見出し画像

「自分らしさ」の輪郭が見つからないあなたへ~写真集『都とちひろ』から考える「いのち」に関する授業♯266

1学期の終わりに、全科目の授業で「いのち」をテーマに扱う授業ウィークがありました。

さて、「女性学」×「いのち」でどういった授業をつくるか。 私の頭の中では、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」や「ケア」など、さまざまなアイデアがよぎりました。

しかし、1学期を通してジェンダーバイアスについて学んできた生徒たち。


「女性らしさ」という無意識の偏見が日常の隅々に潜むなかで、まずは「自分らしく生きる」ことに目を向けてほしいと思いながら授業を行ってきました。

そうしたこれまでの学びとの接続を意識して企画した、いのちをテーマにした女性学の授業。題材にしたのは、写真家・石内都さんの一冊の写真集『都とちひろ』でした。

遺品から立ち上がる、生身の人間

『都とちひろ』は、同じ大正から昭和という激動の時代を生きた藤倉都といわさきちひろ、二人の女性の「遺品」を撮影した写真集です。

授業の前半では、まず二人の遺品の写真だけを見て「どんな人物だったのか」を想像するワークから始めました。

(ぜひ、みなさんも、こちらのHPからお二人の生きた足跡である遺品の写真をご覧ください)

藤倉都、いわさきちひろともに、大正から昭和初期、女性には家父長制のもとで法的な権利が十分に認められず、「良妻賢母」という社会規範によって自ら人生を選び取ることが難しい時代でした。そうした社会の中でも、二人は手に職を持ち、自らの力で戦前・戦後を生き抜きました。

  • 藤倉都(1916–2000)農家の五女として生まれ、18歳で自動車運転免許を取得。タクシーやバス、トラックなどあらゆる車を乗りこなしたドライバー。

  • いわさきちひろ(1918–1974)14歳で画塾に通い、戦後に画家として立つことを決意。子どもや絵本の世界を中心に活躍した画家。

写真を見たあと、生徒たちは、このプロフィールも伝え、どのような女性像をイメージするかも尋ねました。

また、授業の中では、この写真集に寄せられた作家・千早茜さんの言葉を紹介しました。

「人が人を語り継ぐ時、社会的な面ばかりが前にでて、そういった人生の細部はこぼれ落ちてしまう。石内都の写真はそのこぼれてしまうものをすくい、生身の人間が生きた姿を再現させる。」

私たちは人を語るとき、「たくましい職業婦人」「優しい絵本画家」「母」「妻」といった分かりやすい言葉でイメージを固定してしまいがちです。

しかし、彼女たちの残した遺品(口紅や使用していた下着の鮮やかさ、そこから感じられる色気、お気に入りの洋服のレースなど)を見つめると、そこには記号化された肩書きではない「一人の生身の人間」としての暮らしや息遣いが立ち上がってきます。

どの姿が、どの顔が、その人の真実だったかなんて誰にもわかりません。作家・平野啓一郎さんの言う「分人」のように、人間は単純なひとつのカテゴリーに収まるものではなく、多面的なグラデーションの中で生きているのです。

日用品やからだに刻まれた「いのちの痕跡」

授業の後半では、視点を写真集の二人から「現在の自分自身」へと移しました。

毎日使っているお気に入りの文房具や靴、使い古したノート。あるいは、石内都さんの写真集『マザーズ』に収められているような手などの身体の一部。
そうした「もの」や「身体」には、社会的な肩書きを剥ぎ取ったあとに残る、かけがえのない「いのちの痕跡」が刻み込まれています。

例えば、私が高校時代を過ごしたのは平成のど真ん中。「平成の女子高生」というと、ガングロギャル、安室ちゃん、あゆ、渋谷109、eggなどが世間的な代名詞かもしれません。

確かに私も安室ちゃんが大好きで、カラオケであゆの曲も歌っていた。
けれど、私の高校時代をより色濃く物語る「生きた証」は、もっと個人的な細部にあります。

  • 祖父にもらったラジオ(吉本の若手芸人の深夜ラジオを夢中で聴いて、ハガキ職人もしていた。ネタが読まれたときの興奮と言ったら!)

  • 雑誌『mc Sister』(仲の良かった友達もmc Sisterが好きだった。シスターモデルに応募したいと言って、撮影会を開いたな)

  • 志望校の赤本(「もう無理かもしれない」「落ちるのが怖い」「でも、ここでやめられない」そんな葛藤で流した涙の痕跡が残っている)

何気ない「もの」の中にこそ、自分が確かに生きてきた足跡が詰まっています。

また、石内都さんの写真集『マザーズ』に残されている、お母さまの身体の一部を眺めていると、私自身が乳がんで切除した右胸のことを思い出します。

今はもう身体の一部ではなくなった切り取られた右胸の写真を見せてもらったとき、子どもたちが小さかった頃の記憶が一気に蘇りました。おっぱいが大好きでたくさん吸っていたこと、不安なときに安心を求めてよく触りにきたこと。幸せだったぬくもりも、引っ張られて痛かった感覚も。当時の感情をリアルに思い出しながら、「確かにあの時、私自身は生きていた」という生々しいいのちの手触りを実感しました。

人生の細部にこそ宿る「私らしさ」

今回の講義課題は、「これを見ると、自分がたしかに今、ここで生きている人間なんだと実感できるもの」を見つけて撮影し、そのエピソードを綴ることでした。

SNSや社会生活の中では、どうしても「どんなグループに属しているか」「何者であるか」という外側の属性ばかりを気にしがちです。けれど、自分という存在は、日々の暮らしの些細なこだわりや、手垢のついた日用品、誰にも見せない感情の揺らぎといった「人生の細部」にこそ宿っています。

課題として提出された写真には、自分自身が書き留めてきた詩集や、親御さんとの思い出が詰まったものなど、一人ひとりの物語が写し出されていました。写真とエピソードを通して、それぞれの確かな「いのち」が伝わってきました。

「いのち」という言葉は、ときに抽象的なものとして感じられます。

けれど、私が乳がんの告知を受けた日、放課後の運動場でただ楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿と、また子どもと一緒に「きれいやなぁ」と呟いた茜色に染まる夕焼け空を眺めながら、「あたりまえと思っていた日常の風景がこんなにも愛おしいものだったのか」と胸を打たれたことがありました。自分が生きていることを実感する瞬間は、こういった見慣れた景色の中にありました。

大笑いする日も、涙する日も、飛び上がるような嬉しいことがあった日も、苦しい日も、今日一日何してたんだろ、と思う日も。日常の一瞬一瞬が、実はかけがえのない大切な瞬間だということに、生徒たちが気づいてくれていたら嬉しいです。

大人はつい「自分らしく生きよう」「あなたらしさを大切に」と言いがちですが、私自身、高校生の頃は自分の輪郭なんてまったく掴めず、少しずつ自信が持てるようになったのは20代、30代になってからでした。

「自分らしさがわからない」と悩む高校生たちへ。
肩書きや属性を探さなくても、あなたの日常にある何気ない持ち物や日々の痕跡の中に、すでに「あなたらしさ」のヒントは確かに息づいています。


京都を拠点にキャリアコンサルタント・高校教員(女性学)・不動産業をしているパラレルワーカーです。元JTC会社員、転勤・駐在妻。2児の子育て中であり、乳がんサバイバー(ホルモン療法中)。子育て・治療と仕事の両立中。noteには日々の仕事、くらし、子育てについて綴っています。
いいね、フォローも励みになります!

いいなと思ったら応援しよう!