多摩ニュータウン:サンリオピューロランドと“昭和と未来”が混ざり合う街
📌 計画都市の面白さ
多摩ニュータウンは1960年代から計画的に開発された、日本最大級のニュータウン。
多摩センターを中心に、多摩市・八王子市・町田市・稲城市にまたがり、団地、商業施設、オフィス、学校、公園、交通網すべてがセットで作られた珍しいエリア。
三菱UFJ銀行やKDDIなど、グローバルな企業のデータセンターや研修所、ミュージアムも立地しています。
多くの企業が多摩ニュータウンを選択した理由は、地盤が強固なことと、自然豊かで交通利便性が良いことです。
特に、地盤が強固なことは、地震大国の日本の中で、企業が立地先を検討するときの重要な要素。 多摩ニュータウンは、東京都の災害評価マップでも最も安全性が高いエリアです。
オールドタウンと呼ばれることがあったり、「ニュータウン=古びた郊外の団地」なんてイメージを持ってる人も多いはず。
「ニュータウン」と聞くと、昭和の団地群をイメージする人も多いかもしれません。昔と今がゆるやかに混ざり合う不思議な街です。
実は今、多摩ニュータウンは、緑の中にレトロな団地が並び、そこにモノレールが走る。 レトロと街の活性化、自然と都市が絶妙に混ざり合う不思議な街になっていて、散策するとめちゃくちゃ面白いんです。
📍 多摩中央公園とピューロランド
まず訪れたのは多摩センター駅からすぐの多摩中央公園。池のほとりから見るサンリオピューロランドの建物が、まるで絵本の世界のよう。春は池の周りに桜が咲き、ベンチに座ってのんびり過ごすのもおすすめです。
すぐ隣の多摩センター駅前には、サンリオキャラクターのオブジェが並び、ここも写真映えポイント。ちょっとしたお土産やカフェもあるので、街歩きのスタート地点にぴったり。
サンリオピューロランドは相変わらず全国からファンが訪れる聖地で、駅前のサンリオキャラクターのオブジェもフォトスポット。
さらに最近は、カフェや個人経営の雑貨屋もぽつぽつ増え、新しい街並みと古いビル群の対比が面白い。
サンリオは、「山梨」の文字を分解したネーミングのようです。
株式会社山梨シルクセンター(やまなしシルクセンター)として山梨県庁の職員だった辻信太郎が設立。

📌 緑道と公園のネットワーク
多摩ニュータウンのすごいところは、緑道と公園が街中に張り巡らされていること。
車の通りとは別に、歩行者専用の道(緑道)が団地と団地、公園と駅を結んでいます。
春は乞田川の桜並木、初夏の新緑の多摩中央公園、秋の大栗川遊歩道の紅葉が本当に気持ちよく、子どもも高齢者も安心して歩ける街として設計されています。
川崎市との県境には、万葉集に出てくる「多摩よこやまの道」(緑道)が整備されていて、自然の中を散策できます。
📌 団地の昭和レトロとリノベカルチャー
築50年以上の団地も多いですが、逆に団地ブーム再燃の今、レトロ好きやクリエイターの注目スポットにも。
プレイロット(遊び場)や中庭文化、エレベーターのない5階建ての団地、ちょっと懐かしい商店街など、歩いてるだけで昭和の空気を感じられます。
永山団地や貝取団地は特に雰囲気がよく、リノベ済みのおしゃれ部屋に住む若者も増えてきました。
📌 多摩モノレールと空の広がり
多摩モノレールが南北に貫く光景は、ニュータウンならではの未来感ある風景。
開けた空と、どこまでも続く緑、そして高架のモノレールが交差する景色は、都市だけど息が詰まらない不思議な開放感があります。
多摩センターから多摩モノレールに乗れば、開けた空と緑が広がるニュータウンの街並みを一望。
車窓から眺める景色は、昭和の団地群と現代のビル、新緑の公園が交差する風景。どの駅も個性があるので、途中下車しながらのんびり巡るのも楽しいです。
📌 映画・ドラマのロケ地スポット
多摩ニュータウンは撮影地としても有名。
特に『耳をすませば』のモデルになった街並みや、平成・令和のドラマの団地シーンによく使われています。
知ってる人が歩けば「ここ、あのドラマで見た!」なんてスポットがたくさん。
「多摩ニュータウン=古い街」というイメージを、現地を歩いて変えてほしい。 団地カルチャーも、自然と都市のバランスも、昭和と令和の入り混じる空気感も、歩けばきっと楽しい発見があるはず。
カメラ片手に、ぜひ自分だけの多摩ニュータウンを探しに行ってみてください。
ここから、どのように街が計画されたのか、都市計画の専門的な記事になりますが、図や写真のスライドを使って説明します。
実は、英国の影響を受けてマスターブランはできました。

・東京都多摩市・稲城市・八王子市・町田市の各一部にまたがり、 東京都心から、西南西方向25~40kmの間に位置しています。
・南北約2~5km、東西約15kmにおよび、開発区域面積は約3,000ha。 これは、山手線の内側の約半分に相当します。

・多摩丘陵の山林部等は、大規模な住宅中心の市街地整備を実施するのに適した、新住宅市街地開発法に基づく新住宅市街地開発事業(S38年制定、収用権のある用地全面買収による事業 )
・農家など約2千戸の既存集落があった谷戸部は、地権者の土地活用にも配慮して、土地の権利調整などを円滑に行える 土地区画整理事業を組み合わせて実施しました。
谷戸部区域は、主要鉄道・道路の計画があり、新住事業区域と一体的に早 期に整備する必要があり、土地区画整理事業によりその整備に取り組みました。
・S30年代後半、日本住宅公団も多摩市域で市や地元住民からの要望を受け事業の検討をしていたこともあり、施行区分は、多摩市域の南部・稲城市域・八王子市の南東部を公団が、多摩市域の北部及び八王子市域の北西部を東京都が新住宅市街地開発事業を実施することになりました。
新住宅市街地開発での整備住区は全部で21住区 設定されました。

