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★特別展★上賀茂神社「重要文化財 賀茂別雷神社文書の世界―その歴史・文化・修理―」京都産業大学ギャラリー

京都産業大学ギャラリーで開催された特別展は、賀茂別雷神社に伝わる重要文化財文書を中心に、その歴史と文化を紹介する内容。平安から近代まで約1万3千点に及ぶ史料には、朝廷・幕府との関係や荘園支配、祭礼運営の実態が記される。展示では修理後の貴重文書に加え、葵祭や賀茂競馬の記録、古文書修理の技術や意義にも焦点を当て、文化財を未来へ伝える営みを学べる構成となっている。

京都産業大学ギャラリーでは、本学創立60周年を記念し、特別展「重要文化財 賀茂別雷神社文書の世界―その歴史・文化・修理―」を開催いたします。
2006年に重要文化財に指定された賀茂別雷神社文書は、平安時代から近代にいたる古文書と日記・記録類13639点からなる史料群です。古文書には、幕府や朝廷との関係や荘園などの歴史を物語る貴重な史料が数多くあり、祭礼に関わる史料や神社の公的な日記・記録も伝存しています。
本展では特に、修理の終わった賀茂別雷神社文書の中から、神社の歴史に関する文書や、葵祭・賀茂競馬などの神事に関する文書を展示します。あわせて、文化財としての古文書修理の意義、方法、技術、材料などについても、実物資料やパネルなどによって紹介します。

【特別展】重要文化財 賀茂別雷神社文書の世界―その歴史・文化・修理―|ニュース一覧|京都産業大学

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2026/04/26:初版 


▼特別展公式/メディア情報

▼下鴨神社と上賀茂神社の詳細


▼初めての京都産業大学ギャラリー

無料の展示会に図録も「無料配布(お一人様1冊まで)」と感無量!?

 実は他の図録なども頂ける。NOTEにアウトプットすることが増えたな。。読み物が増えるばかり・・・。

▼見どころ

2006年に重要文化財に指定された賀茂別雷神社文書は、平安時代から近代にいたる古文書と日記・記録類13639点からなる史料群です。古文書には、幕府や朝廷との関係や荘園などの歴史を物語る貴重な史料が数多くあり、祭礼に関わる史料や神社の公的な日記・記録も伝存しています。 本展では特に、修理の終わった賀茂別雷神社文書の中から、神社の歴史に関する文書や、葵祭・賀茂競馬などの神事に関する文書を展示します。あわせて、文化財としての古文書修理の意義、方法、技術、材料などについても、実物資料やパネルなどによって紹介します。

重要文化財 賀茂別雷神社文書の世界 | 展覧会 | アイエム[インターネットミュージアム]

―その歴史・文化・修理―

展覧会概要

  • 会期:2025年10月20日(月)〜12月6日(土)
    ※会期中に前期・後期の展示替えあり

  • 会場:京都産業大学ギャラリー(むすびわざ館2階)

  • 開館時間:10:00〜16:30
    ※水曜日は13:00〜16:30(入場は16:00まで)

  • 休館日:日曜・祝日(※一部開館日あり)

  • 入場料:無料

展示の見どころ

本展は、2006年に重要文化財指定を受けた「賀茂別雷神社文書」を中心に、その歴史的価値と文化的背景、さらに文化財修理の現場に焦点を当てた特別展です。

展示される文書群は、平安時代から近代に至るまでの約1万3千点以上に及び、朝廷・幕府・武家政権との関係、荘園支配、祭礼や神事の運営など、上賀茂神社が果たしてきた役割を具体的に物語ります。

主な展示内容

  • 源頼朝・織田信長・豊臣秀吉の花押入り文書

  • 葵祭・賀茂競馬など神事に関する記録

  • 神社経営や荘園支配を示す中世文書

  • 古文書修理の工程・技法・材料の紹介(修理前後の比較展示)

