く分離してしまえるものでは)ない。
アジールの内部から男性性を過度に分離しようとするものの、男性性はどこか遠くへ飛んでいってしまって消えてなくなるものではないので(なぜなら女性性は男性性に対立する限りで女性性であるのだから)、部屋の外へ外へと押し出され、押され押されて圧縮された男性性が、圧縮された高圧ガスの姿になって、アジールの外部に、いや、内部の表面に、へばりついているような形になる。
女性と男性の関係とは、おそらくそのような相補的なことなのである。
+
ところで、ガス管と拳銃は違う。拳銃がもつ破壊的に分離とい結合を転換する爆発力に比べると、ガス管は理念的には絶対に爆発してはならないものである。拳銃は火薬を爆発させようと思えば、爆発させることが出来ないければならない。一方のガス管は、爆発することは望まれない。
このガス管が接続され、去勢された男性によって守られた空間から分離していく夢見者の無意識は、どうやら、男性性から過度に分離された女性だけのアジールでは、この破壊的なエネルギーを内包した「管」の力との対峙・調停・均衡を後回しにすることになるのだと、気づいているようである。
どれほど後回しにしたところで、この破壊的なエネルギーを内包した「管」の力、つまり必ずしも去勢されているとは言い難い男性性との対峙は、現世に男/女の区別がある限り、避けて通ることはできないのである。
いまや夢見者は、銃撃犯が象徴する爆発的な過激さを含めた男性性と、一方で女性性とほぼイコールになっている完全に抑制された去勢された男性性とを両極端とする振れ幅の全体と対峙し、調停を試みようとしている。

心の底の動きは、マンダラを描くように、経験的感覚的に対立する二極の間を調停し、均衡させようとする。対立二極は二即一にして一即二になることを目指す。この“対立二極の二即一にして一即二”を、いったいどのような経験的な述語的な様相、分離する動きと結合する動きのバランスで表現するかが問われることになる。
女性である夢見者の無意識は、いわゆる「アニムス」としての男性性を、破壊的なエネルギーを内包した「管」を、<爆発的な力を発車する筒状の物体>を、自分自身のものとして、過度に分離するでもなく、過度に結合しるでもない、適度に付かず離れずに、適宜その間の回路を開いたり閉じたりできるあり方へと変容しなければならない。

両性具有の男娼に変容する女性
ここで夢見者は、述語のマンダラという観点からも非常に興味深い様相に変容する。夢見者の身体が両性具有になり、その状態で「体を売る」ビジョンである。夢見者は、男性性から注意深く分離された女子寮的世界を離れて、男女が次々と結合と分離を繰り返す「夜の世界」に入る。
体を売っている時は女性の姿、女性の身体であるが、同時に男性器もついていて両性具有になっている。
いったいどの様な構造で両性具有の身体になっているのか、不思議に思う。
まず、経験的な男/女の区別が、実際の現世でもありえる様式で分離したり結合したりを繰り返すようになっている。金銭の契約に基づいて結合し、契約が達成されたならばパッと分離する。ここで男女間の過度な結合は生じていないし、過度な分離も生じていない。
この男女が次々と結合と分離を繰り返す動きの中で、夢見者は冒頭の銃撃事件の過度な「分離→結合→分離」の衝撃を紛らわすことができる、つまりそこから適度に距離をとる、分離することができる、という。この点が夢の中でも自覚されているのがおもしろい。
この夜の世界に生きるという述語的様相において夢見者は、男/女の間を自在に分離したり結合したりできる「自由」を自ら掌っているとも言える。
*
しかも、この時、夢見者自身の身体が両性具有になっている。
男/女の経験的感覚的対立の二極の間を分離したり結合したりとリズミカルに動かすことができるのはひとつの均衡の形であるが、無意識からすると、自身の身体、自身の自己同一性が男/女の二極のどちらか一方だけを選んだ姿であるというのは、どうも不徹底な感じがするのかもしれない。伸縮する述語のマンダラには、まだ、Δ男もΔ女も煮凝っていないのである。
そうして男/女間の分離と結合の只中にある夢見者の無意識の身体は、両性具有になる。両性具有は神話にもよく登場する両義的媒介項である。
男女の結合と分離を反復する両性具有は、「女子寮で<分離>を繊細に司る理念的に去勢された聖職者」と「銃弾による<結合>を見境なく引き起こす性的に高揚した銃撃者」の男性性の二つの様相さえも、一身に体現しながら調停しているといえようか。
(1)銃弾による<結合>をー乱暴にー引き起こす高揚した男性性
(拳銃を無闇に発射する)
||
/男女の結合と分離を反復する両性具有/
||
(2)女子寮で <分離> をー繊細にー司る去勢された男性性
(ガス管を開/閉する)
両性具有に変容した夢見者は、無闇に銃を発射する破壊的な(つまりマンダラ的な分離と結合の伸縮する動きのバランスを生み出すことができず完全な分離を切ってしまう)男性性でもなく、かといって去勢され、女性だけの生活の役に立つ程度のエネルギーをうまく弁を調整しながら供給するガス管のような男性性でもない、その「どちらでもない」あり方を体現しているようにも見える。
おもしろいのは夢見者は、両性具有になった身体を、「自分自身のもの」とは感じられず、不思議なものとして感覚しているところである。自己同一性がはっきりと固まっていないのである。

