湯たんぽはどこに消えたのか
湯たんぽを初めて使ったのは去年。
たかが熱湯を入れるだけで布団がポカポカになるなんて、なんだか魔法みたいで、僕はものすごく感動してしまった。
妻いわく、子どもの頃は銀色の金属タイプを使っていたらしいが、僕の初湯たんぽは無印良品の白っぽいやつ。
見た目がシンプルで、ちょっとオシャレ。 でも手に持つと、ちゃんと熱いんだなというのがわかる。
今年の冬に入るころ、そいつが見つからなくなった。
正確に言うと、妻が「しまってあるよ」と言っていたから安心してたんだけど、いざ出そうとして探してみるとない。
押し入れなのか、納戸なのか、大晦日に向けて不用品をばんばん処分する過程で発掘されるはずが、出てこないまま十二月がスタートした。
どこに行ったのだろう。
熱湯であっためるだけのやつが、自分で歩いて消えるわけもないのに、どうして見つからないのか不思議だ。
結局、新しい湯たんぽを買った。無印良品で去年と同じようなものを見つけて、二代目をお迎え。
初代は行方不明だけれど、二代目がやってきて布団の中をあっためてくれるなら、まあいいかと思う。
妻が「また買うの?」と訊いてきたけれど、どうせ探しても見つからないなら仕方ないよね、という言いわけで合意。
ロイヤルホームセンターで似たような湯たんぽコーナーを通りかかったとき、妻は子どものころ使っていた銀色の金属タイプを指差して「あれ前使ってたやつ」と懐かしんでいた。確かにいかにも昭和っぽい、熱いですよーみたいなデザイン。
無印のは半透明の白だから、見た目はすごくクールだが、熱いとはあまり主張しない感じ。でも実際に湯を入れると、めちゃくちゃ温まる。
ちょうどいま、バルミューダの白い電気ケトルで熱湯をつくっている。この作業がちょっと面倒くさいけど、どこか愛おしくもある。
電気式の湯たんぽみたいなのもあるけど、僕はあえて昭和っぽい「お湯を入れるだけ」派にときめいてる。あの熱湯の重さを感じると、なんだか現実の温かさが増す気がする。
専門家によると電気式のほうが光熱費が安いとか、合理的だとか言われるらしいが、そこは気分優先でいいかな、と思う。
「ただのお湯」なのに、この令和の時代に最高の発明かよ、みたいなテンションになるのは、ぼくだけだろうか。
そういえば、ぼくは安かったり無料だったりするものに妙な魅力を感じる性格で、昔から「これはお得だ」と思うと買い込みがち。
しかも、湯たんぽはあまり場所を取らないし、しかも熱湯で布団がホカホカになるなんてお得すぎるだろう、と勝手に思っている。
初代が行方不明なのは残念だけど、二代目を丁寧に使っていこう。今年もおかげで寝るときに足元が暖かいし、なんとなくレトロな雰囲気もあって気に入ってるから。
毎晩、ケトルが湧く間にこうしてエッセイをしたためるのも悪くない暇つぶし。書き終わるころにお湯が沸いて、湯たんぽにそっと注ぐ。
布団に入れておくと、ものの10分もすればぬくぬくでだ。これで朝まで完璧に温かいとはいかないけど、深夜には少しぬるくなった湯たんぽが「まだまだいけるよ」と抱っこされるのも、なんだかいい。
たとえ無くした一代目が突然出てきても、二代目とペアで使えばいいだけだし、なんなら三代目だって迎えてもいい。それくらい、湯たんぽの手軽な温かさにはまってる。
湯たんぽのシーズンはこれからが本番。無印の白いポリエチレンに熱湯を注いで、ぼくは今冬の睡眠も、時代錯誤な幸せを手に入れる。
明日も仕事は入れてない。湯たんぽで冷えた足を温めながら、好きなだけベットで本を読んで、好きな時間に起きよう。
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