銀河フェニックス物語 父の出張 第四話【創作大賞2025】
テニスコートを観覧できるよう木陰にベンチが並んでいた。アンタレスAの赤い直射日光がちょうど遮られる。
レイターが座ると隣にティリーの母親が腰掛けた。その隣に父親が並んで座る。
「アンドレ君は立派になったなあ」

母親に同意を求める父親の声は、レイターに届く大きさだった。
レイターはアンドレがティリーの両親を「お父さん、お母さん」と呼んでいたことを思い出した。
母親がレイターに話しかける。
「ご存じかも知れないけれど、アンドレ君は学生時代、ティリーのボーイフレンドだったのよ。よくうちにも遊びに来てて」
父親が母親に聞いた。
「どうして二人は別れたんだ?」
「アンドレ君は地元の研究所に就職したし、ティリーはソラ系へ出て行きましたもの。遠距離で自然消滅したって聞きましたよ」
「そうか、じゃあ、ティリーが戻ってくれば寄りを戻すかも知れんな」
「何、勝手なこと言ってやがる」
レイターは視線を正面に向けたまま、聞こえるようにつぶやく。

「ティリーがソラ系へ行くのに反対だった。心配どおりにこんな奴に引っかかって」
「こんな奴ってどんな奴だよ」
レイターが口を尖らせた。
「ティリーにはただ普通に幸せになって欲しいだけだ。お前は知らないだろうが、アンドレ君はなあ、品行方正で成績優秀、学生時代には生徒会長も務めていて、何の文句もなかった。二人が一緒になりたいと言ってくることを待っていたんだ。彼は今も研究所の有望株だ。ご両親も立派な方たちで」
「悪かったな、俺に親はいねぇっつったろ」
「お父さん、やめてちょうだい」
母は二人の間に入ると、心配そうにレイターを見つめた。
* *
「久しぶりだね、ティリー」
アンドレの声を聞いたのは卒業以来だ。毎日おしゃべりをしたあの頃と、優しい雰囲気は全然変わっていない。
「アンドレも元気そう。テニス続けていたのね」

「ああ、たまにこうしてみんなで集まっているから、今度はティリーにも声をかけるよ」
「ありがと。あまり帰ってはこられないけど」
社交辞令のような挨拶。けれど、普通の顔で話せてよかった。
ベンチからレイターの視線を感じる。わたしとアンドレの会話が気になるのだろうか。リオが言った修羅場という言葉が頭に浮かんだ。
いや、アンドレとわたしの関係は今は友人だ。もめる要素はない。
レンタルしたシューズとラケットは悪くなかった。
軽くアンドレとボールを打ち合う。相変わらず上手だ。久しぶりにラケットを握るわたしでも打ちやすいところへ返してくれる。昔もこうやってよく打ちあった。気持ちが通う心地よさ。ラリーが続けば続くほど、アルバムを開くような懐かしさに包まれる。
過去が美化されているのかも知れないけれど、アンドレとの間に、嫌な思いをした記憶がまるでない。
* *
レイターの目に映るティリーは普段とは違っていた。
昔の仲間と一緒だからか、いつもみたいに背伸びしてねぇな。笑顔が無防備だ。薄桃色のレンタルウエアがよく似合ってる。ラケットを振る姿はお世辞にもうまいとは言えねぇが、テニスの経験者だってことはわかる。
元カレか。
前に話を聞いたな。絵に描いたような優等生の彼氏。
テニス部のキャプテンだっただけのことはある。どんくさいティリーさんをうまくリードしてやがる。
俺の隣で、親父さんたちが目を細めて娘のプレーを見つめてる。
『ティリーにはただ普通に幸せになって欲しいだけだ』っていう願いが理解できねぇわけじゃない。
この家族の近くにいると、息苦しくなるほど押し寄せてくる。アンタレスの普通の生活の中にある幸せって奴が。
将軍家ってところは戦争状態が「普通」だ。
そんな中でも俺がフローラやロッキーと過ごしたハイスクールの頃は平時だった。あの頃の俺の暮らしはアンタレスの普通の生活に近かっただろう。