単なる歴史展示にとどまらず、「文化財をいかに未来へ伝えるか」という視点から、保存と修理の最前線を学べる構成となっています。

まとめ

  • 上賀茂神社に伝わる重要文化財文書を体系的に紹介

  • 日本史の転換点を示す一次史料を間近で鑑賞

  • 古文書修理という「裏側の文化財史」にも光を当てた貴重な展覧会

  • 入場無料で、歴史・神社・文化財保存に関心のある人に特におすすめ

No.1:源頼朝下文:寿永二年(1183)十月十日

「源頼朝下文」は、1183年(寿永二年)10月10日付で賀茂別雷神社に宛てられた文書で、上賀茂神社の社領や諸権益に関わる指示・安堵・確認などを示す中世の武家書状のひとつです。武士政権を確立しつつあった源頼朝が、自らの権威を背景に社領や神社運営に関与したことを示す一次史料として評価され、賀茂別雷神社文書の重要文化財指定史料群の代表的な史料として展示されています。

No.2:後白河院庁下文:寿永二年(1183)十一月四日

「後白河院庁下文」は、寿永二年(1183年)11月4日付で発給された後白河法皇(院)の院庁による賀茂社領・備前国の下文で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に対して社領の年貢米を妨げなく納めるよう命じた文書です。これは武家政権の成立期に、朝廷側が神社の権益保護を明示した貴重な一次史料で、当時の朝廷と神社の関係、社領経営の実態を示す史料として重要視されています。本史料は「賀茂別雷神社文書」の重要文化財指定史料群の一通として展示されています。

備前の賀茂社か・・行くところが増えたなと。未参拝だ・・。

No.3:鎌倉殿御使下文:元暦二年(1185)四月二十八日

「鎌倉殿御使下文」は、元暦二年(1185年)4月28日付で賀茂別雷神社(上賀茂神社)に宛てられた鎌倉殿(将軍・源頼朝)御使からの下文です。この史料は、鎌倉幕府成立直後の重要文書であり、東国の武家政権が朝廷領・神社領の管理に関与した状況を示す一次史料として重要です。元暦2年は平家滅亡直後の時期に当たり、幕府と朝廷・神社との関係が再構築されていく過程がうかがえます。

丹波国・私市庄にむけての下分だそうです。現在の綾部市とのこと。どこだろうか・・・。

No.4:源頼朝袖判下文:元暦二年(1185) 六月六日/No.5:源頼朝袖判下文:文治二年(1186)九月五日/No.6:源頼朝下文写:寿永三年(1184) 四月二十四日

  • 📜 No.4:源頼朝袖判下文(元暦二年/1185年6月6日)
    この文書は、元暦二年(1185年)6月6日付の源頼朝袖判下文です。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が発給した袖判下文の形式での公文書で、幕府の政務が公的に伝達される際に、文書の「袖」(余白部分)に花押を付した特徴を持ちます。「袿判」は幕府の意思と権威を示す書式の一つで、武家政権と神社領・社務との関係を示す一次史料として重要です。展示史料は修理・保存を受けた原本で、当時の政務文書としての実例を観覧できます。

  • 📜 No.5:源頼朝袖判下文(文治二年/1186年9月5日)
    こちらは、文治二年(1186年)9月5日付の源頼朝袖判下文で、前年の形式と同じく鎌倉殿の袖判下文です。文治期の幕府が、神社領の管理や地頭補任・社役に関する指示を行ったことが反映され、武家政権の統治実務と神社側の対応関係を理解する史料として貴重です。同一人物による連続例の史料比較にも適しており、政治・経済史的な考察素材となります。

  • 📜 No.6:源頼朝下文写(寿永三年/1184年4月24日)
    文書番号6は、寿永三年(1184年)4月24日付の「源頼朝下文」の写しです。原本は当時作成された公文書であるのに対し、本史料は写本(後世の写し)として残されたもので、当時の政令・指示内容を知る手がかりを補う資料です。写しの存在は原本消失・損傷に対する史料継承の姿を示し、重要文化財文書群全体の活用・研究に寄与します。

No.7:後白河院庁牒:元暦二年(1185) 四月二十九日

「後白河院庁牒(こうしらかわいんちょうちょう)」は、元暦二年(1185年)4月29日付で発給された後白河法皇の院庁による牒(ちょう=公文書)です。この史料は、朝廷側の最高権力であった後白河法皇(院政期)の指令文書として、当時の社領支配や神社に対する指示・確認事項が記されていると推測されます。院庁牒は、朝廷(上皇)による政治的な命令や勅旨を伝える形式で、武家政権と朝廷との関係性、神社の地位・運営への関与を示す重要な史料です。賀茂別雷神社文書群の中でも、院政期の朝廷文書として位置づけられ、中世日本の政治・宗教史研究に貴重な一次史料となっています。

