★京都:賀茂競馬★勝つことよりも美しく並ぶこと!上賀茂神社が1000年守り続ける「神の時間」
賀茂競馬は、もともと宮中で行われていた「くらべ馬(くらべうま)」という行事が、1093年に堀河天皇の命により天下泰平と五穀豊穣を祈願するため、上賀茂神社に移されたことに始まります。

賀茂競馬は、平安時代の寛治7(1093)年、堀河天皇が、天下泰平と五穀豊穣を祈って宮中で行われていた競馬会を上賀茂神社に移したことに始まり、毎年5月5日に、神社の芝生で行われています。乗尻(騎手)は舞楽装束をつけ、左方と右方が一対となって馬を走らせ、速さを競います。
賀茂競馬は、今年930年以上の節目を迎えますが、長い歴史の中で、様々に変化してきました。
昔の馬の体重は200kgもありませんでしたが、現在は競馬を引退した体重450kgものサラブレッドが走っており、とても迫力があります。
装束や馬装に多少の変化はありますが、鞍や鐙の一部は江戸時代のものを今も大切に使っています。それだけでなく、儀式や所作、馬の配置などの基本的なことも、鎌倉時代の頃から形を変えずに、継承し続けています。
今後もこの伝統的な行事を次世代に継承していくためにも記すことにしました。
きっかけは京都産業大学が開催した特別展で頂いた冊子です。

『★特別展★上賀茂神社「重要文化財 賀茂別雷神社文書の世界―その歴史・文化・修理―」京都産業大学ギャラリー』を観に行ったら頂きました。
京都産業大学ギャラリーでは、開館以来、11年に渡り賀茂競馬の取材をさせていただいております。その成果をもとに、折にふれて企画展を開催してきました。賀茂競馬は宮中から上賀茂神社に移され、令和5(2023)年で930年を迎えました。
この節目の年に行われた競馬について、取材した写真を通じてご紹介します。
3月初旬に乗馬練習が始まり、5月5日の競馬に至るまで、数々の儀式や準備があり、賀茂の一族の方が奉仕されます。
鎌倉時代の儀式書に基づき、細かな所作は口伝で、長く大切に守り伝えられている神事です。
本書では特に競馬の騎手である乗尻の動きを中心に、準備の様子から葵祭での神事奉仕までを取り上げます。少しでも賀茂競馬にふれていただく機会になりましたら幸いです。
京都産業大学ギャラリー
賀茂別雷神社·(一財)賀茂県主同族会
1.賀茂競馬とは何か
1-1.日本最古級の競馬神事
賀茂競馬(かもくらべうま)は、京都・上賀茂神社で行われる日本最古級の競馬神事である。その起源は平安時代以前にさかのぼり、国家安泰や五穀豊穣を祈る祭祀として営まれてきた。現在も5月5日に執り行われるこの神事は、単なる行事としてではなく、古代の祭祀構造をほぼそのまま残す貴重な文化遺産といえる。
武芸や娯楽としての競馬が成立する以前、馬は神意を示す存在であり、賀茂競馬はその原初的な「馬と神の関係」を今に伝えている。
「賀茂競馬」は、平安時代の寛治7(1093)年に堀河天皇が、天下泰平と五穀豊穣を祈って宮中で行われていた競馬会を神社に移したことに始まり、上賀茂神社で行われて今年で930年の節目を迎えます。この度、「賀茂競馬」の披露や継承活動等に取組まれておられます『賀茂競馬保存会』様の主催で、賀茂競馬930年記念事業写真展「賀茂文化と賀茂競馬」が開催されましたので、お伺いしてきました。
