アルジャーノンに花束を・ヨハン・セバスティアン・バッハと特撮好きのリメイク・アニメ・オタク
私個人の世界の線での「ガイナックス」のピークは、「不思議の海のナディア」だった。
正直完全にそこで終わっていた。
だから、1997年に劇場版エヴァが公開された頃には私は既に「大学生」であり、個人的な興味関心は別の領域に向かっていた。
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長く人生を生きて、月日が重なることは様々な知識や知恵と重なることでもある。
『Air/ まごころを君に』は、監督庵野秀明氏の中にあったそれらの「世界線」が描かれたものだったのだろう。
彼自身の中にあった「人間関係・心理・認知・生きるということ」。
まさに「エヴァンゲリオン(福音書)」
本当に救われる必要があったのは、他でも無い。作者「彼自身」だったのかも知れない。
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それは「日本の失われた30年」と重ね合わさる。
それは、野心的な挑戦だったのだろう。
創造的破壊を試みた。
実際、現実世界において「商業的な成功」と「地位・栄誉」を果たした。
多くの若者達のオピニオンリーダーにも成り得た。
時代の寵児だった。
私も、人生において大きなインプレッションを得た。
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月日を重ねると、どんな少年少女も、成人する。男女となり両親となり、子とともに成熟して孫が出来て、そしてやがて朽ち果ててゆく。
いつまでも「少年少女のまま」ではない。人の「死生観」とは、この時間軸と量子宇宙の現象の中にあるホモ・サピエンスの遺伝子の螺旋継承はただ二度とないこの瞬間の生命現象の中にある。
『碇家』という過去に執着したまま時間軸の動かぬ「虚構」と原作者の精神構造。
「シン」シリーズとして止まっていた時を、彼を囲む人々の支えの中でそれは動き出したのだろう。
彼に動かされたかつての少年少女達ももう、中年になっていた。
様々な人生体験を、「日本の失われた三十年」と呼ばれたこの地球上で時間軸の中で経験して、成熟した人々にその作品はどう映ったのだろうか?
恐らく、制作チームの中に見えていた世界があるのだろう。
月日が流れ、私が大人になったからこそ、アルトゥル・ショーペンハウアー氏が実存哲学として示した事への共感がある様に、そこを生きた人たちにしか感じられない何かが、その登場人物や、音楽、映像の中に表現されているのだろう。
あれから随分と人類も変容してきた。
ただ彼らだけが原因ではないが、随分と「虚構」が「精神崩壊」によってこの日本社会も、地球人類も「異世界ファンタジー」への「現実逃避」が進んだ様にも感じる。
人に伝えることと、人に伝わることの間には、予期せぬ乖離現象が生まれる。
それはそれぞれの持ち合わせた遺伝子・環境・体験・興味関心・関係性など条件に齟齬がある事が当たり前だからだろう。
そしてその乖離が大きければ大きいほど、そして社会現象になればなるほど、その作品が放つ「ミステリアスな魅力」は増幅して想定を超越する。
ある意味「IT」や「AI」などの起業家バブルを煽る、深層心理に近いものがある。
「カルト」「ペテン」「詐欺」とそれらの心理状態は隣り合わせに近い。
ホモ・サピエンスの精神構造・感情・心理は、百年以上生きる事が可能で、免疫機能と二足歩行を可能とした身体機能と比較して遥かに脆弱性の塊だ。
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もし仮に「ガイナックス」が存在しない世界線だったら?
恐らくそれはあり得ないほどに退屈で、つまらない「日本のオタク・メディア」が存在していた様に感じる。
体当たり的な「オマージュ手法」がある意味全ての「ビックバン」のような分岐点としての「ルート開拓」を果たした様に感じる。
その感覚はある意味、起業家・実業家の「イーロン・マスク氏」にも共通したものを感じる。
その根底には計り知れない「孤独」「絶望」が存在している様にも見える。
個人の実感と、ホモ・サピエンスの価値には乖離や偏重が存在していて、これまでの人類史においてもその真の価値は、その人物が生きている間より死後になって判明することの方が遥かに多い。
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そろそろ、日本人がその「母性」に目覚める事を問われているのではないか?
生命の根源は「女性」であり「母」だ。
女性達が女性である事を、ホモ・サピエンスという真核細胞生物が、遺伝子プログラムとして存在する為に誕生な存在母親(エヴァ)である事を忘れてきた事に。
最も、今の日本社会に「失われたもの」がその存在だ。
それはアルトゥル・ショーペンハウアーのような「男性性」に近寄る「フェミニズム」では無い。女性が母性がありのままでいる事に喜びを感じるホモ・サピエンスが地球上に実存する何かだ。
弱々しい厨二病の男性を嘆き同調する女性でも無い。
その男性をその世界線から連れ出し、成熟した男性のホモ・サピエンスとしてロボット・空想ではなく、リアルな自然界に対峙する野生的な本能に目覚める所へと自然と導ける「母性」だ。
男女が、互いの違いと違いを認識し合いながら手と手を携えることが、違った感性を、特性を重ね合わせるように遺伝子プログラムはXとYを分け与えている。
あぁ、なんだかようやく幼い頃のネグレクトの中に形成された複雑性PTSDの根源にある「愛着」に癒しの放射線療法が起こっている様な感覚だ。
作品と作品、そして事実としての事象の中にある「カタルシス効果」は、いつも内包された意識と繋がる神経回路や神経伝達物質に影響し続けている。
全てと連なるレラティブ・スペクトラムとしての、この量子世界・宇宙構造の中に我々の地球の生態系が存在する。
摩訶不思議な超常現象を探す事よりも、私たちがこうして生存していること自体が奇跡的な構造・事象である。
今はただ、この「シンギュラリティ時代」という異次元の知性変容の過渡期にあるホモ・サピエンスとしてのアップデート・ターンオーバーを受け入れる態度・姿勢を「今ここ・この一瞬に時を重ねて」。
間も無く、百年に一度、いや千年、万年に一度とも言える巨大な人類社会の秩序が変わる出来事が顕在化する。そしてあっという間にそれが汎化されてアジャストした世界線が始まる事になるのだろう。
その見えざる意識に、敏感に形而が示す生命的な香りに、ホモ・サピエンスの男女としての本能が騒めく何かに、互いの感性と感性が交わる時代が、再び「生命性を取り戻した人類の時代」が始まることを「ポスト・シンギュラリティ」に見出せるだろうか?
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつもいつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。