コーヒーじゃなくて、居場所が欲しかった
カフェが好きだ。
警察学校を辞めたばかりの頃、消防試験を受けるという名目で公務員試験の勉強をするためにカフェを利用し始めたのが最初のきっかけだった。
その頃はまだ精神的に不安定で、実家で過ごすと両親に家事をしろと言われたり、気まずい沈黙が増えたりで、家にいることが落ち着かなかった。
図書館は静かすぎて息苦しいし、自分の部屋もなぜか重たい空気がこもっているように感じられた。
そんなとき、神戸の街でバイトをしていたことがきっかけになった。
バイト先と用事の合間にふらりとスタバへ入ってみると、そこには程よいざわめきがあった。
三宮には複数のスタバがあり、その日の混雑状況に合わせて選ぶことができた。
最初はスタバばかりだったけれど、混んでいたらタリーズやサンマルク、ドトールへと足を向けることも増え、いつの間にか「チェーン系カフェを渡り歩く」という過ごし方が自分の日常に溶け込んでいった。
最初は「勉強するため」だったカフェ通いは、次第に「家にいたくないから」になり、さらには「読書をして気分転換をするため」と用途が変わっていった。
両親や家の中の気まずさから逃れるように、カフェで一人過ごす時間はどこか解放的だった。
中高大と部活を続け、人と行動することが当たり前だった自分にとって、一人で動く生活は不安定だったけれど、このほどよく人がいて、自分には干渉されない場所は、気づけば居心地がよくなっていた。
昔は夏の暑い日でも、テラス席に出て冷たい飲み物を啜る余裕があったように思う。
けれど年々暑さが堪えるのか、最近は夏のテラス席はちょっと無理だなと感じることが多い。
逆に、今は平日の午前中など、人混みが少ない時間帯ならテラスでコーヒーを飲む贅沢を味わえるようになった。
昔が良かったとか悪かったとかではなく、そのときの体調や気分、天候に合わせて過ごせる自由さが、今のカフェ通いの醍醐味でもある。
妻とは付き合っているころから一緒にカフェへ行くことが多かった。
妻にとっては退屈かもしれないけれど、僕はルーティンを崩すのが苦手で、「あっちこっち新しい店に行くより、いつものカフェで安定した空間を楽しむほうがいい」と思っているタイプだ。
本やネットで情報収集するのが好きな性格だから、わざわざ新しい店やスポットを開拓するより、なじんだ場所でのんびり過ごすほうが心地いい。
犬を飼うようになってからは、妻の提案で犬OKのスタバに行くことも増えた。
犬が一緒だと気になることも多いけれど、それでも、テーブル越しに妻と犬がいて、自分はコーヒーを啜っている。
そんな光景は、かつて居場所を求めてカフェを点々とした自分には想像できなかったかもしれない。
コーヒーそのものが特別好きなわけじゃない。
でも、チェーン系カフェの一定した内装と空気、食器がかちゃかちゃ鳴らない静けさ、店員さんの安定した接客、そして必要以上に干渉してこない適度な距離感は、自分の居場所を「ない」と思っていた日々を思い返すと、今でもありがたい存在だと思う。
カフェは僕にとって、適度な雑踏があり、誰も深くは踏み込んでこない場所だ。
最初は勉強だった。
そのあと家避けで、読書で、気晴らしで、今では妻や犬とも行く。
日常の中で形を変えながら、カフェはずっと、自分がここにいてもいいんだと思わせてくれる小さな避難所のような場所なのかもしれない。
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