・施行面積は、新住宅市街地開発事業区域2,217ha、土地区画整理事業区域636haの計 2,853ha。
・新住宅市街地開発事業の施行者は、東京都・公団(現UR都市機構)・東京都住宅供給公社の 3者で分担し、土地区画整理事業は、東京都・公団(現UR都市機構)・組合が施行者として実施しました。
・新住宅市街地開発事業が承認されたのは、昭和41年12月で、UR都市機構が施行した区域で の施行期間は、昭和41年12月5日から平成18年3月31日の約40年間。事業は平成18年3月に完 了。東京都が施行した区域は、平成16年3月に事業は完了しました。
・計画人口は、新住宅市街地開発事業約28万人(都市計画人口)、土地区画整理事業 約6 万人(居住計画人口)の計約34万人となっています。
・施行面積、計画人口ともに、多摩ニュータウンは日本最大級の大規模ニュータウンとなってい ます。

・鉄道は、河川(乞田川、大田川)沿いの谷戸部に通し、都心方向への大量輸送を確保。
鉄道駅は 約2km間隔に配置。
・道路は、大栗川、乞田川沿いの谷戸部、新住区域南側の尾根沿いに配置した東西方向の3つ の広域幹線道路を骨格として、それらを南北につなぐ住区幹線道路を主に谷戸部に配置。
・そして谷戸の幹線道路に囲まれる丘陵部を一つの住区と設定し、市街地整備を進めました。
・新住宅市街地開発事業区域内は計21の住区で構成し、近隣住区理論に基づき市街地整備を行い、各住区に小中学校、幼稚園、保育所、近隣センター等での日常生活に必要な施設を徒 歩圏に配置し、集合・戸建て住宅地の供給を行いました。
・商業業務施設等のセンター機能は、多摩センター・永山・若葉台・堀之内・南大沢の駅前に配 置。
・ニュータウン整備では、公園・緑地・歩行者専用道路を計画的に整備し、歩者分離・歩者融合 による安全なまちづくりを進めました。
ニュータウン区域南端の多摩市域尾根部には、尾根のスカイラインを残すことを考え、地区公園や緑地、低容積の誘致施設を配置しました。

変化を航空写真で見てみると、
・上が、昭和40年(1965年)、新住宅市街地開発事業の事業承認がされた頃の状況です。
南北の谷戸筋や区域北側の谷戸筋に沿って、道路と既存集落がいくらかあること が分かりますが、丘陵部は山林として残っておりまだ開発されていない状況が確認できます。
・下が令和元年(2019年)の状況です。丘陵部の山林は開発され、集合住宅 や戸建住宅・公園などが確認できるのに加え、多摩センター地区をはじめ、永山・若葉台・堀之 内・南大沢などの地区センターの駅前開発など、全体的に市街地整備された様子が確認できます。

・都市開発の特徴は、第一に、先程ご説明したとおり、新住宅市街地開発事業と土地区画整理事業を組み合 わせた、日本最大級の大規模ニュータウンであること。が挙げられます。
・第2に、都市開発と鉄道整備を一体的に行い、京王相模原線、小田急多摩線、多摩都市モ ノレールの3路線を整備したこと。
・第3に、自然地形を活かした都市構造とし、幹線道路で囲まれた尾根単位で住区を構成してい ること。
・第4に、時代変化にも合わせた、近隣住区論に基づく住区整備を行ったこと。
・そして第5として、時代のニーズの変化とともに、業務核都市の一角を担う多摩センター地区を整備・形成したこと。
が挙げられます。

・次に、多種・多様・大量の住宅供給を行ったこと。
・商業・業務・公益施設等、各種誘致を誘致したこと。
・多機能複合都市の街づくりを行ったこと。
・そして、街づくり計画・基盤整備工事においての各種創意工夫に取り組んだこと。

・多摩ニュータウンはその開発規模から、大量輸送機関である鉄道の導入が不可欠であったこと から、開発にあわせ、都心方面への鉄道交通網を確保するため、京王相模原線(京王多摩川~ 橋本間)、小田急多摩線(新百合ヶ丘~唐木田間)の2路線が整備されました。
また、この2路線により結果17駅の新駅が作られました。
・鉄道事業者は、開発に合わせ工事認可を受けていましたが、用地買収等の問題から鉄道事業 が思うように進まず、昭和46年3月の第一次入居には間に合いませんでした。
このため、鉄道事業を円滑に進めるため、昭和47年5月に関係省庁間で協議が行われて、鉄道建設は鉄建公団事業となり、その後、新住宅開発事業施行者と鉄道建設公団・鉄道事業者との間で費用負担などにつ いて協定が締結され、ニュータウン事業は、鉄道敷用地を低額譲渡、工事費一部を負担することとなりました。
・これらを受け、京王相模原線は昭和49年に、小田急多摩線は昭和50年に、多摩センター駅迄 の延伸を行い、平成2年には、京王線は橋本駅まで、小田急線は唐木田駅まで開通しました。
また、平成12年には、多摩都市モノレール(上北台~多摩センター間16km)が開通しました。
・多摩センター駅は、今は南多摩地域の交通結節点、交通の要所として機能しています。

