【滋賀】古代の都・大津宮お花見旅② 〜平安神宮、琵琶湖疎水・蹴上→三井寺
※2025年4月の内容です。
さて、引き続き琵琶湖・大津のお花見を楽しんできました。
京極ちゃんと道誉のおじさまも一緒です。


↓↓前回の大津・膳所の旅はこちら
今日は琵琶湖疎水を京都→滋賀県大津方面に登っていくので、まずは蹴上駅にやってきました。
琵琶湖疏水とは?
まず琵琶湖疎水ってなんだい?
ってなわけで、京都の平安神宮の近くの琵琶湖疎水記念館にやってきました。
ここでは琵琶湖疎水についてさまざまな展示があります。





水量豊かな琵琶湖から京都へと水を運ぶ「琵琶湖疏水」は、滋賀県大津市観音寺から京都府京都市伏見区堀詰町までの全長約20kmの「第1疏水」、第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmの「第2疏水」、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3kmの「疏水分線」などから成ります。明治期の竣工以来、今なお“現役”で活躍している人工の運河です。
2020年6月には「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき」が日本遺産に認定され、
2025年5月には、重要文化財に24か所、そのうち5か所が国宝に指定されました。
喜ばしいことだなあ。


うんうん…なんかすごいぞ?というのはわかるんですが…。
琵琶湖疏水は、いったいどういう役割や特徴があるんだろうか?
早速調べてみました。
●琵琶湖疏水の全ルート

●横から見た琵琶湖疏水

琵琶湖疎水の役割
電気事業:日本初の商用発電所(蹴上発電所)での電力供給。
運河事業:米・炭・木材・石材など、舟運による物資の輸送。
水力事業:京都御所や東本願寺など、防火用や庭園用の水の利用。
歴史的意義
明治維新後の近代化を象徴するインフラ事業。京都の産業発展や電力供給に貢献し、近代都市化を支えた。現在も上水道や発電に利用され、疏水沿いの桜並木(哲学の道など)は観光地として人気。
構造
「第1疏水」「第2疏水」「疏水分線」などから成る水路
●第1疏水(1890年完成):滋賀県大津市観音寺から京都府京都市伏見区堀詰町までの全長約20km
●第2疏水(1912年完成):第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4km
●疏水分線:京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3km
●蹴上インクライン:船を運ぶための傾斜鉄道(現在は観光用として保存)。
設計者:田辺朔郎(たなべ さくろう)。琵琶湖疏水建設工事の主任技師として、北垣知事に登用された人物。当時、工部大学校(現・東京大学工学部)の卒業生で、若手技師としてこの大規模プロジェクトを担当。
ふんふん…
水を敷いたり運河として利用するだけでなく、最新の水力発電にも利用する目的があったのか。また、幕末の戊辰戦争で荒廃&首都が東京になったことで衰退していた京都の産業発展させる意味もあったんですね。
今の京都みてると荒廃したイメージが全然わかないけど…今のにぎわいがあるものこの琵琶湖疎水ができたからなんでしょう。

それと、琵琶湖疏水のどんなところが特にすごいんだろう?
ちょっと調べてみました。
琵琶湖疏水は、明治23年の竣工以来、豊かな水の恵みで、京都市民のくらしを守り、まちの産業や文化を支え続ける現役の運河であり、明治維新において衰退の危機に瀕した京都のまちと再生と発展を支えた都市基盤施設です。
今般の答申に当たっては、西洋技術の習得過程にあった明治中期において、当時の土木技術の粋を集めて築かれ、世界的に高い評価を得た類い希なる構造物であり、明治日本における都市基盤施設の金字塔であると高い評価を受けるとともに、近代の土木構造物としては、初めての国宝となります。
近代土木技術の傑作:
明治時代(1885年~1890年)に建設された琵琶湖疏水は、日本が西洋の近代技術を取り入れて完成させた代表的なインフラ事業。
若手技師・田辺朔郎の設計により、トンネル、水路橋、インクラインなどの先進技術を駆使し、標高差を利用した自然流下方式は、当時の土木技術の粋を集めたものとされる。
日本初の水力発電への貢献:
疏水を利用した蹴上発電所(1891年稼働)は、日本初の商用発電所。
京都の電力供給を支え、近代産業や都市化の礎となった。
多機能なインフラとしての価値:
上水道(飲料水供給)、灌漑(農業用水)、水運(物資輸送)、水力発電の4つの機能を兼ね備える。
京都の生活・産業を支え、近代都市の発展に大きく寄与。
文化的・景観的価値:
南禅寺の水路閣は、赤レンガのアーチ構造が寺の景観と調和し、明治期の建築美を体現。重要文化財にも指定。
哲学の道など、疏水沿いの桜並木や散策路は、京都の観光資源として文化的価値が高い。
現役のインフラとしての希少性:
現在も上水道や発電に使用される「生きた遺産」。明治期の施設が現代まで機能している点が評価される。
蹴上インクラインなど、歴史的施設が保存・公開され、観光や教育にも貢献。
近代化遺産としての歴史的意義:
明治維新後の日本の近代化を象徴するプロジェクト。
国の史跡指定では、第一疏水、第二疏水、関連施設(トンネル、水路閣、インクライン、発電所など)が一体的に評価された。
なるほど。インフラ整備だけではなく、当時の最新技術を駆使した建築物でもあり、日本初の水力発電施設でもあったわけだ。
当初は旧式の水車としての動力を想定していたみたいですが…発電所の建築に踏み切ったのは思い切った判断ですね。明治を生きた人たちはすごいな。
またトンネル工事を効率よく行うため、山の両側から掘るのではなく、山の上から垂直に穴を掘って工事を進める竪坑方式を採用。
その竪坑である、第一シャフトや第二シャフトなどが残っており、びわ湖疏水船で行き来する際に、その坑道を下からのぞけるそうです。

