【I was born】詩人・吉野弘氏の世界と団塊ジュニア・就職氷河期世代の嫡男と。
令和7年霜月のいよいよ終わりの気配が漂い「師走」の気配を、日本列島における、国際化したホモ・サピエンス社会を生きる人々の中に感じる季節になった。
就職氷河期時代にあった、私たちにとって野島伸司脚本「愛という名のもとに」の主題歌「悲しみは雪のように(浜田省吾)」は、人生の一部にある人も多いのではないか?
年を重ねて、いつの間にやら野島伸司氏やら浜田省吾氏のその頃より遥かに人生の歳月を超越した今頃になって、その歌詞やエピソードに込められた意味を実感し始める、絶望的なまでに愚者の私。
正に、毎晩、孤独な己と悲しみは雪のように積もる。
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その曲は「吉野弘氏」にインスパイヤーされたものだという。
彼もまた「母性」に飢えた「愛着障害」を生きた人物だ。
何故人類は、母子関係を司る母性は、いつになってもその事実を、他の思想やドグマに置き換えて今日もまた同じことを繰り返すのだろうか?
そしてそれは「男の涙」でしかないのだろう。
文学やオタク・ミュージックシーンなどのカルチャーは、その「母性の不在」と「男たちの涙」を正確にこの世の課題意識として捉えてきた。
ただそれを「国家」が、そして「宗教・イデオロギー・教育」などがかき消してある意味「カタルシス」としてガス抜きとしての「メディアの消費」になったのだろう。
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この地球上における、ホモ・サピエンスの真の目的や役割・原理原則・因果律を実態として示しているものは「自然・生態系」ではないか?
日々、マスメディアやSNSで繰り広げられるどうでも良い程に無駄に大量消費される洗練された情報のサラダより、
生態系に宿る、量子力学的な摂理によって形成されたその現実に触れ、己の今を重ねるシンプルな五感との交信による「アップデート・最適化」された意識・認知が、私には遥かに大切な「主食」のような存在であり、それらの情報は良くて「副菜の具材」であり悪く言えば、「隠し味・スパイス」程度の存在に近い。
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私はもう、ここまで生きて来た。先祖の遺伝子プログラムから見たら私同様の年齢まで生存可能だった者の数の方が少ない程度だろう。
生き残って来た。
生き残る資格が、この世における適合性が私には備わっていたのだろう。
だからこそ、私には私を産んだ母が私に向けた全てが絶望だった事を悟ことを可能とし、そして私は社会的孤独から生きる選択を見出し、実行を果たせた先に今がある。
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そろそろ、私の絶望地獄の宿命にもピリオドが訪れるのではないか?ただ淡い期待の訪れを察知し、全てを「放擲」する。
私はこの意識が、肉体から魂が離れるその最後の瞬間まで可能な限り極限まで「放擲」を重ね続けるだろう。
それが唯一、私が今世の絶望・悲しみ・地獄が雪のように降り注ぐ現世において見出した唯一の実存の方法だった。
そして、その意識から生きてきた道のりはこの世の見えざる力に作用して反映・投影された何かに流れていつでも存在を重ね合わせている事を実感するようになった。
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「I was born」とは、それ自体を今風に現せば「親ガチャ」だ。
生命の営みが、世代から世代へと、太陽系の時点公転による周期的リズムと共に繰り返される。
光の速度と影の速度。力と物理現象の渦中にあるこの世に生まれた遺伝子プログラムとしての生命。
ホモ・サピエンスの個人の中に宿る思考は、毒だろう。
その事を蜉蝣(カゲロウ)は蜃気楼のように、陽炎のような「母の一生」を私たちにただ示している。
生命にとって、この地球にとって一生に果たすべきことと、果たせぬものの本当の愚かさとは何か?
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北半球の日没は速くなり、小動物、鳥や虫たちも短い秋の間繰り広げていた生命の継承のための冬支度を終えて姿が見えなくなってきた。
私たちホモ・サピエンスの生態系にも「非生命体知能」という新たな未来への新構造が現れ、秒より遥かにミクロの単位でその知能・実用性を高め人類社会における価値を更新している。
更新しているがそれでも、私たちの「悲しみ」は「母性」への「愛着障害」がこの世から消える事は未だ叶わないから不思議だ。
それはきっと、この世が、地球が「ホモ・サピエンスの母性」に対して「見えざる働き」として何らかの作用をしているかの如く、種族を、人類を「滅亡」へと誘っているように感じる。
既存の国家や国際機関、宗教組織ではそれを解決する事は不可能であり、それもまたある意味この世の定めなのかもしれない。
生態系とは、この地球にとって太陽系によって条件付けられた因果律の中での現象であり、我々が果たせぬそれは、別の要因によって別の因果へと連なっていくのだから。
ただ、己は己。全てはそれぞれの与えられた生命因果を果たすことのみ。
この世を、宇宙を、見えざる因果律をプログラム形成したそれは私たちに何も「法律」も「貨幣」も「関係」による「善悪」や「罰」も与えない。あるがままの生命としての事実が最後まで存在して、そして無に帰す。
何らかの意図の為に。あるいはただそれがそうだということの為に。
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ご愛読、いつもありがとうございます。
これからも、そしてこれからも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆくための、明日への静寂、安寧なる心の棲家に融合し合うこと。
この惑星で真核細胞生物・哺乳類・人類として、あるいは核酸による遺伝子生命体として、物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出す、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあることを、いつもいつも願っております。
共に、今ここから、未来への未知の変容を描いていける事を嬉しく感じています。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。