つまみ読み#54|Lucy Soutter & Duncan Wooldridge (eds.)『The Routledge Companion to Global Photographies』(Routledge, 2025)
口上
前回のエマーリングは、ボゴタやベイルートから先に写真に出会ったら地図はどう描き直されるか、という問いで終わった。今回はその問いを標題に掲げた本を読む。というより、この本の序論はまさにその問いから始まる。「ボゴタやベイルート、台北やケープタウンの視点から先に現代写真に出会ったとしたら、私たちの見方はどう変わるだろうか」(p.1、仮訳)。
この本にも前史がある。昨年5月、共編者のダンカン・ウールドリッジが来日し、六本木でのレクチャー「なぜ写真は、グローバルな文脈において芸術として重要なのか」を聴いて、その夜のうちにレポートを書いた。あのとき私は、この本を編者の声で聞いた。今回は同じ本を頁で読む。速報レポートが「ハルシネーションがあるかもしれない」と断り書きをつけていた通り、声の記憶と書物の実体のあいだには、いくつかのずれもあった。それも後で検算する。
本書は序論+6部36章、本文405頁の論集である。全部は読まない。精読したのは、序論(Soutter)全文、第I部「人新世の写真」から第2章(Stielau)と第3章(Josephy/Alexander/Nsabimana)、第IV部から第19章(Levin)、第VI部から第34章(Vartanian)。残りは目次と各部の見取り図にとどめる。
ありがたいことに本書はオープンアクセスで、全文が無料で読める(CC BY-NC-ND 4.0): https://doi.org/10.4324/9781003368328
精読
序論(Soutter)──複数形の写真と文化翻訳(pp.1–12)
タイトルが photography ではなく photographies なのはなぜか。序論は用語の選択理由を丁寧に言う。「私たちは、出会われるべき写真実践の異種混交性を示すために『photographies』を選んだ」(p.4、仮訳)。単数の写真史──北大西洋を囲む国々が「西洋」の略記のもとに独占してきた議論──を解体し、相互に連結し衝突する複数の実践を浮かび上がらせる。バングラデシュの写真家シャヒドゥル・アラムの「マジョリティ・ワールド」(世界人口の大半が住む国々、p.3)が地図の書き換えの支点になる。
鍵語はふたつ。ひとつは entanglement(絡まり合い)。ポスト・アパルトヘイト南アフリカの文学を論じた Sarah Nuttall から(その背後には Barad のポストヒューマン哲学から)引かれ、中心/周縁、植民者/被植民者、自己/他者という二項の不十分さを引き受けたまま、互いへの込み入った関与に踏み込むための図形として使われる(p.2)。もうひとつは cultural translation(文化翻訳)。サルトルの「同じ時代と共同体の人々には合言葉(key-words)があり、多くを書く必要がない」(p.7、仮訳)という一節を裏返して、この論集には合言葉がない──だから多くの言葉が要る──と自覚するところから、翻訳の問題系が開かれる。スチュアート・ホールの「取り返しのつかなく翻訳された」人々(p.8)。テヘランで英語の写真書を7冊ファルシ語に訳してきた写真家バイラムネジャド(イランは国際著作権条約に参加していないため、その翻訳はすべて非公認である、p.8)。「document も documentary も韓国語では『記録』に潰れてしまう」という翻訳者の困難(p.8)。読者自身が文化翻訳者になれ、というのが本書の使い方の指定である。
組織論も書かれている。本書はパンデミック下の2020年に発足した Global Photographies Network から生まれ(p.8)、各部はネットワークの各地の編者(南アフリカ、ハンガリー/スウェーデン、アルゼンチン、英国/インド、コロンビア、台湾/シンガポール)が構成する。各部の冒頭には概観、末尾には対話やラウンドテーブルが置かれる。そして序論の結び。「私たちは均質なグローバル写真文化を作ることには関心がない」(p.11、仮訳)。本書は「完全であることも代表であることも装わない」(p.11)。
第2章 Stielau「南からの眺め」──《The Blue Marble》は誰の眺めか(pp.15–26)
