インテリジェンスと軍事科学
Introduction to Anthropology of Military Intelligence and Scinece

1942年12月、ドイツ陸軍上級 大将(第21軍 司令官ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト、左端)以下、独陸海空軍の 将校らと写る小野寺信(中央, 1897-1987)
インテリジェンス入門(→「軍事的諜報」も参照のこと)
| インテリジェンス(英:
intelligence)は意思決定のために情報を分析して得られる知見、またそれを得る機構である[1][2][3][4][5]。すなわち情報のう
ち意思決定に利用可能な真実味の高い情報[6][7]、それを得るための活動や組織を指す。 インテリジェンスという語は多義的であり、その定義については学説や文脈により異なる見解が存在する。以下に代表的な定義をいくつか紹介する。 |
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| インテリジェンスの定義 インテリジェンスには普遍的で明確な定義が存在するとは限らず、使用される文脈や立場によってさまざまな理解が存在する。 日本における代表的な学説の一つとして、北岡元は「国家安全保障にとって重要な、ある種のインフォメーションから、要求・収集・分析というプロセスを経て生産され、政策立案者に提供されるプロダクト」と定義しており、これは米国における主流の理解に近いとされる[8]。 これに対し、大森義夫 (官僚)は「敵対戦力あるいはライバルについての秘密情報」や「対象側が隠している本音や実態すなわち機密を当方のニーズに合わせて探り出す合目的的な活動」として定義し、より狭義かつ実務的な観点を示している[9]。 また、日本における政治的な文脈での定義としては、2006年3月3日に提出された衆議院議員鈴木宗男の質問主意書(質問第122号)に対し、内閣総理大 臣名で発出された答弁書(内閣衆質164第122号、同年3月14日付)において、「インテリジェンスとは、一般に、知能、理知、英知、知性、理解力、情 報、知的に加工・集約された情報等を意味するものと承知している」とされている[10]。 |
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| 概要 人は信念やサイコロの出目であってもそれに即した意思決定や行動ができる。だが多くの場合は、いくつかの情報に基づく客観的な知見に基づいて実際の決断を おこなう。この「判断のために情報を分析して得られる知見」をインテリジェンスという[1]。主婦がお得な買い物のために集めた店舗間価格の比較表 [11]、企業が買収判断のために収集したライバル企業の売上見積もり[12]、政府が警備強化のために解析したテロリストの活動状況など、意思決定を目 的に情報を分析して得られた知見はすべてインテリジェンスである。 人は日常的にインテリジェンスを生成し利用している。例えば上司に頼まれてまとめた会議用資料はインテリジェンスである。ゆえに質を問わなければインテリ ジェンスは誰にでも片手間で作れる[13]。しかしインテリジェンスは全ての意思決定の基礎であり、その品質は最終的な結果に決定的な影響を与える [14][15]。ゆえにインテリジェンスを対象とした専門教育、インテリジェンスを専門に扱う職種[13]、専門機関が存在する。 知見のもととなる情報は常に正しいとは限らない[16]。ブラックプロパガンダとして流された偽情報(ディスインフォメーション)[17]、思い込みが引 き起こす飛ばし記事、命からがら帰還した飛行士の戦果報告[18]がその一例である。情報を審査せず過信して利用すればそれに基づいた全ての判断が歪んで しまう。 したがって意思決定などの段階に上がる情報(=インテリジェンス)は精査され編纂されなければならない。原情報を審査して偽情報を避け、確度高い(が確実 とは言えない)情報を複数方面から統合・解析してはじめて、インテリジェンスに相当する情報となる(図)[6][19]。インテリジェンスは「霧の中に隠 れた実像を解明すること」とも例えられる(戦場の霧)[20]。インテリジェンス活動の一例には情報の収集・評価・普及(英: dissemination)が挙げられる[21]。諜報活動も参考。 ![]() 環境・データ・情報・インテリジェンスの関係 インテリジェンスを扱う専門機関は情報機関と呼ばれる。例としてアメリカ中央情報局(CIA; Central Intelligence Agency)やイギリス秘密情報部(MI6; Military Intelligence 6th)、日本では内閣情報調査室(CIRO; Cabinet Intelligence and Research Office)がある(参考: 情報機関の一覧)。組織間の連携組織をインテリジェンス・コミュニティーという。 元々は軍事情報に関する用語であったが現在では分野を問わず同じ意味で用いられる。ビジネスにおけるインテリジェンスは特にビジネスインテリジェンスと呼ばれる。スパイや盗聴は軍事的情報の収集法でありインテリジェンスの一要素だが、あくまで一要素に過ぎない[22]。 インテリジェンス産生体制のモデルとしてインテリジェンス・サイクルがある。インテリジェンスに関連した意思決定モデルにはOODAループがある。 関連する警句には孫子の「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」がある。 |
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| 特性 不確実性 インテリジェンスは事実ではない。インテリジェンスは事実を追い求めるものであり、言い換えれば不確実性がつきまとう(戦場の霧)[23]。ゆえに意思決 定の際に参照できるインテリジェンスの確信度(英: degree of confidence, confidence levels)が明示されなければならない[24]。 アメリカ統合参謀本部のドクトリンでは低/中/高による3段階確信度が例示されている(表)[25]。 表. インテリジェンスの信頼度 ![]() |
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| 相補性・相乗性 限られた情報から推察した実像(インテリジェンス)には欠損や不確実性がつきまとう。このとき複数の側面・情報源から情報を収集するとそれらが相補的・相 乗的に働き、統合して生成されたインテリジェンスの精度と確信度が向上する場合がある(収集の相乗効果; Collection synergy)[29][30]。このプロセスを fusion[31][32]、そのように得られるインテリジェンスを all-source intelligence という[33]。 例えば、地形変化を捉えた衛星写真(IMINT)・異常なノイズが発生した電波記録(ELINT)・核エネルギー長官が現地入りしたとのスパイ情報 (HUMINT)の融合により、単一面では着想できなかったり確信を得られない核実験実施というインテリジェンスを生成できる。またall-source intelligenceの失敗例は、帝国陸軍参謀本部と帝国海軍軍令部の間で情報共有が適切になされなかった事例、911テロにおいてFBIの脅威情報 がCIAと連携できなかった事例など、枚挙にいとまがない。 fusionを妨げる典型的な組織構造にストーブパイプス(英語版)(情報サイロ)がある。すなわち特定の技術側面を担当する部署/サブインテリジェンス が独立して分析を行い、その過程ではfusionが達成できていない状態である[34]。例としてSIGINTとHUMINTのfusion失敗が多数の 航空機喪失を招いた第二次世界大戦ヨーロッパ戦域ボーデンプラッテ作戦が挙げられる(参考: ノルトヴィント作戦)[35]。ストーブパイプスは組織論における「縦割り」「セクショナリズム」の一種とみなせる。 |
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| 範囲 インテリジェンスに含まれる情報の範囲は様々である。天気・地形・人口など記述的(descriptive)インテリジェンス、それに基づいて可能性を推 定するcapabilityインテリジェンス、各可能性の大きさを評価する予測的(predictive)インテリジェンスまで様々である[36]。 予測 予測的インテリジェンスは将来の状態や人の意図を予測する[37]。例えば軍事分野のインテリジェンスでは敵の意図(英: intentions)と行動方策(英: courses of action; COAs)[38][39]の予測が重視される[40]。 予測的インテリジェンスは大きな価値を持つ一方[40]、より難易度とリスクが大きい[41]。予測は原理的に確定不可能であり、必要な情報の幅がより広 く、情報の欠損・偽情報・早期警戒のパラドックスからより大きな影響を受けることに起因する[42][43]。ゆえに適切な範囲でリスクを取り有用な予測 的インテリジェンスを生成し[44]、利用時にその特性を認識していることが求められる[45][46]。また予測的インテリジェンスの事後評価は早期警 戒のパラドックスによる困難さが伴う。 保護・妨害 自らが保護するインテリジェンスを他者のインテリジェンスから守る(参考: 情報漏洩)・他者のインテリジェンスを妨害することもインテリジェンス活動に含まれる。これを防諜という。 |
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| 活動 インテリジェンス活動は情報の収集・評価・普及(英: dissemination)など[21]、様々な過程からなる。 情報収集 情報収集は対象や環境に関する情報を集める活動である。例えば戦場では、ISRやISTAR(英語版)という語が示すように、インテリジェンスのための情 報収集プロセスとして監視や偵察がおこなわれる。システム運用における異常監視もビジネスインテリジェンスにおける情報収集である。非公然に機密へアクセ スする諜報からSNSを総ざらいするOSINT情報収集まで、様々な手法が存在する。詳細は諜報活動を参考。 |