会場には皆さんお馴染みの乗尻(のりじり=騎手)が、左方(さかた)と右方(うかた)に分かれ、一対となって馬を走らせ、早さを競う「競馳(きょうち)」のお写真をはじめ、「競馳」の前に執り行われる「頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)の儀」や「菖蒲の根合わせの儀」などのお写真も展示されていました。
当日は、会場にいらした『賀茂競馬保存会』の堀川三恵子さんに急遽、ご案内だけでなく、展示されているお写真の解説もしていただくことに。
豪華絢爛な舞楽装束や装飾品の意味なども知れ、大変貴重な時間を過ごさせていただきました。
いよいよ来月の5月1日(月曜日)には、5月5日(金曜日)の「賀茂競馬」に先立ち、賀茂競馬「足汰式」が行われます。
930年もの間、儀式や所作、馬の配置など形を変えずに続けておられる日本でも珍しい行事ですので、是非皆さんにも応援いただきたいです。
堀川さんや『賀茂競馬保存会』の皆さんをはじめ、伝統を未来に受け継ぐべく御尽力を重ねて来られた皆さんに深く敬意を表しますとともに、「賀茂競馬」が、これからも千年、二千年と続いていきますことを祈念申し上げます。
1-2.「競う馬」ではなく「神に奉る馬」
賀茂競馬の本質は、勝敗を決する競争ではない。左右二頭の馬が並走するものの、結果はあくまで神前における奉納行為の一部であり、人為的な勝ち負けは重視されない。
馬の走り、騎手の姿勢、装束、儀礼の順序――それらすべてが「神に見せる」ための所作であり、競馬という形を借りた神事なのである。ここでは、馬は速さを誇る存在ではなく、神と人とをつなぐ「生きた神宝」として位置づけられている。
1-3. 葵祭との関係
賀茂競馬は、5月15日に行われる賀茂祭(葵祭)へと続く、一連の祭祀体系の中に組み込まれている。3月初旬から始まる乗馬練習や諸儀式を経て、5月5日の競馬神事、そして葵祭へと時間軸が収斂していく構造は、賀茂信仰の季節的循環そのものだ。
つまり賀茂競馬は独立した行事ではなく、葵祭を頂点とする賀茂祭祀の重要な一段階であり、神威を高め、祭りを完成へ導く役割を担っている。
2.賀茂競馬の歴史
2-1.平安京以前から続く行事
賀茂競馬の起源は、平安京遷都以前にまでさかのぼるとされる。文献上では平安時代に制度化された神事として確認できるが、その背景には、より古い祭祀的競馬の存在が想定されている。
古代において馬は、軍事・交通・農耕のいずれにも関わる重要な存在であり、とりわけ神意を占う媒介として神聖視されてきた。賀茂競馬は、そうした古層の信仰を基盤に、国家祭祀として整えられながら継承されてきた行事であり、日本における競馬文化の原点のひとつといえる。
昭和11年の記録をどうぞ!!
2-2.上賀茂神社と下鴨神社
賀茂競馬は、上賀茂神社(私のNOTE)と下鴨神社(私のNOTE)、二つの賀茂社の関係性の中で育まれてきた神事である。両社は同じ賀茂氏の祖神を祀り、古くから一体の信仰圏を形成してきた。
賀茂競馬は主に上賀茂神社で行われるが、その意味や位置づけは、下鴨神社を含む賀茂祭祀全体の中で理解されるべきものである。二社の分立と連携という構造が、賀茂競馬を単なる一社の行事ではなく、京都全体に関わる祭祀として成立させてきた。
賀茂建角身命@下鴨神社(八咫烏)💛伊賀古夜姫命@丹波王国
↓
玉依日売@下鴨神社💛不詳(松尾大社?向日神社(角宮神社)?乙訓神社?)