とはいえ、裏番張って家出してマフィアと喧嘩って日常は、ティリーさんの両親が考える「普通」とはおそらく違う。
ティリーさんは元カレとにこやかに話をしている。この星で平穏と幸福に包まれて暮らしてたってことが突き付けられる。
俺がポケットをひっくり返したってティリーさんに与えてやれないモノ。それを元カレのあいつはあふれるほど手にしていやがる。
* *
ティリーはちらりとベンチを見た。レイターとパパの様子が気になる。アンタレスの日差しで雪解けた、という気配はない。レイターは無表情だ。何を考えているのだろう。
リオが言う通り、元彼とテニスをしているのを今の彼氏が見ている状況は不自然かもしれない。わたしだけ楽しんでいることに罪悪感もある。ベンチに近づき声をかけた。
「ねえレイター、これからワンセットマッチで混合ダブルスの試合形式をやるんだけれど、テニスはできないの?」
「あん? 誰ができねぇっつった」
不機嫌そうな声が返ってきた。
「だって、さっき」
「好きじゃねえ、っつったんだよ」
背後からアンドレの声がした。
「ティリー、僕が君とペアを組むよ」
その発言をさえぎるように目の前のレイターがすくっと立ち上がった。
「しょうがねぇな。テニスぐらいやってやるよ」

その態度からわかる。やっぱりこの人、アンドレのことを気にしてたんだ。誘ってよかった。
わたしとレイターは、くじの結果、アンドレとリオのペアと対戦することになった。
「あらら」
リオが意味深な視線をわたしに送ってきた。
ベンチで観戦しているパパとママの会話が耳に入る。
「お父さん、何だか面白い展開になりましたね」
「アンドレ君はテニス部のキャプテンだったんだろ。それに引き換え、何だあいつの構えは。やったことないのか」
レイターは借りたラケットを右手に、コートで仁王立ちしていた。服も靴も普段着のままだ。小声で確認する。
「レイターって、テニスをやったことあるの?」
「あるさ。ただダブルスはやったことねぇから頼むぜ」
「う、うん。任せて」
思わず返事はしたけれど、テニスは久しぶりだ。しかも上手とは言い難い。一方、リオたちは今も練習を続けていて、アンドレは全国大会で六位入賞の腕前だ。あっという間に勝負がついてしまうかもしれない。
「ティリー、悪いけど手は抜かないわよ」

リオは女子部のキャプテンだった頃から、遊びだろうと何だろうと勝負に真剣だ。
「わかってるわ」
まずは、リオがサーバー。わたしがレシーバーだ。
彼女は速くて力強いサーブが持ち味。その代わりコントロールが甘い。トスが上がった。
パシンッツ。
は、速い。学生の頃より上手くなってる。
「サービスエース」
一歩も動けなかった。
「ご、ごめん」
レイターに謝る。
「へぇ、彼女なかなかやるじゃん」
次はレイターがレシーブの番だ。
リオがサーブを打とうとするのだけれど、レイターがまったく構えないのでとまどっている。
「レイター、ちゃんと構えて」
「あん? 俺ならいつでもいいぜ」
ラケットが下を向いている。どう見てもただ立っているだけだ。大丈夫だろうか。
「行くわよ」
リオがサーブを放った。女子とは思えない威力のあるファーストサーブ。
レイターが動いた。素早い。
「ほれっ」
変な構えからバックハンドできれいに合わせる。
スパーン。
気持ちのいい音を立てて、相手コートの角へボールが飛んだ。さすが、運動神経の塊だ。
レシーブエース、かと思いきや、アンドレがぎりぎり追いついて打ち返してきた。
わたしの方へ来た。簡単な球だ。とらなきゃ。ラケットに当たった。
よし、と思ったのだけれど。
「ネット」
自動判定審判の音声が響いた。あ、失敗。せっかく、レイターがきれいに返したのに。
「ご、ごめん」