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| 脚注 01.^ a b "インテリジェンスは「判断・行動するために必要な知識」である。" p.ⅰ of 北岡. (2009). インテリジェンス入門 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ "「情報」に該当する英単語は information と intelligence であるが,両語は対立する言葉ではない.intelligence は information から何かを理解しようとして得るものであり,得た知識は information の1つのモードである." 小野. (2021). インフォメーションとインテリジェンス〜情報という言葉をめぐるその後の探索〜Information and Intelligence. 情報処理 62(8), e26-e34, 2021-07-15. ^ "集められた多くの情報を分析することで、価値ある情報、つまりインテリジェンスが創出されます。" 菅澤. (2010). 第1回 「情報とインテリジェンスの基本的な違い」. 連載 情報の価値とインテリジェンス, 情報システム学会. ^ "インテリジェンスとは ... 知的に加工・集約された情報等を意味する" 小泉純一郎. (2006). 内閣衆質一六四第一六〇号. 衆議院. ^ "intelligence. 1. The product resulting from the collection, processing, integration, evaluation, analysis, and interpretation of available information ... 2. The activities that result in the product. 3. The organizations engaged in such activities." アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ a b "戦後の, 軍用語ないしはそれにかかわる用語として英語の information と intelligence のとらえ方を見てみると, 両者を区別する場合には前者を「情報資料」, 後者を「情報」と訳し, 原材料である「情報資料」の中で確度, 意義, 重要性を評価したものを「情報」とみなしている." p.478 of 小野. (2005). 情報という言葉を尋ねて (2). IPSJ Magazine Vol.46, No.5. ^ "インテリジェンスとは、単なる情報ではない。" p.ⅳ of 北岡. (2009). インテリジェンス入門 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ 北岡元『インテリジェンス入門-利益を実現する知識の創造 第二版』慶應義塾大学出版会、2009年、6頁。 ^ 大森義夫『「インテリジェンス」を一匙』選択エージェンシー、2004年、21–22頁。 10.^ 内閣衆質164第122号「インテリジェンスの定義に関する質問主意書に対する答弁書」、2006年3月14日。 ^ "インテリジェンスとは … 個人まで助けてくれるものだ。" 北岡. (2009). インテリジェンス入門 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ "米国では「競合情報」(コンペティティブ・インテリジェンス)という形で、企業のためのインテリジェンスを教えることが盛んになっている" 北岡. (2009). インテリジェンス入門 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ a b "「結局、日本の陸海軍情報は不十分であった … 情報関連のポストに人材を得なかった。 … 情報任務が日本では第二次的任務に過ぎない結果として現れた。" pp.327-328 of 堀. (1996). 大本営参謀の情報戦記 - 情報なき国家の悲劇. 文春文庫. ^ "戦争となると、お互いが命と国運を賭けて争うのであるから、相手の企んでいることを探ることは、勝敗の最重要事となってくる。" p.4 of 堀. (1996). 大本営参謀の情報戦記 - 情報なき国家の悲劇. 文春文庫. ^ "インテリジェンスは … 利害関係が複雑化して、情報そのものの重要性が急速に高まっている現代社会において、企業も、さらには個人もが、自らの利益を守り、高めていくために真剣 に向き合うべき対象となっている" p.3 of 北岡. (2009). インテリジェンス入門 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ "クラウゼヴィッツ(Clausewitz)も指摘しているように, 戦時において得られる情報の多くは事実と異なり, 嘘や偽りだったり, すこぶる不確実なものが多い." 小野. (2005). 情報という言葉を尋ねて(1). 情報処理 46(4), 347-351, 2005-04-15. ^ "ブラック・プロパガンダとは対敵情報活動の一環であり、最近の表現でいうところのディスインフォメーションである。" 吉田. (2002). 東京新聞、中日新聞(2002年6月23日朝刊). ^ "黒板の戦果は次々と膨らんでいく。「わっ」という歓声が、そのたびごとにピストの内外に湧き上る。...「戦果確認機のパイロットは誰だ?」「………」 返事がなかった。... 戦果はこんなに大きくない。... これが今までの○○島沖海軍航空戦の幻の大戦果の実体だったのだ。" 堀. (1996). 大本営参謀の情報戦記 - 情報なき国家の悲劇. 文春文庫. ^ "指揮官はできるだけ多方面から多くの情報を集め, 真実か偽りかを判断した後でなければその情報を作戦の指導に利用できない." 小野. (2005). 情報という言葉を尋ねて(1). 情報処理 46(4), 347-351, 2005-04-15. 20.^ "情報の分析解明は ... 霧の中に隠れた実像を解明すること" p.4 of 堀. (1996). 大本営参謀の情報戦記 - 情報なき国家の悲劇. 文春文庫. ^ a b "Military and naval intelligence comprises the gathering, evaluation, and dissemination of information regarding enemy strength ,capabilities, and intentions required for combat operations." 米国戦略爆撃調査団. (1946). Japanese military and naval intelligence division. U.S. Government Printing Office. ^ "日本ではスパイ、盗聴、暗殺といった物騒なイメージが先行しているのだが、あまりにインテリジェンスを狭く解釈している" p.ⅲ of of 北岡. (2009). インテリジェンス入門 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ "Intelligence is not an exact science; intelligence analysts will have some uncertainty" アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "It is therefore important that intelligence analysts communicate the degree of confidence they have in their analytic conclusions. Such communication of analytic confidence helps intelligence consumers in deciding how much weight to place on intelligence assessments when making a decision. " アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "One methodology intelligence personnel may use to assign a confidence level to their analytic conclusions or intelligence assessments is discussed in Appendix A, “Intelligence Confidence Levels in Analytic Judgments.” ... Confidence levels are stated as Low, Moderate, and High." アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ 英: good or marginal ^ 英: proven ^ 英: Glaring ^ "It draws on the complementary strengths of all intelligence disciplines ... All-source, fused intelligence results in a finished intelligence product that provides the most accurate and complete picture possible of what is known about an activity." p.Ⅱ_12 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. 30.^ "あるインフォメーションやインテリジェンスを他のインフォメーションやインテリジェンスと付き合わせると、当初のインフォメーションやインテリジェンス では分からなかったことが、分かるようになることがある。これを「収集の相乗効果」という。" p.174 of 北岡. (2008). インテリジェンス入門 -利益を実現する知識の創造-. 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ "fusion. In intelligence usage, the process of managing information to conduct all-source analysis and derive a complete assessment of activity." p.GL_7 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "Fusion is a deliberate and consistent process of collecting and examining information from all available sources and intelligence disciplines to derive as complete an assessment as possible of detected activity." p.Ⅱ_12 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "analysis and production is done primarily by all-source analysts that fuse together information from all intelligence disciplines. The product of multidiscipline fusion effort is all-source intelligence." アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "「ストーブパイプス」(文字通り「ストーブの煙突」の複数形)... 