多摩ニュータウンの特徴的な都市の骨格と住区区分について説明します。
・東西方向に中央部を横断する鉄道2路線(京王相模原線・小田急多摩線 )を開発と合わせて一体整備(駅は8駅)し、都心方面への大量輸送を担う交通網を確保してい ます。
・幹線道路をラダー(はしご型)パターンで計画し、道路に囲まれた尾根単位で住区を構成して います。
・道路は、広域幹線道路・地区幹線道路・住区内道路・区画道路と段階的に 整備する計画としています。
東西方向に中央部、南部、北部を横断する広域幹線道路(多摩ニ ュータウン通り・尾根幹線道路・野猿街道)、南北方向に結ぶ地区幹線道路を配置。
・商業施設等のセンター機能は、ニュータウン全域のセンター地区「都市センター」を多摩センタ ー地区として配置し、都市センターより規模の小さい「地区センター」を永山・若葉台・堀之内・南 大沢の各駅前に配置しています。
・また、公園・緑地も計画的に配置し、整備をしました。

「近隣住区論」の考え方に基づき、一つの住区を日常生活の単位とし て整備しました。NTは全体で21住区の近隣住区により構成しています。
また住区単位で、その 整備時期に応じた社会的要請(ニーズ)に対応する新たな取り組みを実践していきました。
一つ の住区は徒歩圏で基本的な生活を営むことができるよう一中学校区を基本とし、住区内に小中 学校、幼稚園、保育所等、近隣センターを配置しました。
また、これらの施設を団地内通路や歩 行者専用道路で結び、歩車分離に取り組み、安全な歩行者ネットワーク空間を形成。
なお、住区内道路は通過交通を排除する計画としています。
5・6住区の諏訪・永山地区から整備をはじめ、昭和46年に街びらき第 1期入居を行い、次いで隣接する7・8住区の貝取・豊ヶ丘地区の整備に着手し、昭和51年に街 びらきし入居を開始しました。
次に、昭和57年に10・11住区の落合・鶴牧地区で街びらきし入居 が開始され、昭和59年には、戸建住宅を主体とする4住区聖ヶ丘で入居が開始されました。
その後、雨水処理のため三沢川分水路整備をやり終えた稲城市域の整備が進み、S63年に1住区の 向陽台地区で入居開始となり、その後、平成7年に稲城市域の2住区の長峰地区で、そして最後 の駅前開発となる、3住区の若葉台地区で平成11年に街びらきし入居が開始。
八王子市域では、機構施行住区としては、平成2年に12・13地区の堀之内・別所地区で入居が開始されました。
・なお、19住区は、多摩ニュータウンにおいて整備が残る最後の住区となりましたが、新宅市街地開発事業の事業期間も鑑み、事業主体が、大ロットの土地を民間事業者に譲渡し、譲り受けた民間事業者が都市計画法第29条の開発行為により整備を行う方式としました。

・多摩センター地区は、ニュータウン全体の中心市街地・都市センターとして、商業・娯楽・文化 のみならず業務核として、オフィスなどの業務施設集積を目指す拠点形成ゾーンとして計画。
・首都圏全体での多極分散型構造を目指した平成11年3月の国の第5次首都圏基本計画にお いては、立川・八王子とともに多摩市が「業務核都市」の一つとして業務施設集積地区に位置づけられました。
また、平成21年8月の東京都の「多摩の拠点整備基本計画」においては、多摩ニュータウンが 「多摩の核都市」の一つとして位置づけられています。
・東京都において平成9年に取り纏めら れた「生活都市東京構想」では、多摩NTを含む南多摩地域は、多摩自立都市圏と位置づけられ、その中でも、多摩NTは、多摩の「心」の一つとして、「優れた都市環境を生かし人々が集う複合拠点」と位置づけられています。
・小田急・京王両私鉄に加え、多摩都市モノレールの整備により、南多摩地域の交通結節点となっています。

・多摩センター(面積約76ha)では、ペデストリアンデッキの整備による歩車完全分離、二層式の 駅前広場をはじめ、幅員40mのパルテノン大通りにより、駅と総合公園である多摩中央公園(面 積約10ha)を結び、景観形成、賑わいの形成を行っています。
多摩中央公園内には複合文化 施設「パルテノン多摩」が整備されています。
・歩行者専用道路の下には、当時の先進的な都市基盤整備として共同溝を整備し、地域冷暖 房施設や、電気・電話・CATVの通信施設、上水道を収容しており、高度な新都市施設整備を行いました。
・立地施設は、まず、警察署・郵便局・消防署等の公益的施設を誘致し、昭和55年の街びらきと ともに、第一期商業施設として「丘の上プラザ」(キーテナント:イトーヨーカドー)が開業。
・その後、段階的に第二期商業施設として、百貨店(当初SOGOを誘致)、京王プラザホテル、専 門店ビルなどを誘致しました。
・これらのビルトアップに続いて、昭和61年の新住法の一部改正による「特別業務施設」の導入 により、平成3年の朝日生命多摩本社を皮切りに、ベネッセコーポレーション東京本部、データ センター系の富士多摩ビル、多摩東京海上日動ビル、JUKI本社、ミツミ電気本社ビル等の施設 が立地しました。
・平成13年には、多摩センターの活性化、重層的な土地利用を図るため、多摩市と協議を行い 、「住機能許容街区」を設定し、需要の見込める駅前センターへの集合住宅・住宅機能の導入も行いました。
・なお、多摩センター地区では、多摩ニュータウンの中心市街地として、大規模な平坦地の整備を行ったことから、大造成を実施しました。