※不詳だが『新撰姓氏録』では火雷別
↓
賀茂別雷大神@上賀茂神社
2-3.公家文化と賀茂の祭祀
平安時代以降、賀茂競馬は公家社会と深く結びつきながら発展していった。朝廷の保護のもとで整えられた祭祀は、儀礼の細部にまで秩序と美意識を反映させ、現在に伝わる装束や所作の基礎を形づくった。
賀茂競馬に見られる左右の配置、くじによる組み合わせ、段階的な儀式の積み重ねは、公家文化が重んじた「調和」と「型」の思想を色濃く映している。ここには、力を誇示する武の競馬ではなく、秩序を神前に示すための祭祀としての競馬がある。
3.なぜ「賀茂」で競馬なのか
3-1.賀茂氏と馬
賀茂競馬を理解するうえで欠かせないのが、賀茂氏と馬との関係である。賀茂氏は、古代山城盆地に勢力を持った氏族であり、王権祭祀と深く結びついた存在だった。
馬はその祭祀において、単なる移動手段や軍事資源ではなく、神意を伝える媒介として重要な役割を担っていた。とりわけ賀茂の地においては、馬を用いた神事が早くから成立し、競馬という形式に昇華されたと考えられている。賀茂競馬は、賀茂氏の祭祀観そのものを体現した神事なのである。
3-2.雷神信仰と馬の象徴性
上賀茂神社の主祭神である賀茂別雷神(カモワケイカヅチノカミ)は、雷神であり、同時に水と農耕を司る神でもある。雷は雨を呼び、雨は作物を育てる。
古代において馬は、その雷神と強く結びつく象徴的存在だった。疾走する馬の姿は雷の走りを想起させ、天と地を結ぶ存在として神聖視された。賀茂競馬における馬の走りは、単なる速さの表現ではなく、雷神の力を地上に顕現させる儀礼的行為として位置づけられている。
3-3.農耕儀礼との関係
賀茂競馬は、農耕儀礼としての側面も色濃く持っている。春から初夏にかけて行われる一連の神事は、田植え前の重要な祈願の場であり、五穀豊穣を神に願うための祭祀であった。
馬を走らせることは、土地の穢れを祓い、神威を活性化させる行為でもある。賀茂競馬は、雷・水・土という農耕に不可欠な要素を一体化させた儀礼であり、自然と人との関係を再確認する場として、今日まで受け継がれてきた。
4.賀茂競馬の時間軸 ― 3月初旬から5月5日まで
4-1.乗馬練習
賀茂競馬は、5月5日の本儀だけで完結する行事ではない。すでに3月初旬から、神事に奉仕する人馬の準備が静かに始まる。
乗馬練習は、単なる技術習得ではなく、神前に立つための身体を整える行為である。馬と騎手が呼吸を合わせ、同じ動きを繰り返す過程そのものが、祭祀の一部として位置づけられている。
上賀茂神社の境内、北西に位置する奥馬場にて3月初旬から賀茂競馬の練習が始まる。奥馬場は、本番と同じ直線コースの馬場と四角に区切った角馬場の二種類がある。奥馬場での練習の後、4月には本番で走る場所となる本馬場での練習へと移っていく。奥馬場·本馬場とで練習をする形は、戦後にはとられていたという。
賀茂競馬は神事のため、乗馬練習の頃から一連の儀式が終わるまでの約2か月間、乗尻たちは牛や豚といった四つ足の動物、鯖等の背の青い魚を避ける潔斎食をとる。
4-2.くじ取式・鞍組
くじ取式では、左右どちらの馬がどの役割を担うのかが定められる。これは人為的な選別を避け、神意に委ねるための重要な儀式である。
続く鞍組では、鞍や装具が正式に整えられ、競馬神事の具体的な形が見え始める。ここで初めて、抽象的だった準備が「神事としての競馬」へと輪郭を持つ。
4月16日、上賀茂神社の客殿において、走る順番を決めるくじ取り式が行われた。一組目に走る倭文庄と金津庄の乗尻はくじを取らず、乗馬の名手が選ばれる。