異なったインテリジェンスにつき、リクワイアメント伝達からインテリジェンス配布までのプロセスが、あたかもストーブの煙突のように閉じており、相互に連 絡がない、もしくは連絡が悪いことを「ストーブパイプス」と呼ぶ" pp.194-195 of 北岡. (2008). インテリジェンス入門 -利益を実現する知識の創造-. 第2版. 慶応義塾大学出版会. ^ "Operation Bodenplatte ... the 12th Army Group Headquarters ... had received adequate ... SIGINT ... and human intelligence reporting to have provided tactical warning ... The reports, however, had not been fused. Highly compartmented SIGINT ... received before the German attack ... However, the SIGINT specialist had no further knowledge regarding this operation or what it entailed. Filed elsewhere in the headquarters, a prisoner of war interrogation report of a former Luftwaffe clerk in Berlin described aspects of Operation Bodenplatte ... This stove-piped compartmentalization ... resulted in the unnecessary destruction of several hundred Allied aircraft." p.Ⅱ_12 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ Davis. (1997). Predictive Intelligence: Do We Really Need It? Military Intelligence Professional Bulletin. 米国科学者連盟. ^ "predictive analysis goes beyond the identification of capabilities by forecasting enemy intentions and future COAs." p.Ⅱ_10 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "course of action — 1. Any sequence of activities that an individual or unit may follow. 2. A scheme developed to accomplish a mission. Also called COA." p.GL_7 of アメリカ統合参謀本部. (2020). Joint Publication 5-0 Joint Planning. ^ "學術名詞 海事 course of action 行動方案" 國家教育研究院(英語版). 行動方案. 40.^ a b "intelligence ... is most useful when it focuses on the future and adversary intent. ... predict adversary future COAs" p.Ⅱ_9 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "Predictive analysis is both difficult and risky (i.e., it challenges the intellectual resources of the analyst while at the same time entailing considerable risk that the events predicted may not come to pass)." p.Ⅱ_10 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "Predictive intelligence ... is vulnerable to incomplete information, adversary deception, and the paradox of warning" p.Ⅱ_10 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "Predictive analysis is riskier ... because it deals more extensively with dynamic adversary characteristics, a greater range of unknown factors, and possibly enemy deception plans." p.Ⅱ_10 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "When justified by the available evidence, intelligence should forecast future" "overly cautious intelligence personnel to avoid predictive analysis. However ... The analyst who successfully performs predictive analysis ... performs an invaluable service to the commander and staff." p.Ⅱ_9-10 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. ^ "If there is inadequate information upon which to base forecasts, the intelligence staff must ensure that the commander is aware of this shortcoming and that the future contains much uncertainty" p.Ⅱ_9 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. 46.^ "JFCs must understand that intelligence predictions are only estimates and that they accept an amount of risk in formulating plans based only on ... most probable COA." p.Ⅱ_10 of アメリカ統合参謀本部. (2013). Joint Publication 2-0 Joint Intelligence. |
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旧クレジット:「ファシズム体制下におけるインテリジェンスと人類学・民族学」
旧ページは、科学研究費補助金・基盤研究(B)「ファシズム期にお ける日独伊のナショナリズムとインテリジェンスに関する人類学史」(代表者:中生勝美)の研究分担者として、ならびに国立民族学博物館共同研究会 「人類学/民俗学の学知と国民国家の関係:20世紀前半のナショナリズムとインテリジェンス」(研究代表者:中生勝美)の同館の共同研究員として参画す る「ナチスと優生学」研究を主に担当する池田光穂の個人的な備忘メモである。このページはあく までも池田の個人的なものであり、研究代表者ならびに2つの研究班のメンバーの意見や見解を表現 するものではないことを、お断りしておきます(→引用に関する許諾は不要です)。
分担者としての論点整理
□ ファシズムという政治体制やそのメカニズム、あるいは、ファシズム期という時代概念を、思想史的に捉えているのか?
□ ナショナリズム、エスノナショナリズム、およびそれらのイデオロギーについて、思想史的に理解できているのか?
□ インテリジェントを諜報あるいは戦時あるいは有事における「有用な戦略情報」として定義、理解できているのか?
目次
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(狭義の)ファシズム(伊: fascismo 英: fascism, 独: Faschismus, 西: Fascismo)とは…(=fascio は横梁や光の束で結束を高めるという意味)…、イタリアのベニー ト・ムッソリーニと彼が率いた国家ファシスト党が提唱した思想やイデオロギー・政治運動、および1922年から1943年までの政権時に行った実践や体制の総称である。広義に はドイツのナチズムなど、独裁的な権力、反抗の弾圧と産業と商取引の制御のような類似の思想・運動・体制も含めて「ファシズム」と呼ばれる場合も多い」 (→「ファシズムとコーポレート国家」)
"Il fascismo è stato un movimento politico nato in Italia all'inizio del XX secolo, ad opera del politico, giornalista e futuro dittatore Benito Mussolini. Alcune delle dottrine e delle pratiche elaborate e adottate dal fascismo italiano si sono diffuse in seguito, anche se con caratteristiche differenti, in Europa e in altri paesi del mondo.Si caratterizzò come un movimento nazionalista, autoritario, autocratico e totalitario; l'ideologia sottesa a tale movimento è stata interpretata allo stesso tempo come rivoluzionaria[1] e reazionaria[2]; in particolare, il fascismo si autodefiniva[3], ed è considerato da alcuni, come alternativo al capitalismo liberale[4][5]. Sul piano ideologico fu populista[6], collettivista[7][8][9][10], statalista[11][12][13][14][15][16][17], fautore della funzione sociale della proprietà privata e della divisione della società in classi[18]."