・多摩センター地区については、事業の進展とともに、業務核都市、多機能複合都市としての 位置付けも加わりましたが、センター地区の計画、施設誘致にあたって、初期段階より、その位置付けにふさわしい 景観となるよう、景観形成の取り組みを行いました。
・昭和61年の新住宅市街地開発法の改正により特定業務施設の立地が可能となり、翌昭和62年には、立地する施設ごとにセンター全体に与える都市景観と個別施設の設計のあり方について具体的に審議するため、関係行政機関の長、建築家な ど、多摩センター地区に関係の深い有識者による「多摩センター地区景観形成懇談会」を設置。
・平成4年には、多摩センタ ー地区で目指すべきまちなみ景観形成の目標及び具現化基準を定めた「多摩センター地区景観形成方針及び景観ガイドライ ン」を、平成5年には「多摩センター地区屋外広告物基準」を策定し、景観形成に取り組みました。
・具体には、美しく印象に残る景観、地区全体で調和のとれた景観に配慮するよう取り組み、多摩センター駅と多摩中央公園 のパルテノン多摩を結ぶパルテノン大通り(幅員40m延長300m)の「シンボル軸」と、それに直交するペデ(幅員12~15m延長 600m)の 「賑わい軸」沿いを重要地区と位置付け、景観形成に取り組みました。
パルテノン大通りは、メイン プロムナードですが、これを多摩センター地区の景観形成にふさわしいシンボル軸とし、パルテノン多摩が際立つように、クス ノキの並木を配し、接する建築物の高さの揃え等に取り組む等、風格のある景観を形成。
またパルテノン大通り・ 賑わい軸沿いは、アクティビティフロアと称し、これに面する建築物低層部は、賑わいのある施設を連続して配置させ、都市的 な賑わいを創出する等の取り組みを行いました。
更にペデに沿って、雨や夏の 暑い日射しから歩行者を守るような庇”キャノ ピー”を設け、ガラスなどで一定量以上建物内部が見えるようにする等の取り組みも実施。
賑わい軸沿いでもスカイライ ンを鑑み、建物の高さ等を揃える取り組みを行いました。(3F以下低層部は壁面後退1m以内、1F部分はキャノピーを設け、 壁面から3m以上離した部分にアクティビティフロアとして賑わい施設を配置。4F以上は壁面後退5mを指導。)
・ペデが交差する要所となる広場では、各々特徴を持たせた設えを行ったり、道路ペデの軸線にあたる場所では、そこか ら見える景観・アイストップへの配慮も行いました。パルテノン多摩からは、富士山の眺望を引き立てる施設計画を行いました。
車道沿いも、駅前部分などの都市らしい景観にする区間や、緑を主体とした区間を設定するなど、景観への配慮 。
・また施設から漏れる光、外溝照明、建物壁面ライトアップのさせ方等、施設側からの夜景の演出にも配慮。
・広告物については、施設ごとに集約させ文字面積も少なくさせるとともに、デザインの統一化にも配慮し、多摩センター地区 全体での魅力的な景観形成に寄与させるよう取り組みました。
・商業等施設用地の誘致、売却時には募集条件にも付し、施設内容について、景観形成懇談会の意見も配慮する 機会を 設けるなど、景観に配慮した施設立地に取り組みました。
これらにより、多摩センター地区では、景観形成の取り組みを行いました。

多摩センター地区のまちなみについて、一部ですが写真紹介いたします。
上の写真は、パルテノン大通り(景観形成のシンボル軸)と多摩中央公園・パルテノン多摩の写真です。
パルテノン大通りではゴールデンウイークに「ガーデンシティ多摩」というイベントが開催されてます。
下の写真は、二層式となっている駅前広場の様子の写真と、歩行者専用道路(景観形成の賑わ い軸)の写真です。 多摩センターでは、特に、このパルテノン大通り(シンボル軸)と賑わい通り(賑わい軸)沿いを景 観形成の重点地区とし、美しい景観に向けた景観誘導の取り組みを行いました。

・共同溝は、道路上の架空線や電柱を排除し、電線のない街並みを創出し景観を向上させるの とともに、各種施設の収容により道路の掘り返しの不要化、施設の効率的な維持管理のために導入されました。
総延長は2.2kmで、電気・電話・CATV等の通信施設や、上水道・地域冷暖房 等の配管・ケーブルを収容しています。内径は3.3m×3.3~4.3mで保守管理のための照明・換 気・排水及び警報設備を設置しています。S52年、公団が多摩市より事業を受託し、S56年に整備を完了し供用開始。
・地域冷暖房は、プラントで作られるガスを熱源とした高温蒸気を、主に共同溝内に設置する地 域配管によって各建物に供給するもので、エネルギーの効率的な利用、大気汚染・騒音・振動 の防止、熱源の安定的な供給、都市防災などの面で優れている他、個々の建物に冷暖房施設 が不要なため、屋上などの設備の乱立を防止し景観を向上させることができるなどのメリットがあ ります。
多摩ニュータウンでも東京ガスが事業主体となり昭和57年より運営を開始。昭和55年3月に東京都の公害防止条例に基づき地域冷暖房区域に指定され、 対象区域内の建物建設者には加入義務が課せられています。

・都市廃棄物処理管路:(対象範囲約82ha、管路延長約6.8km)
ごみによる環境阻害を排除し、都市環境を向上させごみ収集の省力化を図るため、多摩センター地区に導入されました。
昭和55年に事業認可を得て昭和58年に稼働開始しましたが、その後、リサイクルの推進により、ごみの収集量が計画を大きく下回り経営採算が取れなくなったことから、 現在は廃止されています。
・共同利用駐車場:商業・業務施設により発生する駐車需要に対し、多摩センターでは共同利用駐車場を整備。この共同利用駐車場については、財団法人多摩都市交通施設公社が整備・一元的管理運営を行っていましたが、その後解散して、現在は新都市センター開発が業務を引き継いでいます。
現在、多摩センター地区の交通対策の一環として、6箇所、約3,000台の共同利用駐車場が運営されています。

・現在、多摩センター地区には、「丘の上プラザ」、「ココリア多摩センター」等の大規模商業施設 のほか、 「サンリオピューロランド」といった広域から集客する娯楽施設も立地しています。
・公益的施設としては、警察署・郵便局・消防署や東京電力・東京ガス・NTT等が誘致され、 文化施設としては、多摩中央公園のなかに、複合文化施設「パルテノン多摩」が立地していま す。
ちなみに、パルテノン多摩は、市民からの公募 により名付けられました。施設の管理運営は、多摩市文化振興財団が行っています。
・また、業務施設としては、昭和61年業務施設導入等を可能とする新住法改正により、平成3年の朝日生命多摩本社を皮切りに、ベネッセコーポレーション東京本部、データセンター系の富士多摩ビル、多摩東京海上日動ビル、JUKI本社、ミツミ電気本社ビル等の施設が立地。
その後もKDDIなど多くの業務施設が立地しています。