5月1日の足汰式と5月5日の競馬の前日には、鞍組が行われる。鞍は人が馬の背に乗るための道具である。鞍とそれに付随する道具を、馬に装着できる形に組み立てるのが鞍組である。この他、馬の顔につける轡と手綱、面懸を結び、鐙を布で磨いて手入れするなど、馬具一式を馬に装着できるよう準備が行われる。
現在の競馬会神事における庄園の序列は次の通りで、庄園は20あるが20人分の乗尻や 馬具・装束等を調達することは難しいため、近年は10または12で終わることが多い。
美作国倭文庄
加賀国金津庄
播磨国安志庄
能登国土田庄
阿波国福田庄
美濃国脛長庄
近江国舟木庄
若狭国宮川庄
淡路国淡路庄
出雲国出雲庄
備前国竹原庄
備前国山田庄
山城国名嶋庄
丹波国由良庄
和泉国深日庄
周防国伊保庄
伊予国菊萬庄
尾張国玉井庄
伯耆国星河庄
三河国小野田庄
美作国倭文庄
京都府京都市の上賀茂神社で毎年5月5日に行われる、天下泰平や五穀豊穣を祈願する伝統行事「賀茂競馬(かもくらべうま)」。平安時代の1093年から続く勇壮な神事に、同神社の荘園だった倭文地区(岡山県津山市久米地域内)は深い関わりがある。
4-3.足汰式(あしぞろえしき)
足汰式は、馬の歩調や動きを確認し、神事にふさわしい状態であるかを整えるための儀式である。馬を並べ、同じ調子で進ませる所作には、調和と均衡が強く意識されている。
速さを競う以前に、乱れなく歩むことが求められるこの儀式は、賀茂競馬が「競争」ではなく「秩序の奉納」であることを端的に示している。
5月1日は足汰式が行われる。競馬に参加する馬を一頭ずつ走らせ、乗尻の馬上姿勢や鞭のさし方、馬足の優劣等、定められた作法により、走る順番を決める儀式である。一頭ずつ走る素駆を経て決まった順番により、二頭ずつ競い走る競馳も行う。足汰式の日、乗尻をはじめ祭事に関わる人は、ならの小川そばの井形桝形から境内に入り、梶田神社で自己祓をして無事安全を祈り出仕する。馬は、ならの小川で脚を清め、馬場殿の前で年齢·毛色等を確認する「毛付の儀」(くじ取り式で決まった馬と替わっていないかの確認)の後、素駆に臨む。

4-4.摂社詣り・習礼(練習)
本儀を前に、馬と騎手は境内の摂社を巡り、神々に奉告を行う。これは単なる形式ではなく、賀茂の神域全体に神事を行うことを告げる重要な段階である。
習礼と呼ばれる練習もまた、本番を想定しながら、神前での所作を一つひとつ確認する場となる。繰り返し行われる動作の中で、人と馬は神事のリズムに身を委ねていく。
競馬の前日、5月4日には上賀茂神社の摂社へ乗尻たちが参拝する。上賀茂神社の庁屋を出発し、まずは南西に位置する久我神社にお参りする。その後、上賀茂神社の大鳥居前まで戻り、東へ進んで社家町を抜け、大田神社に参拝する。続いて福徳神社、藤木神社等にもお参りして庁屋に戻る。
乗尻たちは日々儀式の練習(習礼)を重ねて本番に臨む。摂社参りの後も、翌日の儀式について順を追って確認がなされ、日暮れが近づく中、境内を移動しながら念入りに習礼が行われていた。




4-5.競馬(くらべうま)
そして5月5日、すべての準備を経て賀茂競馬が執り行われる。左右二頭の馬が並び、神前を駆ける姿は、長い時間をかけて整えられてきた祭祀の結晶である。
ここで示されるのは、勝敗ではなく、調和と奉納の完遂である。馬が走り終えた瞬間、賀茂競馬は一つの行事として完結すると同時に、葵祭へと続く祭祀の流れの中へと溶け込んでいく。
5月5日に上賀茂神社で行われる賀茂競馬は、天下泰平·五穀豊穣を祈る神事である。左方と右方に分かれて二頭ずつ馬を走らせて競い、左方の勝ちが多ければ、その年は豊作になるといわれている。競馬に用いる馬は上賀茂神社の荘園の内、二十か所から献上されていたため、現在も馬は「美作国倭文庄」のように各荘園の名で呼ばれる。
