【短編小説】力士は意外となんでもできる
玄関のドアベルが鳴った。
誠は宿題から顔を上げた。お母さんは昨日から長い出張だから、今日から来るお手伝いさんのはずだ。
ドアを開けると、山のような男が立っていた。いや、山が立っていた。
「西野誠くんですね。家政夫の、鉄山剛です」
誠は首が痛くなるほど見上げた。
「すげー...でけぇ」
鉄山は丁寧に靴を揃えて上がった。その手が、誠の顔くらい大きいことに気づく。
「お腹空いてますか?」
「うん。カレー作れる?」
「もちろんです」
鉄山はエプロンをつけて台所に立った。誠がゲームをしていると、やけにぐつぐつする音が聞こえてくる。
「はい、できました」
テーブルに置かれたのは、でかい鍋だった。
「あれ、これカレー?」
「カレー風ちゃんこです」
「なんで鍋なの」
「力士は基本、ちゃんこなんです」
誠は目を丸くした。
「力士?お相撲さん?若熊山みたいな、テレビに映るやつ?」
「はい。私はそこまで届きませんでしたが」
「でもすげーじゃん」
一口食べると、表情が変わった。
「うまっ...めっちゃうまい」
「若嶽部屋で、ちゃんこ長をしておりました。名横綱、若熊山関もお好きな味です」
翌日の朝食も、ちゃんこだった。鍋の中に、白い豆腐が煮えている。
「鉄山さん」
「はい」
「なんでもちゃんこにする呪いなの?」
鉄山は真剣な顔で答えた。
「呪いではありません。これが俺の料理です」
「なんで鍋ばっかりなの?ちゃんこって鍋以外にもあるってYouTubeで見たけど」
「鍋こそが最も栄養バランスが良く、みんなで囲んで食べられるんです」
その夜、誠は鉄山が洗濯をするのを見ていた。洗濯機があるのに、なぜか手で洗っている。
「なんで洗濯機使わないの?」
「機械に頼ると、人としての能力が落ちるんです」
「でも便利じゃん」
「便利すぎると、自分の手を使わなくなる。この手で感じ取れるものが分からなくなってしまう」
誠は首をかしげた。変な人だ。でも、手で絞った体操服は機械よりもぴしっと仕上がっていた。
「すげー。手がアイロンだ」
「15年間、毎朝まわしを締めた手です」
翌朝、誠は友達に報告した。
「うちの家政夫さん、何作ってもちゃんこにする呪いにかかってる。あと、手がアイロンになる」
「そんなわけないだろ」
悔しい。いつか証明してやる。
家に帰ると、鉄山が雑巾で床を拭いていた。掃除機があるのに、なぜか四股を踏むような格好で雑巾がけをしている。
「掃除機あるのに。なにその動き」
「土俵を清める動きです。つい、出てしまいます」
誠は笑った。
「土俵じゃないよ、リビングだよ」
「分かってるんですが...体が覚えているんです」
鉄山の顔が少し寂しそうに見えた。誠は聞いてみた。
「お相撲、恋しい?」
「毎日です」
「なんでやめたの?」
鉄山は膝を触った。
「怪我をしました。もう少しで関取というところで、土俵に上がることができなくなって」
「悲しかった?」
「とても。15年かけて登った階段を、一瞬で転げ落ちた気分でした」
誠はしばらく黙っていた。
「でも今、僕の家を守ってくれてるじゃん」
鉄山の手が止まった。
その翌日、誠は膝を擦りむいて早退した。傷は治療してもらったようだが、熱が出ている。
「...体が...だるい」
鉄山は手のひらを誠の額に当てて確認した。
「あったかい」
「機械で測るより、手の方が正確なんです」
鉄山は丁寧に看病してくれた。ゴツゴツした手なのに、とても優しかった。
「鉄山さんの手、お母さんよりあったかい」
その翌日。熱の下がった誠は、タブレットで鉄山の手仕事を撮影していた。
「なにをしてるんですか?」
「友達に見せるの。すごいって言わせてやる」
鉄山は困ったような顔をした。
「...そんなもので人の心は伝わるんでしょうか」
「伝わるよ。こんなすごい人、他にいないもん」
誠は動画を友達に送った。反応はすぐ返ってきた。
「マジですげー!」「会ってみたい!」
タブレットを見せると、鉄山は画面を見つめて長い間黙っていた。
「みんな、喜んでくれているんですね」
「そうだよ」
鉄山はゆっくりと言った。
「機械で...人の心を伝えることもできるんですね。俺が間違っていました」
「機械が悪いんじゃないよ。使い方だよ」
「そうですね。君が教えてくれました」
一ヶ月後。母の葵がパリから一時帰国した。誠は学校で書いた作文を読んだ。
「僕の家の力士」
鉄山さんは何を作ってもちゃんこにします。でも、とてもおいしいです。手でアイロンができて、リビングで四股を踏みます。変な人だけど、僕を守ってくれます。お相撲をやめて悲しかったけど、今は僕の家を守る力士になりました。
葵は涙ぐんで、鉄山の方を見た。
「ありがとう。誠がこんなに嬉しそうなの、久しぶりです」
三人で夕食を囲んだ。今夜は洋風ちゃんこだった。
そのとき、誠がふと言った。
「僕も強くなりたいな」
鉄山は箸を止めて考えた。
「格闘技は良いですよ。ただ、誠さんは少し小さいので、相撲は難しいかもしれませんね」
「他にもあるの?」
「ボクシングとか...でも一番大事なのは、何のために強くなりたいかです」
誠は鉄山の大きな手を見つめた。
「鉄山さんみたいに、人を守れるようになりたい」
時は流れ、誠が中学に上がると同時に、契約は終了となった。
最後の日、二人は並んで座っていた。
「鉄山さん、ありがとう。僕、変わったと思う」
「俺も変わりました。君に出会えて、機械との付き合い方も覚えました」
誠は小さな箱を差し出した。
「これ、プレゼント」
中から出てきたのは、スマートフォンだった。
「誠さん...」
「これで、いつでも繋がれるでしょ?」
鉄山の目に涙がにじんだ。
「君はもう、俺の大切な友達です」
数年後、大学生になった誠が鉄山のアパートを訪ねてきた。誠はがっしりとした青年になり、鉄山は老人ホームで働いていた。今でも月に一度は顔を合わせている。
「今日も元気そうですね、鉄山さん」
「誠さんも。今日は何ちゃんこにしましょうか」
「カレー鍋にしましょう。僕が作りますね」
鉄山は手のひらをかざし、鍋の温度を確かめた。
「良い火加減ですね。君も上手になりました」
そして、傷だらけのスマートフォンを取り出した。
「写真、撮りませんか?記録しておきたいんです」
「まだ使ってるんですか?そのスマホ」誠は笑った。
シャッター音が響いた。画面には、手作りのちゃんこを囲む二人の笑顔が写っていた。
二人は、時を越えてつながっていた。
手の温もりも、機械の便利さも、どちらも大切にしながら。