・初期の多摩ニュータウンは、住宅・宅地の大量供給に重点が置かれていました。しかし、地元 多摩市から、財政上の問題や就業の場の確保の観点から、業務系施設の導入の要望があり、 昭和56年に、永山地区(6住区)・貝取地区(7住区)で、新住法、都市計画法、建築基準法の既 成の範囲内で、多摩ニュータウン及び周辺地域の多様な生活需要に対応するサービス・製造施設、また地元雇用力を高めるような無公害型の各種施設の導入を図る地区として、サービスイン ダストリー地区が計画されました。
翌昭和57年より募集を開始し食品製造・集配センター・バス・タ クシー営業所等40社以上の企業が進出しました。
※都市計画法第8条地域地区の特別用途地区の中の「 特定業務地区」として指定され、業務施設を誘致。
・一方東京都心部での業務施設の一極集中により、地価の高騰、職住遠隔化などの問題が顕在化し、東京の都市構造の変革が求められ、昭和61年には、新住法の一部が改正され、住環境と共生できる「特定業務施設」の立地が可能となったことから、多機能複合都市へと本格転換を図ることとなりました。
平成3年に多摩センター地区に朝日生命多摩本社が開設したのを皮 切りに、企業本社、研究所、電算センター等が立地しました。
・さらに、多摩ニュータウンの教育・文化機能の充実を図るため、大学の誘致が行われ、 恵泉 女学院大学・大妻女子大学・国士舘大学や、東京都立大学などが開校しました。
・なお、特定業務施設導入等による業務施設立地により、就業人口はH26年に8万人に達しました。

・開発当初は、低廉で良質の住宅の大量供給が目的であったこともあり、全ての集合住宅について公的主体が供給していました(東京都営住宅:東京都、都住宅供給公社:公社賃貸・分譲 住宅、公団:公団賃貸・分譲住宅)。
・その後、一定の公的集合住宅の供給により、首都圏の住宅不足が解消されたことと、民間活力 を生かすため、昭和61年、一定の条件を付して民間住宅分譲事業者に用地を販売する「民間卸」方式を導入しました。
・稲城市の向陽台地区(S63年3月:ビューバレー向陽台)、多摩市の豊 ヶ丘地区で第一号を実施しました。その後、公団の集合分譲住宅からの撤退もあり、民間卸方式を多く活用することとなりました。

・昭和50年代中頃より居住環境の向上が新たな目標となったこと、地元市からの戸建住宅の要請があったこともあり、全体戸数の10%以内を戸建住宅供給を行うこととし、多摩市域の永山地区(5住区)で宅地分譲を開始しました(S54年10月)。
分譲にあたっては、良好なまちなみの誘導を図るため、建築物及び敷地の利用制限を盛り込んだ建築協定が締結されました。
・多摩市域最後の開発住区であった、聖ヶ丘地区(4住区)は、低層・戸建住宅中心に計画を変 更し、路地や辻広場を配置した住宅地を形成しました。
・さらに、計画的につくられた戸建住宅のモデル街区を示すため、良好な街なみを誘導するための「民間建物付宅地分譲」が導入されることとなり、地元市が地元工務店の活用を要望したこと から、昭和59年に、公団が宅地を、建物を地元工務店で構成する住宅建設共同組合が分譲する「建物付宅地分譲(共同分譲)」を実施。
・その後、住宅生産振興財団と連携し、傘下のハウスメーカーが分譲する形式を経て、ハウスメ ーカ―と公団(現UR)が共同分譲を行う方式が多く取り入れられました。収束期には、戸建て住宅用地についても民間卸が拡大されました。

・教育施設の立地状況については、開発当初は住区2中学校4小学校を計画していましたが、 その後下方修正し、小中学校は1住区に1中学校2小学校を基本に配置。
・保育園は1住区に1~2か所、幼稚園は2住区に1か所を計画しました。
・そのほか、都立高校2校(1校閉校)、私立高校2校、都立養護学校2校し、東京都立大学、国 士舘大学、大妻大学、恵泉女学園大学、多摩大学等が立地しています。
・なお、教育施設については、初期入居エリアでの少子高齢化に伴い、H5年度末に1小学校、 H7年度末に2小学校、H8年度末に1中学校が廃校となり、学校区を統廃合しています。
施設は 、公共、公益施設等として利用していますが、その後も小中学校の統廃合が進んでいます。幼 稚園の閉園も見られました

・大規模な開発に伴う雨水排水に対応するため、大栗川、乞田川、大田川の河川改修 を行うとともに、稲城市域では雨水を多摩川に直接放流させるための三沢川分水路の整備を行いました。
・特に、稲城市域の開発・造成のためには三沢川の河川改修が必要でしたが、下流の川崎市域 が密集地で河川改修の見通しが立たなかったことや、地区全体が稲城砂層で調整池工事も難しいことから、結果、分水路を新設整備し、そこへニュータウン内の雨水を落し込 み、多摩川へ放流することとなりました。
三沢川分水路は、全長2,670m最大内径8.1mの大規模 トンネル河川で、工事は6年の歳月をか けS60年に整備が完成しました。
・三沢川分水路整備は、都市河川の治水対策に分水路方式を採用したことや、崩れやすい稲 城砂層がある中、縫地ナトム・立坑ナトムという工法でトンネルを抜いていくという技術力を有する 新しい工法を採用するなど、当時としては画期的な大工事を行ったことから、昭和56年度に土木学会技術賞を受賞。
稲城市域では、この三沢川分水路工事の完成による雨水排水処 理の課題解決を受け、その後本格造成を進めることができました。
・開発に合わせ、上下水道、電気、ガス、電話施設についても整備・供給されました。
・また、多摩、八王子、町田、稲城の各市等関連自治体が東京都 や新住事業者と協議し、下水道処理場・ごみ処理施設(2か所)・斎場・墓園などの広域供給処理 施設を分担しました。

