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世界最先端の科学技術を活かした「筑波研究学園都市」:どうやって出来たのか


 筑波研究学園都市は、東京等の国の試験研究機関等を計画的に移転することにより東京の過密緩和を図るとともに、高水準の研究と教育を行うための拠点を形成することを目的に国家プロジェクトとして建設されました。
つくばからノーベル賞受賞者も生まれるなど、研究機関等の集積をいかした世界的な科学技術拠点都市としての実績を着実に積み重ねています。
現在ではおよそ2万人の研究従事者を有し、多くの外国研究者が世界的な研究を行い、1,000超のベンチャー企業が育つなど、世界最大級のサイエンスシティとなっています。


図1 筑波研究学園都市の位置図

1 筑波研究学園都市の位置(図1)
 筑波研究学園都市は、東京から北東約60km、成田空港から北西約40km、土浦市から西に9kmに位置し 、北に関東の名峰筑波山、東に霞ヶ浦を控えた茨城県南部に位置しています。 現在のつくば市全域約28,400haが研究学園都市の区域ですが、開発着手時は6町村に分かれており、6 町村が合併してつくば市となったものです。

2005年につくばエクスプレス・TX線が開通して現在では秋葉原からつくば駅まで約45分で到達で きますが、それ以前は上野からJR常磐線のひたち野牛久や荒川沖・土浦駅経由のバス利用で約2時間 ほどを要しました。
また、高速道路は、南に常磐自動車道・首都圏中央連絡自動車道路(圏央道)が整備されています。


図2 開発前

2 開発前の状況(図2)
施行前の航空写真です。一面田畑と森林が広がった田園地帯でした。


図3 開発後

3 開発後の状況(図3)
こちらは研究学園都市の中心市街地について、2021年に撮影した航空写真です。後方に見える山並み が「筑波山」で、研究学園地区の中心市街地・都心地区が大きく映ってます。

 写真中央手前に、つくば駅 駅前広場やつくばセンタービル、1990年に竣工した特定業務施設第1号のつくば三井ビル。その奥には中央公園、H2ロケットがあるつくばエキスポセンターが映っているのが判るかと思います。
施行前は山 林・田畑が一面にひろがる台地でしたので、筑波研究学園都市の建設により、新都市が創出されたところです


図4 背景と目的

4 背景と目的(図4)
 筑波研究学園都市は、昭和30年代、人口及び都市機能の過度な集中により首都東京が過密状態となっていた状況下、その解消の施策として、必ずしも東京に立地する必要のない国の試験研究・教育機関を計画的に移転させ、かつ併せて科学技術の振興と高等教育の充実に対する時代の要請に答える科学技術の研究開発拠点を形成することを目的に、国の一大プロジェクトとして進められました。

 首都機能移転の受皿となる「新たな都市の建設」が目的とされ、単なるベットタウンではない「自立都市の建設」が目指されました。
 研究学園都市の位置選定においては、他、山梨県の富士山麓、群馬県の赤城山麓、栃木県の那須高 原が候補に上がりましたが、移転する多くの研究機関が東京から50km~60km圏域内を強く希望していた 経緯や、研究用水・工業用水の確保で霞ヶ浦が近くにあること、標高20~30mの平坦で広い土地が確保 でき地盤が安定していること等から、筑波が選定されました。


図5 事業の沿革

5 事業の沿革(図5)

 1963年9月の閣議了解により、その建設が決定されました。 閣議では、①建設地は筑波とすること,②計画規模は概ね4,000haとすること,③用地の取得造成は日本住 宅公団に行わせること の3点が決定されました。これを受けて、日本住宅公団(現都市再生機構)が筑波研究学園都市の建 設事業に取り組むことになりました。
1970年10月には「筑波研究学園都市建設法」が制定され、法律に 基づく国家プロジェクトに位置づけられました。

1972年には第一号の国の移転機関として、「無機材質研究所(現物質・材料研究機構)」が移転し、1973年には筑波大学が開学され、順次、国の研究機関の移転が行われ、1980年には、 予定されてい た43の国の試験研究・教育機関が移転・新設が完了し(現在は統廃合により29機関)、学校・都市公園 など関連公共公益的施設についても整備が進めらました。