| ウィキペディア Fascism | https://www.deepl.com/ja/translator
による翻訳 |
| "Fascism is a form of far-right, authoritarian ultranationalism characterized by dictatorial power, forcible suppression of opposition and strong regimentation of society and of the economy which came to prominence in early 20th-century Europe.The first fascist movements emerged in Italy during World War I, before spreading to other European countries. Opposed to liberalism, democracy, Marxism, and anarchism, fascism is placed on the far right within the traditional left–right spectrum. Fascists saw World War I as a revolution that brought massive changes to the nature of war, society, the state, and technology. The advent of total war and the total mass mobilization of society had broken down the distinction between civilians and combatants. A "military citizenship" arose in which all citizens were involved with the military in some manner during the war.The war had resulted in the rise of a powerful state capable of mobilizing millions of people to serve on the front lines and providing economic production and logistics to support them, as well as having unprecedented authority to intervene in the lives of citizens.Fascists believe that liberal democracy is obsolete and regard the complete mobilization of society under a totalitarian one-party state as necessary to prepare a nation for armed conflict and to respond effectively to economic difficulties. A fascist state is led by a strong leader such as a dictator and a martial law government composed of the members of the governing fascist party to forge national unity and maintain a stable and orderly society.Fascism rejects assertions that violence is automatically negative in nature and views imperialism, political violence and war as means that can achieve national rejuvenation.Fascists advocate a mixed economy, with the principal goal of achieving autarky (national economic self-sufficiency) through protectionist and economic interventionist policies. The extreme authoritarianism of fascism usually manifests itself in the belief in a "pure race" or "master race", usually synthesized with some variant of racism or bigotry; the idea of "purity" has motivated fascist regimes to commit massacres, forced sterilization, genocides, or forced deportation against a perceived other. Since the end of World War II in 1945, few parties have openly described themselves as fascist, and the term is instead now usually used pejoratively by political opponents. The descriptions neo-fascist or post-fascist are sometimes applied more formally to describe parties of the far right with ideologies similar to, or rooted in, 20th-century fascist movements." Fascism | ファシズムとは、20世紀初頭のヨーロッパで
注目された、独
裁的な権力、強制的な反対勢力の抑圧、社会や経済の強力な統制を特徴とする極右、権威主義的な超国家主義の一形態である。ファシズムは、自由主義、民主主
義、マルクス主義、無政府主義などに反対し、伝統的な左右の広がりの帯(スペクトル)の中では極右に位置する。ファシストたちは、第一次世界大戦を、戦
争、社会、国家、テクノロジーの性質に大規模な変化をもたらす革命とファシストたちは考えた。総力戦の到来と社会の総動員により、民間人と戦闘員の区別が
なくなるのである。ファシストは、自由民主主義は時代遅れだと考えており、武力紛争に備え、経済的困難に効果的に対応するためには、全体主義的な一党独裁
国家の下で社会を完全に動員することが必要だと考えている。ファシズムは、暴力が自動的に否定的な性質のものであるという主張を否定し、帝国主義、政治的
暴力、戦争を国家の再活性化を達成するための手段と見なす。ファシズムは混合経済を提唱し、保護主義的、経済的介入主義的な政策によってオートアーキー
(国家経済の自給自足)を達成することを主な目標とする。ファシズムの極端な権威主義は、通常、※「純粋な人種」または「支配者の人種」と
いう信念に現れており、これは通常、何らかの人種差別や偏見と結びついている。「純粋」という考えは、ファシスト政権が、認識されている他者に対して虐
殺、強制的な不妊手術、大量虐殺、強制的な国外追放を行う動機となっている。1945年に第二次世界大戦が終結して以来、自らをファシストと公言する政党
はほとんどなく、この言葉は通常、政治的敵対者によって侮蔑的に使用されている。ネオファシストやポストファシストという表現は、20世紀のファシスト運
動に類似した、あるいはそれに根ざしたイデオロギーを持つ極右政党を表すために、より正式に用いられることがある。 ※日本語の旧来の翻訳はレイス(race)を民族と訳する悪弊があったので古い文献のなかには「純粋民族」や「支配民族」とい う 言葉が登場するが、これは「純粋人種」や「支配人種」とも翻訳すべきで、 固定的で混交を嫌悪する人種の概念である(→日本民族という時の〈ミンゾ ク〉)。 |
"El fascismo es una ideología, un movimiento político y un tipo de Estado de carácter totalitario, antidemocrático y ultranacionalista de extrema derecha. El término «fascismo» proviene del italiano fascio (‘haz, fasces’), y este a su vez del latín fascēs (plural de fascis), que alude a los signos de la autoridad de los magistrados romanos. Entre los rasgos del fascismo se encuentra la exaltación de valores como la patria o la raza para mantener permanentemente movilizadas a las masas, lo que llevó con frecuencia a la opresión de minorías –especialmente en el caso alemán debido a su importante componente racista– y de la oposición política, además de un fuerte militarismo. Sin embargo, el término «fascismo» es uno de los más difíciles de definir con exactitud en las ciencias políticas desde los mismos orígenes de este movimiento, posiblemente porque no existe una ideología ni forma de gobierno «fascista» sistematizada y uniforme en el sentido que sí tendrían otras ideologías políticas contemporáneas. El fascismo surgió en Italia durante la Primera Guerra Mundial, para luego difundirse por el resto de Europa durante el periodo de entreguerras. La «Gran Guerra» fue decisiva en la gestación del fascismo, al provocar cambios masivos en la concepción de la guerra, la sociedad, el Estado y la tecnología. El advenimiento de la guerra total y la completa movilización de la sociedad acabaron con la distinción entre civiles y militares. Enemigo del liberalismo, el anarquismo y toda forma de marxismo –socialdemocracia, socialismo, comunismo–, una mayoría de especialistas coincide en colocar al fascismo en la extrema derecha del espectro tradicional izquierda y derecha." - El fascismo
「ファシズムとは、全体主義的、反民主主義的、超国家主義的な極右のイデオロギーであり、政 治運動であり、国家の一形態である。 ファシズム」の語源はイタリア語のfascio(「haz、fasces」)であり、ラテン語のfascēs(fascisの複数形)に由来する。ファシ ズムの特徴のひとつは、大衆を恒常的に動員し続けるために、祖国や人種といった価値観を高揚させることであり、それはしばしばマイノリティ(特にドイツの 場合は人種差別的要素が強かったため)や政治的反対勢力、さらには強力な軍国主義への弾圧につながった。しかし、「ファシズム」という用語は、この運動の 起源から、政治学において正確に定義することが最も困難なもののひとつである。 ファシズムは、第一次世界大戦中にイタリアで生まれ、戦間期にヨーロッパの他の地域に広がった。第一次世界大戦」はファシズムの形成に決定的な影響を与 え、戦争、社会、国家、テクノロジーの概念に大きな変化をもたらした。総力戦の到来と社会の完全な動員は、民間人と軍人の区別をなくした。自由主義、無政 府主義、あらゆる形態のマルクス主義(社会民主主義、社会主義、共産主義)の敵であり、ファシズムを伝統的な左翼・右翼のスペクトルの極右に位置づけるこ とに、大多数の学者が同意している。」El fascismo
インテリジェンス(intelligence)と は、軍 事あるいは現実政治(リアルポリティーク)の世界で、秘密裏にすすめられる、人または通信や機械(コンピュータ)を使っておこなわれる、情報の収集、蓄 積、分析、解析の報告からなる活動である。インテリジェンスはかつて、諜報(ちょ うほう)と翻訳されていたことばを外来語として読み直したものである。Google - Dictionary によると二番目の意味に、2. the collection of information of military or political value(=軍事的または政治的価値のある情報収集).とあり、その同義語(synonyms)として「 information gathering(情報の収集), surveillance(監視), observation(観察), reconnaissance(偵察), spying(スパイ行為), espionage(スパイ活動), undercover work(諜報), infiltration(潜入[調査]), ELINT(電子偵察:electronic intelligenceの略号), HUMINT(人間諜報活動:Human intelligence), cyberespionage(サイバースパイ活動), humint(情報分析)」からなる。(→「インテリジェンス (intelligence)」)

■1942年12月、ドイツ陸軍上級 大将(第21軍 司令官ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト、左端)以下、独陸海空軍の 将校らと写る小野寺信(中央, 1897-1987)※ファルケンホルストの戦後の戦犯助命嘆願に探検家ヘディンが動いたとのこと。日本陸軍のソ連作戦の防諜のことをしらべてい て、小野寺信との写真があるので、ここに到達する。小野寺はその後SD国外諜報局長であるヴァルター・シェレンベルクとも交流する。/ Photo of high ranking officers visiting Fjell festning (MKB 11/504, Fjell Fortress on the island of Sotra, Norway) during the Second World War, probably some time in 1943, after the main armament (28,3 cm triple gun turrent from the German battleship Gneisenau) were finished. The officer in the front is Makoto Onodera (1897 – 1987), Japanese military attaché to Sweden. Behind him is Lieutenant Colonel Eberhard Freiherr von Zedlitz und Neukirch, commander-in-chief of the Luftwaffe Feldregiment 502, and to the right is Fregattenkapitän doktor Robert Morath (1884 – 1956, Seekommandant in Bergen, Norway). Behind Onodera's hand (raised in salute) is General Nikolaus von Falkenhorst (1885 – 1968), Commander-in-Chief of the German military forces in Norway.
