「米国への旅立ち」棚瀬連載 第4回
今回からいよいよ米国シカゴへ赴任したときのエピソードが始まります!
本記事では、当時の写真とともに新生活の思い出を振り返っていきます。
1993年:米国へ旅立つ

シカゴ赴任の辞令を受け取りました。入社10年目、35歳の時です。
1993年6月
シカゴ・オヘア空港に降り立ったときの感動は、今でも思い出せます。
まず家内と4人の子供を迎える家探しのため、私は単身でシカゴ近郊のマンスリーアパートへ向かいました。

そこはシカゴから北に40kmほど進んだ先の、閑静な住宅地でした。
緑に囲まれた場所で、木の上にはリスや、日本では見たことのない小鳥が飛び交い、夜は蛍が姿を現します。
週末にベランダのカウチに寝転がっていると、「ああ、本当にアメリカに来たんだなあ!」と胸が熱くなりました。

お隣さんは「They are the same as rats.」とのこと(笑)
新生活の始まり
当時はまだUberなどない時代、自家用車がないと買い物にも行けません。そこで会社の人事担当に連れられてレンタカーを借りることに。
アメリカでは国際免許証があれば、しばらくは運転できます。
車の運転が大好きな私は、右側通行もすぐに慣れました。その頃のアメ車はとにかくデカくて、これが私はめっちゃ楽しかったです。
家族と暮らす家探しには少し苦労しましたが、不動産業者さんを自分で探し、最終的にNorthbrookという郊外の一軒家を選びました。
築30年の古い家ですが、敷地は約400坪、床面積は400㎡くらいです。
若いサラリーマン家族にはもったいないほどの広さです。

表には一面の芝生、裏庭には30年以上前からずっと生えていたと思われる高木がいっぱいで、まるで森のような雰囲気でした。ただ古い家なので、引き渡しの前にあれこれ修理が必要でした。
それでも家賃はそんなに高くないのです。家具の多くは前任者から譲っていただき、足りない分は自分で買いに行って揃えました。当時は円高で1ドル100円を切ることもあり、日本円に換算するとどれも割安に感じられました。
米国人の給与は高いですし、生活の質の高さに驚かされました。
豊かに暮らせる国だなと思いました。

今もきれいに残っています。
米国での初めての仕事
前回までの記事で紹介したFK506(タクロリムス)は世界で注目される新薬になり、藤沢薬品は世界中の移植患者さんにこの薬を届けるため、企業治験を精力的に進めました。
私はその中で米国の腎臓移植の臨床開発チームの一員として、当時米国で最も腎臓移植数の多かったアラバマ大学など、全米の治験施設が参加する、海外初の腎移植治験に携わりました。

私の右から順に欧州PMのUteさん、博士のPatさん、
当時CRAで現在xCAREエキスパートのKimさん(後述)、医師のShriさん
米国オフィスに出社
初めて米国のオフィスに入った時に驚いたのはスペースの広さです。窓際と壁際には個室がずらりと並び、Manager以上は個室が与えられます。Directorになると窓際、Vice President以上は明るい角部屋が用意されます。一般社員(Non-exemptと呼ばれます)であっても、全員がパーティションに仕切られたプライベート空間が与えられます。
一人あたりのスペースは日本の5倍ほど、パーティションは立たなければ隣の人が見えないくらいの高さです。さらに、オフィスの建物は、数百台はとめられるであろう、広―い駐車場で囲まれています。会社は郊外にあるのでみなさん車での通勤です。

私は、パーティションで仕事をはじめました。
CRA(Clinical Research Associate)という方々の空間です。CRAは北米各地の大学病院へ飛び、現地のCRC(Clinical Research Coordinator)との協業により、治験の準備や、PCに入力された治験のデータとカルテとの照合などの業務を行います。
CRAもCRCも経験豊富な看護師さんが多く、その他は理系の大学を出た新入社員や中途入社社員です。中には将来の幹部候補者も含まれています。
アメリカは国土が広いので、CRAたちは飛行機で移動することが多く、航空会社のマイルをたくさん持っていました。そのマイルを利用して、家族旅行を楽しむことがひとつのインセンティブになっていたのです。