1985年に 開催された「つくば国際科学技術博覧会【EXPO’85】」は“つくば”の名を 世界に広める意義あるイベントと なりました。 その後も基盤整備を進め、1993年3月、新住宅市街地開発事業の法定手続きを完了し、筑波が研究 学園都市の建設地と決まってから約35年の歳月をかけ、筑波研究学園都市は事業を完了しました。

2005年には「つくばエクスプレス」も開業し、現在、筑波研究学園都市は人口約20万人、国・民間を合わせて約300にもおよぶ研究機関・企業を擁する世界最大級の研究開発 拠点となっています。

1968年の事業決定から、1999年インフラ整備を終えた事業完了まで、約35年間を要しています。ちなみに、多摩NTや千葉NTなどの大規模都市開発も30~40年の事業期間です。


図6プロジェクトの特徴

6 プロジェクトの特徴(図6)

全体面積が28,400haの広大な規模の新都市開発
つくば市全域をその区域とする「筑波研究学園都市(28,400ha)」のうち、中央部のまとまった、東西約6km南北約 18kmにわたる約2,700haの区域(水色やピンク部分)を「研究学園地区」として開発。また、その周りの緑 色・藍色部分を「周辺開発地区」として研究学園地区と均衡のとれた発展を図るよう整備を進めました。

「研究学園地区」は大別して、高水準の文化施設、行政施設、商業・業務施設、研究交流のための施設 を配する都心地区(約80ha)と、研究・教育施設地区(約1,465ha)、住宅地区(約670ha)に区分され、「周 辺開発地区」では一部(藍色部分)で民間研究機関等の立地を図るための工業団地等が整備されました 。
近年、つくばエクスプレス・TXの整備により、筑波研究学園都市は、東京秋葉原と都市高速鉄道で直結さ れ、利便性が格段と向上しました。またTXの整備と合わせ、葛城・萱丸・島名福田坪・上河原崎中西・中 根金田台地区の約1,400haの沿線開発が行われ、計画人口は都市全体で35万人とされ、人口は2015年の国勢調査では約23万人に達しています。

複数の事業手法の組み合わせ
当初、このプロジェクトは4,000ヘクタールの全面買収による都市建設として発表がなされましたが、反対運動等により現在の約2,700ヘクタールに変更。
建設にあたっては、4つの事業手法を組み合わせて行いました。
・住宅地は「土地区画整理事業」「新住宅市街地開発事業
・研究・教育機関は「一団地の官公庁施設事業」で進められました。

<参考>
一団地の官公庁施設事業」
国の教育・研究機関の整備を行う事業

「新住宅市街地開発事業」
 土地を全面買収して造成し、計画的に住宅地などの整備を行う事業。
土地収用が可能な事業手法であり、原則として住宅供給が目的であったが、1986年の法改正により業務施設誘致が可能となりました。
住宅の建設にあたっては、セットバックや緑地など様々な事項の詳細基準を定めた「筑波研究学園都市住宅市街地の建設に関する計画標準」により誘導が行われ、良好な住環境が創出されるよう建設が行われました。

「土地区画整理事業」
 地権者の土地を減歩することにより道路や公園等の公共施設を整備し、宅地の区画形質の変更を行う事業。減歩することにより、地権者の土地面積は減少するが換地後の土地価値は向上する仕組み。
 公共減歩で公共用地を確保し、保留地減歩で生み出した土地を売却した収入を土地区画整理事業費に充当する。インフラ整備を公共費用だけに頼らない Land Value Caputure(土地価値還元)の概念である。
国内では、土地区画整理手法のことを「都市計画の母」と呼び、都市開発で最も活用されている。

「都市計画公園事業」
住民の憩いの場を確保するために公園を整備する事業


図7 推進体制

7 推進体制(図7)
筑波研究学園都市建設の推進にあたっては、国は、関係省庁の連絡調整及び推進を図るため、国土交通大臣を本部長とする「研究・学園都市建設推進本部」を設置して、事業を推進しました。

 具体には研究・学園都市建設推進本部主導のもと、国土交通省や国の関係行政機関・茨城県・ つくば市など多岐 にわたる関係機関が協力して事業を進めました。 その中で、都市再生機構(当時公団)は、筑波研究学園都市の用地の取得造成という使命を受け、筑波研究学園都市の マスタープランの作成、基盤整備等各種法定事業の施行、研究学園都市の建設を行いました。