https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/

また、現在も京都の上下水道に関わる重要な水路のようです。
琵琶湖疏水から運ばれた水は、浄水場に運ばれ各家庭に届けられるとのこと。

そのほかにも京都の各エリアや大きな施設に利用されているようです。
琵琶湖疏水記念館の周辺にある、平安神宮や京都市動物園、山県有朋の別荘「無鄰菴(むりんあん)」の庭園にも疏水の水が使用されているそう。
京都のさまざまな史跡・施設の水源になっているんですね。


2023年に完成した「そすいさんぽ」の3コースを見ると、北は下賀茂神社、南は鴨川に沿って京都駅から伏見を通り宇治川へ続いています。
ほぼ京都の東側を南北に横断していますね。
コースの概要
●大津-鴨川コース:琵琶湖から山科、蹴上、岡崎を経て、鴨川までの12.5㎞
●鴨川運河コース :鴨川から南下し、深草、伏見を経て宇治川までの12.6㎞
●疏水分線コース :蹴上から哲学の道、松ケ崎を経て堀川通までの9.7㎞
※かつての疏水や疏水が合流している濠川などを含む全34.8㎞

伏見には坂本竜馬が滞在し、その妻・おりょうさんが勤めていた寺田屋があったり、
鶴丸国永や一期一振の写しがある藤森神社があるため、桜並木をみながら歩いてみるのもいいかもしれません。
坂本龍馬がお龍さんに助けられた寺田屋事件
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) April 12, 2025
その寺田屋女将・お登勢さんの実家前にも行ってきました
大津がご実家だったんですね〜 pic.twitter.com/mHACW56wwR
【藤森神社】
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) July 22, 2022
鶴丸さんの写しが展示されている神社
5月に行われる駈馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として有名です
馬や勝負事にご利益があるということで競馬好きな方々が参拝に来られるとのこと
日本書紀を編纂した舎人親王が祀られているため、学問や受験の合格祈願にもご利益があると言われています pic.twitter.com/H4zuBQ0CCa
●下鴨神社や伏見神社・藤森神社の旅はこちら
蹴上インクラインとは?
さて琵琶湖疏水の終着点・蹴上には、蹴上インクラインやねじりまんぽ、蹴上発電所など疏水に関わる史跡が残っています。

今では桜並木がきれいな蹴上インクラインですが…
そもそも「インクライン」てなんやねん?

蹴上インクライン
疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ全長約582mの傾斜鉄道で、建設当時世界最長でした。約36mの高低差を克服するために舟を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で運びました。インクラインによって、舟は貨物の積み下ろしをせずに、高低差を乗り切ることができました。現在は、レールが形態保存されています。インクラインの中は自由に歩くことができ、観光名所としても親しまれています。春には、インクライン両側の桜が咲き誇り、華麗な様相を見ることができます。
なるほど、高低差があるためどうしても水路が途絶えてしまう箇所を、なんとかして船で移動させる装置だったわけですね。確かに蹴上船溜まりから京都市動物園方向にインクラインを通ってみると、途中少し登ってからそのから下り坂になる感じ。


