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ここまで来たら最後まで、真面目な馬鹿で生き抜いて清々しくこの人生を終えたいと思う今日この頃。

昭和52年
西暦1977年に、バラバラのそれぞれのカルトを持った毒親の元で日本人として生まれ、

紆余曲折しながらも、何とか生きてきた。

ホモ・サピエンスのオスとして、ミトコンドリアなのかヴァイロウィルスなのか?
きちんと自分の内側にあるものと向き合い、この宇宙と自然界とのつながりを、

五感や呼吸、違和感や感性に正直に生きてきたつもりだ。

本当はありのまんまでいいのに、

違っていること、間違える事が当たり前で無くなった社会。

正解も正義も、それぞれに与えられたたまたまの結果でしかないのに、

善悪や、道徳倫理、主義、義務を求める国家社会。

どちらかといえば、平凡に、それらにも順応する事を中庸、中道を選択してきたつもりだが、

事実として未だに少子化という事実、自殺者、精神疾患、格差など、

善悪や道徳倫理、主義、義務を解くものから矛盾した選択をしたペテン、嘘つきだらけの世の中。

私は、もう最後まで馬鹿で正直でいい。


人生は最後まで自己満足の世界。

孤独と絶望という偶然を、私は大切に、私の宝物にする。

孤独や絶望であったとしても、

ホモ・サピエンスのオスとして、今を生きている。

ミトコンドリア達や小胞と、細胞膜がこの地球環境と物理に順応して形成した肉体と、あらゆる方向に回転する跳ぶ多元宇宙が織り成している、唯一無二の、日常がただ存在する。

孤独と絶望をただ、日々放擲することを重ねていく。

両親によって、社会環境、時代によって与えられたC -PTSDは常に共にありいつも私という存在の側にあり続ける。

ただ浮かぶ記憶を、事実を認知して放擲する。

そして今ここに集中して呼吸を、五感を、自然界と細胞を分ける皮膚の内外に重ねる。

私の体内には菌類やウィルスとの共生協業が存在している。

私は一つの小宇宙。

唯一、自らが責任を持つ世界。

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シンギュラリティに、真に万人の幸福実現社会を実現する選択を始めた人々が、

世界中で非難や批判を厭わずに、命懸けの行動を選択している。

人生の価値は長さではない。

セネカの哲学との出会いは、その後、孤独や絶望の中にいた

私の人生の時間の価値を、一変させてくれた。

人生は「死」までのプロセス。

人間に殺される事もあれば、寿命で死ぬ事もある。

だがいつか等しく死は、ホモ・サピエンスに、あらゆる真核類の個体にやってくる、この現実から消失する現象だ。

私はセネカとの出会いから、日々を月々を年を重ね続けている。

子孫を、手書きの日記を、自然界の中で草木や虫、動物達と風と光、重力を感じながら語り合い、

そして、今は「note」に記録を残し続けている。

私は私に、ずっとずっと、この人類社会における孤独と絶望について問い続けている。

そして見出す真我から、放擲し続けていく。

そして最後まで愚直にそれを重ねて終えることを決心している。

何が余生にあるか?

いづれ、解放されて軽くなり、溶け込む日を希望として至福な夢として待つことが出来る。

自然の摂理。時間の浪費。

私には十分な時間を、余暇を与えられて来た。

世界中、旅をした、

学校もいった。

労働者も経営者もした。

結婚も子育ても離婚もした。

詐欺にあったり、騙されたり、さまざまな社会や人間を見た。

『生きて、きた』

もういいのだろう。

私は今日が人生最後の日であったとしたら?
本当にこれでいいのか?

私は、これでよかった。これしかなかったのだと今は運命を受け入れている。

人はそれぞれ、変えようのない私の出生を受け入れる以外にない。

しかし、今を、未来への時間の過ごし方、行動の選択は出来る。

人は己の哲学を、己として最後までつき進んでいく事が無限のつながりをもつ多元宇宙の時空を生きる道となる。

私は日々、出来る事をただ愚直に重ねていく。

いつ、点と点が重なり線や面、立体を渦を、力を育むかは誰にもわからないが、

その重なりが今の現実を生み出してきた因果である事はわかる。

私達は今、未来への因果を生み出して、重ね、そして紡いでいる。


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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。

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