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タイに一匹のカモネギ(日本産)が上陸した話

最近は少し堅苦しい内容も多かったので、今日は以前ちょろっと触れたタイの一人旅の思い出を綴ってみます。

ちなみにタイの一人旅について触れていたのはコチラ⬇️


Why did you decide to go to Thailand?

タイにした理由は実にシンプル。

(当時の)タイがコスパ・タイパ的に満足できる国と思ったからです。

当時、私は一人旅にハマっていて、国内は四国・九州を除いた全地方を巡り終えていました。

そして(次はそろそろ海外か?)と考えていた時に、タイが目に入った。
ただそれだけでした。

英語は仕事で日常的に仕様書読んでいたので、読むのは何とかなる。
会話はできないけど、単語を連呼しながらジェスチャーすれば何とかなる。

そう思い、29歳の私は『地球の歩き方』をカバンに詰めて意気揚々とタイに向かうことにしました。

持つべきものは『地球の歩き方』

初めての外国一人旅の洗礼はすぐやってきました。
当時のタイは英語がほぼない世界だったんですよね。

時代はちょうどサッカーWカップ日韓合同開催から数年経過した頃でした。
日本もランドマップ、駅の構内、方向指示看板、至る所に英語が併記されていて、外国人に優しい街づくりが加速していた時代です。

私自身も東京のど真ん中でバリバリ仕事していた頃で、そういう街並みが普通だと思い込んでいたんですよね。

が、当時のタイはそうじゃなかった。

駅名ですらタイ語と知らない言語でしか駅名が書かれていなかったのです。
当然、街中の看板は言わずもがな。

あの頃はスマホが出てくる前の時代でしたから、私の味方は『地球の歩き方』だけでした。

(『地球の歩き方』買っておいてよかった!私偉い!!)と自画自賛しながらホテルに到着し、初めてのタイの夜は幸せに眠りにつきました。

あっけなく目論見が外れた

次の日は食事も早々に切り上げ、涅槃像で有名なワット・ポーに行こうと相棒を片手に意気揚々と観光に向かいました。

そして地下鉄の駅に着いたとき、昨夜の記憶が戻り(英語がなかったんだった!)と改めて愕然としました。

昨夜は空港=始発だったので、どれに乗っても進行方向が一緒だったんですよね。

ですが普通の駅なら進行方向が2方向存在します。
どちらに向かえばいいのか、言葉が読めなければ分かりません。

要は、ワット・ポーに向かうのにどっちに乗ればいいのか分からない。

最初の目論見である「英語が読めれば何とかなる」は、ホテルを出て数分で早くも崩れてしまったのです。

途方に暮れつつ、私は一旦地上に戻ってみることにしました。

「日本人でよかった」が運の尽き

地上に戻った後、相棒の『地球の歩き方』と作戦会議をすること約30分。

「アナタ、ニホンジンネ?道、迷ッテル?」

そう優しく声をかけてくる女性が現れました。
訝しげな表情を見せる私に、彼女は畳みかけてきました。

「ニホンジン、洪水、助ケテクレタ。ワタシ、オ礼シタイネ。ドコ、イキタイ?」

タイに到着して1日弱でしたが、目論見が早々に崩れてしまったことで心はかなり弱気になっていました。
だから、この女性の優しさが私の心に染み渡ったんですよね。

私は彼女に

  • ワット・ポーに行きたい

  • 電車での行き方がわからない

  • タクシーは言葉に自信がないから乗れない

と、素直に状況と要望を伝えました。

すると彼女は、タクシーを呼び止めて
「ニホン、地震ノトキ、オカネクレタ。ガイドスル。恩ガエシ。」
と優しく微笑んでくれたのです。

旅行した時期はスマトラ島沖地震から数年後で、日本が被災国に支援金を送っていた頃でした。

ですが冷静になれば、「片言しか話せない外国人がなんで“恩返し”なんて言葉知ってるんだ?」と警戒して然るべき事態。

当時の私はそれに気づきもせず、日本に生まれたことにただ感謝して、彼女の言葉を信じました。

今思い出しても、素直すぎて我ながら涙が出そうです。

ワット・ポーが休み…だと?

その後、私達は彼女が呼び止めたタクシーに乗ってワット・ポーへ。

到着したものの、観光客の気配はありません。受付はどこかと探してみたものの、パッと見では見つかりませんでした。

「キョウ、休ミネ。ザンネン。」

休みなら仕方ないと次に巡るところを考え始めたその時、丁度よく私のお腹が鳴りました。

「ゴハン、イク?」

私は二つ返事で、またタクシーに乗って彼女の言われるままにレストランに向かいました。

席について言われるままに食事を注文して待つ間、なぜか次から次へと現地の方が入ってきて、私たちのテーブルに座り出したんです。

気持ち悪さを感じたけれど、彼女は後からやってきた人とタイ語で楽しそうに話していて私のことはそっちのけ。

何も言えないまま、気がつけば私たちのテーブルは10人近くの大所帯に膨れ上がっていて、運ばれてくる食事も明らかに頼んでいないものまでやってくる始末。

さすがの私もおかしいと思い、彼女にこの人たちは誰か問いただしたところ
「ワタシノファミリー。」
と、あっけらかんとした表情で答えが返ってきたのでした。

救世主、現る。

あっけに取られた私を尻目に、ジュースしか頼んでいなかったはずのテーブルにはお酒がどんどん運ばれてきました。

こうなると、さすがの私も食事どころじゃありません。

青ざめながら冷静になろうとトイレに立った時、お店のマスターが
「アナタ、騙サレテル。」
と一言声をかけてくれたのです。

そして「1万円デイイヨ。ココカラ逃ゲル。」と裏口を指差しました。

この時の私の気持ちは「1万で済むなら安い!」。
もう1分1秒でも早くここから逃げたかったんですよね。

マスターに現在地からホテルまでのルートを聞いたのち、急いで財布から1万円を取り出してマスターに渡し、裏口から一目散に逃げ出しました。

ありがとう、マスター!!

もう何も信じられない。

…ですが、後から思い返すと思うんですよ。
マスターもグルだったんじゃない?と。

2000年代は1バーツ=約3円。
屋台の食事が約20〜30バーツで日本円なら100円以下の時代です。
1万円って安いアパートなら1ヶ月住めるくらいの金額だったんですよね。

あのファミリーの食事だって、一晩飲み食いされて私が全部払ったとしても3000円程度だったでしょう。

そういえば、大学受験の帰りに、浅草駅で
「阪神大震災の被災地のほうからやってきました、寄付お願いします!」
と聞いて、虎の子の5000円を寄付したことがありました。

今なら(“のほう”ってどこだよ!?)となるんですけどね。

(素直な無知は罪だよなぁ…)と思うのと同時に、(テイカーって世の中ウジャウジャいるんだなぁ…)と身をもって知ったんですよね。

長くなってきたので、続きは⬇️



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