蹴上船溜まり~南禅寺船溜まりまでは距離582メートル、高低差は36メートル。この両船溜まりの間を、積み荷を降ろさず、船をどう進めるかが課題だったようです。

そんなインクラインを行き来していた「三十石船」
インクライン上にある三十石船の乗った台車は、蹴上船溜まりから京都市動物園近くにある南禅寺船溜まりまで、船をのせて陸路で運んでいく装置になります。
これによりいちいち積み荷を降ろすことなく、南禅寺船溜まりまで船を運び、そこから鴨東運河など京都全体への運河へ水運をつないでいたようです。
ちなみに船を乗せてインクラインを動く台車の様子は、琵琶湖疏水記念館にある模型で見ることができます。
こんな感じで高低差のある陸路を克服していたんですね。
大津から長柄山を掘り進め3つもトンネル作って、さらに終着地では高低差のある運河までのルートをなんとかするなど…
ものすごく課題の多い事業だったことがわかります。
本当に当時の人たち頑張ったな…。
琵琶湖疏水を作った人々
そんな琵琶湖疏水の設計者の田邊朔郎さん。
インクラインの横にある丘の上に銅像が立っています。
銅像の姿、ずいぶん若いな〜と思ったんですが…プロジェクトにかかわった23歳当時の像だそう。今で言ったら大学卒業したての新卒社員。そりゃ若いわ。
東京大学の卒業生とはいえ…新卒で国家事業に関わるって、よほど優秀な方だったんでしょうね。
そして採用した責任者の北垣さんもこれまた思い切った判断したものです。


雰囲気のある南禅寺水路閣も、この田邊さんの設計だそう。
建築から130年経っても南禅寺の景観にあった建築物だなあ。
建築の知識のほかにも、センスも良い方だったんでしょうね。
新たに国宝指定 京都・南禅寺の水路閣やインクラインとは? ブラタモリも幻のパイロット版で訪ねていたhttps://t.co/R1f9DrNaBr
— ブラタモリ (@buratamori2018) May 18, 2025
ちなみに土木学会の最高賞である、英国土木学会からの「テルフォードメダル」も1894年に授与されています。
現在でも、日本人で受賞したのはこの田邊さんただ一人だそう。
130年たっても「唯一」を維持というのはすごい功績ですね。
そんな新卒1年目を大抜擢した、プロジェクトの責任者。
当時の京都府知事・北垣国道さん

幕末の志士でもあり、戊辰戦争にも参加し、北海道開拓もやり…すごくパワフルな経歴だな。
田邊さんが提案した日本初の電力発電所への計画変更について、最終判断を下したのがこの北垣さん。
幕末から明治への激動の時代を駆け抜けた経験が、100年先の京都を考えた大英断につながったんでしょうか?
その後は田邊さんと一緒に北海道の鉄道開発にもかかわるなど、近代日本の産業発展に貢献しています。
ちなみに琵琶湖疏水完成後、田邊さんと北垣さんの娘さんの静子さんが結婚。義理の親子にもなったんですね。
ちなみに二人の結婚の媒酌人は榎本武揚。幕末~明治の有名人がたくさん関わっているな。
また幕末の有名人というと、西郷隆盛の長男・西郷菊次郎さんも関わっています。
経済不況や日露戦争などの影響で実現できなかった第二疏水建設は、京都市の第二市長となった西郷さんが引き継ぎ1912年に完成したそうです。


1885年から1912年まで。30年の歳月をかけた大事業だったわけですね。
本当にすごい偉業だ。
「蹴上」の由来
また、蹴上船溜まりの周辺には蹴上の地名の由来となった、お地蔵様が祀られています。
どうやら「蹴上」という地名には源義経が関係しているようです。

左奥:義経地蔵
義経地蔵
義経地蔵(よしつね-じぞう)は、蹴上(けあげ)インクラインの頂部、蹴上舟溜近くに祀られている。蹴上義経地蔵、義経大日如来とも呼ばれてきた。
蹴上は東海道が九条山を越え京都に入る東玄関口にあたり、義経地蔵が地名の由来になったともいう。
(中略)
平安時代後期、1177年秋、日の岡峠(現在の蹴上)に差し掛かり、京都へ入る平家の武士、美濃国の関原与市(与一)重治(せきはら-よいち-しげはる)の一行とすれ違う。その従者の一人(馬とも)が峠で湧水を撥ね、義経の衣を汚した。一行は謝罪もせずに通り過ぎたため義経は怒った。9人(10人とも)の武士をその場で切り捨て、与一の耳鼻は削いで追い払ったという。また、与一も斬られたともいう。
義経は、東へ向かう門出の吉兆として喜んだ。村人は、斬られた9人の菩提を弔うために、9体の石造地蔵(九体仏)を九体町(山科区)に安置して弔ったともいう。

