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AIが賢くなりすぎたら人間はどうする

AIのIQが130を超えた、と聞くとなんだか胸がざわつく。

人間の平均は100程度だというし、僕は130くらいらしいから、多少は「自分は賢い方かな」と思っていた。でも、もうそのアドバンテージが揺らぎ始めている。どこかで努力して築いた知恵やスキルが、あっさりと機械に超えられる時代になってきたようだ。

昔、そろばんで暗算ができる人は重宝されただろう。でも電卓が普及したら、その特技は瞬く間に価値を失った。

Excelが当たり前になると、むしろ頭の中で計算するなんて非効率で、弱者のスキルに逆転してしまった。賢さも同じ未来を辿るのかもしれない。

これまで知恵やIQというものに頼っていた人間は、AIがあっさり超えてしまうその瞬間、今までの価値観を手放さなければならなくなる。

「みんながAI以下」って想像すると、ちょっと怖い。3~5年もすれば、IQ160超えのAIが出てもおかしくないそうだ。

人間のトップレベルのIQを超える存在が、ポケットの中で誰でも使えるようなツールになる日が来る。そうなれば、人間の知的優位なんてものは、あっという間に平準化されてしまう。

差が消えてしまうなら、賢さは平凡で凡庸な特性になり下がる。

僕はもともと大して賢いわけじゃなかったけれど、ビジネスを通じて後天的に知恵を鍛えてきた。ところが、それがいずれ意味を失うかもしれないと思うと、少しだけ不安になる。

積み上げたものがゼロに近づく感覚は、やはり味わいにくいものだ。

人間が生き残るためには、人間らしさが必要になるのだろう。

いびつで不完全で、世界に一つだけしかない作品や、一瞬のLIVE感、同じものが二度と再現できない体験。そういう、人間だからこそ生み出せる「揺らぎ」や「温度」が、これから価値を持つのかもしれない。

でも僕は体が悪くて、大したことができない。AIに全てを抜かれてしまったら、残る手札はあるだろうか。淘汰される側かもしれないという予感が、頭の片隅でチクリと疼く。

だからこそ、今はこうしてエッセイを書いている。SNSで有益な情報をばらまく代わりに、人としての「温度」を伝えようとしている。

完全に合理的で、冷徹なまでに効率的なAIには、人間の曖昧さや微妙な感情の変化は再現しづらいはずだ。僕がここで文字を綴り、その中に人間味を滲ませることで、「ここにちゃんと息をする人間がいる」と示せるかもしれない。

AIがIQで人を超え、賢さが大した意味を持たなくなったとしても、人間は人間のやり方で存在を証明するしかない。

いびつで、不完全で、冗長で、それでも不思議な魅力があるもの。それはAIがいくら進化しても、たぶん完全には真似できない。

そんな希望に縋るように、このエッセイをしたためている。


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