「謝るなよ。あんたが運動音痴なことは想定の範囲内だ」
失礼なレイターの反応はいつもと変わらない。それにしても新鮮だ。二人でテニスができるなんて。アンタレスに帰ってきてよかった。
バスケ部だったレイターとバスケはやったことがある。これからはテニスにも付き合ってもらおう。
次は、わたしがレシーブだ。
リオがトスを上げた。今度こそ取る。
と思ったのに、コートに突き刺さるような弾に、身体が動かない。
「フォルト」
わずかにはずれた。ふぅ、と安堵の息が漏れた。
「あんた、肩に力が入りすぎ」
レイターの言う通りだ。肩を上下に軽く動かす。
セカンドサーブは威力が弱い。
かろうじて、ラケットに当たった。
返った。
いや、まずい、山なりのボールがアンドレの前に飛んだ。あちゃあ。相手のチャンスボールだ。
ビシッツ!!
アンドレがスマッシュを打つ。やられた!
とその時
パーン
え? 後方に下がっていたレイターが打ち返した。うそでしょ。
アンドレもリオも一歩も動けない。コーナーぎりぎり。
「アウト」
審判の機械音声が響く。わずかにラインを越えていた。
「ちっ、やっぱ調子悪りぃな」
レイターがラケットで肩を叩いている。
この人の運動能力が高いことは知っているけれど、アンドレのスマッシュを打ち返すなんて、経験者でも普通は無理だ。
「これ以上点はやらねぇぜ」
レイターは言葉どおり、リオのサーブからリターンエースを奪った。
一方で、わたしのレシーブはどうしようもない。リオのサーブに歯が立たない。見る間に1ゲームを取られた。
サーブ権が移ってきた。次はわたしのサーブだ。
威力はないけれど、丁寧さだけが持ち味。
ファーストサーブが入る。
リターンが返ってきた。
「そぉりゃあ」

レイターは構えは適当で素人にしか見えないのに、きっちり速い球を打ち返していた。ポイントをとる。
「レイター、ありがとう」
「こちとら肉体労働者だぜ、頭脳労働者に負けられっかよ」
確かにアンドレは研究職だけど、ハイスクール選手権六位入賞者なのだ。そのアンドレが押されている。どれだけ重い球なのだろう。
レイターの動きはめちゃくちゃなのに無駄がない。アンドレのような華麗さはないけれど、荒々しくそれでいて美しい。つい目の端で見とれてしまう。
フェニックス号で訓練するレイターが頭に浮かんだ。触れたら火傷するレーザー光線を使った真剣なメニュー。
ボディーガードの仕事は死に直結する。反射神経も筋力も生きるために鍛え上げられている。「プロ」という文字が頭の中で像を結んだ。
* *
レイターの打球の速さに驚いたリオはアンドレに近づいた。

「ティリーの彼氏、結構やるわね。フォームはめちゃくちゃだけど相当な反射神経だわ」
アンドレも困惑している。
「彼が初心者なのか経験者なのかよくわからないが、変化球で攻めてみよう。ティリーもカットボールは苦手だ」
「そうね」
学生時代、へっぴり腰だった彼女のプレイをリオは思い出した。アンドレの言う通りに、回転のある球をティリーに向けて打つ。
ティリーのラケットに当たったボールは、想定通りのはじくような軌跡でネットに引っかかった。ティリーは泣きそうな顔で彼氏に謝っていた。
リオがアンドレにウインクを送る。
「作戦成功ね」
今度はアンドレが回転をかけた。ティリーの彼氏に飛ぶ。お手並み拝見だ。経験者かどうかこれでわかる。
「レイター、変化するわよ」
ティリーが声をかけた。アンドレの球は変化するとわかっていたところで返せるほど甘くはない。バウンドしたボールが低く横滑りする。氷の上で跳ねたようなイレギュラーな動き。
彼はすくいあげる様にしてコンパクトにスイングした。
スパンッ。

