「選ばれる時代」に違和感を覚えた日——採用の本質は、ずっと変わっていない

その投稿を見たとき、僕は少しだけ立ち止まった。

タイムラインに流れてきたのは、採用に関するある文章だった。

「これからの採用は、“人を選ぶ”から“人に選ばれる”時代へ」

きれいに整えられた言葉だった。
多くの人が共感しそうな、わかりやすい表現。
実際、いいねもコメントも、それなりについていた。

でも、僕の中には、すぐには言語化できない違和感が残った。

——今さら、それを言うのか。

そんな感覚だった。

否定したいわけではない。
言っていること自体が間違っているとも思わない。

むしろ、その一部は、確かにそうだとも思う。

ただ、それを「今の時代だからこそ」と語ってしまうことに、どこか引っかかりを覚えていた。

僕はスマートフォンの画面を閉じて、少し考えた。

——採用の本質って、そんなに変わったんだろうか。

頭の中で、これまで関わってきた数えきれないほどの採用の場面が浮かんでくる。

新卒採用。
中途採用。
面接。
面談。
内定承諾の瞬間。
辞退の連絡。

その一つひとつを思い返していくと、ある感覚がはっきりしてきた。

——結局、ずっと同じことをやってきたんじゃないか。

企業は、人を選ぶ。
でも同時に、人にも選ばれている。

それは、昔からずっとそうだった。

ただ、それを言葉にしていなかっただけだ。

あるいは、言葉にする必要がなかっただけかもしれない。

昔は、企業のほうが強かった。
選ばれる側は、企業ではなく、個人だった。

だから、「選ぶ」という側面だけが強調されていた。

でも、だからといって、企業が一方的に選んでいたわけではない。

本当は、そのときからずっと、両者は選び合っていた。

ただ、そのバランスが見えにくかっただけだ。

僕は、ある面接の場面を思い出していた。

まだ人事になりたての頃。
ひとりの候補者と向き合っていたときのことだ。

その人は、特別に目立つ経歴を持っていたわけではなかった。
スキルも、突出しているわけではない。

でも、話をしていると、不思議と引き込まれる感覚があった。

「この会社で、何をしたいですか?」

僕がそう聞いたとき、その人は少しだけ考えてから答えた。

「正直に言うと、まだはっきりとは決まっていません」

一瞬だけ、空気が止まる。

でも、その人は続けた。

「ただ、自分がどうなりたいかは考えています。その上で、この会社でできることと、できないことをちゃんと知りたいと思っています」

僕は、その言葉を聞いたとき、少し驚いた。

——この人は、会社を見ている。

ただ受け身で選ばれるのを待っているわけではなく、自分の意思で、この場に立っている。

その瞬間、僕の中でひとつのスイッチが入った。

——ああ、これは“選ばれる側”じゃないな。
——この人は、“選んでいる側”でもある。

その場は、面接だった。
形式としては、企業が候補者を評価する場。
でも、実際に起きていたことは、もっとシンプルだった。

お互いに、お互いを見ている。

それだけだった。

僕はそのとき、初めて気づいた。

——採用って、対等なものなんだな。

それから何年も経って、人事として多くの採用に関わってきた。

その中で、時代は確かに変わったと思う。

情報は増えた。
選択肢も増えた。
個人が意思を持つことも、当たり前になってきた。

いわゆる「キャリアオーナーシップ」という言葉も、よく聞くようになった。

でも、それは本質的な変化ではない。

表に出てきただけだ。
もともとあったものが、見えるようになっただけだ。

それなのに、それを「時代の変化」として切り取ってしまうと、どこかで本質を見失う。

「今は選ばれる時代だから」

そんな言葉が、ひとり歩きする。

すると、何が起きるか。

企業は「どう選ばれるか」を考え始める。
候補者は「どう選ぶか」ばかりを考える。

本来、ひとつだったものが、分断されていく。

でも、現実はそんなに単純じゃない。
選ぶことと、選ばれることは、切り離せない。
同時に起きている。

どちらか一方だけを見ていると、必ず歪む。

僕は、ある企業の採用活動を思い出していた。

その会社は、「選ばれる企業になる」というテーマを掲げていた。

ブランドを磨き、発信を強化し、候補者体験を向上させる。

取り組みとしては、どれも間違っていない。

でも、現場で起きていたことは、少し違っていた。

面接の場で、企業側が過剰に“いい顔”をする。

「うちはこんなにいい会社です」
「働きやすい環境です」
「成長できます」

そういう言葉が並ぶ。

でも、その裏で、本当に向き合うべき問いが抜け落ちていた。

——この人は、この会社で本当に活きるのか。
——この会社は、この人にとって意味のある場所なのか。

その問いに向き合わないまま、「選ばれること」だけを目指す。

すると、どうなるか。

短期的には、採用はうまくいく。

でも、長期的には、ズレが生まれる。

入社後に違和感が出る。
早期離職が増える。
お互いに、「こんなはずじゃなかった」と思う。

それは、どちらかが悪いわけじゃない。

最初から、ちゃんと向き合っていなかっただけだ。

僕は思う。
採用の本質は、とてもシンプルだ。

「この人と、この組織は、一緒に未来をつくれるか」

ただ、それだけだ。
そのためには、選ぶことも必要だし、選ばれることも必要だ。

どちらか一方では成立しない。

だからこそ、「選ばれる時代」という言葉には、少し違和感がある。

それは、片側だけを強調しているからだ。

本来は、もっと当たり前のこと。

「選び合う」

ただ、それだけの話だ。

でも、その“当たり前”を、ちゃんとやれているかどうか。

そこが、いちばん難しい。

僕は、これまでの採用の場面を振り返りながら、思う。

うまくいった採用には、共通点がある。
それは、お互いに、誠実に向き合っていたことだ。

よく見せようとしすぎない。
取り繕わない。
ちゃんと、言うべきことを言う。

「この会社には、こういう良さがある」
「でも、こういう難しさもある」
「あなたには、こういう強みがある」
「でも、こういう課題もある」

そうやって、少し踏み込んだ対話をする。
そこには、効率の悪さがある。

時間もかかる。
面倒くさいこともある。

でも、その“面倒くささ”の中にしか、本当の意味でのマッチングはない。
逆に、効率だけを追い求めると、どこかでズレる。

スペックの一致だけでは、人と組織は続かない。

だから僕は、思う。

採用市場が「よくわからない状態」になっているのは、時代が変わったからではない。

本質を見失っているからだ。

「選ばれる時代」という言葉に乗っかって、本来向き合うべき問いから目を逸らしている。

でも、やることは変わらない。
目の前の一人と、ちゃんと向き合うこと。
その人の人生に、少しだけ踏み込むこと。
そして、自分たちの組織のことも、ちゃんと開示すること。

その上で、それでも一緒にやりたいと思えるか。
その問いに、お互いが「YES」と言えるかどうか。

それだけだ。

採用は、特別なものじゃない。
ただの、人と人の関係だ。
だからこそ、難しいし、だからこそ、面白い。

僕は、あの投稿を思い出しながら、ふと思った。

——きっと、これからも同じことが繰り返されるんだろうな。

時代が変わった、という言葉が出てきて、本質ではない部分が強調される。

でも、そのたびに、立ち返ればいい。
選ぶことと、選ばれること。
その両方を、ちゃんと見ているか。

結局は、それに尽きる。

キャリアは、選ばれるものじゃない。
自分で選び、そして、選ばれる。
その往復の中で、つくられていくものだ。

そして、採用もまた、同じだ。

どちらか一方の話ではない。
ずっと昔から、ただ「選び合っている」だけなのだから。

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