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【短編小説】さよなら、ノストラダムス

1999年1月17日のことである。
ある一人の女が、テレビスタジオで明かりに照らされていた。

「ノストラダムス?」高見澪子は優雅に首を振った。

「あんなもの、当たるわけないでしょう。五百年も前の予言で、未来なんて知れるはずがない」

スタジオに安堵の空気が流れる。7月まで、あと半年。

「でもね」澪子の声が低くなった。「私は知っているわ。本当の恐怖は、あなたたちが今選んでいる道よ。運命は変えられる。でも、変えなければ……」

絶妙な沈黙。三十年のキャリアが生んだ間だった。

電話相談が始まる。

「先生、城田と申します」

「わかるわ、仕事のことでしょう?」澪子は即座に言った。

「え…なぜ…?」城田の声が震えた。「明日、大きな商談があって……」

「その商談、延期したほうがいいわ」澪子の声は慈愛に満ちていた。「私には見える。今はタイミングが良くない。少し待てば、もっと良い条件で話がまとまる」

「でも、会社に迷惑が……」

「亡くなったお父様のためにも、信じなさい。あなたのためを思って言っているの。必ず、もっと素晴らしい結果になるから」

「父のことまで…先生はなんでもお見通しなんですね。信じます」城田はそう言って、電話を切った。

次の相談者が電話をかけてきた。

「田中と申します」

「旦那さんと上手くいってないわね」澪子が先に言った。

田中は小さく悲鳴を上げた。「どうして分かるんですか?浮気が発覚して……」

「辛いでしょうね。でも、これは新しい人生の始まりよ。今こそ、自分自身を大切にするとき」

「でも、子供たちが……」

「お子さんたちも、お母さんが幸せでいる姿を見たいはず。今は少し距離を置いて、自分の心と向き合ってみて。きっと答えが見つかるから」

田中は涙ながらに感謝し、電話を切った。澪子の表情に、深い満足感が宿った。また一人、救うことができた。

三人目は学生だった。

「菅野です」

「あなた、就職で悩んでいるわね」澪子は確信に満ちていた。

「はい…でも、なぜ…?」

「内定をもらったけれど、本当にその会社でいいのか迷っているのね。その内定、一度立ち止まって考えてみて。あなたにはもっと合う場所がある気がするの」

「でも、IT関連の急成長企業で、今すごく注目されてて……」

「だからこそよ。流行に惑わされてはだめ。あなたの本当の適性を見つめ直してみて。必ず、心から納得できる道が見つかるから」

菅野も最終的に感謝の言葉を述べて電話を切った。

澪子は心から満足していた。三人の魂を、暗闇から光へと導いた。これこそが自分の使命だった。

番組は大成功だった。視聴者からの感謝の電話が鳴り止まなかった。


時は変わって、7月25日。

「ということで、ノストラダムス騒動も残り一週間ですね」司会者が神妙な面持ちで言った。

「まったく馬鹿げた話」澪子は余裕の表情だった。「そんなことより、今日は視聴者の皆さんとの直接対面でしょう」

スタジオのドアが静かに開いた。

「失礼いたします」

壮年の男性が丁寧に頭を下げた。品のある立ち居振る舞い。その後ろに、数人の人影が続いた。

「高見先生にお礼を申し上げたくて」

澪子の顔が輝いた。生放送中の感謝ほど効果的なものはない。

「どうぞ、こちらへ」

高岡誠一郎と名乗った男性が、ゆっくりとカメラの前に歩を進めた。

「先生、私の会社の城田が、先月お世話になりました」

「ええ、覚えていますわ」澪子は得意げだった。

「おかげさまで、商談を延期できました」

「それは良かった」澪子は心から喜んだ。「きっと、もっと良い条件で——」

「結果、取引先に逃げられて、三千万円の損失でした」

澪子の表情が困惑に変わった。「それは…一時的なもの。きっと、もっと良い取引先が——」

「こちらの田中さん」高岡が隣の女性を示した。「先生のアドバイスで夫と距離を置かれました」

澪子は安堵の表情を見せた。「それは良いこと。自分を見つめ直すのは——」

「結果、離婚に追い込まれました」田中美枝が震え声で言った。「子供の親権も取られて……もう一ヶ月、会わせてもらえません」

「そんな…」澪子は当惑した。「でも、それは新しい人生への——」

「そして菅野君」高岡が続けた。「内定を辞退されました」

「それは正解」澪子は必死に言った。「流行に惑わされないで——」

「僕は今、コンビニでアルバイトです」菅野が呟いた。「友人達は、初任給で家族にプレゼントを」

スタジオの空気が変わった。観客席がざわめき始めた。

澪子は混乱していた。なぜこうなるのか。自分は彼らを救おうとしただけなのに。

「皆さん」彼女は視聴者に向かって語りかけた。「これが運命の試練なのです。今の苦しみは、必ず大きな幸福への道筋——」

「先生」高岡の声が、すべてを止めた。

「城田の父親の件、どうしてご存じだったんですか?」

「それは、霊視で——」

「番組スタッフが、事前に調査していたからでしょう」

澪子の顔が青ざめた。

高岡は内ポケットから一枚の紙を取り出した。

「1970年、オカルト雑誌『ムー・プロト』の記事です。当時の田中澪子さん、あなたの記事ですね」

「『1999年7月、恐怖の大王が必ず降臨する。私の霊視に間違いはない』」高岡は静かに読み上げた。「今日のあなたの言葉と、正反対ですが」

スタジオが静まり返った。カメラが澪子の顔を捉えていた。

「どちらが本当なんですか?」高岡の問いは氷のように冷たかった。「あなたの霊視は、当たるんですか?」

澪子は答えられなかった。三十年間、人々を救い続けてきたはずなのに。いつも結果は同じだった。でも、それは試練のはずで、いつか必ず……

「私は」澪子は震え声で呟いた。「私は、人を救って……」

救っていたはずだ。皆私に跪いて感謝した。
それが三十年間、救うどころか、壊していた?
そんな馬鹿な話があるか。私は救世主だ。

「運命は」高岡が静かに続けた。「誰にも操れません」

澪子の化粧の下で、汗が光る。ファンデーションが、ひび割れた。カメラが止まる。

テレビの画面には、ただ、黒洞々たる闇が広がっていった。


結局、恐怖の大王は空から降ってこなかった。
しかし、偽りの予言者には降ってきたらしい。

そして誰も話さなくなった。
高見のことも、ノストラダムスのことも。 

未来の行方は、誰も知らない。



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