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『余命婚活』第5話 #創作大賞2025 #ミステリー小説部門

≪第5話≫

 玄関に入るとき、お隣の換気扇から漂うカレーの匂いにお腹がきゅっとなる。
いつもこの時間は夜の静けさに毎度のように心が寂しくなるのだが、今日はやけに頭の中が賑やかだ。
成瀬奏。私は最期に素敵な出会いをしたと思う。
時間とともに、昨日まで会っていたとは思えないくらいに、遠い存在に感じてくるのが少し心細い。
そんな彼との会話を思い出して、溢れんばかりのご無沙汰な気持ちに満たされる。
だけど、幸せな未来を想像するたびに、そこに映る私の姿はいつだって儚く消えてゆく。
 
”こんな人と人生を共にできたら、どれ程幸せだろうか”
 
そう願う想いを、そっと心の奥に閉まった。
 
 そのとき、テーブルの上で響いたスマホの通知音にはっとする。
画面には、【Quiet Courtship(クワイエット コートシップ)事務局より】と表示され、タイムリーなこの通知に思わず飛びつく。
開けると、こう書かれていた。
 
「神道みなみ様。
 昨日は、Quiet Courtshipプログラムにお越しくださり、誠にありがとうございました。
そして次のセッションに進む前に、以下、選択をお願いいたします」
 
「……選択?」
 
その下にはこう続いていた。
 
*本日ペアとなった方との関係を、
 ○継続する
 ○終了する
 
私は唇を嚙みしめ、そっとボタンに触れた。
 
 
 永遠に続く人生だったなら、違った選択をしていたのかもしれない。
けれど私は、“彼に幸せになってほしい”、そう願ったからだ。
 
「終了」、そんなあっけない言葉にはもちろん躊躇したが、それが私の精一杯の選択だった。
 
1週間後───
 
 新たな出会いに進む理由も見当たらず、何か没頭できる趣味でも探してみようかな、なんて思い始めていた頃、またあの通知音が鳴った。
そこに書かれていた内容に、私は思わず息をのみ、ここ最近ずっと溜まっていた涙が頬をしたたる。
 
「前回ペアとなった成瀬奏様は、あなたとの関係を「継続する」と選択しました。そして先方の強いご希望により、再度あなたに選択権が付与されます」
 
 この罪深い選択をいつか神様は許してくれるだろうか。
目的地のない旅路だとしても、たとえそれが終わりへと向かう一歩だったとしても、差し出されたその手を、私は拒めなかった。
 

 あれから1ヶ月が経ち、奏くんと私はまだ見えぬ道を、ゆっくりと歩んでいる。
姉の遺品のいくつかは私に送られ、その中にあった古いノートを読み込んでいると、横から奏くんがのぞきこむ。
「……お姉さん、何か知っていたのかもね」
「どうして、そう思うの?」
奏くんはノートの端を指差し、「このURL……。ちょっとこれ借りるね」
開いたパソコンの画面が、夜の部屋の壁を淡く照らしている。
ノートの端に書かれたURLを検索欄に打ち込み【Enter】ボタンを押す。
 
“404 not found 該当するページが見つかりません”
 
ヒットするページは見当たらない。
奏くんはもう一度URLを見直し、新たにこう検索した。
 
“Quiet Courtship Program”(クワイエット コートシップ プログラム)
 
このプログラムは紛れもなく“あの”プログラムのことだ。
 
「どうして?」そう思わず問いかけようとしたが、画面が切り替わると同時に押し寄せた検索結果に目がとまる。
しかし、それらは全て似たような名前の企業サイトや掲示板ばかりの何ら関係のない関連ページだけで、何度検索してもあのプログラムに繋がる糸口は見つからない。

 ふと、検索結果の11ページ目、ようやくヒットした古びたブログ記事を見つけた。
ある女性が、「Quiet Courtshipという不思議な婚活に参加した」と綴っていた。
 
>“時の終わりが見えていたからこそ、彼の最期は美しかった”
 
その一文を読み、ぞくりとした。
やっぱり——何かが、隠されている。
 
 スクロールする指を止め、ふいに出た微かな吐息が空気を撫でる。
「本当に、そんなキレイなものだったと思う?」
後ろから声がした。
タオル地の部屋着の袖をまくり上げて、手には温かいミルクのマグカップが2つ。
「……わからない」
私は視線をディスプレイに残したまま、呟いた。
 