男性性、女性性、という対比でいえば、(1)銃弾による<結合>をー乱暴にー引き起こす高揚した男性性も(2)女子寮で <分離> をー繊細にー司る去勢された男性性も、どちらも女性性と過度に分離または結合している。(1)は女性性を破壊してしまう、女性性と両立し得ないような男性性であり、これはマンダラ的な調和の中にポジションを占めることはできない。また(2)は男性性ではあるが去勢された、あるいは破壊済みの男性性であり、これはこれで女性性と両立できない(女性性が反-男性性であるとすれば、ほんとうに去勢された男性性は即、反-男性性であり、これは女性性と異ならない)。
男 / 女
この経験的で感覚的な対立をつかず離れずに、分離しつつ結合し、結合しつつ分離するためには、(1)でも(2)でも、どちらの述語的様相でも、上手くはいかないのである。
ここで最後、男/女、ふたつの主語を重ねたβ主語両性具有が、次々と相手を変えながら男女間を自在に結合したり分離したりする述語的様相を呈することで、(1)でも(2)でもない、伸縮自在な、二辺のどちらか一方に固着しないあり方を表現する。


私たちの心の源底の動きは、Δ男性性をβ男性性に、Δ女性性をβ女性性へと、モードチェンジしたうえで共振させるのである。

まとめてみよう。
冒頭、ビルの上層階の一室で銃撃犯に撃たれそうになる場面では、上/下、内/外の二軸が織りなすマンダラ構造の中で、男性性(発砲者)は「下から上へ」「外から内へ」という動きでもって「上の内」にいた夢見者に迫ってくる。それに対して夢見者は、下へ下へ、最終的には地下まで移動することで発砲者からの分離に成功する。

第二の場面、アジールのような女子寮の場面では、男性性は「内から外へ」と押し出され(圧縮され)る。夢見者とβガスメータとの関係は、相対的にガスメータが「上」で夢見者が「下」担っている(夢見者は前の場面で「下」にいたので、そのまま下のポジションを取るのだろう)。

女性性に注目すると、第一の場面では、夢見者は逃げるように受動的に上/下の振幅を描いたが、第二の場面では、夢見者は、能動的に内/外の振幅を描く。
男性性に注目すると、第一の場面では、男性性は「外から内へ」入ってくるという述語的様相を描き、そして発砲するという形で、放射する、放出する動き(述語的様相)を呈する。これが第二の場面では、「内から外へ」と押し出される述語的様相を呈する。これは収縮する動きである。
第一の場面と第二の場面で、β男性性、β女性性、それぞれの述語的様相が「逆」に転換していることに注目しよう。
マンダラの中では、あるβ項がある極に寄ってしまうと、そこから反転して反対の極へと移動しようとする。そうして第三の場面になると、β男性性とβ女性性が適度に分離したり結合したり、その距離を伸び縮みさせるようになる。

