卑弥呼・空海・最澄ゆかり「水主神社」この神社半端ない【四国シリーズ/四国八十八か所/香川シリーズ/徳島シリーズ/香川・徳島シリーズ#お遍路シリーズ】
祭神は卑弥呼説もある「倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)」です。第7代孝霊天皇の皇女で、争乱を逃れ当地へ移り、水利・農耕技術を開いて地元に繁栄をもたらしたと伝わる。日照に悩む人々のために雨を降らせたとされ、「水徳自在の神」として信仰されてきた。
一方、境内には弘法大師・空海の手堀井戸「閼伽井」が残り、最澄も24歳の際に参籠した記録がある。この地域には「水主三山」と呼ばれる熊野三社(虎丸山の新宮・本宮山の本宮・那智山の那智)があり、山岳信仰との結びつきも深い。
境内は県の自然環境保全地域に指定され、縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され、御陵といわれる古墳もあることから古社には間違いない。
あっ、水主と書いて「みずし」と呼びます。ちなみに、讃岐一宮・田村神社も倭迹迹日百襲姫命を祀る。
神社は、古代、中世に権勢を極め、倭迹々日百襲姫坐像などの神像や源義経が屋島へ向かう途上に奉納したと伝えられる(雷文螺鈿鞍)、大般若経600巻など多数の重要美術品等を所蔵する。明治の神仏分離令によって別当寺(大水寺)の方は廃寺となり、同寺の諸仏は県下の寺に移され祀られている。
変更履歴
2026/08/09:初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
公式HP:--
アクセス:香川県東かがわ市水主1418−1
祭神:倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)
第7代孝霊天皇の皇女
吉備津彦命の姉
争乱を逃れ当地へ移り、水利・農耕技術を開いて地元に繁栄をもたらしたと伝わる
日照に悩む人々のために雨を降らせたとされ、「水徳自在の神」として信仰されてきた
未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを助けた。神社裏山に御陵がある
大和の箸墓の主と考えられ耶馬台国の卑弥呼とみる説もある
奈良県黒田慮戸(現在の奈良県磯城郡田原本町黒田)に居を定める。御年七才より黒田を出、八才にして水主宮内に着き給う。成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆成し水徳自在の神と称へられ奈良時代にはすでに神社形成をなしていた。
▽法楽寺:奈良県磯城郡田原本町黒田360-2(奈良県磯城郡田原本町黒田360
孝霊天皇の黒田盧戸宮(くろだのいほとのみや)跡地とされている。
孝霊天皇の第三皇子・吉備津彦命が桃太郎のモデルになっていることから、桃太郎ゆかりの地とも。
かつては、25のお堂から成る大伽藍だったが、今は地蔵堂のみがとなる。地蔵堂の本尊は子安地蔵菩薩立像。
▼見どころ
→由緒
699年
『大水主大明神社旧記』によれば、文武天皇3年(699)、石上麻呂が当社に奉幣し、疫病退散を祈ったとされる。ただし、これは後世に伝えられた由緒であり、699年を現在の神社の創建年と断定することはできない。
770–780年代:社蔵の大般若経経箱底書などには、宝亀年間(770~780)に「御垂迹」したとする伝承が記され、これが当社の創祀年代として紹介されている。
836年:讃岐国内で最初に神階・従五位下を奉授される
940年:「大水主大明神」と称されるようになる
1114年頃:社領が急増し、社家75名・僧坊42宇といった規模の繁栄を示す記録も残る
1180年代:源義経が進軍途上に当社に立ち寄り、雷文螺鈿鞍を奉納したと伝わる
1394–1428年:旧大内郡の総鎮守として最盛期を迎える
1583年
長宗我部氏の兵火により社殿が焼失
本殿は残された
江戸時代:
生駒氏・松平氏ら藩主の崇敬を受け、社殿の修営・寄進が実施される
1858年から1865年:再建
神像・大般若経・雷文螺鈿鞍など、多数の重要文化財や市指定文化財が伝承されている
毎年4月18日に春季例大祭、10月9–10日に秋季例大祭(御神幸祭)
祭神については、彦火々出見尊説、火明命説、倭迹々稚屋姫命説、級戸神説などもある
弥生時代後期、女王卑弥呼の死後、再び争乱が繰り返され、水主神社の祭神倭迹々日百襲姫命は、この争乱を避けて、この地に来られたと伝えられています。
姫は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを助けたといわれています。
境内は県の自然環境保全地域に指定され、付近からは縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され山上には姫の御陵といわれる古墳もあり、宝蔵庫には多くの文化財が納められています。社殿はすべて春日造りで統一されており、社領を示す立石は大内・白鳥町内に今も残っています。
與田寺に向う途中の弘海寺付近には昔有名な「石風呂」があり、宿屋が栄え、「チンチン同しに髪結うて、水主のお寺へ参らんか。」とこどもたちが歌ったほどにぎやかな土地でありました。
本宮司が語る動画をどうぞ!!(https://www.youtube.com/watch?v=5Xh5CeLKeSQ)
この動画は、三本松地区活性化協議会のイベントで、水主神社の元宮司(元事)が神社の歴史と、御祭神である倭迹迹姫命(ヤマトトトヒメノミコト)にまつわる説話を語る様子を収録したものです。
水主神社の概要
御祭神 倭迹迹姫命について
倭迹迹姫命の巡行と最期
その他
紹介された神社の私のNOTEは次の通り。
吉備津神社
田村神社
大神神社
白鳥神社
→境内へ