 そして次の日。奏くんは土曜の朝から勤めている高校に出向いた。2学期の期末テストの準備で忙しいらしい。私はまだ懲りずに姉の遺品を探っている。昨日一緒に調べたブログ記事だけでも、立派な収穫だと思う。
 
段ボール箱の奥に毛糸のカーディガンで埋もれたスマホを見つけた。亡き姉のスマホを勝手に見るなど気が引けるが、今さらそんなことを言っている場合でもないことは確かで、早速ロック画面の解除に取りかかる。
そして拍子抜けするほどあっさりと開かれた。それも姉の夫である雅人くんの誕生日ナンバーからの結婚記念日で試した2回目で。
 
スマホを充電につなぎ、電源を入れる。立ち上がった画面に指を滑らせ、トーク履歴を開いた。そこには未だに既読のつけられていない1件の返信に目を疑った。
 
───「小柳栞には気をつけろ」───
 
義理兄の雅人くんからだった。
 
私は、姉の死の真相を、本当の理由を知ってしまうのが怖くて、ずっとその事実から逃れようとしていたのかもしれない。
 

 私はやっと雅人くんに会う決心をした。
 
「あの日、楓に何があったの?
 雅人くん、本当の事を教えてほしいの」
 
姉が亡くなってから雅人くんとあの日のことをちゃんと話すのは、これが初めてだった。
 
雅人くんは予想よりも遥かに素直に、あの日のことを赤裸々に教えてくれた。事実かはさておき、それが雅人くんの知っている限りだという。
 
あの日、私が余命宣告を受けた3日後に久々に姉から電話があった日。
その日は土曜日で、雅人くんは休日出勤のため朝から夕方までは家を空けていたが、楓は朝、「今日はみなみと会う約束をしている」そう言っていたという。
 
───私と会う約束?もちろんそんな約束など無かった。
 
けれど事態が急変したのはそのあとのこと。
楓から雅人くんに、「今日は大学の公開授業で、心理カウンセラーの先生の授業を受けてくることになった」といった内容が送られてきたらしい。
 
───心理カウンセラー?
  私はその言葉を聞き、底知れず嫌な予感がした。
 
「楓は精神科にでもかかっていたの?」
 
雅人くんの顔色は段々と曇っていく。
 
「いや、それは違う。1、2年くらい前から眠れない日が続いて睡眠薬は服用していたけれど……。それはきっと僕のせいだから。その公開授業に行ったっていうのも、そのせいだと思う」
 
 実は数年前、雅人くんは仕事の関係である病院に訪問することがあったらしい。精神科や心療内科が有名な医療センター。
そこで、担当となった女性の心理カウンセラー、それが“小柳栞”だった。
 
私の知っている、あの“小柳栞”先生のことだ。
 
「仕事で関わっていくうちに、普段にも段々と連絡を取り合うようになって、たまには休日に会うこともあった。だけど、その女は毎回のように僕の妻についてばかりを知りたがって聞いてきて…。最初はよくあることだと気に留めていなかったけど、なんていうか、普通じゃないと思った」
 
嫉妬とか妬みとかとは何か違う。そう雅人くんは言っていた。
楓の様子が変わったのは、それからのことだったという。
恐らく、夫である雅人くんの“不倫”を何かしらの方法で知ってしまったのだろう。
 
雅人くんはこう続けた。
「それに楓が亡くなる3日前、僕が仕事で訪問した病院でたまたま楓を見かけたんだ。
遠くて声をかけることはできなかったけど、多分、睡眠薬を貰いに来ていたんだと思う」
 
───3日前?まさかだとは思ったが、私が余命宣告を受けた日と同じ日だった。私は思わず雅人くんにその病院名を聞いた。
 
すると……。あの日私がいた病院に、姉も訪れていたことが分かった。
 
「楓が公開授業に行くことになったなどと言い出したのがその3日後だったから、まさかあの女が何かしでかしたのかと思って、僕はその日慌てて楓に連絡をした」
 
「小柳栞には気をつけろ」って?
 
雅人くんは見開いた目を一度こちらに向けたが、また視線は手元に移り、震える声でこう続けた。
 
「それに返信がないまま、僕が帰宅すると楓は寝室のベッドのそばで倒れていた。きっと、あの女が、小柳栞が関わっていると思う」
 
私は溢れる涙が止まらなかった。
これは姉に対する無念さか、私の中で込み上げる恐怖心からかは分からない。

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