うそでしょ。ボールが返ってくる。慌てて前へ出る。だめだ、届かない。ネット際でこちらのコートに落ちた。
アンドレも驚いている。
「あの球が返せるとは、彼は、力任せの素人というわけではなさそうだな」
「コースもちゃんと見て返してきてるわ」
銀河一の操縦士というのは何者なのだろう。彼に球が飛ぶと厄介だった。強打、フェイントを打ち分けてくる。全然初心者じゃない。
ティリーのミスでこちらにポイントは入るけれど、差が開かない。
リオは汗をぬぐうアンドレの横顔を見た。
珍しい。大会でも冷静な彼が闘志をむき出しにしている。
アンドレはティリーのどこが好きなんだろう。学生時代、二人が喧嘩したという話は聞いたことがなかった。ティリーが悪い子じゃないことはわかってる。けれど、推しのエースを追いかけてアンドレと別れると聞いた時は信じられなかった。茫然としたアンドレを初めて見た。
アンドレは未練があるとは一言も言わない。でも、わかるよ。今もティリーを待っていること。そこへあの子は、随分と軽いノリの彼氏を連れて帰ってきた。相変わらず無自覚に人を傷つける。
「アンドレ、この状態を打開するためにわたし、ティリーを狙うわよ」
「仕方ないね」
ボールを持つ手に力が入る。ティリーに集中攻撃を仕掛けた。
* *
「ネット」
「アウト」
ティリーはがっくりと肩を落とした。次々とわたしに変化球が飛んでくる。リオに狙われている。感情をぶつけられるような執拗な攻撃。そして、相手の思惑通りにことごとくミスをした。
「レイター、ごめんね」
「だから言ってるだろ、あんた、もう少し運動したほうがいいって」
「仕事が忙しいの知ってるでしょ!」
コートチェンジのタイミングでベンチで汗を拭く。パパが憤慨しながら話しかけてきた。
「汚いな。彼女はティリーばかり狙っとるぞ」
隣でレイターが水を飲みながら応じた。
「汚ねぇわけじゃねぇよ。弱いところが攻められるのは当り前だ。俺がリオさんにぶつけてやれば、おあいこだぜ」
レイターが本気でリオを狙ったら、あの剛速球で怪我をしそうだ。
「そんなことはやめて」
「ってあんたが言うと思うからやらねぇだけさ。ま、あのアンドレって優等生があんたを狙ってきたら容赦しねぇよ」
刃物でも投げつけそうな顔でアンドレを睨みつけた。
* *
リオとアンドレも反対側のベンチに下がった。
水分を補給しながら試合内容を分析する。まるで公式戦だ、とリオは思った。
「ティリーは抑えられるとして、彼はなかなかのもんよ。どう見ても我流だけど一流の感覚を持ってる」
とにかく力強くて速い。プロ並みだ。
「大丈夫さ。彼が打ってくるのは直球だけだ。あのスピードにも慣れてきた」
アンドレが追いつき始めている。手練れのアンドレは技を繰り出して器用にしのいでいる。
「技巧派のあなたと直球の彼、全くタイプが違うわね」
「それがどうかしたのかい?」
「どうしてティリーは彼を選んだのかしらって思って。あなたとティリーはお似合いだったし」

ハイスペックなアンドレは人気があったから、ティリーと付き合うことになって女子部員の間に波紋が広がった。テニスの後に楽し気にしゃべって帰る二人の姿はお似合いで、みんなうらやんでいた。
アンドレがポツリとつぶやいた。
「彼が僕に似ていなくて良かった」
「え?」
真意をたずねようとするリオをさえぎるように、アンドレは肩を叩いた。
「さあ、行こう。あのスピードに何としても食らいついていくさ」
* *
ティリーはレイターにボールを渡しながら声をかけた。
「レイター、しっかりね」
ゲームカウント一対ニで負けているところで、レイターにサーブの順番が回ってきた。わたしたちがこのゲームを取るチャンスだ。
相変わらず変な構え。サーブを打ったことはあるのだろうか。
「金賭かってりゃ、もちっとやる気がでるんだけどな」
と言いながら適当にボールを上に放り投げた。何、それ、トスなの?
そこからのアクションは早かった。思いっきり振り切る。
ボールが歪んで見えた。早すぎる。
ズバーン。
リオが目を丸くしている。
「サービスエース」
レイターはいい加減なようで、やる時はやる。すごい集中力だ。
「ナ、ナイスサーブ」
「ま、いつもより的がでかいしな」
さらりと返ってきた反応にひやりとする。ボディーガードの彼にとって、的とは銃で撃ち抜く一点を指す。スポーツ射撃も銃による狩猟も認められていないアンタレスには存在しない的。
レイターの剛速球サーブが続く。アンドレがかろうじてラケットに当てる。
ポワン、とゆっくりボールが飛んできた。前衛のわたしがリオの足元へボレーで返す。ポイントが取れた。
「さすが、元テニス部じゃん」
レイターが歯を見せて笑った。ここはアンタレスだ。銃に狙われる危険も不安も何もない。
「任せなさいよ」
とハイタッチする。何だか、普通のカップルみたいだ。いやいや、わたしたちは普通のカップルだ。恥ずかしがることはない。
なのに、はしゃぎ過ぎてはいけない。と抑制する自分がいる。アンドレの前だからだろうか。
レイターのサーブは圧倒的だった。ラブゲームに抑え込む。ゲームカウントが並んだ。もうこの後はレイターにサーブは回らない。何とかしのがなくては。
ここへきて、徐々にアンドレがレイターの球を打ち返すようになってきた。
「頭脳労働者のくせにやるじゃねぇか」
「速いだけの球、恐るに足らずだ」
「はんっ、これでどうだ!」

