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備後国一宮!神無月に出雲行き拒否「吉備津神社/吉備津彦神社」素戔嗚神社へ無言参拝!吉備と同じく一宮な謎【広島シリーズ/広島福山シリーズ】

ここも神月は神月!!出雲に集まるのを断固拒否!!その代わり七月に無言で、オオクニヌシの父であるスサノオを祀る「素戔嗚神社」へ!!
 随身門×2、楽所など唯一無二な神社ともいえる。鎌倉時代末期より室町時代にかけて、この地は吉備津神社を中心に政治・経済・軍事・文化、そして宗教などの機能を集約した地として発展した。

吉備津神社と聞けば岡山・吉備津神社のほうを思う人は多いと思うが、広島にもある。両方一宮なところにキビツヒコの力を感じる。私の岡山・吉備津神社NOTEは次の通り。

 そして、吉備津神社と吉備津彦神社はセットです。広島の吉備津彦神社は尾道に鎮座します。その模様はそのうち公開します。
 なお、このNOTEの吉備津彦神社は広島県尾道市ではなく広島県福山市の吉備津彦神社です。

変更履歴



▼吉備津神社:広島県福山市新市町宮内400

公式HP:https://bingokibitujinja.com/

→祭神や由緒

 祭神は次の通り。

  • 主祭神:大吉備津彦命(オオキビツヒコノミコト)
    →別名「五十狭芹彦命(イサセリヒコノミコト)」で、第七代・孝霊天皇の皇子
    →四道将軍の一人で山陽道を平定し、吉備津開国之神として崇敬されている

  • 相殿神:大日本根子彦太瓊命(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)
    →大吉備津彦命や稚武吉備津彦命の父君

  • 相殿神:細比売命(クワシヒメノミコト)
    →孝霊天皇の皇后

  • 相殿神:稚武吉備津彦命
    →大吉備津彦命の弟で、主祭神と吉備を治めた、吉備臣の祖

 由緒です。

  • 近世までは「吉備津宮(きびつのみや)」、「吉備津神社」などとも称されていた

  • 地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と呼ばれている

  • 689年、吉備国が「備前」「備中」「備後」に分割した時に吉備津神を分祀したようで『延喜式』には記載がない

  • 806年、備中・吉備津神社より勧請し、備後国品治郡宮内(現在の福山市新市町宮内)の地に創建し、備後国の一宮となった
    現在の岡山の一宮

    1. 備前国一宮 岡山市北区一宮   吉備津彦神社

    2. 備中国一宮 岡山市北区吉備津  吉備津神社

    3. 備後国一宮 広島県福山市新市町 吉備津神社/素盞嗚神社

    4. 美作国一宮 岡山県津山市一宮  中山神社

  • 鳥居から本殿まで一直線に4段にわたって随身門が2つ、楽所、神楽殿、拝殿となっている

  • 1148年、八坂神社の記録『社家条々記録』にはこの神社の事が記録されている

  • 境内の発掘調査でも12世紀以降のものしか出土していないようだ

  • 1165年、神祗官年貢進納諸社注文写で、備後国では「吉備津宮」が記されている

  • 1287年、時宗の開祖「一遍上人」が参詣し、聖人供養の為として秦皇破陣楽という舞楽を鑑賞している様子が社殿配置とともに描かれている

  • 『百錬抄』によると1229年、また『日本史列伝』では1332年に火災で本殿が焼失

  • 再三火災にあっており、これらの多くは近世に建てられた

  • 1346年、高師泰が備後国守護に神人の横暴を止めるよう命じている

  • 1376年、小野宮左近将監により再建

  • 1648年、初代福山藩主・水野勝成が現在の社殿を造営

  • 神社境内や隣接する櫻山城跡・鳶尾城跡は国の史跡

  • 2022年4月、屋根、柱、亀腹を大規模改修完了させ、当時の彩色に戻したようだ

  • 2048年、本殿・拝殿・神楽殿などの主要建築物の造営400年を節目として、国宝に指定されることを目指しているとか・・・

 あとですね、重要文化財も多いですね。

  1. 本殿:1648年の造営

  2. 木造狛犬 3躯:平安時代の作。東京国立博物館寄託

  3. 毛抜形太刀 銘備州尾道五阿弥長行天文廿四年六月吉日 吉備津宮奉寄進御太刀:1555年の作。刃長60.8cm

  4. 毛抜形太刀 銘備州尾道五阿弥長行天文廿四年六月吉日 吉備津宮奉寄進御太刀:1555年の作

  5. 毛抜形太刀 銘正光 拵付:戦国時代の作

  6. 毛抜形太刀 銘正光 拵付(工芸品)