かつては宮中の武徳殿で左右近衛府の官人たちによって行われていたが、寛治7(1093)年に上賀茂神社に移され、令和5(2023)年で930年になる。京都市の無形民俗文化財に登録されている。
京都府京都市の上賀茂神社で毎年5月5日に行われる、天下泰平や五穀豊穣を祈願する伝統行事「賀茂競馬(かもくらべうま)」。平安時代の1093年から続く勇壮な神事に、同神社の荘園だった倭文地区(岡山県津山市久米地域内)は深い関わりがある。
(中略)
現在は12頭で行われ、最初に走る倭文庄は他の馬とは違う豪華な装いで登場。加賀国金津庄の馬と対戦し、この順番は決まっている。倭文庄が先に走りだすと、金津庄が追いかける形で出走するが、倭文庄が必ず勝つことになっている。続く対戦からは真剣勝負となる。
4-6.賀茂祭(葵祭)
賀茂競馬は、単独で完結する神事ではなく、5月15日に行われる賀茂祭(葵祭)へと至る長い祭祀の流れの一部である。3月初旬から始まった人馬の準備、数々の儀式、そして5月5日の競馬神事は、すべて葵祭を迎えるための過程として積み重ねられてきた。
葵祭は、上賀茂神社・下鴨神社の例祭であり、賀茂氏の祖神に対して国家安泰と五穀豊穣を祈る最重要の祭である。賀茂競馬で整えられた神威は、ここで最大化され、都と人々へと示される。
華やかな行列で知られる葵祭の背後には、このような静かで厳粛な神事の積層が存在する。賀茂競馬は、その中でも特に「動」を担う儀礼であり、神の力を地上に呼び起こす役割を果たしている。競馬神事を経てこそ、葵祭は完全な形で成立するといえるだろう。
上賀茂神社と下鴨神社の例祭として、平安時代から行われています。その起源は欽明天皇28(567)年と言われ、占いで凶作の原因とされた賀茂の神々を鎮める祭礼として始まりました。古くは「賀茂祭」と言われ、「源氏物語」をはじめ多くの古典文学にも登場します。弘仁10(819)年には勅祭となり、重要な国家的行事に位置付けられました。葵の葉を飾るようになったのは江戸時代からで、以降「葵祭」と呼ばれるようになりました。
「 衣裳から小物、牛車に至るまで平安時代の風俗を再現した総勢500名余の行列「路頭の儀」はまさに王朝絵巻。行列は御所を出発し、下鴨神社へ。下鴨神社で「社頭の儀」などの諸行事が行われだのち、行列は上賀茂神社へ向かいます。
今年は4年ぶりに「路頭の儀」を実施することとなりました。「路頭の儀」は、行列に参加する方だけでなく、装束の着付けや女人列の化粧、調度品や馬の調達等に多くの方が関わるなど、人と人との結びつきで成り立っています。コロナ禍で3年のブランクがあり、行事の継承が難しくなりつつあった中、今年は例年通りに実施できることになり安堵しています。
新緑が輝く中、しばし王朝の雅に浸っていただければと思い主す。
5月15日に行われる葵祭は、正式名称を賀茂祭といい、上賀茂神社と下鴨神社の祭礼である。大きく分けて「宮中の儀」、「路頭の儀」、「社頭の儀」の三つの儀式が行われる。
まず宮中の儀にて、奉行が勅使と内蔵使に御祭文と幣帛を授ける。これを携えた行列が京都御所を出発して下鴨神社と上賀茂神社に向かうのが路頭の儀である。行列が神社に到着すると、勅使が御祭神に御幣物と御祭文を奏上する社頭の儀が行われる。
賀茂競馬の乗尻たちは路頭の儀、社頭の儀に奉仕している。
5.賀茂競馬の見どころ
5-1.装束と儀礼の意味
賀茂競馬において目を引くのが、騎手や関係者の装束である。これらは単なる古風な衣装ではなく、平安以来の祭祀秩序を体現する装いだ。色や形、着用の順序には意味が込められ、神前に立つ者としての身分と役割を明確に示している。
