「ダメ社員」と呼ぶ前に──人事の苦悩を「健康の社会決定要因から考える」【#189】(産業保健-11)
「あの人、なんとかなりませんか」
産業医として面談をしていると、人事の方からこのような相談を受けることがあります。
無茶な要求をしてくる社員がいる。
何度言っても響かない社員がいる。
「ダメ社員をなんとかしてほしい」と、半ば本音で漏らされることもあります。
その苦悩は、よくわかるつもりです。
人事は制度と規定のなかで動いていて、できることとできないことがあります。
現場の温度感を引き受けながら、それでも線を引かなければならない立場です。
安全圏から眺めている私とは、背負っているものが違います。
きっぱり断る、でも温かく
たとえば、復職のときに過度な軽減勤務を求められる場面があります。
このとき、制度的に無理なものは無理だと、冷静にきっぱり伝える。
それ自体は正しいことだと思います。
情に流されて曖昧にするほうが、結局はその人や周囲、組織のためになりません。
ただ、断り方には温度があります。
きっぱり断りながら、それでも「治ってほしい」と願う気持ちは持てる。
線を引くことと、相手を見放すことは、別のことです。
ここが地続きになってしまうと、断った瞬間にその人を切り捨ててしまう構造になってしまいます。
「性格がダメ」と言い始めると
これはちょっと・・・として感じるのは、人事の方が難しい要求をされた時に、「あんな性格のやつだからダメだ」という方向に話が傾いたときです。
人格そのものを否定して跳ね除ける。
これは医療の文脈から見ると、どうしても引っかかります。
その人は、好きでその性格になったわけではありません。
もちろん、個人の主体性というのがありつつも、遺伝、生まれ育った環境、これまでの人生で選べなかった要素が、いくつも積み重なっています。
健康の社会的決定要因(SDH)という言葉がありますが、人の状態は本人の努力や怠慢だけで決まるものではない、という見方です。
自己責任論では解決しない課題です。
怠慢に見えるものが、本当にその人だけの責任なのか。
そう問い直す余地は、たいてい残されています。
透析患者を嫌がる医師の話
医療の現場にも、似たことがあります。
糖尿病性腎症から透析に至った患者さんに対して、「自己管理しなかったのが悪い」と言いつける医師を知っています。
1型糖尿病や腎炎で透析になったのは仕方がないが、2型糖尿病は本人の怠慢だからやる気がでない。
仕事だから仕方がなく診るが気持ちは入らない。
ちょっと驚きますが、はっきり言わなくても態度としてあらわす人も含めると結構いらっしゃいます。
それと同じ文脈で、生活保護を受けている人を馬鹿にする人もいます。
その人がどんな生活環境で、どんな情報のなかで、どんな選択肢を与えられて生きてきたのか。
そこへの想像力を欠いたまま、結果だけを見て切り捨てる。
私は、そういう医療職にはなりたくないと思っています。
今働いている病院のスタッフがそうだと言っているわけではなく、アルバイトを含め10箇所程度の医療機関で仕事をした中で、やはり一定程度そのような考えの医療職の人がいるという感覚です。
人格否定で社員を跳ね除ける人事も、構造としては同じだと感じてしまうところがあります。
それでも、温度差はある
とはいえ、私のような第三者が安全なところから「想像力を」と言うのと、当事者として無茶な要求を毎日受け止めるのとでは、温度がまるで違うでしょう。
これはきれいごとを言える私の側の甘さでもあります。
毎日その社員と向き合っている人事の方に、外野が倫理を説くのは、たやすいことです。
だから、この話は人事を責めるためのものではありません。
ただ、断る場面でも、線を引く場面でも、その向こうにいるのが、好きでそうなったわけではない一人の人間だということ。
皆それぞれの事情を抱えて、必死で生きているということ。
イライラした時、これはおかしいなと思った時に、思い出せたらいいなと思っています。
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