1972年12月7日、アポロ17号が撮った《The Blue Marble》は環境主義のアイコンになった。だがこの写真は「全地球」を写していない。南半球の夏至近くだったから、写っているのはアラビア半島からアフリカ大陸、そして南極へと続く「南」である。「《The Blue Marble》はつねに、神の眼を通して見られたグローバル・サウスの眺めだった。それは私たちにアフリカを見るよう誘い、アフリカから見る可能性を締め出す」(p.17、仮訳)。
この章の強さは、俯瞰(overview)の系譜学を一枚の写真の「見えない中心」に突き刺すところにある。撮影前日の1972年12月16日、写真のほぼ中心にあたるモザンビーク中部の村ウィリヤムで、ポルトガル軍が385人の村民を虐殺していた(p.20)。証人を残すなという命令のもと、写真的証拠は一枚も残っていない。空の眼が見下ろすその真下で、目撃者なき地上の犯罪が進行する──「垂直性は抽出の前提条件である」(p.20、仮訳)。ベゾスの宇宙飛行と「重工業を宇宙へ」発言は、この俯瞰の認識論(airman's epistemology)の正嫡なのだ。
対案も具体的である。Gomez-Barris がカイセドの映像作品《YUMA》に見出す「魚眼の認識論(fish-eye episteme)」(p.21)──川の中から、濁りの中から見ること。Alves の《Seeds of Change》──船のバラスト土に紛れて大陸を渡った種子から植民地史を「地面から上へ」語り直すこと。そして章の最後に置かれるのが、次章の主役ンサビマナの写真《Shaba (Revisit)》である。電子廃棄物の山の上に、廃電線で作った衣装をまとって立つ人物。杖の先には小さな青緑の地球儀──手の中の球体ではなく、身体と大地に配線し直された球体。
第3章 Josephy+Alexander+Nsabimana「廃棄物を脱植民地化する」(pp.27–36)
第3章は、その写真家ジャン・クロード・ンサビマナの実践を本人との共著で論じる。骨格はふたつ。
第一に、写真そのものが採取(extraction)の当事者だという認識。アナログ時代の銀、デジタル時代の銅・コバルト・コルタン。製造と廃棄の両端がアフリカにある。「捨てられたものは消えたように見える。だが『どこか(away)』は実在する場所であり」(p.31、仮訳)、それはしばしばアフリカである。17世紀の三角貿易と現代の電子機器の循環(中部アフリカで採掘→アジア・欧米で製造→「寄付」の名でアフリカに廃棄)が「相似形の三角形」として重ねられる。ピーター・ヒューゴの『Permanent Error』(ガーナのアグボグブロシー)への言及もあるが、ンサビマナが決定的に異なるのは、彼自身が採取に結びついた紛争による避難民だという点である。
第二に、その個人史。ンサビマナは1984年ブルンジ生まれ。1994年の虐殺で家族とともに森を抜けて逃げ、ケニア・タンザニアの難民生活を経て南アフリカに辿り着いた。《Ifoto y'umuryango(家族の肖像)》では、家族全員が廃ケーブルで織った衣装をまとう。ケーブルは布の模様であると同時に、1994年に一家が逃げ抜けた森の蔓と枝でもある。「追われていたので、松明のような連続光は使えなかった。だから父は即興で、カメラのフラッシュを使って一瞬だけ道を照らした」(p.33、仮訳)。写真装置の閃光が、文字通り生存の道具だったという記憶。撮影機材の残骸(フラッシュ、スタジオ照明、引き伸ばし機の部品)を衣装に織り込むことで、写真は救済者ではなく問題の当事者として画面に呼び戻される。序論の entanglement(Nuttall)がここで再登場し、廃棄物・植民地主義・家族史の「絡まり」として実装される。
第19章 Levin「エンジンであってカメラではない」──写真の環境史(pp.205–216)
第IV部(新しい物質性、Wooldridge & Rajguru 編)から。レヴィンはハンブルクで開催した展覧会「Mining Photography」の共同キュレーターとして、「環境写真の歴史ではなく、写真の環境史」(p.207、仮訳)を提案する。