続いて下水道計画となります。
・多摩ニュータウンの下水道は、多摩川流域下水道計画(処理区域約6,400ha)の一環として計 画されました。普及人口は63万人、幹線延長は約29km(28,892m)となっています。
・汚水と雨水を分離した分流式により公共下水道を通じ処理しています。
汚水排水は、管渠により、流域下水道を通じ、南多摩処理場にて処理。雨水排水は、管渠と雨水幹線下流の開水路を通って地区内の4河川より多摩川に放流されています。

・緑の計画は、昔からの緑を保全し、造成により失われた緑を復元させることを基本に計画されました。
また公園緑地や緑道の公共用地だけでなく、住宅地内の法面や緑も 含めて一体的に緑を確保する計画とし、 「開発面積の約 20%を公園緑地用地に、住宅地の緑も含め、30%以上を確保する」計画としています。
・公園緑地計画は、総合公園である多摩中央公園をはじめとし、地区公園、近隣公園、街区公 園を段階的・計画的に配置し、それらを緑道や歩行者専用道路さらには団地内プレイロットと連携し、緑や歩行者空間のネットワーク化を図っています。
これらの計画と実践が評価され、昭和 58年には第3回緑の都市賞建設大臣賞を受賞しました。

・開発の初期・中期段階では、結果的に大造成による造成工事が大半を占め ていましたが、貝取地区(7住区)・豊ヶ丘地区(8住区)北部では、自然と共存できる落ち着いた 住宅地を創出するため、地元や多摩市の要望もあり、丘陵部の自然地形を極力残した造成計画が採用されました。
・また、尾根のスカイラインを残すため尾根部分に公共緑地を配置したり、自然との調和を図る 手法として傾斜地住宅が建設されました。
・公園緑地は、歩行者専用道路や緑道でネットワーク化されていますが、ニ ュータウンの南の境界(行政界)の尾根沿いには12.5kmの自然遊歩道「多摩よこやまの道」が整備され、散策の場として親しまれています。
・八王子市域のライブ長池地区(12住区)では、もとの地形を尊重し、公園緑地内に極力現況地 形を残しつつ宅地部分はなだらかな造成を行う折衷型の造成も取り入れられました。

・当初は、造成された土地に多摩ニュータウン外から表土を搬入し利用 していましたが、その後、造成工事や埋蔵文化財調査の際に、極力表土採取を行い、地区内の公園や宅地で復元利用しました。
・また環境への配慮から、緑資源を可能な限り保存利用するため、移植、根株工法の採用、伐 採樹林、礫材玉石の活用を行いました。これは、資源の有効利用のみならず、環境破壊を未然 に防ぐ効果もあります。
・さらに、基盤造成で発生した土砂は、地区外の公的事業で再利用しました。また、建築副産物 は再生工場へ搬入し再処理を行い、道路の路盤材等に再生材として利用する取り組みも行わ れました。

・落合・鶴牧地区(10・11住区)では、オープンスペースをまちの骨格とした地区構成が計画され ました。このため、「基幹空間」と呼ばれるオープンスペースを配置しました。基幹空間は、周辺 緑地との連続性に考慮し、三角形のリング状ネットワークによりまちの骨格を形成するものです。
具体的には、4つの近隣公園、緑地、歩行者専用道路を連続して配置し、全体としてまとまりの あるオープンスペース空間を創出しています。基幹空間には、富士山を眺望できる、幅員40mの 「富士見通り」を配置しました。さらに、基幹空間内は、運動場などの平場に加え、基幹空間自身 を見渡せる高台を設けるなど、高低差を調節して、特徴のある空間構成としました。
・多摩センター駅から多摩中央公園に至る幅員40m延長300mの人工地盤を、歩行者の主要動 線軸として設置しました。これは「パルテノン大通り」名づけられ、多摩センターのシンボル的空 間として、賑わいを見せています。多摩センター駅前からは、アイストップになる場所に多摩中央 公園と複合施設である「パルテノン多摩」が整備されています。
・さらに、稲城市域の向陽台(1住区)では、稲城駅と若葉台駅を結ぶ幹線道路の一部を、都市軸である「生活環境軸」として位置づけ歩車共存に取り組み、沿道に商店やコミュニティ施設な どの生活利便施設を配置し、地区のシンボルロードとして整備を行いました。無電柱化も行い高 幅員の歩道にケヤキ並木が配置されたこの道路は、沿道の店舗施設と相まった快適な空間とな り、まちの賑わいを創出しています。

・道路網の骨格は、東西にのびる3本の幹線道路と、交差する9本の幹線道 路で構成されています。
・さらに、近隣住区の間には地区幹線道路が計画され、バスサービスが実施されました。住棟から10分以内で鉄道駅にアクセスできるようにバスルートも計画。
・住区内では、幹線道路・地区幹線道路からの通過交通の防止に配慮した住区内道路が設けられました。
・また、多摩川中流域の既存橋の改修、稲城大橋・府中四谷橋の建設により、中央自動車道へ のアクセスが改善されました。

・「歩行者と自動車交通の分離」というまちづくり方針から、歩行者、自動 車の動線の交差は、橋梁により立体処理を行いました。このため、140 超の橋梁が整備されました。
・当初は、機能を重視した設計でしたが、次第にランドマーク的役割、周辺環境との調和に配慮 したデザインを追求するようになり、設計競技(デザインコンペ)等も実施されるようになりました。
・平成5年度の長池見附橋、平成9年度のくじら橋等が土木学会田中賞を受賞しています。