小野寺 信(おのでら
まこと、1897年9月19日 -
1987年8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。「1897年、岩手県胆沢郡前沢町(現在の奥州市)において町役場助役・小野寺
熊彦の長男として生まれる。12歳の時に熊彦が病死し、本家筋の農家・小野寺三治の養子となる。遠野中学校、仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経
て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期、兵科・歩兵)を卒業、見習士官(陸軍歩兵曹長)となる。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵
第29連隊附となる。翌1920年(大正11年)に発生した尼港事件を受けてニコラエフスクを保障占領し、1921年(大正10年)、第29連隊はアムー
ル河口地帯守備のために尼港に派遣される。小野寺も最初で最後の戦場での勤務を行い、現
地でロシア語を習得する。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業し、歩兵第29連隊中隊長となり、会津若松へ赴任する
[1]。
当初はドイツ駐在を希望して外国駐在試験を受けていたが、ロシア語の能力を見込まれ
て翌1930年(昭和5年)3月、陸軍歩兵学校教官として千葉に転任。上官の小畑敏
四郎(おばた・としろう 1885-1947)大佐に目をかけられ、赤軍研究を集中的に行い、ロシア専門家としての道を歩み始める。1932
年(昭和7年)3月、小畑の人事異動に従って陸大教官に転身。ここでも本来の講義と別に個人で赤軍研究を継続する。研究を経て、ロシア革命後に機械化を進
めた赤軍に対する脅威を主張するようになる。陸大在任半年で参謀本部第2部ロシア班に引き抜かれた。作戦課長として参謀本部に配属されていた小畑の手引き
で、1933年(昭和8年)5月、ハルピンへ赴任。語学研修の傍らで国境視察なども行い、赤軍の作戦などについてレポートをまとめている。
帰国後の1934年(昭和9年)8月、陸軍歩兵少佐に進級[2]。
1935年(昭和10年)12月、ラトビア公使館附武官に発令され、翌1936年
(昭和11年)1月、首都リガに着任。ラトビアを含むバルト三国は西欧の対ソ最前線であり、各国の諜報活動が盛んであった。小野寺が赴任した当時の日本公
使館は補佐官もいない小所帯であったが、バルト三国の重要性を認識した小野寺は本国にかけ合い、隣国のエストニア・リトアニア公使館附武官を兼務するよう
になる。三国の参謀当局は地の利はあったが資金面から諜報範囲が限られていたため、日本側が必要な諜報活動費を援助した。また、当時ベルリンの駐独大使館
には参謀本部直属の諜報工作組織(馬奈木敬信機関)があり、対ソ工作員を養成していた。工作員はエストニアからペイプシ湖を通してソ連に送
り込んでいたため、エストニアにかけ合って送り込むための高速船の手配も行った。1937年(昭和12年)11月、陸軍歩兵中佐に昇進[3]。
1938年(昭和13年)6月、参謀本部ロシア課に復帰、直後に発生した張鼓峰事件の対処にあたったのち、同年10月、中支那派遣軍司令部附として上海に
派遣される。当時中国大陸で進行中であった日華事変の収束策として、参謀本部の支那課は汪兆銘政権の樹立による和平交渉を検討していたが、ロ
シア課は対ソ防衛のためには事変を早期終結させるべきと考えており、小野寺は武漢に籠る蔣介石との直接の交渉を企図する。小野寺は市内のアスターハウスホ
テルに事務所を置き、自前の特務機関を構えた。メンバーには軍人は一人も含まれず、共産党転向者を中心に20人ほど採用した。1939年
(昭和14年)5月、香港において板垣征四郎陸相と国民党の呉開先組織部副部長との直接会談を行う根回しを行うが、汪兆銘工作を進めていた影佐禎昭の巻き
返しにあい、通らなかった。6月には本国へ戻された上で陸大教官に就任、事実上の左遷となった。同年8月、陸軍歩兵大佐に進級した[4]。1940年(昭
和15年)11月、スウェーデン公使館附武官に発令され、翌41年1月、ストックホルムに着任、12月に太平洋戦争(大東亜戦争)を迎えた。諜報活動の他に、クリプトテクニク社(現・クリプトA.G.)から最新の暗号機械を買いつけた
り、ピアノ線とボールベアリングを調達しドイツ経由で本国に送っている。1943年(昭和18年)8月、陸軍少将に進む。この頃からSD国
外諜報局長であるヴァルター・シェレンベルクと共に和平工作に従事する。
小野寺の送った機密情報は「ブ情報」と呼ばれ、海外からの貴重な情報源となった。「ブ
情報」の「ブ」は、「ペーター・イワーノフ」ことポーランド人諜報部員ミハウ・リビコフスキ(Michał
Rybikowski)の上官ブジェスクフィンスキの頭文字である。大戦最末期にはヤルタ会談での密約につき、ドイツ降伏から約3ヶ月後にはソ連が日ソ中立条約を破棄、対日参戦するとの最高機密情報を日本
に打電している。
陸軍中枢はその情報を信じずアメリカとの和平の仲介をソ連に期待し続けた。
敗戦後の1946年(昭和21年)3月に日本に帰国復員したが、同年7月まで戦争犯罪人として巣鴨プリズンに拘留された。
戦後は妻百合子と共に、主にスウェーデン語の翻訳業に従事する傍ら、スウェーデンの文化普及活動に努めた。最晩年に『NHK特集 日米開戦不可ナリ
〜ストックホルム・小野寺大佐発至急電〜』で取材インタビューが行われ、1985年(昭和60年)12月に放映された。この番組は第12回放送文化基金賞
を受賞し、小野寺の大戦中の活動に照明が当てられた。」
「特務機関(とくむきかん)は、日本軍の特殊軍事組
織をいい、諜報・宣撫工作・対反乱作戦・秘密作戦などを占領地域、作戦地域で行っていた機関。/大日本帝国陸軍(以下、陸軍)では元々、「特務機関」とは
上述のような特殊任務を遂行する組織を称したものとは異なり、軍隊(軍、師団、連隊など)、官衙(陸軍省、参謀本部、教育総監部など)、学校(陸軍士官学
校など)という3つの区分に属さない組織、つまり元帥府・軍事参議院・侍従武官府・皇族附武官・外国駐在武官・将校生徒試験委員等に与えられた呼称であっ
た。しかし日露戦争中の明石元二郎大佐による「明石機関」の活動を契機として、シベリア出兵以降、陸軍では特殊任務にあたる実働グループを「特務機関」と
