次の加茂社は下鴨で「阿志都彌神社」は上賀茂なのか?【滋賀湖西シリーズ/大津シリーズ】
古代から安曇川河口は交通・流通・漁撈の拠点として栄え、神社領(御厨)に関する史料も残る。なかでも北船木には京都・上賀茂神社(私のNOTE)の御厨が置かれ、漁場として発展したことが知られている。この地域には鴨稲荷山古墳をはじめ三尾氏ゆかりの古墳群も分布し、古代高島を代表する重要な歴史地域となっている。
変更履歴
2026/07/23:初版
▼HP▼アクセス▼祭神
アクセス:〒520-1231 滋賀県高島市安曇川町川島615−1
祭神:
木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
▼見どころ
→由緒
創祀年代不詳(古代):
創建の年代は明らかではないものの、古くから安曇川流域に鎮座し、この地の開拓・水運と深く関わってきた古社と伝えられます。
古名を「加茂大明神」と称し、これは当地が京都・賀茂社の御厨(みくりや:神領地)であったことに由来します。
そのため、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の御祭神を勧請したともいわれ、古代より賀茂信仰の流れをくむ神社と考えられます。
主祭神は「島津彦命(しまづひこのみこと)」で、安曇族の祖神の一柱ともされ、水運・航海・農耕守護の神として崇められています。
平安時代(10世紀頃):
『延喜式神名帳』(延長5年〈927〉完成)に「阿志都彌神社」として記載され、式内社の一座に比定される古社であることが知られています。
現在の高島市今津町弘川にある阿志都彌神社および行過天満宮(桜花大明神)とともに、式内社「阿志都彌神社」の論社の一つとされています。
1493年(明応2年):
当時の船木城主・佐々木能登守によって社殿が再建されました。
戦国期の混乱の中でも社勢を維持し、地域の鎮守として崇敬を集めました。
1662年(寛文2年):
江戸初期に本殿と拝殿を再建。
この頃には大溝藩主松平氏をはじめ、近隣の領主・有力者からの崇敬が厚く、幣帛料の奉納や社参が毎年行われていました。
江戸時代後期:
地元の川島・青柳など周辺村の氏神として、農耕・水利の守護神として信仰が広まりました。
社殿や境内整備も進められ、祭礼や神事が地域生活の中心的な役割を果たしました。
1876年(明治9年):
近代社格制度のもとで村社に列格。
明治期には神仏分離の影響を受けつつも、地域の信仰拠点として存続しました。
近代以降~現在:
式内社「阿志都彌神社」の論社の一つとして学術的にも注目され、古代高島の歴史を伝える重要な神社とされています。
毎年9月の彼岸には、五穀豊穣を祈る「ろうきり神事」が今も継承されており、氏子や地域住民の手によって古式の祭礼が守り伝えられています。
周辺には西音寺などの古刹もあり、古代より続く安曇川流域の信仰圏の中心をなしています。
→境内へ
鳥居の左に駐車場があるが、神社のものか月極駐車場か分からないので邪魔にならないスペースに車を置く。






→拝殿・本殿
拝殿ですね。

本殿周りは囲まれており、囲まれた中に摂社・末社がギュッと纏められている。かつての同地にあった行過天満宮を合祀しており、その配祀神として菅原道真も祀られています。

下の写真は本殿左前です。って横は柵がないなと気づく・・。八幡神社です。


本殿は覆屋で囲まれ、神額には「賀茂大明神」とある。


本殿右前の摂社・末社。


御神門の扉には「二葉葵」の紋になっている。

明細書によると、創祀年代不詳であるが旧加茂大明神と称す、明応2年船木城主佐々木能登守社殿を再建す。寛文2年本殿、拝殿を再建す、とある。明治9年村社に列格。尚式内阿志都弥神社については現在論社とされる。
→御牢開神事 -ロウキリ神事-
ロウキリ神事
「御牢開神事(みろうびらきしんじ)」またの名を「牢切り神事(ロウキリ神事)」と呼ばれる神事。
拝殿中央に青竹(一辺11本~13本の四辺)を縄で結び 床から天井まで完全に囲う竹を縄で結んで牢というか鳥籠のような囲いを拝殿に設える。
神主の祝詞奏上の後 巫女が竹篭の中に入り、鈴と扇を手に、牢の中で舞い、四方を切る動作をする。舞は一分程で終わる。
牢の中の三宝には、左三宝にお神酒と洗米・塩、右三宝に拳2個大の石、そして小刀。石の意味は不詳。
→祭神:島津彦命(しまつひこのみこと)??
NOTEを書いていると珍しい神様とする情報があった。阿志都彌神社の“祭神がどのように変化してきたかを、時代順に整理してみた。
古代(創祀段階)
祭神:島津彦命(しまつひこのみこと)[地主神・土着神]説
記紀に載らない“地元の開発神・土地神”。
湖岸の湿地を開いた祖神、または地名「志真津(しまつ)」の神格化と考えられる。
高島では固有の土着神を祀る例が多く、その一柱。
最初期は「島津彦命」を中心とする阿志都弥(あしずみ)系の在地信仰。
奈良〜平安初期
祭神:阿志都志尼神・阿志都弥神(大地生成の神)+ 島津彦命
国土生成神(『日本書紀・一書』系統の神)を地主神に重ねる再解釈が起きる。
“大地の神”と“土地造成の祖神”が同一視されはじめる。
これにより 阿志都弥(あしずみ)という社名の由来が神名と結びつく。
大地神(アシツシニ・アシツミ)との習合が進む段階。
平安中期(10世紀)
祭神に:木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を勧請
桜の巨木を御神木とした信仰が強まり、
“桜=木花開耶姫命” という全国的傾向が高島でも受容。地元伝承では、
「桜花大明神」=木花開耶姫命
として祀られたとされる。地主神(島津彦命)+ 大地神(阿志都弥神)に、新たに木花開耶姫が重なる。
平安後期〜鎌倉
行過天満宮の成立:菅原道真を合祀(998年)
長徳4年(998)、菅原道真の霊を勧請し「行過天満宮」が創建。
これは別社だが、後に阿志都彌神社と一体化していく。
“天神信仰”が高島地域の阿志都弥系信仰に重なる段階。
室町〜江戸
阿志都彌神社・行過天満宮 → 両社が並列する体制
「阿志都弥神社(木花開耶姫)」
「行過天満宮(菅原道真)」として、境内で二社が併存。
島津彦命については“古伝による地主神”として残るが、前面には出なくなる。
祭神構成が複層化し、地主神は背景化する。
明治(神仏分離以後)〜現代
主祭神:木花開耶姫命
配祀神:菅原道真
(島津彦命は社記に残る異説・古伝扱い)明治の神社整理で「主祭神は一柱」が原則となり、もっとも通りのよい「木花開耶姫命」を中心に据えたと考えられる。
行過天満宮と阿志都彌神社は事実上一体化し、菅原道真を配祀として扱う。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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