→参道:随神神社×2
鳥居を潜った参道には神堀に架かる神橋。神橋を渡ると両脇に随神神社がある。





→参道






→天磐船(うつぼ船)

社伝によると今から二千有余年前水主神社御祭神倭迹々日百襲姫命都皇居今の奈良県桜井市黒田幼き頃より神意を伺い、まじない、占い、智能のすぐれた御方と言われ都皇居に於いて塵に交なく人もなき皇居の黒田を出られお船(うつぼ船)に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘今の東かがわ市引田安堵の浦に着き水清き所を求めて今の水主の里宮内にお着きになり住われ(ここを大内と言う)土人に弥生米をあたえて米作り又水路を開き雨祈で雨を降せ文化の興隆をなされた御人といわれる

社伝によれば、御祭神 倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト) は、8歳 のとき、都(奈良県桜井市の黒田宮あたり)を離れ、「うつぼ舟(またはうつぼ船/天磐船)」に乗って播磨灘を西へ渡り、讃岐国引田の安戸ノ浦に着いたと伝えられています。
この「うつぼ舟」が、しばしば「天磐船」と同義に扱われ、水神社境内には「天磐船(うつぼ船)」の名を記した案内板が立てられている部分があります。
伝承によれば、この漂着のときに姫は当地に住み、水を引き、稲作を広め、雨乞いなどを行ったとされ、水徳の神・水利の女神として信仰されたという話もあります。
参拝記録・遍路記などでは、「天の磐船(うつぼ船)は、神々の乗り物…宇宙船のように中空を飛んだり、波のまにまに海を渡ったりもする」との語りも見られ、伝承的・象徴的な描写が強調されます。
さて、この手の「磐の船」は何個か紹介しておきますが、全部古社ですね。
磐船神社(大阪府交野市)
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命こと饒速日命(ニギハヤヒ)が天孫降臨した地で磐座だらけのパワスポ「磐船神社」。磐座は高さ、幅ともに12mもある珍しい船の形をし「天の磐船」とする。
貴船神社(京都)
社殿の左に「船形石」がある。タマヨリヒメが乗っていたと伝わる「黄船」が、この石組みのなかに隠されていると伝わる。
→摂社・末社

→拝殿前と御神木
ヤモリかイモリが登場!!




→拝殿・本殿

香川県東かがわ市の水主神社の拝殿は、春日造を基調とした木造建築で、落ち着いた風格を備えている。参道や石畳、灯籠との調和も美しく、拝殿は社域の中心として歴史と自然が融合した神聖な空間を形成している。

拝殿の扁額には「大水主神社」と「大」が付くのはどういうことなんだろうか?昔は兵庫・大歳神社/大年神社のように多くあり、ここが中心だったのだろうか?



倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを 助けた。主祭神所縁とされる「水主米」は県下有数の銘柄米dもある。





→拝殿・本殿を時計回りで

阿加井戸へ!!猿やイノシシなどいるようなのでご注意を。これを見て熊は居ないのか?ドキドキするこの頃。(2025年10月参拝)
境内には弘法大師空海の手掘りの井戸が厳かに佇んでいる。



他力本願です。
→二ツ森神社


→本殿左:水主三社(本宮、新宮、那智神社)
神社の周囲に「水主三山」があり、それぞれの山頂に熊野三社が鎮座している。山頂神社アルアルで、山麓に神社を遷座しています。


山嶽信仰・増吽僧正が遷宮すると伝えられる。
新宮神社(虎丸山)御祭神 伊邪那美命(国生冥界との深き神)
本宮神社(本宮山)御祭神 早玉男命(禊祓を司どる神)
那智神社(那智山)御祭神 事解男命(龍神㈬・食物豊穣を司どる神)
熊野三山をどうぞ!!
→本殿裏の祠と地蔵石仏(五神名地神塔)

→本殿裏「御父宮孝霊神社」祭神:大倭根子彦太瓊命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)
本殿真後ろには、主祭神の父・孝霊天皇が祀られている。出雲大社(私のNOTE)でもオオクニヌシの後ろにはスサノオ、北野天満宮(私のNOTE)や太宰府天満宮(私のNOTE)でもしかり、本殿裏に主祭神の父母がいるので見逃さない方が良い。