呼ぶようになった。/しかしながら、同時期の日本海軍(以下、海軍)や外務省などにも「〜機関」と称される特殊組織は存在した。やはりそのいずれもが特殊
任務を遂行したことから陸軍での呼称を準用したものと思われる。さらに、第二次世界大戦期やそれ以前の時期に限らずに、また場合によっては日本以外の国や
団体が設置した組織についても「特務機関」の語が用いられる例がある。/日露戦争中、スウェーデン駐在武官の明石元二郎大佐は「明石機関」を設置し、ロシ
ア国内の反体制派への支援等の活動を行った。この活動は、陸軍における最初の本格的な特殊任務として、陸軍中野学校の授業でも題材とされた。この種の活動
を行う組織が「特務機関」と称されたのは、シベリア出兵に際して、純粋な作戦行動以外に生じた種々の複雑困難な問題に対応する必要から、1919年に現地
における情報収集・謀略工作を担当する機関を設置したときである。「特務機関」の名称の発案者は、当時のオムスク機関長高柳保太郎陸軍少将で、ロシア語の
「ウォエンナヤ・ミシシャ」の意訳とされる。
このとき設置された特務機関の任務は、統帥の範囲外の軍事外交と情報収集とされた。初期の特務機関はシベリア派遣軍の指揮下で活動し、機関員の辞令はシベ
リア派遣軍司令部附として発令され、その業務は軍参謀長の監督を受けた。はじめ、ウラジオストク、ハバロフスク等各地に設置されたが、戦局の推移にともな
い改廃・移動が度々なされた。シベリア撤退後は、そのままハルビン特務機関を中心に、ソ連各地で情報収集にあたっていた。1940年にそのハルビン特務機
関は関東軍情報部に、それ以外の各特務機関は情報部支部へと改編された。それら11支部あった情報部支部は1945年8月には特別警備隊に改編され、終戦
を迎えた。
また明治期後半から、陸軍は中国各地の地方政権や軍閥に軍事顧問(団)を派遣した。それらの軍事顧問と配下の機関員を含む組織全体でもって「特務機関」と
して活動していた。例えば袁世凱政権・張作霖政権等に軍事顧問が派遣されていた(形の上では招聘)。また、東南アジア各地においても中国における軍事顧問
と同様の軍事顧問という形での「特務機関」が存在し、それらは反英(米・蘭)運動を煽動する各種の工作活動を行った。それら「特務機関」に関与した日本人
の中には、敗戦においてもなお現地に残り、被植民地民族の独立運動に際し、有形無形の支援を行った例も一部においてあった。例えばインドネシア独立戦争に
おけるPETA(郷土防衛義勇軍)に対するそれである」
「ハルビン特務機関は1917年のシベリア出兵時
に、関東都督府陸軍部附として黒沢準少将が駐在したのが始まりで、イルクーツク、ウラジオストク、アレクセーエフカ、満州里、チチハル等に駐在していた情
報将校グループらを統轄した。機関は一時、浦塩派遣軍隷下に移ったが、のち再び関東軍司令部隷下に復帰し、1940年関東軍情報部に改編された。機関長は
情報部長となり、その他の在満機関を支部に改編し統轄した。関東軍情報部(ハルビン)
間島支部(元・延吉支部)
琿春出張所
黒河支部
熱河支部
通化支部
チャムス支部
興安支部
東安支部
ハイラル支部
満州里出張所
三河出張所
豊原支部
奉天支部
大連出張所
牡丹江支部
綏芬河出張所
チチハル支部(昭和9年に廃止されたが昭和20年2月頃に復活したとの説がある)」
06◎対英イン ド独立工作における特務機関(Wiki情 報による)
「った。1941年(昭和16年)9月に発足したこ
の機関は、参謀本部の藤原岩市少佐以下10名程から構成され、機関長藤原(Fujiwara)の頭文字と自由(Free)を意味する英語をかけてF機関と
命名された。またF機関の人員はすべて陸軍中野学校出身の青年将校であり、発足当時は数名だったものの12月には10名を越えていた。発足当時にF機関に
与えられた任務は、インド独立連盟やマレー・中国人などによる反英団体との交渉・支援を中心としたマレー方面の工作活動に関して、田村大佐を補佐すること
であったが、開戦直前より南方軍の指揮下となり、インド独立連盟と協力し工作活動に当たり、インド国民軍の編制にも当たった。その際、機関長藤原少佐は
「私達はインド兵を捕虜として扱わない。友情をもって扱い、インドの独立の為に協力したい」とインド兵に宣言した。当初はインド駐在イギリス軍の内部分裂
を目的としていた為に、インド人を対象とした工作を行っていたが、マレー作戦終了から目的が変わり大東亜新秩序の建設、即ちインドでの反英運動を煽り、ひ
いてはインドを独立させることでイギリスのアジア・太平洋戦線からの離脱を狙った。
同機関は岩畔豪雄陸軍大佐を機関長とする岩畔機関に発展改組され、250人規模の組織となった。マレー作戦等で投降したインド兵を教育しインド国民軍に組
み入れ、同国民軍の指導、宣伝などを行った。機関は6班で構成され、総務班・情報班・特務班・軍事班・宣伝班・政治班があった。
機関はやがて500名を超える大組織となり光機関と改称された。光機関は1943年(昭和18年)、ナチス・ドイツに亡命していたインド独立運動の大物ス
バス・チャンドラ・ボースを迎え、ボースと親交の深い山本敏大佐が機関長となった。光機関の命名はインドの言語(ヒンディー語)で“ピカリ”という言葉
と、「光は東方より来る」という現地の伝説から“光”とされた。支援していたインド国民軍は自由インド仮政府軍に発展、一部はビルマの作戦に従事した。ま
たインパール作戦の途中、大本営の遊撃戦重視への作戦方針変更に伴い、機関は南方軍遊撃隊司令部と改称し同時に、前述の各班の外参謀部・副官部・マライ支
部・タイ支部・サイゴン出張所が設けられた。途中機関長が磯田三郎中将に交代するも、機関自体は終戦まで軍事顧問団として活動した。結局インパール作戦は
失敗し当時の日本陸軍とインド国民軍は連合国軍に降伏した。」
07●「ファシズ ム政治機構における日独の差の違い」大江志乃夫『日 露戦争の軍事史的研究』岩波書店、1976年
・日露戦争:「日露戦争は、1904年2月から1905年9月にかけて大日本帝国と南下政策を
行うロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほ
か、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた」ウィキペディア「日露戦争」)