・昭和57年の多摩センター地区での電線類地中化を皮切りに、各地区で取り組みが行われましたが、稲城市域では、より広範囲で電線類地中化に取り組み、無電柱 化した快適で安全な住環境の創出を図りました。
・向陽台(1住区)では、生活環境軸において、快適な歩行空間と、ケヤキ並木等の景観に配慮 し、コンクリートボックスの中に電線類を敷設する「キャブシステム」を用い、電線類を地中化。
・また、若葉台(3住区)では、南斜面の眺望の良さを活 かすため、多摩ニュータウンで初めて住区全体で電線類の地中化を行い、共同溝等の整備を実施しました。そのほか、尾根幹線等の幹線道路等では、電線類を直接埋設する「単独管路方式」により地中化を実施しました。

稲城市域は、都心に一番近い多摩ニュータウンの東側の玄関口ですが、三沢川分水路の完 了を待って、造成工事が着手されたことから、3市域で一番遅い昭和63年に向陽台地区(1住区 )が街びらきとなりました。
このため、多摩市域で考えられた「地区の構造化」、「基幹空間」等の 経験を活かし、1つの住区に留まらず、より広域的な視点から計画を策定することとなりました。

長峰(2住区)では、平成4年に開園した稲城中央公園や地区外の上谷戸親水公園の緑豊かな環境を 活かし、まとまりのあるオープンスペースを確保し、稲城中央公園内の陸上競技場、稲城市総合 体育館(大小アリーナ、武道場、市民交流施設等あり)を活用した、「緑の中のウェルネスタウン」 と名付けられた新たなライフスタイルを創出する郊外住宅地が計画されました。
この2つの公園は 、稲城市域の広域的な「緑の環」の軸として位置付けられています。
・平成7年に街びらきした集合住宅地の大街区においては、住宅建設事業者の協力により、各団地が一体となった空間づくりがなされ、ゆとりあるオープンスペースが創出されました。
・稲城中央公園と稲城第二公園を結び尾根幹線道路上に架けられている「くじら橋」は、 ニュータウンの入り口ゲートの意味合いもあり、曲線を多用しシンボル的に作られました。

・若葉台(3住区)は、最後の駅前開発地区として、若葉台駅を基点にまちづくりが行われ、平成11年3月 に街びらき。
・駅前から続く幅員50mに及ぶぺデの両側にセンター施設用地(約12ha)が配置されシンボル的 な基幹空間を形成しています。ぺデの先には稲城第四公園が配置され、若葉台駅前の基幹空 間と一体に「緑の環」としての緑空間を構成しています。
・若葉台地区では、「カルチャー・コリドー」と呼ばれる地区を環状につなぐ歩行者専用道路等の ネットワークを設定しており、歩行者専用道路、公園内の園路、宅地内道路等により、歩行者動 線を構成しています。住宅と小中学校、保育園などを結ぶ動線は、通学・通園のために使われ ることを想定し整備を行っています。
また、地区は南斜面に立地し、街びらきエリアの住宅地から 駅まで高低差があることもあり、駅、学校、公園等を結ぶ動線は、避難路として機能するのととも に、駅・駅前広場での機械動線(エスカレーター)を活用することで、バリアフリー対応としています。
・また、コリドーの要所要所には、「カルチャー・コア」と呼ばれる住民のコミュニティの場、街の文 化や愛着を持てる場を配置し、アクセントを付け、メリハリを創出しています。

・聖ヶ丘(4住区)は多摩市最後の開発住区で、市域最大の戸建住宅を主とする住区となっています。当 初は集合住宅で初期入居を迎えましたが、地元市の強い要望もあり、戸建住宅を主体とするまちづくりに変更されました。
・戸建住宅地では、初めて地元工務店とタイアップした建物付戸建分譲(共 同分譲)を実施しました。計画意図を伝えるため建売住宅を先行的に供給し、その後のビルト アップを誘導すること、かつ地元経済への貢献を図るのが趣旨でした。
・また、これまで多摩ニュータウンでは建築協定を導入し住宅地の景観コントロールを行ってきま したが、この住区で初めて地区計画の導入を行いました。
・良好な街なみ形成を図るため外構付宅地を設け、建物の色彩、壁面、位置、植栽等に関する コントロールを実施しました。
・区画道路(6m)はボンネルフ化し、路地(2mペデ)、辻広場(250㎡)などを配置し、歩車融合を 図った良好な街並みを創出しました。

・諏訪・永山(5、6住区)は多摩ニュータウンの初期入居エリアでS46.3に街びらき入居開始をしました。
・多摩ニュータウンのマスタープラン、近隣住区論を忠実に実践した住区となっています。
・団地内通路・歩行者専用道路のネットワーク化を図り、歩車分離により安全な歩行者空間を創出しています。
・また、隣接住区を結ぶ歩行者専用道路に面して2つの住区をつなぐリニア型近隣センターの配置を行っています。 近隣センターは、街びらき当初は賑わっていましたが、自家用車の急速な普及などの社会情勢 変化もあり、現在では衰退などの課題も生じています。
・住宅の大量供給が使命であったことから、計画戸数が最多で(約50㎡の2~3DKの住宅が中 心)、ニュータウンで最も高密(130人/ha)な住区となっています。
・団地の老朽化も課題となっており、公団が初期に建設した諏訪二丁目の分譲団地では多摩ニ ュータウン初となる管理組合が事業主体となる団地建替えが実施されました。
・永山地区南部では、多摩ニュータウン初の宅地分譲を実施(昭和54年10月)。 また、タウンハウスの供給も行いました。