事実の列挙がすでに強い。ニエプス兄弟は写真の発明前に内燃機関 Pyréolophore を特許化しており、それは現代の自動車エンジンの直系の先祖とされる。そしてニエプスが初めて画像を定着させた感光材は「ユダヤの瀝青」──死海産の天然石油。「最初の写真イメージは、文字通り化石燃料で刻まれた」(p.207、仮訳)。AGFA の社名はアニリン製造株式会社の略で、石炭タールから染料を作る会社だった。ダゲレオタイプは銀と銅の板であり、石炭の豊富なウェールズのスウォンジーが世界の銅精錬を独占した。印画紙の原料は綿とぼろ布で、ぼろを拾い集める都市の貧民がマルクスの Lumpenproletariat に名を与えた。1999年になっても Kodak は年間3000万キロの牛骨をゼラチンのために処理していた(p.208)。
理論的な芯は「人新世」批判である。人類という種全体に責任を溶かす Anthropocene ではなく、資本の時代 Capitalocene(Malm、Moore)。マルクスの「物質代謝の亀裂(metabolic rift)」が写真に適用され、タルボットの『自然の鉛筆』の「自然」は、ムーアの言う「安価な自然」──「資源プールかゴミ箱」(p.210、仮訳)──として読み替えられる。章の白眉は、1847年のフンボルトのダゲレオタイプ(Biow 撮影)の銅板そのものの来歴を鉛同位体分析で遡る試みで、結果はメキシコ鉱山説を退け、コーンウォール由来を示唆した。ガス誘導ではなく実証。肖像の中の人物(鉱山官僚にしてエコロジーの先駆者という両義性を生きたフンボルト)と、肖像を支える金属板の来歴が、同じ一枚の上で交差する。「環境-物質的アプローチによって、カメラはエンジンであってカメラではないことが明らかになる」(p.215、仮訳)。
第34章 Vartanian「来るべき出版モデルへ」──日本写真と印刷メディア(pp.375–382)
第VI部(フォトブックのグローバルな展開)から、東京を拠点とする編集者・出版者ヴァルタニアンの章。テーゼは明快である。「日本写真の理解は、印刷メディアにおける写真の議論なしには十分たりえない」(p.375、仮訳)。戦後の西洋写真がファインアート(展示プリント)の軌道に乗ったのに対し、日本写真は写真集と雑誌というメディアの軌道で発展した。
事例の密度が高い。細江英公『薔薇刑』は刊行以来4度も全面的に再設計され、そのたびに写真が別の解釈を得た。川田喜久治『地図』(1965)は杉浦康平の造本(多重の観音開き)が写真の思想そのものを拡張した。森山大道『写真よさようなら』(1972)は、写真家がプリントの束を渡し、編集者がほぼランダムに切り抜き配列した──編集の放棄が方法になった。荒木経惟『センチメンタルな旅』(1971)は1000部を夫妻が手売りした。「ビッグ3」(カメラ毎日・アサヒカメラ・日本カメラ)の誌面は月例競作と批評で議論の場をなし、1960年のアサヒカメラ誌上では「名取–東松論争」(p.378)が世代交代を刻んだ。1976年以降の同人ギャラリー(Put、CAMP)と同人誌、北島敬三『写真特急便東京』(毎月の展示+16頁の冊子)。
後半は著者自身の実践(Goliga)。森山の1974年《Printing Show》を2011年にニューヨーク、2012年にテートで再演した際、決定的な転回があった──「マスター編集」を捨て、参加者ひとりひとりが自分の版を編集し、森山は奥付に署名する。ホンマタカシとの《Rrreeeccconnstruccttt》(プリントを切り刻んで再構成)、横田大輔(真鍮粉を刷った紙に酢酸を撒いて像を変成させる公開パフォーマンス)、西野壮平(都市コラージュをマグネット式タイルに分解し、参加者が持ち帰る)。写真集は過去の芸術行為のカタログではなく、「本そのものが経験である。本の外の何かを指し示すのではなく」(p.381、仮訳)。
検算──講演レポートとの突合
昨年5月のレクチャーレポートの記述を、今回取得した全文と突合した。
当たっていたもの。Global Photographies Network のパンデミック起源(2020年発足、p.8に明記)。「写真を写真に抗して用いる」は第II部第7章の題名そのもの(Vázquez Melken へのインタビュー)。「Stickiness of Images」は第23章(Wooldridge 自身の章)の題名。メキシコの Hydra は序論(p.3)に登場する。Chobi Mela と Photo Kathmandu は第21章の題名に。第I部の「水と南アフリカ」「南極」はそれぞれ第4章・第5章として実在。ボゴタの教育プログラムは第28章。第VI部の台湾・韓国・ラテンアメリカという並びも第31・32・35章に対応する。講演の骨格は本の骨格を正確に伝えていた。
