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#118🎬️『私たちの話し方 ( The Way We Talk ) 』|ろう者の多様性とアイデンティティを考えた

正直、私がどこまで理解できているのか、自信はない。
それでも考えたいし、多くの人にも考えてほしいと思った。


異なる環境で育った20代の3人のろう者。 ありのままの自分で生きようと模索する、若者たちの青春群像劇。

公式サイト https://mimosafilms.com/thewaywetalk/


作中で、ソフィーが言った言葉に、私は焦った。

「人工内耳のおかげで普通の人に戻れました。欠陥は克服できる。科学の力でろう者はいなくなる。」

この言葉がどれだけ人の尊厳を踏みにじっているか、という思いと同時に、
ソフィーが、それに気付けない環境に閉じ込められていたのだ、と。


聴者にも様々な人がいるように、
ろう者や難聴者にも様々な生き方がある。

母語を何とするか。
手話、口話、またそのバイリンガル。
この作品は、
複雑な音像表現やバリアフリー日本語字幕で、
その多様性を味わわせてくれた。

補聴器に適不適があるように、人工内耳にも適不適がある。
だからこそ手術の前に精密で詳細な検査をするらしい。
でも作中で、手術しても効果がなかった人もいた。

人工内耳の聞こえ方は、
蝸牛の神経残存量 × 聴神経の健康 × 脳の音処理能力 × リハビリ
によって左右されるという。

手術をしたら、必ず快適に聞こえるようになるという訳ではない。


自身が手話話者であることを誇りに思っているジーソンに、
「音のない世界は本当に快適だったか?」
と問いかけるシーンがあった。

聴者の”快適の基準”で、聴者が作った社会が、
多くの場合、ろう者にとって完全に快適になることは難しいのではないだろうか。


手話が、国際的に公式に復権が宣言されたのはわずか16年前の2010年。
過去に手話教育を禁止されていた時期があったことは知っていたが、
それが、130年間もの長い期間だったとパンフレットで知った。

2006年の国連障害者権利条約の採択を機に、
「障害の社会モデル」が基本的な考えとなった、
とも書いてあった。
─『障害者の移動やコミュニケーションを阻んでいるのは、本人の問題ではなく社会が作っている環境が原因である。』


ろう者や人工内耳装用者は、手話ができるという思い込みも、
過去を鑑みれば、不躾な話だ。


自分のアイデンティティを提示するのは、
”同情を乞う”行為なのか、
”誇りを見せる”行為なのか。
という場面があった。

難しい。

私は、提示する側の捉え方だけではなく、
受け取る側の捉え方で変わるのだと思う。


「もし耳が聞こえるとしたら、何が聞きたい?」
─「魚たちの言葉を聞きたい」

聴者が聞き取れる音ではないその選択に、
ろう者であることの揺るぎない誇りをみた。


人工内耳を装着することで、
聴者と同じ環境で過ごしてきたソフィーも、
快適で幸せだったわけではないという描写もあった。

人工内耳アンバサダーとして、
「人工内耳で普通の生活を取り戻しました」
と言った彼女も、
「普通であることの基準は高くて、追いつくことは永遠に不可能」
「私の居場所を探しているけど、見つからない」
と葛藤していた。

手話を学び、初めて「本当に話している、表現している」と感じ、
選択肢を増やした彼女は、
自分の両手で自由に表現する手話を選び、
静寂を選んだ。


彼女の人工内耳アンバサダーとしてのスピーチを見た人が、
『エセろう者』という言葉を投げつける場面があった。

心が痛かった。傷つけた事実は変わらない。

でも、その人も、知識がないことで誰かを傷つけてしまった一人なのかもしれない。
傷つけてしまっていることにも、気付けていないかもしれない。


自分が加害者になることも、被害者になることもある。
怒りをぶつける前に、
相手の背景を考えたり、説明した方がいいのかなと想像できるようになりたい。

“理解したい”という気持ち自体が、相手にとって負担になる場面もあり得る。

でも、
共有が必要なのに、想像もできていないことがあれば、教えてほしい。


見出し画像について:
​オーストリア・インスブルックにある聴覚の科学ミュージアム『AUDIOVERSUM』の展示。
ここでは、音を振動として体感したり、肘や額を使った骨伝導で聴いたりと、耳以外で音を捉える数々の展示があった。

​この体験で、「耳で聞く」という概念が大きく揺さぶられた。

​(※AUDIOVERSUM:人工内耳やインプラント等の聴覚ソリューションを提供するMED-EL主導による、音や聴覚の仕組み、科学や技術をインタラクティブに学べる施設)


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