→御父宮孝霊神社左右:左/若宮神社:右/神明神社
若宮神社:大雀大神(仁徳天皇)
神明神社:アマテラス



→寄神神社

山ノ神神社:オオヤマツミ
地主神社:大土主神
大洗神社:大年神
大森神社:アメノウズメ

→本殿右「御母宮國玉神社」倭国香姫命(ヤマトクニカヒメノミコト)
この摂社には、主祭神・モモソヒメの母「倭國香姫」が祀られていました。



▽水主神社別当寺:大水寺
元々は「水徳山宝珠院神宮寺」だったが、「大水寺」に改称
廃寺になっている
本尊「阿弥陀如来」は円光寺へ
「不動明王/二童子」は与田寺へ
「十一面観音」は坂出・観音寺へ
ビッグスターも参詣したようで。
伝教大師 最澄(七六七~八二二)
延歴九年(24才の時)水主神社・大水寺に参籠する。比叡山延暦寺創建す。(22才の時)天台宗弘法大師 空海(七七四~八三五)
水主神社境内地に於て閼伽井水を掘り水主神社に奉献する。
高野山金剛峰寺・善通寺・真言宗 (現在の閼伽の井戸)
▼卑弥呼・空海・最澄が来た古社
水主神社を調べると、卑弥呼・空海・最澄という古代史のビッグネームが次々と登場する。ただし、ここは「3人が実際に水主神社へ来た」と一括りにするのは微妙のようです。卑弥呼は「倭迹々日百襲姫命と同一人物」とする学説、空海と最澄は水主神社に来たという伝承であり、史料的な確実性はそれぞれ違う。
→卑弥呼=百襲姫説は意外と古い
御祭神・倭迹々日百襲姫命を卑弥呼に比定する説は、近年のネット上で突然出てきた話ではない。1924年、笠井新也が『考古学雑誌』に「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲姫命」という論文を発表している。
その根拠となるのが、両者の人物像。『魏志倭人伝』の卑弥呼は、神秘的な呪術を用いて国を治めた女性。一方、『日本書紀』の百襲姫も、神の声を聞き、未来を予知する巫女的な女性として描かれる。
さらに百襲姫の墓とされる箸墓古墳は3世紀の巨大古墳で、纒向遺跡・邪馬台国畿内説との関係からも注目される。
こうしたことから、卑弥呼=倭迹々日百襲姫命と考える説が生まれた。
もちろん確定説ではない。『魏志倭人伝』の卑弥呼と『日本書紀』の百襲姫を直接結びつける同時代史料はなく、現在でも古代史上の一つの仮説である。なので水主神社についても、「卑弥呼を祀る神社」ではなく「祭神・百襲姫を卑弥呼に比定する説がある神社」とするのが正確のようだ。
→空海・最澄は「来訪伝承」
そして、平安仏教の二大スターも登場する。水主神社には、弘法大師・空海と伝教大師・最澄が訪れたという伝承が残る。最澄については、延暦9年(790)、24歳の時に水主神社・大水寺へ参籠したと伝えられている。
空海については、水主神社境内で閼伽井を掘り、水主神社に奉献したと伝承される。
ただし、この2人については、本人の同時代史料によって水主神社への来訪が確認できる、という意味ではない。
ここは、「最澄が来た」「空海が井戸を掘った」ではなく、「最澄参籠伝承」「空海の閼伽井伝承」として見るのが安全のよう。
それでも面白いのは、こうした伝承が水主神社の性格と非常によく噛み合っていること。水を信仰の中心とする古社に、空海の「井戸」の伝承が重なる。さらに神仏習合の時代には神社と大水寺が一体となっていた。
つまり、古い水神信仰の上に、平安仏教・弘法大師信仰が重なっていった姿を見ることができる。
→「古社」の根拠は伝説だけではない
卑弥呼説や空海・最澄伝承は非常に魅力的だが、水主神社の古さを裏付ける本命は、やはり古代の史料そのもの。9世紀には朝廷の正史に「水主神」が登場し、神階を受けている。さらに『延喜式』神名帳にも掲載される。
つまり、「卑弥呼が来たから古い」のではなく、「古代から存在したことが史料で確認できる神社に、百襲姫・空海・最澄という伝承が積み重なっている」と考えた方が面白い。
伝説を全部「史実」としてしまうより、史実・伝承・学説が何層にも重なって現在の水主神社を作っていると見るべきだろう。
そして、その中でも個人的に一番気になるのが、「なぜ讃岐の水神に百襲姫が結びついたのか?」という謎。ここを考え始めると、卑弥呼・箸墓・纒向・弥生稲作・水利信仰まで、一気に古代史の世界へ引き込まれていく。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
2025年秋の四国・淡路島!うどんにイルカにコウノトリ飛来!?歴史とグルメ満喫の旅◆香川・徳島③淡路島②◆|やんまあ@旅行記
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