見出し画像

年間読書人さんになぜか「死んでいる」認定された件。──機関銃のような批評より、「ハチのように刺す」スマートな批評を目指してはいかがですか?

あっ、自分って年間読書人さんのことブロックしてたんだ!

って、年間読書人さんの投稿で知りました。

なんか勝手に、私が「自分が批判されるのは嫌」だから、年間読書人さんをブロックしたことにされてるんですけど、違いますからね。

いつブロックしたかも覚えてません。

おそらく、年間読書人さんの記事を何本か読んで、ぜんぜん賛同できないなと思ったので、ホーム画面の「おすすめの記事」の中に年間読書人さんの記事が出てこなくなればいいなーくらいの気持ちでブロックしたんだと思います。

(こちらの記事によると、実際表示されなくなるようです)

だいたい、年間読書人さんが私のハンドルネームを知らなかったように、一度も接点ないですし。将来的に年間読書人さんから絡まれるかも……なんて想像、できるわけないですから。

なので、「批判されるのは嫌」だからブロックしたわけがないんですね。

100パーセント、年間読書人さんの妄想じゃないですか😂

で、年間読書人さんの記事のコメント欄を見たら、年間読書人さんが私の記事に「スキ」をしたので、速攻で私がブロックしたことになってました。

そんなわけないじゃん😂

勝手に「打たれ弱い」ことにされてるし😂

まあ、三宅香帆さんが言うように、「妄想力」は大事ですから。

でも、三宅さんはこうも書いています。

もちろん、妄想をそのまま事実かのように文章に書くのはダメですよ。

三宅香帆『「好き」を言語化する技術』(ディスカバー携書)

ダメですよ! 年間読書人さん。

だいたい、年間読書人さんをブロックしていたからといって、なんで「お前は死んでいる」とか言われなきゃいけないんでしょう?

飛躍しすぎじゃないですか?

で、年間読書人さんは、次のようなコメントを私に送りたかった(がブロックされてたので送れなかった)そうです。

「「批判なき批評ではダメだ」という考えは正しいが、しかしそういう一般論だけでは意味がない。つまり、「批判なき批評ではダメだ」と言うのであれば、その実践が出来なければならない。そうでないと、結局はみんなと同じ、事なかれになってしまいますよ」

ということを伝えたくて、次のようなコメントを書いて、上の記事のコメント欄に投稿することにした。

『はじめまして。

「批評に批判は必要だ」というご意見には、完全に同意します。
ただし、一昔前なら、そんなことは言うも愚かな常識だったんですが、今どきはみんなが、周囲から浮くのを恐れながら、一方でその周囲に認めて欲しいという、承認欲求奴隷の大勢順応派になっていますから、おのずの批判を避ける方向になってしまう。

だから、肝心なことは、「批判は必要だ」と指摘することではなく、批判すべきことを批判してみせることです。
一般論ばかり語って、実践できないのでは、結局は周囲と同じだからです。

北村紗衣にしろ三宅香帆にしろ、批判しているように見せてはいても、所詮は特定個人を名指しにはしない。
しても、反論される恐れのない、外国人か死人といったところでしょう。

二人の違いは「ツッパリ」タイプが「読者接待」タイプかでしかなく、身近な人物については、無難に褒め合いっこをして、お互いの権威を高めあうことしかしていないはずです。
当然、そんな人間に、まともな批評なんか書けないから、批評は死んだ、ことにしたいだけ。

ま、たしかに批評で「食ってはいけなくなった」というのは事実ですが、それは「批評の死」ではありません。実態は「知的読者の死」です。
「貧すれば鈍する」で、単に世間が子供舌(の頭)になって、批評を読まなくなっただけなんですよ。』

(https://note.com/nenkandokusyojin/n/n7a2c5aa2fcf3 )

「批判すべきことを批判してみせる」を実践していないというのは、私も含めてのことなんですかね? だとしたら的外れですよね。

まず、三宅香帆さんについては批判すべきことは批判しているし、北村紗衣さんについては(少なくとも今回の文脈においては)批判すべきことが見つからないから批判する必要がありません。

この2人をボコボコに批判しないと気が済まないというのは年間読書人さんの考えであって、私はまったく同意しないので、やる必要がないことだからやっていない。それだけです。

それに、私が過去に書いた記事では、たとえば民間臍帯血保管ビジネスとか、ドキュメンタリー映画『小学校〜それは小さな社会〜』とか、福山雅治の「想望」なんかは、批判すべきだと思ったので、ほぼ全面的に批判してます。

「批判すべきことを批判してみせる」なんて、言われなくてもやってます。

年間読書人さんって、「批判する必要のないこと」まで勝手に妄想して批判してません?

そういう「機関銃をぶっ放すような批判」が、年間読書人さんにとっての理想的な批評なんでしょうか?

無駄撃ちせずに「批判すべきこと」を見極めて、そこだけ批判したほうがスマートですよ。

北村紗衣さんが言うように、「ハチのように刺す」批評こそがいい批評だと思いますが、違いますか?

というか、今回の年間読書人さんの記事は、「批評観の違い」以前の問題です。

ご自分は「論理的」思ってらっしゃるようですが、

「読者の死」を嘆くご本人が、リサーチを怠り、誤読し、妄想で補完してしまっている。

単なる「技術力不足」と「怠慢」です。

このような「批評」が蔓延っていたら、批評が嫌われるのも、「令和人文主義」が流行るのも必然ですね。


(追記)
年間読書人さんからさらに妄想力を爆発させた代物をいただきました。

いいなと思ったら応援しよう!