【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-86話 文化祭と女神の目的1-一葉落ちて天下の秋を知る-
【前話】 【最初から】 【目次】 【第二章番外編】 【第三章番外編】
文化祭の喧騒のさなか、柊は大石華奈からの連絡を受け、3階の講義室へと急いだ。しかし、そこで彼女を待ち受けていたのは、血の海に倒れる永遠と、その襲撃をほのめかす華奈だった。
「大石さん……これは一体どういうこと……?」
柊は華奈の瞳に、遊びを楽しむような残忍な光が宿っているのを見て身の毛がよだった。全身に返り血を浴びた華奈は、屈託のない少女のような笑みを浮かべていた。
「柊ちゃんと2人で話がしたかったの」
華奈の言葉に、柊は警戒心を強める。
「大石さんと話……?私は心当たりがないんだけど」
「本当はもっと早く柊ちゃんに打ち明けたかったのよ?でも、仲間を呼ばれて邪魔をされてしまうかも知れないし……だったら他の仲間を私の可愛い下僕で留め置いて、大切な幼馴染を使って余裕のない状態で呼び出せば良いんじゃないかって。思った通りだったわ」
そこまで話すと、華奈は眼鏡を外し、ハーフアップにしていた髪をほどいてかき上げた。その仕草は、これまでの彼女とは全く異なる、自信に満ちたものだった。
「私……本当は大石華奈って名前じゃないの。本当の名前は松任椛。この名前なら心当たりがあるんじゃない?」
「まさか……?!」
柊の顔から一瞬にして血の気が失せた。心臓が重く打たれ、冷たい汗が背中を伝う。脳裏には、過去の記憶が蘇っていた。
――『柊ちゃん、神術が使えないのにどうして生きていられるの?』
両親が死んだ直後、一度だけ参加した一族の集まり。その時に、無垢なままこの言葉を浴びせた少女の記憶が、今、鮮明に呼び覚まされていた。
「ねえ、“松任”柊ちゃん。中学の時からずっと傍にいたのに従姉妹が分からないなんて、ちょっと酷いんじゃない?でも、仕方ないわよね。あなたは神術も使えないお荷物だったから、神官の集まりや一族の会合にほとんど来たことなかったもの」
華奈は重い音を立てて机に腰掛け、虚空に足を組んだ。その堂々とした態度は、柊に対する明白な蔑みを含んでいるようだった。
「松任家の本家の人間がどうして……分家で跡取りでもない、しかも神術も使えない私なんて、どうでも良い存在でしょう?」
「どうでも良い存在……ね。柊ちゃんが神術を使えないだけだったらそうだけど、あなたは五麟だったでしょう?柊ちゃんは五麟が太陽の覡の従者としか思っていないんでしょうけど、私達の目的にとって五麟は利用価値が高いの。だから3年前の事件を経て、あなたは松任家の監視対象になった。柊ちゃんが死なないように私が成長を見守ってあげてたのよ?」
「見守ってあげてたって……?駒葉七中はずっと怨霊の危機に晒されていたのに……!」
柊は怒りを含んだ声を上げた。
「仕方ないでしょう?柊ちゃんに実践経験を積んでもらうためにはそれが一番だったんだから」
「まさかあの怨霊達はあなたが……?!」
「……ふふ。せっかくの再会だもの、もう少しお話しない?」
華奈が流れるような動作で印を組むと、教室の真ん中に、おぞましい異形が出現した。それは頭部から黒炎を噴き上げる巨大な海豚だった。邪悪な炎が脈動する心臓の位置で、不気味な緑色の炎が脈打っていた。教室の空気が一変し、肌を刺すような冷たい邪気が満ちた。
「“女神”ってあなただったのね……」
柊の唇から微かな呟きが漏れた。今までの数々の出来事が、線で繋がり始めた。自分たちの身に降りかかる全ての奇妙な出来事の元凶が、彼女だったのだ。
「私の可愛い下僕たちはあなたの役に立ったでしょう?この子達がいなかったら、あなたは雷針を使おうとしなかったかも知れない」
「――天佑神助」
柊は永遠の身を守るため、球体の結界に閉じ込めた。
「あれ?橘くんと共闘しなくて良いの?その結界だと、中にいる人間の意志がないと壊せないでしょう?」
華奈は楽しげに問いかけた。
「永遠を傷つけておいてよくそんなことを言えるわね……古の雷の力よ、我、索冥と共に闘わん!……雷刀!」
柊は首にかけていた水晶に力を込めた。その想いに呼応するように、水晶から現れた刀の柄。柄の先へ左手を伸ばしていくと、眩い白光が奔り、瞬く間に刀身が姿を現した。暴力的な雷のエネルギーが刀身に渦巻き、バチバチと鋭い音を立てていた。
「ここじゃ雷針は使えないものね。天空を舞う索冥の姿を見たかったんだけど……残念」
華奈は顔に隠された失望の色を浮かべながらも、次の瞬間には、緑海豚が柊めがけて突進した。その巨体は床を軋ませ、空気さえも震わせる。柊は素早い動きで緑海豚の攻撃をかわしながら、その頭部の邪悪な炎に狙いを定めた。
「雷刀で戦えないと思ったら大間違いよ……!一刀燦雷!!」
柊が言霊を唱えると、雷刀から激しい雷撃が放たれた。青白い稲妻が空間を切り裂き、緑海豚を直撃する。
――バリバリバリバリ!!!