義経…「判官贔屓」などの言葉があるように、最期のエピソードから悲劇のヒーローのイメージが強い人物ですが…
ちょいちょいこういった初期の武士らしい冷徹な面が見えるエピソードもありますね。
現在の蹴上は、桜や紅葉の名所としてさまざなな寺社仏閣や庭園がたくさんある観光地です。
蹴上からつながる水路でも「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」や「伏見十石舟」などが開催されており、風情のある運河の様子を見ながら当時の雰囲気を楽しめるようです。
●岡崎さくら回廊十石舟めぐりの開催
●伏見十石舟
ひととおり琵琶湖疏水について知ってみたところで、次は実際に疏水の水が使われているところや、インクラインの桜並木を見ていきます。
平安神宮
まずはこちらへ。蹴上駅の近くにある平安神宮。
こちらの庭園には琵琶湖疎水の水が引かれています。


平安神宮は明治に創建された比較的新しい神社。
平安遷都千百年と第4回内国勧業博覧会に際してとのことなので、当時の人々にとっては、幕末の動乱で荒廃した京都の復興シンボルのような、新しい時代の希望のような神社だったんでしょうか?
琵琶湖疏水の発電所で発電した電気で動く市街電車なども走り、とてもにぎわったようです。
平安遷都千百年紀念祭と第4回内国勧業博覧会に際し、市民は、京都の始祖である桓武天皇の御霊を奉祀する神社の創建を強く望み、明治28年3月15日、桓武天皇(737〜806)を御祭神として「官幣大社 平安神宮」が創建されました。


応天門
大きな鳥居をくぐり広場を抜けると見えてくるのが、この応天門。

866年に起こった政変・応天門の変を描いた『伴大納言絵巻』。
その中で炎上してた「応天門」がこの門になります。
平安京大内裏の南側の正門だったようですね。

今ある応天門はちょっと小さめに復元されたものだそうです。
これでも縮小復元なのかー。
今の応天門でもかなり大きな門なので、実物はどれだけ大きかったんでしょう?
1000年以上も昔の、教科書にもある事件の現場になったところと思うとなんだか不思議な気分です。

さて、平安神宮の庭園は大極殿や本殿の周りを、4つの庭園が囲んでいます。神苑は、南神苑→西神苑→中神苑→東神苑の順に回れるようです。
それぞれ桜や花菖蒲、紅葉などが植えられており、四季折々の景色が楽しめるお庭なようです。
入ってすぐの南神苑は、八重紅枝垂桜の名所として親しまれており、源氏物語や伊勢物語などの平安文学に登場する草木180種類を植栽しているそう。
平安時代のお庭もこんな感じだったんだろうか?




枝垂桜がちょうど満開できれいでした。天気も良くて本当にお花見日和だな~。
中神苑の臥龍橋(がりゅうきょう)。
星座のように、ぽんぽんと飛び石が池に並んでいて面白い光景です。
神苑作庭者の第七代目・小川治兵衛が手掛けたもので、使用されたこの石材は豊臣秀吉が造営した三条大橋・五条大橋の橋脚とのこと。
豊臣秀吉の時代の石材を渡れるって面白いですね。


東神苑に出ると、泰平閣の見える大きな池があります。
観光パンフレットなどでは、ここの位置からの写真をよく見ますね。


ちょうど日が良かったのか、この泰平閣で結婚式の撮影が行われていました。
桜も満開でおめでたいなあ~。



蹴上インクラインの桜並木
琵琶湖疏水記念館からの蹴上インクラインの両脇には見事な桜並木が続いています。
この季節一番の人気スポットですね。

たくさんの人でにぎわっていますね~。
京都だからか、外国人の方も多かったです。
日本の桜、気に入ってくれるといいなあ。



途中、ねじりまんぽの上を通って、蹴上ダムに到着。
ここまでずっと桜でいっぱい。
このねじりまんぽの内側も面白い構造なので、また行った時にじっくり見てみたいな〜。
琵琶湖疎水クルーズ
それではいよいよ琵琶湖疏水を通っていきます。
今回は蹴上→大津まで流れに逆らって上流に登っていくコースになります。
陸上交通の発達などの影響によって昭和26年に途絶えた舟運は、平成30年に、約70年ぶりに観光船「びわ湖疏水船」として復活しました。
こちらの第三トンネルの西口付近に、クルーズ船の船乗り場があります。

この船乗り場の横にあるのが国の有形文化財にも登録されている「旧御所水道ポンプ室」
御所の防火用水を送る目的で作られた施設で、豪華なルネサンス様式の装飾が特徴です。


