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【オトナになることのうた】Saucy Dog その4●アラサーのリアルな思い、「くせげ」と「よくできました」

先だっての日曜はTOKYO ISLANDというイベントに行きました。3日開催のうちの一日(というか半日)だけ参加。
自分的にはひさびさに観たアクトが多かったですね。天気のいい日だったし、妻子も楽しんでくれて何より。

すべてが、ほどほど~なイベント。平和な空間でした。


連休明けにはブルース・スプリングスティーンの物語をドラマ化した映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』を試写で観覧。ずしーんと来ました。

1982年発表のアルバム『ネブラスカ』の闇が、ストーリーの根っこにあります。こちらの心をわしづかみにしながら侵食していくようで、見応えがすごい。あの作品は、自分にとってもあらゆる意味で大きかったので。

このたび『ネブラスカ』のエクスパンデッド版が出るのは、映画の公開に合わせたものですね。いや~、43年も前なのはともかく、まさかあの作品の豪華エディションがリリースされるとは。

映画は11月14日から公開です。ファン必見です。

僕は今週も日米の野球のポストシーズンを家で観戦しています。とくに今のドジャースの相手であるミルウォーキー・ブリュワーズには思い出があるので、時々グッと来ています。
2001年にここの球場に行って、MLBを初観戦したんですよね。対ピッツバーグ・パイレーツ戦。
スタジアムであるアメリカンファミリーフィールドは、当時はミラーパークと呼ばれていました。

この試合の開始前にブリュワーズのブースでメールアドレスを登録したら、球場の名物であるソーセージ・レースのTシャツをくれるというので、もらって帰りました。しばらくよく着ていたな。

で、その年のうちだったか、翌年だったか。ブラック・クロウズのインタビューにそれを着て行ったら、クリス・ロビンソンに「ソーセージレースを観たのか?」と尋ねられた思い出があります。彼のトークにはエネルギー(圧とも言う)があって、面白い取材でした。

と思ったら、さっき来年の日本公演が発表されたのね。彼らもこの間にいろいろあったけど、元気なら何より。


それから……ディアンジェロが亡くなったのはショックでした。とんでもないアーティストだった。
ネオ・ソウルの視点から評価されているアーティストですが、自分的には3作目(にして遺作なのか)の『ブラック・メサイア』で一番ハマりました。スライに通じるような、ダウナーなファンク作だったからですね。このアルバムと、その後の2度にわたる来日公演が心に残っています。

寡作な人だったけど、彼が鳴らしていたのは、それほど濃密な音楽だった。どうか安らかに。

あと先日、僕はBEGINの35周年記念サイトに寄稿しました。ぜひご一読ください。


今回はSaucy Dogの4回目にして、最終回です。

高校時代の記憶とともに書いた「くせげ」


Saucy Dogはアルバムを、一般的にフルアルバムとされる形態ではなく、ずっとミニアルバムでリリースしてきている。
今回取り上げるのは、2024年12月に出たミニアルバム『ニューゲート』の楽曲。

まずひとつは、「くせげ」。

この歌には、こんな歌詞がある。

<あの頃の僕は未熟だった>

<街角で流れる大人びた歌/愛を語るには若過ぎたよな>

過去の自分を振り返り、その頃の恋愛と、若かった自分のことを回想している。

「くせげ」は『マイダイアリー』というドラマの主題歌だったそうで(申し訳ないが未見)、曲を書いた石原慎也はそこでこんなふうにコメントしている(主演を務めた清原果耶のコメントも合わせて紹介する)。

●Saucy Dogコメント

自分がこの曲を作るにあたり題材にしたのは高校の頃の記憶。聴く人によって捉え方が変わる思い出みたいなものを描きたいと思いました。そして制作する過程で自分自身がその時感じていた事、現在になって感じる事、未来感じるであろう事、を想像しながらひとつずつ大切に歌詞を書きました。
新たにSaucy Dogの大切な曲が出来たなと感じています。歌詞だけでなく曲にもどこか懐かしさを感じてもらえたら、いつまでもこの曲が誰かの大切な曲になってくれたら嬉しいです。

●清原果耶コメント

なんと Saucy Dog さんが本作のために主題歌を書き下ろしてくださいました。ありがとうございます。あの頃の私たちの頬を撫ぜる風が、この詩くらい優しかったら良かったのに、と曲を聴かせていただいたときに思ったりしました。「くせげ」にどこまでも想いを寄せて、大切に場面を紡いでいきます。初回放送まであと少しです。素敵な楽曲も併せて、是非お楽しみに。

石原が高校生の頃、つまり10数年も前の青春時代を思い出しながら書いた曲だけに、昔の自分を見つめるような視点がある。すでに30歳の石原には遠い過去の話のはずだが、それでも忘れられない記憶なのだろう。
これほどの時間経過があれば、その頃の自分の青臭さや未熟さを客観的に見つめることができるはずだ。おそらく、多くの人が。

こちらの記事では、彼はこんなことも話している。

石原:本当にいい曲になったと思うんです。昔を懐かしんで、ああだったな、こうだったな、だけではなく、大人になった今、二度と会えなくなった人に思いを馳せたりもして。
あと、親御さんが聴いても、すごく感じるものがあるんじゃないかなと思っております。ぜひお楽しみに!

かたやバンド・サウンドのほうは、ストレートでありながら、いくばくかの広がりと落ち着きが感じられるもの。これには3人の成長を感じる。
あえて言えば、ちょっと大人になった印象だ。

まだまだ大人にはなりきれない?「よくできました」


さて、このミニアルバム『ニューゲート』にはもう1曲、「よくできました」という、やはり大人になることについて言及した歌が存在する。

というか、なんとこちらでは<まだまだ大人には成りきれないよな>という歌詞があるのだ。先ほどの「くせげ」と同じアルバムなのに、である。

思えばこのバンドの3人には、去年のうちにこうした流れがあり、その後に先頃の「スパイス」のリリースとなったわけだ。

この【 #オトナになることのうた 】ではサウシーの、石原の曲について、その1から書いてきた。

こうしてみるとこのバンドは、初期の「煙」はともかく、それ以後に書いた大人になることにまつわる歌は、比較的この数年の間は続いている。今回の「くせげ」のような、高校時代を回想する歌も含めながら、ではあるが。

そこで思うのは、近年は石原が20代後半から30代になり、今は30代前半という年齢を生きていること。つまり自分がアラサーになり、30代を迎える、迎えたことで、大人になることへの意識が少なからず生まれていたのではないだろうか?
いや、これは単純というか、我ながら短絡的な読みという気もする。しかし、その可能性は充分にあると思う。

その中でも今回、大人になった自分と、大人になりきれない自分の両方を唄っていること。それを彼はおそらく、とてもナチュラルな気持ちで、ストレートな感情のまま、書いているのだと思う。
何しろアラサーのあたりは、そんなことをとくに思ったり考えたり、気にする年齢だと考えるからだ。



打首さんが配ったうまい棒を
子供がもらいました…
なので、これは0円!

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