・貝取・豊ヶ丘地区は、諏訪・永山地区と共に事業承認を得ていましたが、S46年の諏訪・永山団 地での初期入居開始後、大規模なNT開発に伴う市の財政負担について多摩市が異議を呈し、住宅建設が3年程ストップし 、土地利用の見直しを経て、昭和51年の入居開始となりました。
特徴としては、
・歩行者専用道路によるネットワークを公共用地を用いて形成し、歩車分離を図ったこと (3本のペデ橋で両住区を連結、5・6住区より一体感を高めている)
・地元及び多摩市からの要望を受けた地区北側の自然地形を残した造成計画、貝取山の保全( 傾斜地住宅と自然保存を図った近隣公園と緑地) ・間取りの大型化(平均住戸面積は約74㎡)がなされ、4LDKが登場したこと 等が挙げられます 。
・写真にありますとおり、グリーンヒル貝取(分譲、S61~63)は、自然地形を活かした傾斜地集合住宅でかつ大型の間取りとなっています。

・落合・鶴牧地区では、それまでの近隣住区理論による住宅地計画が、均一的で、街として全体 が単調になってしまったことの反省から、誘致圏対応の施設配置によらず、多摩センターの後背 地となる立地を活かし、高水準の住宅街区を実現することを目標に、新たな計画のあり方が検討されました。
・このため、住宅が量から質へとニーズが変化したことも相まって、低層タウンハウスやプラス1住宅などを供給。
・住区全体では、中・低層住宅に加え、鶴牧地区南部で一般宅地分譲や建物付宅地分譲を供給しました。

続いて、八王子市域のライブ長池地区(12・13住区:堀之内・別所地区)についてご説明します 。
・「自然と開発の調和」をまちづくりの第一のテーマに設定し、稲城市域の向陽台同様、広域的 な視点からの計画として、堀之内駅前の「都市核」と、地区南部の長池公園ゾーンの「自然核」を 、「せせらぎ」で結ぶ「二核一軸構想」によりまちづくりが行われました。
・堀之内駅前は、イタリア地中海風デザインを採用した設えとし、ショッピングセンターや集合住宅群と共に都市的な空間を創出。計画担当が建築家ガウディを好きだったことも影響したのかも?
・また、従前の自然を保全する形で南に長池公園、北に蓮生寺公園を配置し、両公園を斜面林 の緑地で連結させています。なお、長池公園から堀之内駅前までは地下貯留施設等で水源を 確保したせせらぎを設け、別所谷戸の再生も図っています。
・集合住宅街区は、平成2年3月初期入居で、多様な居住者による新たなコミュニティ形成を促 進するために「ミックスドコミュニティ」街区(見附が丘/公団賃分、公社、都営)が設けられました。 その後は公団の分譲住宅からの撤退を受け、民間事業者による住宅供給となりました。
・ライブ長池地区のせせらぎ計画は、平成7年度の緑の都市賞建設大臣賞を受賞しました。


・多摩ニュータウンでの団地建替えとしては、この諏訪二丁目公団分譲団地が「ブリリア多摩ニュータウン」として 2013年(H25年)秋に竣工したのが、第一号です。
・この団地建替えは、昭和の終わり頃からの居住者の方の活動により地道に進められ、20年以上の歳月をかけ、 建替えに至ったところです。
・事業は、組合施行による、マンションの建替えの円滑化等に関する法律に基づくマンション建替事業として行われ、 団地の管理組合が事業主体となり、事業協力者(参加組合員)に東京建物㈱が選定され、建替えが行われました。
・建替えにあたって、最も課題となったのは団地が「一団地の住宅施設」として都市計画決定され、容積率50%以下に制限されていたことでしたが、これを東京都及び多摩市が地区計画制度に置き換えて容積率150%まで緩和されたことと、立地条件に 比較的恵まれていたことなどから、建替事業が実現しました。
実は、1990年頃から、将来の団地建替えも含めて、このエリアのリニューアルについて、多摩市や公団がインフラの許容量など各種検討を行っていたことが、規制緩和が実現した背景の一つです。
・設計では、6.4haに及ぶ敷地の既存高木の多くを残し、豊かな自然と緩やかな高低差を活かした「ランドスケープと建築」 による緑と生活が密接な関係を有した『居住者が共有できる空間の創造』を目指したそうです。
また、配置計画で折り曲げた住棟を挿入することで景観的なシークエンスを変化させ、住棟間を画一的でない抑揚ある空間 とし、住棟の間隔は約50~80mを確保し、居住空間へ近い位置に既存樹を活かした緑地や交流の場を設定するなどの工夫 を行ったそうです。 また、地元NPOと連携したコミュニティカフェや高齢者支援施設、保育所、小売店舗等も併設されているとのことです。
・大規模公団分譲団地の建替え事例、多摩ニュータウンの初期公団分譲団地の建替えとして、この事例は特筆すべきものと言えます。これに続く動きとして、団地の建替えが検討されています。

・居住人口の推移を見ますと、平成14年頃までは増加していましたが、以降 緩やかな増加から横ばいに転じています。内訳をみると、多摩市は、平成4年頃をピークに横ばいか、わずかに減少していることが分かります。
・主要駅、永山駅と多摩センター駅の1日平均乗降客数を見てみますと、両 駅とも、ゆるやかに上昇していましたが、その後は横ばいとなっていることが分かります。
おわりに
1960年代、東京への人口流入による住宅不足を解消するため、郊外に大規模ニュータウンが開発されました。当時課題であった無秩序な小規模住宅開発によるスプロール化への対応や短期間に大量の住宅供給など、一定の役割を果たしたニュータウン。約60年が経過し、人口減少傾向となり、ニュータウンの役割は変化していいます。
この国民のインフラ資産を今後どのように活用するのか、次世代の都市プランナーの仕事でもあります。そのため、多摩ニュータウンなどの大規模な都市開発事業について、計画から事業実施までの簡潔な情報をnoteで発信することにしました。ニュータウンの更新計画等の一助になれば幸いです。