図8 事業主体の役割

8 事業主体の役割(図8)
昭和38年の閣議了解により、日本住宅公団が用地の取得造成を行うこととされましたが、その業務量は膨大。
 公団(現UR) は、用地の買収、造成、基盤整備のハード面に留まらず、ソフト面も含め事業を実施しました。筑波研究学園都市や周辺開発地区の事業に加え、つくばエクスプレス沿線開発事業も含めると、長く半世紀にわたり、都市建設のメインプレーヤーとして関わってきました。

 都市の道路・公園等いわゆる都市インフラの整備に留まらず、住宅、公益施設、商業施設・文化施設等 の上物整備にも深く関わり、都市インフラでは新都市施設と呼ばれる当時最先端の施設整備に取り組み 、上物整備の景観誘導や歩行者優先のネットワークの整備等の新しい価値の創造にもチャレンジしました 。

・都市建設のメインプレーヤーとして事業を遂行するためには、基礎的な技術力に加えて事業やプロジェ クトを進めるためのコーディネート能力を必要とします。特に筑波研究学園都市の建設事業では、国家プ ロジェクトとして関係する主体が多く、政治家、有識者、国の関係機関・中央省庁、県・地元町村、関係す る公益事業者等、居住者などとの調整を円滑に実施することが求められました。事業手法・制度面で前例 のない場合も多く、そのための調整やオーソライズにも多大な労力を要したと聞いています。

 また、都市建設後の都市運営に関してもその仕組みや主体の整備を主導し、商業施設やサブセンター の運営主体や、地域冷暖房施設・CATV・立体駐車場の運営主体の設立にも寄与しました


図9 研究学園地区の土地利用計画

9 研究学園地区の土地利用計画(図9)
「研究学園地区」の土地利用の詳細を示した図面と面積表です。
「研究学園地区」約2,700haの区域は、中央の赤色部分が「都心地区」、水色部分が「研究・教育施設」、 黄色部分が「住宅地区」、緑色部分が「公園・緑地」となっています。
 研究施設用地が約54%と半数を占めているのは、他に例のない特徴です。


図10 主な移転施設

10 主な移転施設(図10)
筑波研究学園都市へ移転した国の研究機関としては、
・理工系機関:工業技術院(現(独)産業技術総合研究所)、宇宙開発事業団(現JAXA)、気象研究所
・建設系機関:国土地理院、土木研究所、建築研究所
・生物系機関:理化学研究所 などが挙げられます。

 また、教育機関・大学は、東京教育大学の移転廃止により設置された筑波大学や、国立の図書館情報大 学も移転しました(2002年に筑波大と統合)。
筑波大学の敷地は、約246haとなります。 他には、筑波技術短期大学(筑波技術大学へ移行)、東京家政学院筑波短期大学(筑波学院大学に移行 )などが立地しました。
 さらに、移転した研究者等のために、公務員宿舎の整備が約10,000戸計画され実際に7,755戸供給され ました。 国の機関の移転地については、用地取得の区域も鑑みたマスタープラン検討で、北側は大学等文教系 施設及び建設系研究機関ゾーン、南側は理工系研究機関ゾーン、その南西側には生物系研究機関ゾ ーンとして計画されました。


図11 立地施設のクラスター

図11 立地施設のクラスター(図11)
 
移転した研究・教育機関は概ね系統別に集約され、それぞれクラスターを形成しています。 大きく4つのクラスタ-に区分され都心部に共同利用施設が整備されました。
①文教系クラスター(紫色部分):筑波大学、高エネルギー加速器研究機構など
②建設系クラスター(オレンジ部分):建築研究所や土木研究所など
③理工系クラスター(水色部分) :産業技術総合研究所や物質材料研究所など
④生物系クラスタ-(緑色部分) :農業技術研究機構や森林総合研究所など

また、共同利用施設として、研究者間の交流・研究発表の場となる研究交流センタ-が設置されました 。 これらの研究・教育施設は緑の多い余裕のある敷地と高度な研究設備を保有しており、抜群の研究環境の中で日本を代表する研究がなされています。


図12 歩行者専用道路ネットワーク

12 歩行者専用道路ネットワーク(図2)
 筑波研究学園都市のシンボル的都市空間として位置付けられた歩行者専用道路「つくば公園通り」をはじめ、研究学園地区のまちづくりでは歩行者優先の設計思想が徹底された点も特徴の一つです。都市内の歩行者専用道路の総延長は約48㎞に及んでいます。