→境内

  • 御手洗池である御池は3分の1近くに縮小している・・・

  • 昔は御池で禊をしていたようだ

  • 室町期は3つの浮島があり、その一つの島には三重塔が建っていたようで神仏習合だったようだ

  • 広い場所には、神宮寺があったそうな

  • 表参道に2つの隋神門があるのは、この神社だけとも

  • 現在の神社では数が少ない「楽所」を備えている

    1. 楽所は雅楽を演奏する場所

    2. 楽所の中では炭を炊き空気を乾燥させて演奏していた

    3. 通常楽所は2つとするのがるーるなので、南北2つある

    4. 楽所の一方は中国式の演奏を行い、もう一方は朝鮮式の演奏をする

    5. 一方の演奏が終わると、もう一方が演奏すると言った具合に交互に演奏していた

  • 神楽殿もある

    1. 福山市説明:https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64205.html

    2. https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-202010460.html

 宮司が出ている動画をどうぞ!

→櫻山神社

 駐車場横ですね。
 祭神は鎌倉時代末期の武将「桜山茲俊(さくらやまこれとし)」。鎌倉幕府打倒のため挙兵した楠木正成に呼応して挙兵し、一時は備後国周辺を治めるほどの勢力を持ったが、戦況が悪化し一族と共に自刃したそうな。

 桜山慈俊公は、楠木正成公の挙兵に呼応して、元弘元年(1331年)、この地において挙兵し、一時は備後半国をおさえ、備中や安芸にも進出するほどの勢いがありましたが、笠置山(京都府)が落城し楠木氏の赤坂城(大阪府)も陥落し、楠木正成公も戦死したとの風聞などで味方は離散し、翌年正月、吉備津神社に火を放ち、妻子および一族若党23人とともに自害したと『太平記』巻3には記されています。その後、吉備津神社境内に小祠として祀られていましたが、明治13年に桜山城跡に櫻山神社が創建され、大正2年に旧神宮寺跡の現在地に移築されました。
 「桜山慈俊挙兵伝説地」として、昭和9年(1934年)、「一宮」周辺が国の史跡に指定されています。

公式HP:https://bingokibitujinja.com/s-sakurayamajinja/

→参道

→参道:秋葉神社・四所神社/大山祇神社

 急な階段の途中に、右に「秋葉神社・四所神社」、左に「大山祇神社」と「神馬舎」がある。

→拝殿・本殿@重文

 本殿中央には、主祭神の大吉備津彦命、本殿向かって右には相殿神の大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)と細比売命、左には稚武吉備津彦命を祀る。
 社殿は、1648年に福山城を築いた水野勝成によって再建されたもので、桃山時代風の豪華さが加えられているとのこと。

 備前焼の狛犬ですね。岡山の吉備津神社・吉備津彦神社と仲良しアピールかもね。笑

 2021年の改装中の記事をどうぞ。

 後述の十二神社から本殿に帰ってきたときの写真。小雨になったのでオーブ(雨の雫)が無くなります!?

 最後に摂社・末社をまわり、社務所で御朱印を頂いた後の写真を数枚どうぞ。

→拝殿・本殿左「乳房神社/山雷神社/真名井神社」

 拝殿に向かって左に鎮座し、十二神社方向に向かう。面白いのは「乳房神」ですね。あと真名井神(私のNOTE)は伊勢神宮外宮(私のNOTE)のトヨウケかと思ったが御井神(私のNOTE)なのは面白いなと。

  • 乳房神社:乳房神

  • 山雷神社:雷神

  • 真名井神社:御井神

→十二神社

 十二神社は吉備津彦命一族と大名持神(別名・オオクニヌシ)を祀る。古くより大願成就の神様として「がんをかけ」物事を解決するため、3日間、7日間、21日間と「願」をかけてお願いすると何事も解決への道が開けると言い伝えられている。
 神在月に行かない主祭神は、出雲と和睦をしたので行かなくて良いことになったのかな??

