窮屈さも、含めて。|ナゴヤキネマ・ノイという選択【芸事003】
疲れ果てた平日の夜、今池のミニシアターで建築映画を観た。途中で寝てしまった。
それでも、出てきたら頭がすっきりしていた。
文化的な時間は、脳をリラックスさせる。そのことを、体で実感した夜だった。
今池という街
フレックス勤務で1時間だけ早く退勤し、その1時間を、映画に使った。仕事帰りに今池へ寄った。雑居ビル、飲み屋、ライブハウス、怪しいネオン。名古屋で最も「雑味」が残る街だ。かつてこのエリアには、名駅や栄に匹敵するほどの映画館が複数あった。今なおサブカルの匂いが漂う街。
その残り香の中に、ナゴヤキネマ・ノイはある。



名古屋市内のミニシアターは、今やナゴヤキネマ・ノイ、シネマスコーレ、ミリオン座、センチュリーシネマなど、片手で数えられるほどになった。全国的にミニシアターが減り続ける中で、この街に残っていること自体が、ひとつの意志だと思う。
キネマノイという空間
固定座席は三列しかない。一つひとつの席の幅は決して広くない。横の人が肘掛けを占領すると、少しストレスを感じる。飲み物はOKだが、食事は禁止だ。
映画館にとって飲食の収益は大きい。それでも食事を禁止しているのは、商品の搬入、館内の清掃、ゴミの搬出など、運営の省力化を優先しているからだと思う。小さな組織が長く続けるための合理的な判断だ。欠点に見えるものが、実は持続可能性の設計である場合がある。
それでも、私は会員になっている。
大手シネコンのように、上映前に長いCMが流れない。照明が落ちたら、すぐに映画が始まる。その潔さが好きだ。窮屈さも含めて、ここで観ることに意味がある。上映作品のチョイスにメッセージ性が感じられる。それがナゴヤキネマ・ノイを選ぶ理由だ。
建築映画の文法を裏切る色彩
今回観たのは『誓い 建築家B・V・ドーシ』。ル・コルビュジエとドーシ|インドのモダニズムという企画で、『ユートピアの力』との二本立て上映だ。

建築系のドキュメンタリーは、白やグレーの建物をシャープに切り取る映像が多い。色を抑えて、建築の純粋な形を見せる。そういう文法がある。
この映画は違った。空の青、植物のグリーン、テキスタイルの暖色、家具の木目。全ての映像が多彩で豊かだった。建築家ドーシの白髪とブルーのシャツが、それらと見事に調和している。疲れた目に、心地よい明るさだった。
普段は中年以上の客層が中心のキネマノイに、この日は学生らしき姿もちらほら見えた。建築系の映画が、普段とは違う客層を呼んでいた。上映チョイスのメッセージ性が、ここでも機能していた。
パンフレットも買った。建築史の資料としてだけでなく、手元に残るものを買うのは、その体験を持ち帰りたいからだ。
今池の夜
上映後、お約束の味仙へ。ニンニクチャーハンとニンニク茎炒め。今池といえば味仙、という流れは名古屋人なら誰もが頷く。

映画を観て、ニンニクを食べて、帰路につく。それだけのことなのに、頭の中が静かになっていた。本当はこのままサウナに直行したかった。でも仕事がある。泣く泣く帰路につく。

情報は毎日浴びている。でも、美しいものを見ている時間は意外と少ない。キネマノイを出たとき、頭が静かだった理由はそこにある気がした。
あなたには、脳をリセットできる場所がありますか?
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