ひとつの傘|ひとりじゃない⑥
「遅くなってしまった」 退勤直前の電話を取ったのが失敗だった。 顧客からのクレームの電話。途中で切ることもできず、相手の話は30分を越えた。 汗ばんだ受話器を戻すと、取り急ぎ関係者に短いメールを送った。
娘のマリコには、事務所を出る前にショートメッセージを送った。
「ゴメン、今から事務所を出る」
私は電車のドアにもたれ、外をみながら、冷蔵庫の中身を思い出していた。
育ち盛りのマリコは、きっとお腹をすかして待っているだろう。仕事をする以上仕方ないことだと思いながらも、先ほどの電話が恨めしかった。
気づくと雨が降り出していた。今日は、傘を持っていない。ビニール傘を買おうかと考える一方で、その金額で買える食材が思い浮かぶ。やむのを待とうかと迷いながらマリコの顔を思い浮かべていた。
そろそろ自宅のある駅に着こうかという時、 ショートメッセージが届いた。マリコからだ。 「もうすぐ着くでしょ?駅にいる」
なにかあったのだろうか。
改札の外でマリコは、私の傘を持ってぽつんと立っていた。
「どうしたの?何かあったの?自分の傘は?」
立て続けに尋ねる私に、マリコは説明してくれた。傘を持っていない私を迎えに来たこと、そして自分の傘は壊れているのだと。
そんなことにも気づけない自分が情けなかった。
「ありがとう。夕飯どうする?」
「カレー!」
「またカレー、他のものでも良いのよ」
「だって大好きだもん」
マリコはそう言う。 でも私は知っている。
本当は私の手作りのハンバーグが好きなのだ。けれど、我が家の経済状態と、夕食の支度にかかる時間のことを気にしてくれている。
歩き始めた2人の傘に当たる雨音が響く。
「濡れるわよ、もっとこっちに入りなさい」
「大丈夫、私はママみたいに太っていないから」
そういいながらマリコは体を寄せてきた。湿った服を越えて、体温が伝わってくる。
雨の中、ひとつの傘の下で2人で寄り添い、歩きながら思った。
せめて、今度の休みにはハンバーグを作ってあげよう。
声に出せたのは「ありがとう」というつぶやきだけだった。それも、雨音でマリコには聞こえなかったかもしれない。
ひとりじゃない――――――――――
シングルマザーの日常
☔雨の日のお迎え 🪑待合室の30分 😌お帰りなさい
📆特別な日 ☂ひとつの傘
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