No.8:源頼朝袖判下文:文治二年(1186)九月五日

この「源頼朝袖判下文」は、文治二年(1186年)9月5日付で賀茂別雷神社(上賀茂神社)に宛てられた文書です。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が発給した袖判下文の形式を持ち、幕府の政務・命令を伝える際の公式文書です。文治期の武家政権が、神社の社領安堵や権益保全の確認などについて直接関与したことを示す一次史料として重要です。この史料は、重要文化財として保存・修理され、展示で公開されています。文治年間の幕府と神社側の関係や、武家政権の統治文書としての書式・運用の実例を知る貴重な史料です。

No.9:賀茂旧記:鎌倉時代後期

「賀茂旧記」は、鎌倉時代後期に神主・社務の立場で賀茂別雷神社(上賀茂神社)に関する出来事・神事・年中行事・政治的事件などを記した年代記・記録書です。史料群の多くは神社内部での出来事や祭礼の詳細、競馬・遷宮といった祭祀・儀礼の実態を含み、建久4年(1193)〜文永11年(1274)までの出来事が記されています。これは当時の神社運営・地域社会・政治との関係を知る一次史料として貴重で、祭礼・制度史・中世社会史を研究する上で重要です。

No.10:乾元二年日記:鎌倉時代後期

「乾元二年日記(けんげんにねんにっき)」は、乾元二年(1303年)に書かれたとされる日記形式の記録で、賀茂別雷神社の神主・社務を担当した人物が、日々の神事・祭礼・参詣・儀礼・公家や上皇の参拝などの出来事を記した一次史料です。鎌倉時代後期の神社運営や祭礼日程、上皇・貴族の来訪といった社会・文化的状況がうかがえる貴重な史料で、「賀茂神主経久記(かもかんぬし つねひさき)」の一部として伝えられています。

No.11:賀茂社嘉元年中行事:鎌倉時代後期

「賀茂社嘉元年中行事」は、鎌倉時代後期の嘉元年間(1303〜1306)頃に成立した、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の年間祭礼・神事の記録です。当時の年中行事の実施内容や順序が具体的に記され、3月3日の草餅神事、5月5日の競馬、7月7日の氷祭、9月9日の菊相撲など神社の季節祭儀や儀礼が一覧できます。こうした行事記録は、平安〜鎌倉期の神社祭礼の実態や信仰・社会生活との関係を知る上で極めて貴重です。また記録は、中世の年中行事制度を示す史料としても重要で、同時代の宮廷・地方祭礼との比較にも資します。展覧会では修理・保存された史料原本が展示されました。

No.12:嘉元三年御遷宮日記:鎌倉時代後期

「嘉元三年御遷宮日記(かげんさんねん ごせんぐうにっき)」は、嘉元三年(1305年頃)に記されたと考えられる神社関係の日記史料で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の式年遷宮(社殿造替)に関する日々の記録を中心に書かれています。この日記には遷宮の具体的な準備・祭礼・祝い事の詳細、神職・氏子の動き、儀礼の進行などが記され、平安〜鎌倉末期の神社運営や社頭のあり方を具体的に示す貴重な一次史料として評価されます。中世の式年遷宮は皇族・貴族の参列や神社社会の結束を反映する行事でもあり、その運営・社会的意味がうかがえます。史料は修理・保存を経て、展覧会で展示されました。

No.13:後光厳天皇論旨:年未詳十一月十九日(十四世紀後半)

「後光厳天皇綸旨(ごこうごんてんのうりんじ)」は、南北朝時代の後光厳天皇の綸旨(公式指示文書)で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)宛に発給された史料です。綸旨とは、天皇の意思・勅旨を行政・社寺に伝達する公式文書で、当時の朝廷権威が直接反映される格式高い史料です。後光厳天皇は南北朝時代の北朝第4代皇で、文化・政治の中枢に関与し、勅撰和歌集の編纂など文化政策でも知られます。綸旨は神社の社領安堵や諸事承認など朝廷からの指示・確認を記すもので、神社史と朝廷政治の結節点として貴重な一次史料です。本史料は修理・保存された原本が展示されています。

