「静かな退職」は、社員の問題ではなく制度の問題だった
定時で帰る。
休日に会社チャットは見ない。
昇進にもそこまで興味がない。
すると、いつの間にかこう呼ばれる。
「静かな退職」
いやいや、退職してないですよね?
「静かな退職」という造語への違和感
なぜ今回の記事を書こうかと思ったのかというと、
私もいわゆる「静かな退職」状態だったことがあるからです。
「静かな退職」とは?
”仕事を失わない程度にこなしつつも、熱意や努力は最小限に抑え、余分なタスクも引き受けない働き方”
誰しもが直面する普通のことであり、それを「退職」という単語でまとめられるのは、なんだかモヤモヤ。
「別に辞めるつもりはないし、
環境のせいで、必要以上に頑張る必要は今はないだけ。
何か問題でも??」
と言いたくなる。
さて、個人的な感情は以上にしましょう。
「静かな退職」という言葉で組織を語った瞬間、
経営者や人事担当者は無意識にこう考えませんか?
「どう引き止めるか?」
「どうやる気を出させるか?」と。
対処療法的な対応は、一時的な効果にしか過ぎません。
「静かな退職」という用語のインパクトに引っ張られてしまうので、
「仕事の私事化(しごとか)」という用語(仮)で、
現象を挑戦的に説明したいと思います。
【仕事の私事化】とは?
「静かな退職」が皮肉って表現したいことを具体的にすると、
・転職意向なし
・出世意欲なし
・残業ゼロ
・転勤拒否
一見我儘にも見えますが、
これは
「会社に人生を丸ごと預けない」
という一つの価値観から来ています。
仕事が公的・社会的な営みというよりは、
個人の生活設計における一部になった構造の変化。
昔は、
「会社の成長に、自分の人生を乗せる」感覚だった。
会社のために、私事を抑えて、転勤も残業も出世もする。
でも今は逆です。
自分の人生設計の中に、
“会社”という機能を組み込んでいる。
仕事は、私事の一部にしかすぎない。
だから、自分の感情で仕事をする。
「人生を捧げる社員」前提の制度は、もう機能しない
問題は、ここから。
終身雇用・年功序列が前提であったため、
多くの会社の就業規則・評価制度・賃金制度は、
「会社に人生を捧げる社員」を暗黙の前提として設計されている。
転勤を受け入れ、
残業をいとわず、
会社の成長と自分の成長を重ねる——
そういう社員像が、制度の骨格に埋め込まれたままです。
今やその前提にヒビが入っているのに、古い制度だけが残っている。
だから社内イベントも、研修強化も効かない😢
昔ながらの施策は、
仕事をすでに私事と捉えている社員には、そもそも刺さるチャンネルが違う。
では、何をどうすべきでしょうか?
「管理」から「接続」へ
私事化した社員を「管理」しようとすると、摩擦しか生まれません。
必要なのは「接続」という発想です。
社員の私的な目標や生活事情と、会社の目標をどうつなぐか?
その設計こそが、
これからの人事・経営の本質的な仕事になると確信しています。
だからこそ、
休日を増やしたり、
在宅勤務を導入したり、
育児・介護制度の充実化を図る意味がある訳です。
ただし、意識だけ変えようとしても意味がない。
研修で「当事者意識を持とう!」と叫んでも、仕組みが変わらなければ人は変わらない。
就業規則・評価制度・賃金規程という拘束力のあるレベルでの接続があれば、なお安心でしょう。
私事化時代は、まだまだ始まったばかりです。
これから設計していけます。
以上を振り返ると、
「静かな退職」それは、自分らしく生きるための自己表現の一つです。
それを批判するなら、会社の内部のどこかが古くなっていることが原因かもしれませんね。
ぜひ参考になれば嬉しいです。
(「仕事」と「私事」は、読みが同じ。
それは単なる偶然ではないかもしれない―。)