「ギャァァアアァアァ!」
緑海豚の断末魔が響き渡り、ドカンという音と共に爆風が吹き荒れた。緑海豚がいた場所を中心にぽっかりとスペースが空き、机や椅子が爆風で散乱していた。華奈の足元には目が虚ろな男が転がっている。しかし、窓ガラスは一枚として割れていなかった。目に見えない強力な膜が、爆発のエネルギーを内側に閉じ込めているようだった。
「これは……」
「柊ちゃんが戦えないなんて微塵も思ってないわ。だからこそ、こうやって分厚い結界を張って窓ガラスとかが割れないように準備をしているんじゃない。でも、柊ちゃんはまだ自分の限界には到達していない。柊ちゃんにはもっと強くなってもらわないといけないんだけど」
「私にもっと強くなってもらわないといけないってどういうこと……?私達を殺すことが目的ではないの?」
「何か勘違いしていない?……あぁ、鷲尾兼路と仲間だと思っているの?あんな五麟の利用価値も分かっていない奴と一緒にしないでくれる?でもまさか一撃とは……ふふ。気が変わったわ」
華奈は笑ったままだが、その顔に殺気が満ち始めた。素早く印を結び、古の力を宿した言霊を発した。
「――広大無辺」
その冷たい言葉が空気に共鳴した瞬間、教室を取り巻く現実が歪み始めた。壁が溶解し、床は泥と雑草に覆われた河川敷へと変わり、頭上には日食の月が不気味に浮かび上がっていた。周囲には目に見える境界線はなく、まるで無限の空間に放り出されたかのようだった。その空間の隅々まで、不吉なエネルギーが満ちていた。
「ここは――……」
「あそこだと雷針は使えないでしょ?せっかくだから“試作品”で柊ちゃんに遊んでもらおうと思って」
華奈の言葉に、柊の脳裏には澪との約束が思い浮かんでいた。
――『あんな死に方をしたら、あなたを追い詰めてしまうのは、無理もありませんね……分かりました。もし何か問題が起きたら、私が何とか時間を稼ぎますので、必ず、助けに来てくださいね』
――『必ず、助けに行きます』
(華奈は神官の中でも鷲尾兼路にも並ぶ実力を持つ天才……きっとまだその力の一端しか見せていないのだろう。澪さんと約束を交わしたんだから、澪さんが来てくれるまで持ち堪えないと――……!)
「我、索冥と契りし守護獣――澄義よ。契約の名のもとに我に力を与えたまえ。第二解放……雷針!!!」
柊が深呼吸と共に叫ぶと、その足元から眩い光が迸り鋼鉄の靴が出現した。麒麟の痣は、稲光の紋様と共に全身に広がっていき、放電した長靴が威圧感を放つ。
「良い瞳をするようになったんじゃない?ずっと命を差し出すように戦って来たのに、どんな心境の変化かしら?」
華奈は真の喜びを顔いっぱいに浮かべ、純粋な興味をその瞳に宿して言った。その声には、柊の成長を心から喜んでいるかのような響きがあった。
「身を挺して守った先に残るのは、自分自身の後悔と守られた人間の心の傷だけって気づいたからよ」
柊は真っ直ぐに華奈を見据えて答えた。
「あなたの中学時代は本当に酷かったものね。今の自分は実力の半分しか出せないと思ってしまっているからこそ、文字通り命賭けで戦っていたもの。私達の目的の前に死んでしまうかと思ったわ。まぁ、五麟は利用価値が高いけど不可欠ではないんだけどね」
華奈はどこか満足げに、そしてわずかな憐憫の色を浮かべながらそう告げた。その言葉は、柊の最も深い部分を見透かすようで、彼女の胸に鋭く突き刺さる。柊は眉をひそめ、華奈の次の言葉を待つように視線を向けた。
「……怨霊を発生させているのもあなたなの?」
柊の詰問に対し、華奈はふっと口元に笑みを広げ、ゆったりと首を横に振った。その仕草には、微塵の焦りも見られない。
「いいえ。私は怨霊を利用して邪霊を出現させることはできても、怨霊自体を発生させることはできないわ。私がやっていたのは怨霊を目的の場所に引き寄せていただけ。前世持ちでもないしね……さて、そろそろ始めましょうか。柊ちゃんの実力をちゃんと見たいから」
華奈は再び楽しそうな顔つきに戻り、腰から古風な巻物を取り出した。その表面には、古の文字や不可解な紋様が複雑に織り込まれている。
「影駭響震」
それは、燃え盛るような黒炎を額に宿し、脈打つ黄色い炎を心臓に抱える獣だった。全身は逆立つ虎の毛皮に覆われているが、その体躯は異様に直立しており、太い二本の腕はまるで人間の拳を握るように力強く屈曲している。人間のように二足歩行で地面を踏みしめるごとに、重苦しい威圧感が辺りを支配し、襲いかかってきそうな獰猛な雰囲気を漂わせていた。
【次話】87話 文化祭と女神の目的2-一葉落ちて天下の秋を知る-
8月23日(土) 22:00頃更新
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