No.14:競馬装束新調庄役注文:文明十二年(1480)四月

「競馬装束新調庄役注文(けいばしょうぞくしんちょうしょうやくちゅうもん)」は、文明十二年(1480年)4月付の注文文書で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の賀茂競馬(くらべうま)神事に関する装束・役割(庄役)を新調・指示する公式注文を記したものです。賀茂競馬は古くから神事として伝わる馬競べの祭礼で、神職・氏子の装束や役割分担は儀礼・形式の重要な要素でした。本史料は、室町時代後期の神事運営・年中行事の仕組みを具体的に伝える一次史料として価値が高く、武家政権や地域社会との関係、神社祭礼文化の歴史を理解する上で重要です。史料は修理済みで、展覧会でも公開されています。

参考:賀茂別雷神社境内絵図:室町時代後期

「賀茂別雷神社境内絵図」は、室町時代後期に作成されたとされる上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境内配置図で、社殿・境内建物・参道・川筋などの配置を示した貴重な史料です。室町時代以降の神社境内の空間構成や社殿群の配置、祭礼動線・参詣動向を理解する上で重要で、平安〜鎌倉時代から室町期の変遷を視覚的に知る一次史料として価値があります。こうした絵図は、神社社殿の再興・造替や規模変遷の検討にも利用され、現代の境内整備史や祭礼史を歴史的に検証する上で研究資料として扱われています。実物画像や部分図は博物館・研究論文等で紹介されることがあります。

より深く知りたい方は、京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告の『史跡賀茂別雷神社境内(https://www.kyoto-arc.or.jp/news/chousahoukoku/2020-13.pdf)』をどうぞ。

No.15:室町幕府奉行人連署奉書:享禄二年(1529)十月二十一日

「室町幕府奉行人連署奉書(むろまちばくふ ぶぎょうにん れんしょ ほうしょ)」は、享禄二年(1529年)10月21日付とされる、室町幕府の奉行人(複数の奉行役人)が連名で署名した奉書(公式命令文書)です。奉行人は幕府の行政運営・裁判・命令伝達を担当した職であり、こうした連署奉書は幕府の意思を複数の役人が連署して示す重要な公式史料です。この文書が賀茂別雷神社文書群に含まれる背景として、神社の社領安堵・権益確認・荘園運営に関する幕府側の指示・承認などが関係したと考えられ、中世後期の幕府と神社との関係を示す貴重な一次史料です。

参考:室町幕府奉行人連署奉書

No.16:後奈良天皇女房奉書副状:天文十二年(1543) 十二月二十八日

「後奈良天皇女房奉書副状(ごならてんのう にょうぼうほうしょ ふくじょう)」は、天文十二年(1543年)12月28日付の室町時代後期の公式文書です。本史料は、後奈良天皇の意思を伝えるために女房(女性官)が代筆した奉書の「副状(控え・写し)」と考えられます。女房奉書は、天皇の勅旨・指示を公的に伝える書式として用いられ、仮名や散らし書きの形式を伴うことが多く、朝廷の意向を記した格式ある史料です。こうした史料は、神社や寺社への社領安堵・奉仕・年貢などに関する朝廷側の公式指示や確認事項を記録しており、当時の朝廷と神社・社会制度の関係を理解する貴重な一次史料です。賀茂別雷神社文書群では修理されたうえで展覧会に展示されています

No.17:後奈良天皇女房奉書:天文十二年(1543) 十二月二十八日/No.18:後奈良天皇女房奉書:天文十二年(1543) 十二月二十九日

No.17・No.18の「後奈良天皇女房奉書(ごならてんのう にょうぼうほうしょ)」は、ともに天文十二年(1543年)12月28日と29日付の室町時代後期の朝廷文書です。女房奉書とは、天皇の公式な意思・勅旨を女房(内侍などの女官)が代筆・伝達する形式の奉書で、仮名書きや草書を用いて丁寧に記される宮廷公文書です。これらの史料は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に対する朝廷の指示・安堵・確認事項を示すもので、当時の朝廷と神社・社会との関係を知る貴重な一次史料です。天文年間前後の社会情勢や朝廷権威のあり方を背景として理解するうえでも価値があります。