「ドイツ国防軍は、参謀本部を頂点としてワイマール 共和制の国防省を含む行政府 と対抗関係にたったため、共和制の機構のなかで、実体はともあれ、形式的合法性を保持しつつ政権を獲得すること を困難にしたのであった。これにたいし、日本の軍部は、行政府の長官であり内閣の一員たる国務大臣でもある陸軍 大臣を軍部の政治的代表者として閣内に送りこんでいただけでなく、他のすべての国務大臣に優越した権限、閣議や 総理大臣を経由しないで単独上奏をおこなう権限をこの陸軍大臣に付与したのであった。こうした点に、ドイツ国防 軍の総帥ゼークトが軍事クーデターによる政権掌握の道しか探すことができず失脚し、むき出しの暴力を国家主義的 大衆運動の糖衣にくるんだ形式的合法性による政権奪取に成功したヒトラーにドイツ国防軍をゆだねなければならな かった理由のひとつがあると考えられる。他方、日本の軍部はそれ自体が巨大な政治勢力として、軍部内の陰惨な派 閥抗争の流血をふみこえ、結局はもっとも強力に組織され、国家総動員体制の推進力たるにふさわしい知識と能力を そなえた高級軍事官僚群の指導の確立をつうじて、形式的合法性を保持しつつ、政権を支配するにいたった。ドイツ・ ファシズムと日本のファッショ化の過程の相違を原因づけた重要な問題のひとつであると考える」(大江 1976:46-47)。
| ドイツ |
日本 |
| 参謀本部を頂点としてワイマール共和制の国防省を含む行政府 と対抗関係にたったため、共和制の機構のなかで、実体はともあれ、形式的合法性を保持しつつ政権を獲得すること を困難にした | 日本の軍部は、行政府の長官であり内閣の一員たる国務大臣でもある陸軍 大臣を軍部の政治的代表者として閣内に送りこんでいただけでなく、他のすべての国務大臣に優越した権限、閣議や 総理大臣を経由しないで単独上奏をおこなう権限をこの陸軍大臣に付与した |
| ドイツ国防 軍の総帥ゼークトが軍事クーデターによる政権掌握の道しか探すことができず失 脚し、むき出しの暴力を国家主義的 大衆運動の糖衣にくるんだ形式的合法性による政権奪取に成功したヒトラーにドイツ国防軍をゆだねなければならな かった | 日本の軍部はそれ自体が巨大な政治勢力として、軍部内の陰惨な派 閥抗争の流血をふみこえ、結局はもっとも強力に組織され、国家総動員体制の推進力たるにふさわしい知識と能力を そなえた高級軍事官僚群の指導の確立をつうじて、形式的合法性を保持しつつ、政権を支配するにいたった。 |
・参照文献: G.W.F. ハルガルテン『ヒ トラー・国防軍・産業界 : 1918〜1933年のドイツ史に関する覚書』富永幸生訳、未来社、1969年
「【1904-1905】 日露戦争
(→「植民地・帝国主義時代の2つの時相」)
【1904】
小金井良精『日本石器時代の住民』春陽堂。
【1905】
坪井『人類学講義』東京高等師範学校地理歴史会編、国光社
An Ainu-English-Japanese dictionary : including a grammar of the Ainu
language / by John Batchelor, 2nd ed. - Tokyo : Methodist Pub. House ,
1905
日韓保護条約(乙巳保護条約)
ポーツマス条約(日露講和条 約)により北緯50度以南の樺太の日本領有(割譲)。翌1906年まで樺太アイヌが帰還する。
【1906】
朝鮮に総監府が設置される(韓国統監・寺内正毅)。鳥居龍三、満蒙調査。
小金井良精、卒業式にて「帝国版図内の人種」を御前講義。
東郷実『日本植民論』
Neil Gordon Munro, Primitive culture in Japan.
樟脳採取をめぐってぶつかり合った「威里事件では、花蓮港庁太魯閣族の部落が連合して樟脳作業所を襲撃し、日本人の支庁長の大山十郎、巡査
の阿部虎之助、 賀田組事務員の山田海三、鹿児島県人喜多川貞二郎など30名余りが首狩りなどで殺害された」(出典)
【1907】
日韓協約(丁未条約)
東北帝国大学が新設され、札幌農学校が東北帝国大学農科大学に昇格(創設費用は古河鉱業会社が 出資)。
英国で王立人類学協会が設立(起源は1871年設立の英国人類学協会)
札幌農学校が、東北帝国大学農科大学に昇格、「農政学殖民学」講座が開設される。
足立文太郎は、石器時代住民は、アイヌともエスキモーとも認められないと説く。
【1908】
柳田『後狩詞記(のちのかりことばのき)』;松村瞭『人 種名彙』丸善(英文:A gazetteer of
ethnology)(参照『世界人種實観』1921?)
Prehistoric Japan / by Neil Gordon Munro.
8月威里事件(台 湾のタロコ族と日本人移民との間で樟脳採取をめぐってぶつかり合った。大山十郎事件ともいう。)
【1909】
東京帝国大学に植民政策講座が新設され、新渡戸稲造(第一高等学校校長[1906- 1913]との兼任)が着任する。
柳田國男(1875-1962)、東北を旅 行し、初めて遠野を訪れる。
「新渡戸(稲造:1862 -1933)の提唱で「郷土会」が発足した。自主的な制約のない立場
から各地の郷土の制度、慣習、民間伝承などの事象を研究し調査することを主眼とした。メンバーには、柳田國男、草野俊介(理学博士)、尾佐竹猛(法学博
士)、小野武夫(農学博士)、石黒忠篤(1884-1960)、牧口常三郎(1871-1944)、中山太郎(本名「太郎治」1876-1947民俗学
者)、前田多門(1884-1962:長女は神谷美恵子[1914-1979])らが加入」
足立文太郎、体質人類学の講義をはじめる」日本文化人類学史)
1930年代から40年代ならびに戦後処理期の人類 学史(→「日本文化人類学史」)
09●「ファシズム期にお ける日独伊のナショナリズムとインテリジェンスに 関 する人類学史」(中生勝美・基盤研究(B)2019年度- 2023年度:19H04363)
1930年代から40年代ならびに戦後処理期の人類 学史を、日独伊に焦点をあてて研究する。
| 現段階での池田による評価 |
日本 |
ドイツ |
イタリア |
| 1.
ナショナリズム:民族意識の高揚に自国の人類学を活用したか? |
|||
| 2.
インテリジェンス:対敵分析や宣伝のため、人類学者をいかに利用していたか? |
|||
| 3.