 十二神社の参道には「十二支像」がある。なんか下鴨神社(私のNOTE)の拝殿前も干支ごとの神社があり、オオクニヌシの別名と干支をリンクさせているので、この十二支像はオオクニヌシとリンクさせているのだろうと思うのだが、真相はどうなのだろうか。

桃太郎です・・。

→拝殿・本殿から十二神社途中の末社「稲荷神社」「多理比理神社」

 祭神はそれぞれウカノミタマ、宗像三女神の長女・タギリヒメで、こちらはベーシックな祭神ですね。
 1648年、福山藩主・水野勝成によって再建されたと伝わり、備後・安芸地方に多い「余間造り」というものらしい。正面に千鳥破風・軒唐破風を持った江戸時代初期の建築でありながら、室町の風格と桃山彫刻を具備した優秀な蟇股を備えて、勾欄の擬宝珠の刻銘及び文書により慶安元年建立と書かれている。

 さて、 多理比理神社の碑には「息長帯姫神(神功皇后)と息長帯日子王」と記されているのが気になるな・・・。滋賀に腰を下ろしていた息長氏だよな・・・。

→本殿右:十麻里二柱神社

 吉備津彦命と共に古くより旅人の安全をお守りするため親族十二柱を祭神としているのだが、お堂だったような感じがしてしょうがない。

→拝殿・本殿右「疱瘡神社/武内神社/厩戸皇子神社/吉備津天満宮/祖霊社・彰徳宮・白髪神社」

祭神は次の通り。注目は聖徳太子を祀る「厩戸皇子神社」です。

  • 疱瘡神社:スクナヒコ

  • 武内神社:武内宿祢

  • 厩戸皇子神社:聖徳太子

  • 吉備津天満宮:菅原道真
    京都・北野天満宮(私のNOTE)より勧請

  • 祖霊社・彰徳宮・白髪神社

    1. 神道家の御霊神

    2. 明治以降の戦没者の御霊

    3. サルタヒコ

疱瘡神社:スクナヒコ
疱瘡神社:スクナヒコ
疱瘡神社:スクナヒコ
武内神社:武内宿祢
厩戸皇子神社:聖徳太子

しかし、聖徳太子を祀る「厩戸皇子神社」が突如ここに出てくるのは、どういうことだろうか??兵庫には斑鳩寺(私のNOTE)など聖徳太子と秦河勝ゆかりの寺があるのでわかるのだが、少し距離がある気がする。古都・奈良と古都・京都から兵庫の間でもないし・・。それを差し引いても、神社に聖徳太子って京都・松尾大社(私のNOTE)の境外摂社・月読神社(私のNOTE)以来かと思うのだが。。と思ったが、神宮寺があったので太子堂があったのだろうと根拠もなく納得する。
 御朱印を頂くときに、神社の方に質問をしたが、古門書は残っていないの不明なんだそうな。ただ、神社で聖徳太子を祀るのは珍しいと仰っていた。ただ、聖徳太子ではなく「厩戸皇子」という説明だった。

 横には吉備津天満宮がある。菅原道真はどこにでも祀られている。歩きながらシャッター発動でブレブレ・・。

吉備津天満宮:菅原道真
祖霊社・彰徳宮・白髪神社

▽無言神事

祇園祭&茅の輪くぐり発祥!蘇民将来伝説!!スサノオといえば廣峯神社から八坂神社(私のNOTE)としたが、素盞嗚神社から廣峯神社に遷座させたとする。つまり、この「素盞嗚神社」から「梛神社」を経由し「八坂神社」に牛頭天王は移ったということである。
 本NOTE公開翌日に公開する「吉備津神社」も、ここと同じ備後一宮である。この2社の優劣がつけられないは「無言の神事」の繋がりだろうか。無言の神事は、備後国一宮・吉備津神社の神官が神霊を乗せた神馬を率いてここに来社し、幣帛・神饌を供えて祝詞を奏上、引受神官には無言のまま礼をして帰社するというもの。何らかの政治的な戦いがあり和睦したのか?キビツヒコ(桃太郎)がスサノオに降参したのか?(負けたけどXXするので許して!毎年一回は来ますなどで許してもらったとか?それが「無言の神事」なのか??)