 図は都心地区の土地利用計画図ですが、黄色に着色した部分が歩行者専用道路です。幹線道路との完全な立体交差により安全な歩行空間が確保されています。また、主要な文化施設や商業・業務施設が歩行者専用道路沿いに配置され、歩行者にとって利用がしやすい計画となっています。

 住宅地区においても公園、公民館・小中学校等の公共施設、近隣センターが歩行者専用道路でネットワークされ「歩いて暮らせるコンパクトシティ」の先駆けとして整備されました。


図13 中心地区(つくばセンター)

13 中心地区(つくばセンター)
 都心地区は、南北2.4km、東西240~560m、面積約80haの区域で、新宿副都心に匹敵する広さがあり、 筑波研究学園都市の商業・業務・文化・行政の中心地として計画されました。
  つくばセンタービルは、都心形成のための戦略的拠点であり都心の中 の都心という象徴的性格を有する施設として計画されました。また当施設は研究機関の移転で移り住んだ 研究者やその家族が首都東京で享受してきた都市的生活を筑波で実現するための拠点として企画され 一流の、一流のホテルや文化ホール等の複合施設となっています。建設には約3年を要し、新住宅市街地開発 事業の一環で整備するという画期的手法がとられ、1983年6月にオープンしました

1985年の科学万博を契機として、つくばエキスポセ ンター、地区最初の大型商業施設で西武デパートが入店したショッピングセンタークレオ、つくばセンター 交通広場等が建設され、都心地区の骨格が形成されました。

その後、つくば西駐車場(1988年)、図書 館と美術館の複合施設であるつくば文化会館アルス(1990年)、新住宅市街開発事業改正に伴うの特定 業務施設の第一号施設として、つくば三井ビルディングが建設されました(1990年)。
更に、ショッピングセ ンタークレオの北側に専門店ビルのMOGが建設され(1992年)、市民交流施設のつくばカピオ(1996年) 、つくば国際会議場エポカルつくばも整備され(1999年)、筑波研究学園都市の中心市街地として、また 国際科学技術都市として賑わいを見せています


図14 先進的インフラ整備

14 先進的インフラ整備(図14)
 都市生活を支える都市基盤施設として、当初から新しい試みがなされ、中心 市街地・都心地区では、その先駆的都市インフラとして共同溝をはじめとする5つの施設が整備されまし た。

共同溝の整備・電線電柱地中化の方針は、昭和46年に建設推進本部によりその構想が示され、右図に示す中心市街地・都心地区のほぼ全域が供給処理区域として整備されました。共同溝内には地域冷暖 房システムの建物への蒸気・冷水の供給用の管路、廃棄物管路収集(真空集塵)システムと呼ばれるゴミ 収集のための管路、電気、電話、ガス、CATVなどの管路が収納されました。
 これにより、都市の利便性を 高めるとともに、電柱電線のない景観の優れた都市空間の創出を図られました。総延長は約4.7kmに昇り 、整備は桜村が事業主体となり公団が村から受託する形で行われました。現在、共同溝は道路施設とし てつくば市が管理しています。

地域冷暖房システムは、つくばセンタービル・クレオ等の都心地区約36haで供給を行い、熱源の集中管 理により都市の省資源・省エネルギー化に貢献しています。管理運営は筑波都市整備株式会社が行っ ています。

③都市の整備に伴う電波障害対策のため、国・県・公団・NHK等により検討がなされ、昭和 56年には当該施設の設置・管理のための法人として、一般財団研究学園都市コミュニティケーブルサー ビス(ACCS)が設立され、CATVが整備されました。整備は研究学園地区及びその周辺の約3,200haで行 われ、同軸ケーブルの整備延長は約500kmに及びました。

④増大する交通需要に対応するため、つくば市は、1988年に中心地区約87haを共同利用駐車場整備地区としました。これと同時に、駐車場運営法人として、一般財団つくば都市交通 センターが設立され、都心地区で立体駐車場3棟、計約4000台分が整備されました。現在も、車社会を支える重要な都市インフラとして機能しています。

廃棄物管路収集システムはその後稼働を止めていますが、その課題分析を含め新しい施設の導入に積 極的にチャレンジした当時の取組みに学ぶ点は多いと思います。

幹線道路整備においても、美しい街路景観に配慮し、一部で地中化を行ったり、ケヤキやシラカシ等区 間ごとで違った街路樹を植えるなどの取組みを行いました。1987年には、学園東大通りが、日本の道 100選に選出されました。街路樹としては他に、トウカエデ・ユリノキ・イチョウ・ハナミズキ・トチノキ・エンジュ なども用いました。