科学的レイシズム:人類学理論は、科学的レイシズムとどのような関係をもったか? |
|||
| ●政治体制のタイプ論 |
天
皇制ファシズム(Statism
in Shōwa Japan) |
ナ
チズム |
「ファ
シズム」連辞符がつかない |
「日独伊の三カ国の戦時中の人類学を比較検討するこ とを通じて、総力戦が人類学に与えた影響、戦後の人類学との連続性、政治とアカデミズムの緊張関係、さらに人類学者の研究活動が、いかに戦争遂行に関係し ていたかを、「三角測量(トライアンギュレーション)」の手法で描き出す」中生申請書より)
「ドイツ研究班のうち池田光穂(研究分担者)は、ナ チハンティング、優生学に関して論文を用意しており、中生と共同して ベルリンでの調査、および単独でイスラエルでの調査を実施する」同上)
人脈
| 1918 | 【日本】 |
【ドイツ】 |
1918 |
【イタリア】 |
| 1919 |
||||
| 1920 |
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| 1921 |
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| 1922 |
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| 1923 |
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| 1924 |
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| 1925 |
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| 1926 |
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| 1927 |
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| 1928 |
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| 1929 |
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| 1930 |
||||
| 1931 |
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| 1932 |
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| 1933 |
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| 1934 |
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| 1935 |
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| 1936 |
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| 1937 |
||||
| 1938 |
||||
| 1939 |
9月ナチ、ポーランド侵攻。英仏はナチ
ス・ドイツに宣戦布告 |
|||
| 1940 |
5月ナチ、ベネルクス三国に侵攻。ベル
ギー降伏。6月イタリア参戦。6月14日(無防備都市宣言の)パリに無血入
城。 |
1940 |
6月イタリアは英仏に宣戦布告 |
|
| 1941 |
1941 |
|||
| 1942 |
1942 |
|||
| 1943 |
1943 |
連合国シチリア島に上陸、ファシズム政府
の首班は失脚に 9月王政政府は休戦協定に調印し、南部で政府樹立。ファシスト共和国政府は北部で組閣。南北2つの政府に別れる |
||
| 1944 |
1944 |
連合軍の支援により王政政府のヘゲモニー
確立。 |
||
| 1945 |
1945 |
連合軍の勝利、民衆暴動。北部を解放。国
家復興対策委員会。 |
||
| 1946 |
1946 |
普通選挙。イタリア共和国誕生。 |
||
| 1947 |
1947 |
1947年憲法承認。 |
10●高橋進『イ タリア・ファシズム体制の思想と構造』 法律文化社、1997年
《コーポラティズム》「コーポラティ
ズム(伊: Corporativismo、英:
Corporatism)とは、政治・経済分野における共同体の概念の1つで、国家や社会などの集団の、有機体的な関連性と相互の協調を重視する[1]
[2]。
コーポラティズムの概念は19世紀のヨーロッパで、当時の個人主義的自由主義による個人主義的な社会観に反対する形で発生し、共同体を人間の身体のように
見做し、個人の間における有機体的で社会連帯的で機能的な特質と役割に基礎を置いた。
20世紀にはベニート・ムッソリーニなどファシストがコーポラティズムを主張し、国家組織に経営者や労働者の代表を組織し、統制経済を行った。これは「国
家コーポラティズム」や「権威主義的コーポラティズム」とも呼ばれる。
また第二次世界大戦後は、北欧などの民主主義諸国における政府と利益集団のパートナーシップに基づく政策立案・政策運営・利害調整もコーポラティズムと呼
ばれる。これは「ネオ・コーポラティズム」(新コーポラティズム)や「社会コーポラティズム」、「民主的コーポラティズム」、「社会民主主義的コーポラ
ティズム」などとも呼ばれる。」ウィキ日本語)
11●審問:総 力戦体制に寄与する人類学とはなにか? (→シリーズ「軍事研究」)
12■ 国 立民族学博物館共同研究会「人類学/民俗学の学知と国民国家の関係:20世紀前半のナショナリズムとインテリジェンス」(研究代表者:中生勝 美)
【年次報告-2019年度】
「本年(2019年度——引用者)は、研究分担者の 海外での調査を実施した。研究代表の中生は、20年2~3月にドイツ・チュービンゲン大学、スイス・ジュネーヴ民族誌博物館、オーストリア・ウィーン大学 で現地研究者との意見交換、研究状況を調査した。飯田卓は、同時期、日本国内で神奈川大学常民文化研究所でアーカイブ調査、ジュネーヴ民族誌博物館で調査 をおこなった。/山田仁史はドイツ・フランクフルト大学フロベニウス研究所で、フロベニウス、イェンゼンなど民族学者の遺品や関連資料を調査した。栗本英 世は、オックスフォード大学のピット・リヴァース博物館で、エヴァンズ=プリチャードやリーンハートに文献調査を実施した。飯嶋秀治は、ベイトソン関係の 書籍を購入し、20年3月にアメリカのNational ArchivesにてOSSファイルを調査した。江川純一は、19年10~11月にミュンヘンのバイエルン州立図書館とイタリアのサン・ジョヴァンニ・イ ン・ペルシチェート歴史文書館にて資料調査を実施した。臼杵陽は19年8月にイスラエルでナショナリズムと国民国家のあり方を調査した。池田光穂は、[20]19年12月にアルゼンチン・ブエノスアイレスに滞在しユダヤ人移民支援 組織ならびに戦争犯罪人移送ネットワークの聞き取り調査、および20年1月にエルサレム・ヤド・ヴァシェム博物館(ホコロースト記念館)で調査した。 泉水英計は、20年2月にハワイン・ビショップ博物館でミクロネシア人類学共同調査の資料を集めた。/田中雅一は、本来インパール作戦の調査のため、イン ド北部へ調査に行く予定であったが、現地の治安悪化により渡航ができなくなったため、海外調査を延期し、文献整理を中心に研究を進めた。佐藤若菜は、フラ ンスのリヨン織物装飾芸術博物館へ調査する予定であったが、コロナ禍の影響で渡航自粛勧告が出たため、調査を延期して、日本国内で鳥居龍蔵関係の文献研究 を中心に行った」出典はこちら)
【年次報告-2020-2021年度】
令和3(2021)年度はナチスと優生学に関する文 書購入し、映像資料のあるBundesarchiv Internet (所在地:Koblenz, Germany)において資料収集した。翌、令和4(2022)年度は、引き続き文献調査をつづけ、東京大学医学図書館等で資料収集をおこない、「ナチス ドイツ時代における人種衛生学の諸相」論文のための資料ノートを作成し本文を執筆した。
令和3(2021)年度
著作:
令和4(2022)年度:
(該当するものはありません)
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Fascism in detail - "It could even be said that Deleuze and Guattari care so little for power that they have tried to neutralize the effects of power linked to their own discourse. Hence the games and snares scattered throughout the book, rendering its translation a feat of real prowess. But these are not the familiar traps of rhetoric; the latter work to sway the reader without his being aware of the manipulation, and ultimately win him over against his will. The traps of Anti-Oedipus are those of humor: so many invitations to let oneself be put out, to take one's leave of the text and slam the door shut. The book of ten leads one to believe it is all fun and games, when something essential is taking place, something of extreme seriousness: the tracking down of all varieties of fascism, from the enormous ones that surround and crush us to the petty ones that constitute the tyrannical bitterness of our everyday lives." Michael Foucault 1972[1977], Preface of "Anti-Oedipus."
ファシズムの詳細 -
「ドゥルーズとガタリは権力にあまり関心がないため、自分たちの言説に結びついた権力の影響を無効にしようとしたとさえ言えるでしょう。それゆえ、本書に
はゲームや罠が散りばめられており、その翻訳は実に巧みなものであった。レトリックの罠は、読者に気づかれないように揺さぶり、最終的には読者の意思に反
して勝たせるものである。反オイディプス』の罠は、ユーモアの罠である。自分を消し去り、テキストから離れ、ドアをバタンと閉めるように、多くの誘いをか
けている。私たちを取り囲み、押しつぶすような巨大なものから、日常生活の専制的な苦しさを構成する些細なものまで、あらゆる種類のファシズムを追跡する
のだ」——ミッシェル・フーコー「アンチ・オイディプス」序文より。
14●池田分担 「ナチスと優生学」に関するメモ(2022年度)
表題(仮名):ナチスドイツ時代における人種衛生学 の位相
章立て(構想)
1.はじめに
2.1933-39年:人種衛生学に基づく断種政策
3.1939-1941年:T4計画
4.1942-1945年:民族絶滅計画とその派生
5.結論
用語・略語
●フリッツ・レンツのこと

フリッツ・ゴットリーブ・カール・レンツ(1887
年3月9日ポメラニア州プフルグラード -
1976年7月6日ニーダーザクセン州ゲッティンゲン)は、ドイツの遺伝学者、ナチ党員[1]、ナチスドイツにおける優生学の有力な専門家である。カイザー・ヴィルヘルム人類学・人類遺伝学・優生学研究所(KWI-A)の人種衛生部門(優生学部門)の
部門長(1933-1937)。前任者はナチスの政権掌握により部門長解任されたヘ
ルマン・ムッカーマン(1927-1933)。1937年からは、カイザーヴィル
ヘルム人類学・人類遺伝学・優生学研究所(KWI-A)の所長を務める傍ら、ナチス党に入党した。たぶん、KWI-Aは、敗戦にともなって、廃止された模
様(→KWI-Aの解説)。
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リンク(諜報・軍事技術・戦犯隠蔽)
リンク(軍事的インテリジェンスの人類学)
リンク(宗教・イデオロギー関連)
リンク(優生学とナチス)
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099



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