No.19:織田信長禁制:永禄十一年(1567)九月

「織田信長禁制(きんぜい)」は、永禄十一年(1567年)9月付で、戦国大名・織田信長が発した「禁制」の文書です。禁制とは、寺社・村落などの安寧・権益を保護するために定められた禁止令で、例えば境内での兵士の乱暴、放火、樹木伐採などを禁じ、違反者への処罰を命じる内容が多いものです。信長は永禄年間に勢力を拡大し、美濃攻略・岐阜占領の後、地域支配の安定と神社社領の保護を意図してこうした禁制を出したと考えられています。賀茂別雷神社文書の一通として、神社側が信長政権との関係を調整した史料であり、戦国期の神社権益と大名権力の関わりを示す貴重な一次史料です。

No.20:室町幕府奉行人連署奉書:永禄十一年(1567) 九月二十一日

「室町幕府奉行人連署奉書(むろまちばくふ ぶぎょうにん れんしょ ほうしょ)」は、永禄十一年(1567年)9月21日付の室町幕府の奉行人が複数連名で署名した公式文書です。この種の奉書は、幕府の行政・裁判・政令伝達を担当する奉行人が共同で意思表明・命令伝達を行った公式史料で、幕府側の合議的な統治機構を示します。永禄11年は織田信長が美濃侵攻を経て勢力を拡大した時期で、幕府と地方権力・神社との関係調整が進んだ時期でもあります。本史料は、賀茂別雷神社文書として保存・修理され、幕府の指示や合議事項・神社の社領権益への関与を記した貴重な史料です。

No.21 (リスト表記 2):織田信長朱印状:元亀三年(1572) 四月

「織田信長朱印状(おだのぶながしゅいんじょう)」は、戦国大名・織田信長が元亀三年(1572年)頃に発給した朱印状で、賀茂別雷神社文書の一通として伝わる史料です。この朱印状は、神社側の社領安堵や権益保全、領地支配などを認める公式な許可状・証書で、信長自身の朱印が押されていることから、その政治的権威をうかがわせます。信長は美濃攻略後も勢力を拡大し、各地の領主や寺社との関係調整に朱印状を用いたことが知られ、この史料は戦国期における大名と神社の関係を示す具体例として価値が高いです。文書は修理・保存され、重要文化財文書として出品されています。

  • 参考資料:ぎふ魅力づくり推進部(歴史博物館)『歴史博物館所蔵資料「織田信長公朱印状」の初公開について(20250403-2.pdf)』

  • 参考:織田信長朱印状

No.22:織田信長黑印状:天正三年(1575) 六月九日

「織田信長黑印状(こくいんじょう)」は、天正三年(1575年)6月9日付で発給された、戦国大名・織田信長の黒印を押した公式文書です。黒印状とは、武家政権下で墨の印を用いて押印された文書で、朱印状と対比される形式の一つであり、領地安堵・命令・確認事項などを記した文書として用いられました。黒印は、形式的には朱印状よりやや軽いものとされつつも、戦国大名自身が直接関与した命令や伝達に使われ、織田信長も朱印とともに黒印を文書に用いていたことが知られています。黒印状は、当時の武家文書のあり方を示し、信長の政務・社寺領支配の実例として重要な一次史料です。

黒印状とは(用語解説)
黒印状は、武家・大名などが墨の印を用いて押印した文書で、所領安堵・命令伝達・領地関係事項などを記した史料です。
朱印状に比べて形式的に簡略な場合もありますが、信長の時代には朱黒両印を駆使した公式文書の一形式として用いられていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%8D%B0%E7%8A%B6?utm_source=chatgpt.com

No.23:氏人中置文:天正六年(1578)正月

「氏人中置文(うじびと なかおきぶみ)」は、天正六年(1578年)正月付の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に伝わる氏人関係史料で、神社に奉仕する氏人(氏人家=氏族・社務に関わる有力者たち)の内部規範・集団運営の取り決めを記した文書です。氏人たちは神社祭礼・社務・共同生活を組織するため、中置文(内部規約・取り決め文)を作成し、署名・花押で承認しました。これにより、氏人集団の結束・役割分担・責務や規律が定められ、地域社会と神社祭礼運営の実態を示す一次史料として価値があります(氏人置文史料集でも類例がまとめられています)。本史料は、修理・保存のうえ重要文化財文書として展示されました。

