PHOTO:KOUHEI KANNO
美容室「カキモトアームズ」を運営する柿本榮三美容室は3月1日付で、前取締役の村松亜子氏を社長に起用した。村松社長は、1999年に「カキモトアームズ」に入社して以来、PRやブランディングを長年担当し、2015年7月に取締役に就任した。技術者ではない人物が、人気ヘアサロンのトップに就くのは珍しいケース。ここでは同社長に、就任のいきさつと今後のビジョンを聞いた。(この記事は「WWDBEAUTY」2026年3月23日号からの抜粋です)
WWD:入社したきかっけは?
村松亜子社長(以下、村松):私が高校生の頃に、「カキモトアームズ 田園調布店」にお客として通い始めたのがきっかけです。そんなときに「カキモトアームズ」の幹部たちが、ニューヨークにサロンビジネスの視察に行くという話を聞いたのです。当時の私は語学ができたため、「通訳として一緒に来ないか」と誘っていただき、アルバイトのような形で同行させてもらうことになりました。
WWD:お客さんだったのにすごい。
村松:そうなんです(笑)。ニューヨークでは、美容室が大きなビジネスとして成り立っている街の姿を目の当たりにしました。また同時期に、ロンドンで“カラーリスト”という専門職が生まれていることを知り、そちらにも足を運びました。これら海外での経験は、私にとって「美容室という場所は、こんなにも可能性があるんだ」と、その面白さに心を奪われる強烈な体験でした。その後の1999年に、「カキモトアームズ」は青山へ進出する決断をします。世はまさにカリスマ美容師ブームの真っただ中。そのタイミングでオープンする青山店を、「ヘアカラーを軸に成功させたい」という会社の強い思いがありました。その時に「入社しないか」と誘われたのが、私のキャリアの始まりです。
WWD:入社後は?
村松:入社後は、まず“カラーリスト”という仕事をいかにお客さまに伝え、定着させていくかに注力しました。当時は、ヘアカラーの調合は裏で行う“汚れる仕事”というイメージが強かったのです。それを私たちは、あえてオープンキッチンのカウンターのように、お客さまから見える場所で行うようにしました。今では全店舗の象徴となっているこのカラースタンドで、専門家が美しく、そして正確に薬剤を調合する姿を見せる。そうした見せ方ひとつから、ブランドイメージを構築していきました。
WWD:この10年ほどは取締役としてPRの第一線からは退き、ブランディングや出店戦略など、より経営に近い立場で会社を運営することに携わってきた。そこから社長に抜擢されたのは?
村松:私が「カキモトアームズ」の“宇宙一のファン”として、「『カキモトアームズ』にはまだまだ無限の可能性がある」と確信していることが大きかったと思います。この50年で私たちが積み重ねてきた歴史、お客さまとの信頼、そしてハイブランドとしての立ち位置は、一朝一夕で築けるものではありません。特に、スタイリスト、カラーリスト、ネイリストといった各分野の専門家が集うスペシャリスト制や、質への徹底的なこだわりは「カキモトアームズ」ならではのカルチャーです。そうしたカルチャーを深く理解し、伸ばしていける人物として抜擢されたと思っています。
目指すは“美容室のハイブランド”としての地位の確立
WWD:社長としてのビジョンは?
村松:私は、経営やブランディングという“技術ではない部分でのスペシャリスト”なので、私に足りない技術の部分を補うために、強力な仲間たちとチームを組みました。日本におけるカラーリストの第一人者である岩上晴美、そしてチーフデザイナーの小林知宏を副社長に。さらに、財務や法務のスペシャリストである津曲兼輔を加えた4人体制です。それぞれのプロフェッショナルが力を合わせることで、これまで以上に“技術者のための会社”を作り上げていけると信じています。
WWD:まず取り組むことは?
村松:まず成し遂げたいことは、「カキモトアームズ」を美容業界における“本物のラグジュアリーブランド”にすることです。ファッションの世界におけるハイブランドのような存在。歴史に裏打ちされ、常に時代の先端を行く、誰もが憧れるブランド。そのポジションを、私たちは美容の世界で確立したいのです。すでにお客さまの中には、私たちをそうしたブランドの一つとして認識してくださっている方もいらっしゃいますが、これをさらに確固たるものにするために、技術とホスピタリティーの質を、今一度、徹底的に高めていく必要があると考えています。