装束に身を包み、定められた所作を踏むこと自体が奉納であり、賀茂競馬は視覚的にも「儀礼である競馬」であることを強く印象づける。
5-2.勝敗より重んじられる所作
賀茂競馬では、速さや強さよりも、正しく整った所作が重視される。馬の歩調、騎手の姿勢、進退の順序――それらが乱れなく行われることこそが神意にかなうとされてきた。
たとえ並走であっても、どちらが勝ったかを明確にすることは目的ではない。ここにあるのは、競争の結果ではなく、過程そのものを神に捧げるという思想である。
5-3.神前で走るということ
神前で馬を走らせる行為は、現代の競馬とはまったく異なる意味を持つ。そこでは、人の意志よりも神の存在が優先され、馬は神威を顕現させる媒介となる。
賀茂競馬における走りは、力を誇示するためのものではなく、神と人との間に流れる時間を一瞬だけ可視化する儀礼である。その姿を目にしたとき、観る者は「競馬」を超えた、古代祭祀の記憶に触れることになる。
6.神馬という存在
6-1.神馬の役割
賀茂競馬における馬は、競技のための存在ではない。神馬とは、神に奉仕し、神意を体現するために選ばれた馬である。人が馬を使うのではなく、馬を通して神事が行われるという立場が、賀茂競馬では一貫して保たれてきた。
神馬は、神前に立つために心身ともに整えられ、日常の役割から切り離された存在となる。騎手や関係者は、その馬の状態を第一に考え、無理のない走りと所作を尊重する。ここには、命あるものを神に預けるという、古代から続く祭祀観が息づいている。
6-2.「生きた神宝」としての馬
神馬は、神社に奉納される宝物とは異なり、常に変化し、応答する「生きた神宝」である。走り、息づき、周囲の気配に反応する存在だからこそ、神意を受け取る器として重んじられてきた。
賀茂競馬では、馬の振る舞いそのものが神の徴とされる。速さではなく、乱れのなさ、落ち着き、調和が尊ばれる理由もそこにある。馬は、神と人との間に立つ存在として、今も賀茂の杜で大切に守られている。
7.他の競馬神事との違い
7-1.流鏑馬・武芸神事との比較
日本各地に伝わる馬を用いた神事の多くは、流鏑馬に代表されるように、武芸としての側面を色濃く持っている。弓を射る技術や騎乗の巧みさは、神前に力と統制を示す行為であり、武の象徴として成立してきた。
一方、賀茂競馬は武威を誇示するための神事ではない。装束や所作は洗練されているが、そこに求められるのは戦いの技ではなく、秩序と調和である。この点において、賀茂競馬は武家文化よりも公家文化の影響を強く受けた神事といえる。
7-2.相馬野馬追との違い
相馬野馬追は、武士の軍事訓練や戦の記憶を色濃く残す神事であり、馬を操る力強さと集団性が際立つ。一騎一騎の走りには、実戦を想起させる緊張感が伴う。
対して賀茂競馬は、戦の記憶とは距離を保ち、国家祭祀としての秩序を前面に出す。集団での勇壮さよりも、左右二頭の並走という簡潔な構成を通じて、神前に調和を示す点が大きな違いである。
7-3.「奉納儀礼」としての競馬
賀茂競馬の最大の特徴は、それが徹底して「奉納儀礼」として構成されている点にある。勝敗や技巧は副次的なものであり、主眼は神に対して正しく整えられた行為を捧げることにある。
馬の走りは、神威を顕現させる一瞬であり、競争の結果を評価する場ではない。ここにあるのは、力を競う競馬ではなく、祈りを形にする競馬である。賀茂競馬は、その特異性ゆえに、今なお古代祭祀の原型を色濃く伝えている。
8.現代に受け継がれる賀茂競馬
8-1.観光化されきらない理由