No.24:貴布祢里百姓中起請文:慶長六年(1601) 十月二十三日

「貴布祢里百姓中起請文(きふねりひゃくしょうちゅうきしょうもん)」は、慶長六年(1601年)10月23日付の史料で、賀茂別雷神社の摂社・貴布祢社(きふねしゃ/貴布祢里)に関わる百姓(里の農民たち)による起請文です。起請文とは、神仏や天地・関係者の名を挙げて誓約する文書で、内容としては共同の責務・誓約事項、村・氏子集団の規律や共同管理の確約、違反時の神罰誓約などが記されます。ここでは貴布祢里の百姓たちが神社への奉仕・管理・農作地の取り決め・年貢執行・協力体制などを誓ったもので、江戸時代初期の地域社会・神社周辺集団の社会関係を示す貴重な一次史料です。賀茂別雷神社文書の重要文化財史料として修理・保存のうえ展示されています。

No.25:羽柴秀吉禁制:天正十三年(1585) 三月十日/No.26:豊臣秀吉朱印状:天正十七年(1589) 十二月一日

  • No.25:羽柴秀吉禁制(天正十三年/1585年3月10日)
    「羽柴秀吉禁制」は、天正十三年(1585年)3月10日付で賀茂別雷神社に宛てられた禁制(禁止令)文書で、神社境内の竹木伐採など境内資源の乱採を禁じる規定が記されています。この種の禁制は、戦国大名が自勢力下の地域で乱暴狼藉や放火、樹木伐採などの「狼藉行為」を禁止する命令として発給され、対象の安寧と権益保護を意図していました。羽柴(豊臣)秀吉は織田政権下で勢力を拡大していた時期で、こうした禁制は地域統治・社寺保護の統治手段として用いられました。本史料は、神社の権益と戦国大名権力の関係を示す重要史料として大切に保存・展示されています。

  • No.26:豊臣秀吉朱印状(天正十七年/1589年12月1日)
    「豊臣秀吉朱印状」は、天正十七年(1589年)12月1日付で神社に宛てられた朱印状(官符・許可状)です。朱印状は大名本人の朱印(赤印)を押した公式文書で、特定の権益の安堵・確認・命令伝達などを記したものです。天正17年は秀吉が全国的に権力を確立した時期で、神社側が社領・権益の確認や負担軽減を求める際に得た重要な史料として評価されます。こうした朱印状は、戦国大名と寺社・神社の関係を示す実例史料であり、社領保護・祭祀維持に関わる指示・承認が記されていることが多いです。

No.27:江戸幕府評定所裁許状:寛文四年(1664) 六月二十二日

「江戸幕府評定所裁許状(えどばくふひょうじょうしょさいきょじょう)」は、寛文四年(1664年)6月22日付で発給された評定所(幕府の最高裁・合議機関)による裁許状です。評定所は、老中・若年寄など幕府の主要役職者が合議する場で、訴訟・領地紛争・寺社・農民間の争いなどの裁決を行いました。この裁許状は、賀茂別雷神社側(社司・氏人等)と氏子・社職・地元住民との訴訟・紛争についての裁許(裁定)を示す公式文書で、幕府による裁判決定が記されています。江戸時代初期の幕府司法制度と、神社・地域社会の関係がうかがえる貴重な一次史料であり、重要文化財文書群として保存・展示されています。寛文期の評定所裁許状は、幕藩体制下の法的紛争処理の仕組みを理解する上でも重要です。

No.28:板倉勝重書状:年未詳四月十日(十七世紀初期)

「板倉勝重書状(いたくらかつしげしょじょう)」は、江戸時代初期の旗本・大名で、幕府の要職であった京都所司代・板倉勝重(1545〜1624)が発給した書状(公式文書)です。勝重は徳川幕府の京都所司代として朝廷との窓口役を担い、幕府の政務・連絡・指示伝達などの書簡を多く残しました。本史料は上賀茂神社(賀茂別雷神社)文書群に含まれ、神社側の役者中(氏子・社職)に対する指示・連絡・承認等を記した実務文書の一例です。江戸初期の武家政権と神社・地域社会との関わりを知る貴重な一次史料であり、修理保存のうえ展示されています。勝重の書状は、折紙形式のものも含め古文書として各地の資料館に残っています。