レイターの球の威力が増した。恐ろしい速さだ。アンドレも追いつけない。
「くっ」
アンドレが悔しそうな顔をしている。その表情に胸がぐっと締め付けられた。
努力家のアンドレ。彼は真面目で何に対しても一生懸命で、そんな誠実なところが好きだった。
レイターほどの天才じゃない。
でも、彼は一歩ずつ進むことで乗り越えてきた。だからきっとこのままでは終わらない。
レイターの球を打ち返したアンドレの返球がわたしの正面に飛んできた。さあ、ボレーだ。
ラケットを前に出す。
あ、空振り。次の瞬間、身体に衝撃と痛みが走った。
息が詰まる。打ち損ねた球がみぞおちを直撃した。吐きそう。お腹を押さえて座り込む。

レイターがわたしの横に腕を組んで立った。
「あんた、ほんと、どんくせぇな」
それが、彼女にかける言葉だろうか。
その時、
「ティリー、すまない」
アンドレがネットを飛び越えて駆け寄ってきた。
「大丈夫かい?」
そのままアンドレはしゃがみんでわたしの背中をさすった。懐かしい、シトラスの香り。アンドレのシャツから漂う制汗剤の匂いが時間を引き戻していく。
「う、うん。大丈夫」
わたしたちを見下ろしながら、あきれたようにレイターが言った。
「あんなへなちょこだま、ゆっくり息吐きゃ平気だろが」
アンドレが声を荒げた。
「君、彼氏なんだろ! ティリーのことが心配じゃないのか?」
ベンチでティリーの父親も怒っていた。
「ほんとにあいつは何て奴だ。アンドレ君はあんなに心配しているのに」
「まあまあ、お父さん」
横から母親がなだめる。
*
アンドレに支えられながらゆっくり立ち上がると痛みも吐き気も引いていた。レイターの言うとおりだ。大したことはなかった。ただ、ちょっとぐらい気を使ってくれてもいいのに、と腹が立った。アンドレは昔と変わらず優しい。
「ありがとう、アンドレ。もう大丈夫」
「無理するなよ」
レイターが鼻で笑った。
「けっ、敵に無理するなとは、笑わせるぜ」
「レイター!」
わたしは思いっきり睨みつけた。心配してくれたアンドレに失礼だ。

「フン。ったく『無理するな』は俺が言う台詞だろが」
背を向けたレイターのつぶやきが、かすかに風に乗って聞こえた。
試合が再開した。
暑さに体力を奪われる。
わたしは更に調子をくずして、レイターの足を引っ張ってばかりいた。ボールが当たったせいではない、単なる運動不足だ。ハイスクールの頃は平気だったのに、すぐ息が切れる。足が重たくて思うように走れない。明日は筋肉痛が確定だ。
レイターがわたしの守備範囲までカバーしてくれている。
でも、少しずつ押されている。
レイターの剛速球にアンドレが食らいついているからだ。
* *
いつものアンドレと違う、とリオは感じていた。粘り強いのはいつものことだけれど、きょうは執念のようなものを感じる。
「アンドレ、あなた、ムキになってない?」
「そうかもな。負けたくないんだ」
ティリーの前で無様な姿は見せたくない。でも、それだけじゃない。
*
ハイスクールの頃、女の子と何を話していいのか僕はよくわからなかった。男同士なら馬鹿話もできる。硬派な政治の話も好きだ。けれど、芸能やファッションの話題には疎く、女の子が喜ぶ話というものが想像できなかった。告白されても、受け入れられないでいた。
そんな中、たまたま同じテニス部のティリーとS1レースの話になった。
ポニーテールが似合う彼女は、テニスの腕はそれほどではないけれど、後輩の面倒見も良くクラブのムードメーカーだった。
僕は子どもの頃からS1が好きで観ている。ティリーとならいくらでも話すことができた。実際のところ、彼女が好きなのはS1というより、『無敗の貴公子』エース・ギリアムだった。