CRAたちとの出張は、本当に楽しかったです。
現地の訛りを聞き、美味しいものを一緒に食べるのも、いつも新鮮な楽しみでした。
最初の大きな課題は、やはりコミュニケーションでした。
最初は現地の方が何を言っているのか、なかなか理解できず焦りました。しかし、不思議と苦ではありませんでした。
当時私は、「ここににいるだけで幸せだ」と感じていたからです。
そして周囲の方たちも、私の英語力に合わせてゆっくり話したり、表現を変えてくれたり、とても親切に対応してくれました。
「やると決めた以上、やる!」と渡米前に腹をくくっていた私は、積極的にコミュニケーションを取るように努めました。
パーティションを歩き回っては、「どこの出身?」、「なぜ藤沢を選んだの?」、「週末の楽しみは何?」などと話しかけて、CRAさん達の仕事の邪魔をするわけです。
でも、みんな笑顔で、親切に応えてくれました。
笑顔で接すれば、たとえ片言の英語でも、たいていの人は優しく答えてくれます。
日本人も優しいですが、アメリカの方々もとても優しいと感じました。

(左下の男性は現在xCARE顧問のBillさん)
オフィスのあちこちから大きな笑い声が聞こえてきます。
陽気なんでしょうか、会社の風土なんでしょうか?
私はその後、出張で全米を飛び回ることになるのですが、アメリカ人は本当にオープンでフレンドリー、そして感情表現が豊かです。
若い頃に歯の矯正をしている人が多く、歯並びの良い白い歯を見せながら、明るく笑う姿が印象的でした。
上司はアメリカ人です。
私の最初の上司は臨床開発部長のJimさん。
とても優しい方で、みんなに慕われていました。
日本と米国の治験業務の違いを丁寧に教えてくださいました。ワシントンDCでの2日間薬事研修に派遣してくれたりもしました。
余暇には、ホームパーティーに招待してくれたり、日本から訪ねてきた私の母を接待してくれたりもしました。
同僚のCRAには私より若い人もいたので、カフェテリアでのランチ、ソフトボール、ゴルフ、出張時の食事などに積極的に参加しました。
英語でのやりとりも少しずつ楽になっていきます。
気持ちよく話せるようになるまでに2年くらいかかりましたでしょうか。
不思議なことに、その頃には英語で夢を見るようになり、日常の会話でも、頭の中から日本語が消える感覚を持ち始めました。

次回予告
次回は、FK506(タクロリムス)軟膏の初めての米国治験についてお話します。FK506軟膏の米国での販売承認を取得するため、同僚たちと共にFDA(米国食品医薬品局)や医療機関を奔走しました。
米国での治験が順調に進むと、今度は欧州での承認取得に向けて大規模なグローバルプロジェクトが始まります。
FK506軟膏が世界に届くまでの軌跡を、どうぞお楽しみに!
執筆者:棚瀬 敦

セファロスポリン、 タクロリムスの臨床開発、タクロリムス外用剤の
グローバルプロジェクトリーダー、
アストラゼネカ株式会社では
プロダクト開発リーダー部の部長として、
オラパリブ、 エソメプラゾールなど
様々な治療薬の開発リーダーを兼務しながら
すべての国内開発品目の責任を負う。欧米赴任歴6年間。
その後大手CROsのVP/執行役員、
マルホ株式会社の執行役員兼欧米子会社取締役を歴任。
2018年から3年間、株式会社レナ サイエンス代表取締役社長を務め、
ATインターナショナルを設立(xCAREに吸収合併)。
現在は弊社取締役COOの他、複数のバイオベンチャー企業顧問、
監査役、アカデミアアドバイザー等を併任。
第1回投稿はこちらから
xCAREとは
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私の役目は、社員やエキスパートが、毎日楽しく、高いモチベーションで社会に貢献していただける世界を作ることだと思っています。
これからもどんどんエキスパート数を増やしていき、お客様がより使いやすいプラットフォームを目指していきます。