No.29:評定衆中虫払起請文:延宝四年(1676) 六月二十二日/No.30:延宝五年社中日並記:江戸時代(延宝六年(1678)以降)

No.29「評定衆中虫払起請文」(延宝四年・1676年6月22日)は、賀茂別雷神社の社中(神職・関係者)が集団で誓約した起請文で、虫払(害虫・災厄除去)に関わる祭祀や社務を正しく執行すること、相互に不正を行わないことを神前に誓った文書である。違反時には神罰を受ける旨が記され、社中の規律と信仰を背景とした自治的運営がうかがえる。一方、No.30「延宝五年社中日並記」は、延宝五年(1677)を起点に、延宝六年(1678)以降も継続して記された社中の業務日誌で、祭礼、会合、社務の進行などを日付順に記録したものと考えられる。両史料は、江戸時代中期における神社内部の意思決定や日常運営の実態を具体的に示す点で重要である。

No.31:賀茂注進雑記:天和二年(1682)

賀茂社に関わる出来事や社務上の問題点を、上位権力や関係機関へ報告(注進)するためにまとめられた記録である。祭礼の実施状況、社領・神事をめぐる紛争、社中内部の動きなどが雑記的に記され、公式文書には残りにくい実務レベルの判断や現場の認識がうかがえる点に特色がある。天和期は幕府による宗教統制が安定期に入った時代であり、本史料からは、賀茂社が幕府秩序の中で自らの権益や伝統を維持しようとする姿勢、また社務運営の実態と課題が具体的に読み取れる。

No.32:御用川筋内川絵図:文化五年(1808) 三月二十五日

幕府または領主の管理下に置かれた「御用川」およびその支流・内川の流路や周辺環境を詳細に描いた絵図である。治水・灌漑・年貢輸送など実務目的で作成されたと考えられ、川幅、堤、防御施設、周辺の村落や田畑の位置関係が視覚的に示されている点に特色がある。文化期は水害対策と土地利用の把握が重視された時代であり、本史料は近世後期における河川行政の実態、地域社会と水利の関係、そして自然環境を統制しようとする近世国家の姿勢を知るうえで重要な基礎資料である。

No.33:賀茂別雷神社文書目録:平成十五年(2003)

賀茂別雷神社に伝来する古文書群を体系的に整理・分類した近代の目録資料である。中世以来の奉書、禁制、起請文、日記、絵図など多岐にわたる史料を年代・内容別に把握できる構成となっており、研究・保存・公開の基盤を成す。長期に及ぶ神社の歴史と社会的役割を総合的に理解するための現代的な「史料の地図」といえる存在である。

No.34:旧巻子装 第十五卷:江戸時代

賀茂別雷神社に伝来した文書群を巻子(巻物)形式で保存した旧来の装丁資料の一つである。江戸時代における社務・儀礼・所領管理・訴訟関係など、実務に直結する記録が時系列または主題別に収められた可能性が高い。冊子本化以前の管理形態を示す点で、史料保存史・編纂意識を知る手がかりとなり、近世における神社文書運用の実態を伝える重要資料である。

No.35:手鑑:江戸時代

No.35「手鑑(てかがみ)」(江戸時代)は、古文書や書状の筆跡部分を切り取り貼り集めた見本帳で、人物ごとの書風や真偽判定の基準として用いられた資料である。賀茂別雷神社に関わる歴代の公家・武家・神職らの筆跡が収録されていた可能性があり、文書鑑定や権威の裏付けに重要な役割を果たした。書の文化史だけでなく、近世社会における文書の信用制度を理解する上でも貴重な史料である。

No.36 (リスト表記 350 36):新調表紙裂見本帳:現代/No.37 (リスト表記 35 37):古文書修理の道具:現代

▼旅行記

11月京都の紅葉と特別公開「京都古文化保存協会/アフロ仏見仏」の旅◆上京⑩伏見山科⑪中京⑭下京⑥丹波⑪丹後⑲

▼関連するNOTE

初詣

葵祭

お祭り:葵祭

お祭り:御手洗祭

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私のNOTEです。若狭の神社仏閣巡りですね。



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