図15 景観誘導

15 景観誘導
・筑波研究学園都市では、教育・研究機関や公務員住宅、各種施設の景観やデザイン誘導等、美しい都市景観の誘導に取り組みました。
特に都心地区では、都市の顔として質の高い都市景観を創造していくために、景観形成のガイドライン「筑波研究学園都市中心地区景観計画」を策定し、 「景観審査会」を開催し公共公益・民間施設ともに景観誘導・景観環境のコントロールに取り組みました。
景観審査会は、昭和58年に公団局長の諮問機関として設置され、学識経験者・行政関係者・公団にて審査手続きを行いました。


図16 周辺都市との連携

16 周辺都市との連携
   筑波研究学園都市のポテンシャルを周辺地域開発のけん引力として活かすとともに、研究学園都市の 新たな発展を後押しすべく策定されたのが、土浦・つくば・牛久業務核都市の計画です。

 これは、国の第4次全国総合開発計画(1987年)、多極分散型国土形成促進法(1988年)により位置 付けられました。 これを受け、さらに国土庁が1989年に「新つくば計画」を、茨城県が1990年に「グレーターつくば構 想」を策定しました。

 両構想とも、首都圏中央連絡道路及び常磐新線(後のつくばエクスプレス)が供用さ れた段階において、筑波研究学園都市(つくば市)、土浦市、牛久市を中核として圏域人口100万人の都市圏を整備しようとするものでした。

    茨城県はこれらの構想を踏まえて、多極分散法に基づく「土浦・つくば・牛久業務核都市基本構想」を策 定し、1993年に国の承認を得て事業化を進めました。筑波研究学園都市では、1,788haの 「業務施設 集積地区」が設定され、「中核的施設」として構想されたつくば南駐車場、市民交流施設のつくばカピオ、 国際会議場のエポカルつくばなどの施設が整備されました


図17 つくば万博1985

17 つくば万博
   筑波研究学園都市の建設事業を国の内外にPRする絶好の機会となった国際科学技術博覧会【EXPO’85】は1980年に閣議決定され、1985年3月~9月にかけて開催されました。
 47カ国、37の国際機関及び国内からの出展がなされ、期間中の来場者は2,000万人を超えるなど大成功を納めました。
 会場は周辺開発地区内に工業団地用に用意された西部工業団地(メイン会場)と都心会場(第二会場)に分けて整備され、都心会場の主要施設だった大型パビリオンは「つくばエキスポセンター」として現在も記念館として利用されています
 現在、関西大阪万博が開催されていますが、つくば万博のように大成功を納めることを期待しています。


まとめ

 行政は、外部委員よる検討会を開催して、筑波研究学園都市の基本目標等に対する点検を行いました。
その結果として、つくば国際会議場の開館やつくばエクスプレスの開通等、所要の目標を達成したものがある一方で、検討が進んでいないものや達成にまで至っていないものも一部見られました。
 そこから抽出された今後に向けての問題認識や課題(今後も取組が必要なもの)として主たるものは、以下のとおりです。

1. 研究機関が集積立地している有利性を活かした連携システムの構築とその成果の活用

2. 独創的・先進的な研究を進める上で必要な研究施設・設備の計画的な更新

3. 外国人(研究者)に対する生活支援等を担う共同のシステムの構築

4. 都市機能の充実・強化という観点でのペデストリアンデッキをはじめとした基盤施設の老朽化への対応

5. 環境に配慮した都市づくりを具体的な取組として推進するシステムの構築や、公共交通や自転車の活用等による環境に優しい域内交通システムの確立

6. 緑豊かな居住環境という視点をはじめとした国家公務員宿舎廃止後の土地  利用・機能等の確立

以上の課題を解決して、世界最先端の科学技術を活かした環境都市「つくば」を目指すこととなった。

筑波研究学園都市の街づくりは、豪州NSW州の西シドニー新空港周辺開発、モンゴルの空港周辺開発の参考とするため、近年、両国の政府関係者も視察に訪れている。

この記事が筑波研究学園都市に興味を持つ方々、都市開発の海外展開の戦略を検討したいる方の参考になれば幸いです