設計者は片山東熊。
京都国立博物館や東京の赤坂離宮を建築したことで知られています。
京都国立博物館はちょうど本館(明治古都館)が、2015年から耐震改修のためお休みです。再開は未定のようですね…
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) March 3, 2023
発掘調査もされているようで、かつてあった豊臣秀吉が創建した方広寺の築地塀の跡が発見されるなど、歴史ある場所にある建物として丁寧に計画が進められているようです pic.twitter.com/63LqaKPaQ7

「随山到水源」揮毫者・西郷従道
第一、第二、第三トンネルのそれぞれの東口・西口、蹴上トンネル北口、ねじりまんぽ西口の8箇所に扁額がかけられています。
それぞれ当時の関係者が書いており、ひとつひとつ意味や筆跡をみていくのも面白そうです。

さあいよいよ第三トンネルを通って琵琶湖に向かって出発します。
結構早いスピードで進んでいくので、なかなか扁額をじっくり見ることはできなかったんですが、トンネル内を通ったりと貴重な体験ができました。
水路が半円型のため、船が通った後には丸い形の不思議な波ができています。ぐるぐる回っているような波です。
面白いな
●山科エリア
第ニトンネルを潜り抜けると、山科エリアに入っていきます。
大体、天智天皇陵のある御陵駅から、安祥寺を通り、四宮駅周辺の東山自然緑地までのエリアになります。
紅葉の名所・毘沙門堂や本圀寺、安祥寺と名刹が並ぶほか、
日本初の鉄筋コンクリートの橋・第11号橋や琵琶湖疎水に初めてかけられた藤尾橋など、歴史的な建造物も残っているエリアです。

山科駅すぐの山科疎水の両岸が一番の花盛り。
特に毘沙門堂への参道・安朱橋付近は、地域の方々が季節の花を丹精こめてお世話しているエリア。
春は桜満開の菜の花ロード、秋は紅葉のきれいなコスモスロードと呼ばれているそうです。
昔話の理想郷みたいな光景が広がっています。
●第一トンネル
四ノ宮船溜りを通り抜け、いよいよ琵琶湖疎水で一番長い第一トンネルへ。
全長2436メートルの長いトンネルです。
大体、三井寺のある長等山を通り、三井寺駅の大津閘門まで続きます。

この第一トンネル内には、「竪坑方式」によって垂直に穴を掘った第一竪坑と第二竪坑や、
当時の京都府知事の北垣国道の扁額があります。
…上手く見れるかな?
まずは第二竪坑
さらに第一竪坑
うーーん!!一瞬!!!
本当に一瞬で通り過ぎてしまいました。
でもあの光の先が、山の上まで続いてるわけですね…そう思うと当時の工事のすごさがしみじみわかります。
●大津エリア
長かった第一トンネルを通り抜けると、また桜並木が。
こちらの桜並木も観光地として有名な場所ですね。

第一トンネル東口を出たところがちょうど三井寺前の桜並木になります
ここも絵になる光景ですね

●大津閘門(こうもん)
ここの見どころが大津閘門。

琵琶湖の水位は、疏水路の水位よりも高いため、大津閘門は、琵琶湖と疏水路を舟が行き来するときに、水門を開閉し、琵琶湖と疏水路の水位差を調整し、舟を通す役割を果たしています。
なるほど。
いったん船を門と門の間に入れてから、水量を調節し、出口と同じ水位になったら門を開けて船を進める装置なんですね。
こちらは琵琶湖→蹴上にいく船の様子。
琵琶湖の水位の方が高いので、水を抜いて水位を下げてから第一トンネルへと入っていくようです。
今回私の乗った船は、蹴上→琵琶湖のルートだったので、逆に水を増やして水位を上げています。
時間は船が閘室に入って水位調節が完了するまで7分。結構ゆっくり調整しているんですね。
閘門から出て北国橋を通ると、大津城の三の丸尾花川口跡を過ぎ、琵琶湖第一疏水揚水機場、琵琶湖の水位観測所など建物が見えてきます。
第一疏水の出口の横には、第二疏水の取水口と洞門があります。
これもまた京都の蹴上まで続いているんですね。





琵琶湖の湖面が見えてきました。
びわこボートレース場を湖面側から見たり、瀬田の唐橋に現れたムカデが七巻半していたといわれる三上山が見えたり、いつもとは違う光景を見ることができました。
琵琶湖大橋もうっすら見えますね。
●瀬田の唐橋や石山寺への旅はこちら
↓↓


無事、大津港に到着。
お馴染みの「BIWAKO」とミシガンクルーズの船。
これ見ると琵琶湖来たな〜って感じがしますね。
平安神宮の御朱印と琵琶湖疏水記念館の来館記念符ももらってきました。
明日もまだまだ大津のお花見旅楽しむぞー!!!

↓↓次のお花見旅はこちら
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