ただ、推しに関することならどんなことでも知りたい、という貪欲さから、彼女はどんどんとレースそのものへの興味を深めていった。機体の性能や構造といった話にもついてくるようになった。
S1の翌日は、テニスの練習後にレースの感想を話し合う。身振り手振りを交えてしゃべる姿がかわいくて、その時間が待ち遠しくてたまらなかった。もっと彼女と話したい。
僕は交際を申し込んだ。ティリーは驚いていたけれど僕の申し出を受けてくれた。他愛のない毎日がティリーといると色づいていた。一緒にS1を見るようになった。推しのエースにお熱なのは少々癪に障るけれど、所詮は夢の話だ。
ティリーの自宅で食事を呼ばれた。優しいお母さん、政治好きのお父さんとも親しく話をした。彼女とは大きな喧嘩をしたこともない。
僕は難関と言われるアンタレス星立研究所の試験に受かり就職が決まった。ティリーも地元の優良企業から内定をもらった。僕はティリーと一緒に未来を歩くことを信じて疑っていなかった。彼女も同じ気持ちだと思っていた。
何がいけなかったのか、今でもわからない。
彼女は僕にも家族にも相談をしないで、ソラ系にある宇宙船メーカー最大手のクロノス社にエントリーシートを送り、合格した。『無敗の貴公子』エース・ギリアムが役員を務める会社で働きたいのだという。
ティリーのお父さんから相談を受けた。彼女をアンタレスに引き留めてほしいと。
僕も引き留めたかった。けれど……
「わたし、やってみたいの、宇宙船に関わる仕事を。クロノスで働きたい」

まっすぐに見つめられて、僕は説得する言葉を失った。僕はエースという彼女の憧れに勝てなかった。だが、彼女はわかっていない。大企業の御曹司と一社員の間に接点はほぼない。
「エースの近くで活躍しておいで、僕は待ってるよ」
彼女が夢から覚めて戻ってくることに賭けて送り出した。幻影に嫉妬する無様な姿は見せたくない。理解ある彼氏として彼女の記憶にとどまりたい。僕の精いっぱいの強がりだった。
その後、僕の見通しがはずれたことがわかった。
ティリーがエースとつきあっているという話が流れた。『無敗の貴公子』の熱愛報道の相手がティリーだというのだ。

不思議とショックは受けなかった。きっとティリーは仕事をがんばったのだ。思いを遂げたその熱量に尊敬の念すら覚えた。相手がエース・ギリアムなら負けても仕方がない。彼がいたから僕はティリーとつきあうことができた。初めから僕は敗北していたのだ。
だが、今、僕の前にいるティリーの彼氏は一体何者なのか。
S1は今も好きだ。エース・ギリアムの引退試合はもちろん見た。それはレイター・フェニックスのデビュー戦であり、手に汗握るS1史に残る戦いだった。
なぜ、ティリーはエースではなくレイターを選んだのだろう。理解できないし納得できない。『銀河一の操縦士』は『無敗の貴公子』とはまるで違う。腕は確かだが、無謀で危険だ。赤信号へ突っ込んでいくような死に直結する飛ばし。

真面目でエース一筋だったあの頃のティリーからは考えられない。ソラ系で一体、何があったのだろう。紳士でもなく、彼女に優しくもない彼氏。ティリーは騙されているのではないだろうか。
この苛立ちが僕に力を与える。彼には負けられない。
球のスピードは恐ろしく速い。だが、単調だ。慣れてきた。
俊足の彼はティリーをカバーするため全面を走り回っている。ダブルスのコートは広い。疲れないはずはない。球威は落ちてきている。
勝機はある。
最終話へ続く
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レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」
ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」
レイター「なんか、すげぇな……」