#134✈️解錠された扉、その向こうにあった私の無知|ロマ文化とポライモス
静かな館内で、カラフルな衣服やアクセサリーを食い入るように観ていたとき、人の姿に気付きビクッとした。
と思ったら鏡に映った自分だった。
長時間滞在したが、最後まで他の来館者とすれ違うことはなかった。
チェコのブルノでロマ文化博物館(Museum of Romani Culture)を訪れた。
Google マップで宿の近くに偶然見つけた、日本のガイドブックに載っていない場所。
知らない文化への好奇心から、静かな通りを抜けて足を運んだが、想像していたよりはるかに重い展示が待っていた。
ただ、説明はチェコ語だけで、英語のオーディオガイドを貸し出してくれたが、恥ずかしながら理解が追いつかなかった。
オーディオガイドの他に、冊子の説明もあった。
どちらがいいかと聞かれ冊子を選んだが、やっぱりオーディオガイドでお願いしますと言い直した。
展示室に入る前から、静かな館内のあちこちに興味が向いて、落ち着かなかった。
わからないまま入る展示室
最初からドキドキしていた。
展示室に入る時に、係の人に解錠してもらわなければ入れないシステムだということに加え、
入る前の注意事項で「ホロコーストの展示部分だけは写真禁止ね」という言葉で
『ロマのホロコースト?』頭が真っ白になった。
解錠してもらい、説明を受け、
「わかりました。ありがとうございます。」
と言ったはいいが、ロッカーの鍵と一緒に握っていたはずのチケットを持っていないことに気づいた。
ロッカーまで付き添ってもらい、ロッカーの中を確認したが、チケットはなかった。
ちょっと焦ったが、深呼吸すれば、足元に落ちていた。
見えているのに観えていないとは、これのこと。
もう一度解錠してもらい、なんとも鈍臭く迷惑な、
静かな博物館に不釣り合いな落ち着きのない訪問者になってしまった。
知らなかった「ポライモス」
ロマは、法的な、差別・迫害・奴隷化の歴史を経験しており、
特に中欧ではホロコースト(ポライモスPorajmos:ロマが自ら呼ぶホロコーストの名前)で多くの犠牲者が出ている。
近年まで公的な記憶として扱われなかった側面もある。
私は知らないことが多すぎて恥ずかしくなった。
これは”無知の自覚”と、”ステレオタイプの情報に向き合おうとしなかったことに対する後悔”だと思う。
『物乞いをしている人たち』が目に入っても、
ぼんやりとした「よくわからない事情」があるのだろうと、
その背後にある複雑な背景を調べようとはしていなかった。
「ジプシー」から「ロマ」へ
ロマはインド起源だとされているが、その成り立ちは単純ではなく、いくつもの移動と混ざり合いの中で形づくられてきた。
“ジプシー(Gypsy)”は外部からの呼称で、誤解に由来する。
現在では差別的な意味合いを持つため、「ロマ」や「シンティ」、「マヌーシュ」といった自称が用いられている。
見えているものだけではわからない
国や地域によってロマの存在は可視性が大きく異なるが、
それは経済だけでなく都市政策や社会構造によっても左右されている可能性がある。
制度的差別が層のように累積し、現在も教育や居住の分離などとして続き、高い貧困率や健康格差を引き起こしている。
真の「Home」とは何か
この博物館は、チェコのロマ出身の知識人グループによって1991年に設立された。
ロマ自身による独立した博物館を目指したものだという。
閉館間際まで滞在している私を、係の人は帰宅準備万端で、鍵を持って待っていてくれた。
「早く帰ってくれ」と言わんばかりの雰囲気とは程遠く、たくさんの本を「良ければどうぞ」と言って、選ばせてくれた。
その時の私でも読めそうな、学術画家「Bohumily (Míly) Doleželové」の作品コレクションと、「ロマの子供たちの目を通して見た世界」という写真集と「Tera Fabiánová」の本を頂いた。
嫌な顔ひとつせず、ニコニコと対応してくれたのが印象にのこっている。
日が落ちた通りは、明かりもまばらで、
ロマのコミュニティもあるというその一帯が、
華やかなブルノ中心部から徒歩圏内にも関わらず、
「街の外れ」という雰囲気が色濃く感じられた。
『本当の「Home」とは、人間性、尊重、
そして帰属意識によって築かれるのである。』
そこで開催されていた写真展のパネルに、こう記されていた。
誰にとっても、真の意味での「Home」があって欲しいと願わずにはいられない。
今出来ること
私に今すぐできることは思い浮かばないけれど、
今なお存在する「見えにくい隔離」や「分離教育」が、長い歴史の積み重ねの中で生まれてきたものだということを、忘れたくない。
自分がまだ気づいてすらいないことが無数にあるのだと実感した。
だからこそ、世界を見るときの感度を、これからはもっと意識して高めていきたい。
知識を持つことや、知ろうとすること、
自分の無知に気づくことが、
無関心に対する抵抗になるのかもしれない。
⬇️ロマの誇りを描いた映画『チャップリン』で、「Gypsy」という耳から入る言葉と、「ロマ」という目から入る言葉の乖離に違和感を覚えた
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⬇️私は何者かを考えた