賀茂競馬は、京都を代表する伝統行事でありながら、いわゆる観光イベントとして前面に押し出されることは少ない。その理由は、この神事が今なお「祈りの場」であることを重視しているからだ。
観る者のために演出されるのではなく、神に奉納するために執り行われる。その姿勢が崩れていないからこそ、賀茂競馬は派手さを抑えつつ、静かな緊張感を保ち続けている。
8-2.継承される人と技
賀茂競馬は、文書や形式だけで継承されてきたわけではない。実際に馬と向き合い、所作を体で覚える人々の存在によって支えられてきた。
世代を超えて受け継がれるのは、単なる技術ではなく、神前に立つ心構えである。人と馬がともに整えられたとき、初めて神事は成立する。その積み重ねが、現代における賀茂競馬を可能にしている。
9.実際に見るための参拝メモ
9-1.日程の捉え方
賀茂競馬は、5月5日の本儀だけを見る行事ではない。3月初旬から続く一連の儀式を「時間の流れ」として捉えることで、神事の意味はより深く理解できる。
可能であれば、足汰式や習礼など、準備段階の神事にも目を向けたい。
9-2.見学の心構え
賀茂競馬は、見せるための行事ではなく、神に奉納される神事である。観覧する際には、祭りの一部に立ち会わせてもらっているという意識を持つことが望ましい。
静かに見守る姿勢そのものが、神事を尊重する行為となる。
9-3.写真撮影の注意点
撮影が許可されている場面であっても、神事の進行を妨げない配慮が求められる。馬や関係者に過度に近づかず、フラッシュや大きな動作は避けたい。
記録よりも記憶を優先する姿勢が、この神事にはふさわしい。
10.賀茂競馬が伝えるもの
10-1.勝たない競争
賀茂競馬が伝えてきたのは、勝つための競争ではない。整え、奉納し、無事に終えること――それ自体が価値となる競馬である。
そこには、結果より過程を尊ぶ、日本古来の価値観が色濃く表れている。
10-2.京都に残る祭祀の時間
賀茂競馬は、千年を超える時間をそのまま現在へと運んできた神事である。京都という都市の中で、今もなお失われずに流れ続ける祭祀の時間が、ここにはある。
馬が走り去ったあとに残る静けさこそが、賀茂競馬の本質なのかもしれない。
10-3.雑学「埒が明かない」は賀茂競馬
もともと「馬場(競馬場)の柵=埒(らち)」に由来します。勝負の決着がつかず、馬が埒内を行き来するばかりで外へ出られない様子から、「物事が進展しない」という意味になりました。
この語源を最も実感できるのが、上賀茂神社の賀茂競馬です。神前で行われるこの神事では、勝敗以上に儀礼の型と反復が重んじられ、何度も同じ所作が繰り返されます。観る側にとっては「なかなか決着がつかない」ようにも映りますが、そこにこそ神事の本質があります。
一方、葵祭もまた、時間をかけて同じ道を進む行列が特徴です。効率や結果を急がず、古式の秩序を守り続ける点で、賀茂競馬と深く響き合っています。
「埒が明かない」とは、本来否定ではなく、神と人との間で、あえて急がない時間を生きる感覚を伝える言葉なのかもしれません。
11.オマケ
賀茂競馬草創に関する二三の憶説(https://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu5/5-25dobashi300.pdf)
【賀茂競馬】らくたび×京都新聞TV 京のおはなしVOL.51(https://www.youtube.com/watch?v=my40Qow3uss)
賀茂競馬の乗尻・所役と馬所
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