ずれていたもの。レポートの「本書(620頁)」は誤りで、実測は本文405頁+索引で419頁(レポート自身が冒頭で「ハルシネーションがあるかも」と断っていた通りの箇所である)。「ウールドリッジは序論で『本書は決定版を志さない』と宣言する」とあるが、書物の序論は Soutter の単独名義であり、「完全であることを装わない」「読者を文化翻訳者へ誘う」という内容はたしかに序論にあるものの(p.11、pp.7–8)、書き手はサウターである──講演でウールドリッジが同趣旨を語った可能性は高いが、帰属は分けておく必要がある。「第IV部の編集責任はウールドリッジ自身」も、正確にはラシ・ラジグルとの共同編集。Chobi Mela への言及は第V部ではなく第IV部第21章。「制作費1万ポンドの自力調達」「85か国以上からダウンロード」は本文では確認できない(講演由来の情報として保持する。オープンアクセス自体は各章の CC BY-NC-ND 表記と DOI で確認済み)。
前回の Emerling で「立ち読みと精読」を検算したときと同型の結論になる。編者の声は本の設計図を正しく伝える。ただし頁数・帰属・配置という「書誌の水準」は、頁を繰らないと確定しない。
論点
一、エマーリングへの応答として読む。前回の本は「対立する諸理論こそが写真の歴史」という単数の(そして自認するとおり欧米中心の)地図だった。本書はその地図の余白から作り直す。ただし注意したいのは、序論が「均質なグローバル写真文化を作ることには関心がない」(p.11)と明言することで、単数の photography を複数の photographies に置き換えても、新しい単一の正典を立てるのではなく、翻訳の失敗込みの絡まり合い(entanglement)を方法にしている点である。エマーリングの「ディスクールなしに写真はない」に対して、本書は「翻訳なしにディスクールは移動しない」と付け加える。
二、レヴィンの章は、エマーリング第1章の物質論的な裏返しである。エマーリングはタルボットの「自然の鉛筆」を表象の水準で読んだ(最初の図版がすでに解釈を要求する)。レヴィンは同じ「自然」を Capitalocene の「安価な自然」として読む。ディスクール分析(写真とは言説である)と環境史(写真とは採取である)は、同じ対象の二つの断面であり、後者は前者が「フレームの外」に置いてきたもの──労働、資源、エネルギー、廃棄物──を意味の内部に繰り込む。写真論の第三の読み筋として、この「写真の環境史」は今後の連載の基調になる。
三、第2・3・19章は、次に読む2冊への蝶番である。スティーラウの「垂直性は抽出の前提条件」、ンサビマナの「awayは実在する場所」、レヴィンの「物質代謝の亀裂」──これらは、ベスキーが『The Darjeeling Distinction』で言う「150年の資本主義的採取が製造した美」としてのダージリンの景観論、そして『How Nature Works』の「人間以上の労働」論へまっすぐ接続する。写真の本からプランテーションの本への移行は、主題の飛躍ではなく、採取という同じ問題系の中の焦点移動になる。
四、ヴァルタニアンの章は、この連載自体を少し照らす。日本写真は「本が経験そのもの」であるような出版文化の中で発展した、という彼のテーゼは、写真論の読書ノートを note という出版形式で公開し続けるこの連載の自己記述としても読める。読者が編集に参加する《Printing Show》の再演は、序論の「読者を文化翻訳者へ」という指定と同じ構えである。つまみ読みもまた、405頁の本から10分の1を切り出して綴じ直す、ひとつの再編集=翻訳である。
(未精読部分の見取り図: 第II部は脱植民地的実践(グリーンランド、ハンガリー、南アジア、西アフリカ)、第III部はジェンダーとクィア理論(アルゼンチンを中心とする南米)、第V部はコミュニティ形成(東南アジア、トランス・アフリカ、アイルランド、ラテンアメリカの教育)。全体の見取り図は昨年のレクチャーレポートを参照。
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