この夢は、夢見者の無意識の脈動を、まるでホメオスタシスのように調和したモードへと解いているようである。
夢見者の方からのコメントと応答
以上の分析について、夢見者ご本人からコメントをいただいていますので、許可を得て掲載します。
秀逸な解釈をありがとうございます。
この夢を見た当時はとても怖くて気分の悪い目覚めだったのですが、象徴そのものから動きや働きに焦点を移してみると、様相がだいぶ変わって見えますね。
二項対立を極端に引き伸ばした後、媒介する第三項(ここでは両性具有の夢見手)によって関係性を調停し、付かず離れずの安定状態に持っていこうとするという伸縮は、神話でも夢でも普遍的に共通するものです。ただ、「どのような経験的な二項対立を登場させるか」は個人に依存するところで、今回「男/女(限りなく女性的な去勢された男)」という根源的な二項対立が集合的無意識を浮上させるための媒体として採用されたことは、個人的な範囲で意味づけを探ってしまいます。極度に分離する動きを表現するものであれば、その主語は何でも良いわけですから。
「述語的伸縮を示すために用いられる主語」にも個人の癖やその時の心理的・身体的な影響が反映されるはずで、そうした視点から象徴を解釈すると面白そうです (あくまで述語が先立つため、象徴の重さに嵌まり込むことも回避できそう)。
この夢で特徴的なのは、場面2の「保護的なモチーフに包まれた女子寮」かと思います。ランプやキャンドル、布、レースなどはどれも「ひらひら」「ゆらゆら」していて、ぼんやりと見えるようで見えない、急激な運動が生じないつくりになっている。自我にとっては安心感のある空間です。また、女子寮の番人にあたるポジションには、発砲男とわかりやすく対比されるような「女性的なるもの」ではなく、「聖職者の男性」がおり、完全に女性に振り切っていない点も興味深いです (ちなみに彼は、夢見手の印象では、女性よりも細やかで女性的な振る舞いをする寮母さんのようでした)。
ガスメーターは何気ないモチーフでしたが、「エネルギーの放出のされ方」という述語的様相において、銃器とうまく対比されていますね。
後半、身体を売ることで苦痛を緩和しようとするところを「男女が次々と結合と分離を繰り返す動きの中で、夢見者は冒頭の銃撃事件の過度な「分離→結合→分離」の衝撃を紛らわすことができる」「つまりそこから適度に距離をとる、分離することができる」と書いていただきましたが、これは現実的なトラウマに対する妥当な説明にもなっていると思います。
この夢では明示されていませんが、両性具有に夢見手自身がなってしまったからには、それと対応する項も潜んでいるのではないかと思います。(ユングの『ヴィジョン・セミナー』の翻訳をされた心理学者の)老松克博さんが仰っていたように、日中のアクティブ・イマジネーションを通じて、夢の疑問を扱ってみてもいいですね。
この夢は、経験的感覚的な主語的なものたちの対立が見事にブリコラージュされて、絶対無分節を分節したり未分節に戻したりする動きをビジュアライズし、言語化し、身体化することに成功していると思われます。
男/女の分別、二項対立、性別が「どちらであるか」は、実際に私たち一人一人がある一人の「わたし」として社会の中で生きていく上で、「私とは何か」という疑問に対する答えを引っ張ってくる際に、最初に呼び出される二項対立です。
「私は女である」「私は男である」「私は女であるが・・・」「私は男であるが・・・」。
私たちが「私とはXXである」と常に表明しながら生きていかざるを得ないところで、例えば服装、髪型、喋り方、持ち物をどう選択するか、というようなことからして、まずXXに入る基本的な項が、男/女のいずれであるか、がその後のありとあらゆる分別の連鎖の組み方を縛ります。
夢が自我を非-自我たちから分離しながらも結びつけておくように動くとするならば、男/女の分別に自/他の分別を重ねること、特に「自」とイコールになる、男性的であること(非-女性的であること)または女性的であること(非-男性的であること)の具体的なありようがどのようなものであるのかは、無意識の主要な関心事になると思うのです。
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このように無意識の伸縮自在な動きを見通すためには、繰り返しになるが、主語的なものの重さ、とくに日常的常識的な分別に基づく価値の高低の重さに惑わされずに、純粋に、述語的な様相の伸縮と共振するような意識状態(三昧耶)を励起したまま保持するということが大切になるのである。
例えば、下記の記事で分析したような神話を聞き読みすることも、そうした述語的な精神を鍛えるひとつの行法になるだろう。
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