祇園祭発祥「素盞嗚神社」ここから廣峯と京都八坂へ!備後国一宮【広島シリーズ/広島福知山シリーズ】|やんまあ

無言の神事って知っていますか?
祇園祭の最終日に備後吉備津神社から宮司と禰宜が参拝し、迎える素盞嗚神社側は、一切無言のままで行われる神事です。
幣帛十二本と神饌を供え、祝詞を奏上し帰りますが、その間一切言葉を発しないとされています。
元々、備後の吉備津神社は府中市土生町辺りにあり、遙拝の為の施設であったといった説があります。
それが、12世紀初頭に素盞嗚神社の社領地であった現在の地に、新たに分霊を迎えて移設されたというものです。
面白いことに、備後の吉備津神社とそこから勧請さらた神社の神紋は、素盞嗚神社と同じ木瓜紋です。
備前、備中などをはじめ、ほとんどの吉備津彦を祀る神社が桐紋であることから、特異さが際立ちます。
また備後吉備津神社本殿付近は、真言宗廣澤流流祖「本覚大師」が幼き頃に修行をされた場所との伝もあり、極めて小規模ながら素盞嗚神社に関連した宗教施設があった可能性もあります。
その地を与えてもらった御礼として、今も無言の神事が続いている。
そういった話は、歴史のロマンを掻き立ててくれて楽しいです。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=151437013118128&id=105446111050552&set=a.110297700565393

▽ほら吹き神事

吉備津神社の通称”ほら吹き広場”で行われる「ほら吹き神事」。
たき火を囲んでオチのつけた『ほら話』を披露する天下の奇祭です。
鎌倉時代から約800年続く伝統神事で、多くの参拝者を楽しませています。「800年って本当?」
「本当です。ホラ話じゃありません。でも嘘800って言いますけどね。」
本当かウソか分からなくなってきましたが、本当の話です。
『ほら吹き神事』はこんな話をする神事です。

https://www.k-shinichi.com/event?id=21

→面白かったNOTE

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼厳島神社:広島県福山市新市町宮内400

 吉備津神社の参道入口の御池に鎮座。

 神社入口付近の池があるのは、イツクシマか宗像三女神ですね。厳島神社の本宮は次を参照で。

▼吉備津彦神社:福山市神辺町上御領1092

 まずは整理しましょう。本NOTEの備国「吉備津彦神社」は一宮ではないが、備国「吉備津彦神社」は一宮なんですよね。。
 吉備国の一宮と私のNOTEをリンクさせます。

  1. 備中国一宮 岡山市北区  吉備津神社(私のNOTE)★吉備国総氏神

  2. 備前国一宮 岡山市北区  吉備津彦神社(私のNOTE)
                                             
    石上布都魂神社(私のNOTE)

  3. 備後国一宮 広島県福山市 吉備津神社(私のNOTE
                素盞嗚神社(私のNOTE

  4. 美作国一宮 岡山県津山市 中山神社(私のNOTE)           

 1から2、1から3に勧請しているので、1から本NOTEの吉備津彦神社にも勧請でもよいような・・少なくとも同地区なので二宮とかさ。。
 備後国一宮は「吉備津神社」と「素戔嗚神社」になっており、本NOTEの「吉備津神社」も入れてよいと思ってしまうのだが。

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記▼セットで行くところ

広島③◆福山市の神社仏閣/鞆の浦ブラリ(33年に一度の秘仏公開&福山の仏像集合)|やんまあ@旅行記

その他の旅行記は次を参照

広島の神社仏閣は次を参照。

▼特別展

2024年:★秘仏公開★33年に1度「明王院」★仏像展★「ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念」

2023年:備後一宮 吉備津神社展

▽保管庫


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