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『マミの1980(イチキュッパ)団地狂騒曲』 #8

#8:赤白帽子ウルトラマン事件

1980年(昭和55年)。
我が家(2K・5人暮らし)の朝は、いつも何かが行方不明になるところから始まるのがお約束だった。

ある日はお父さんの仕事用の黒い靴下、ある日はお母さんがパートに行くための自転車の鍵、そしてある日は、お兄ちゃんが直前までやっていたはずの算数のプリント。

狭い家のはずなのに、物置き部屋のブラックホールにでも吸い込まれるのか、とにかく物が出たり消えたりするのだ。

だが、その日の朝、我が家を揺るがしたのは、8歳のお兄ちゃんの、まるでこの世の終わりを迎えたかのような悲痛な悲鳴だった。
「あれ!? ないっ! ないぞ! オレの赤白帽子がないっっ!!」

私はその叫び声を完全にBGMにしながら、ちゃぶ台の前でモグモグと朝ごはんの食パンにイチゴジャムを塗って食べていた。
今日は体育がある日。
私はすでに体操服を着込んで、自分の赤白帽子を抜かりなくランドセルの蓋の裏に突っ込み、準備万端である。

横を見ると、お兄ちゃんはランドセルを逆さにして中身を畳の上にぶちまけ、物置き部屋の押し入れの襖をガタガタと開け、パニック映画の主人公さながらの形相で床を這いつくばっていた。

「マミ……! 頼む、一生のお願いだ! マミの赤白帽子をオレに貸してくれ!!」
お兄ちゃんが藁にもすがる思いで、パンを食べている私の肩を揺さぶってきた。
「無理。私も今日、体育あるもん」
「ええっ、嘘だろ!? オレもあるんだよ! 今日は3組と合同のポートボールの試合なんだよ! 帽子がないとチームの点数引かれちゃうんだよ!」

お兄ちゃんが頭を抱えて絶賛絶望していると、台所でせっせと水仕事をしていたお母さんが、うるさそうに割って入ってきた。

「ちょっと朝から突撃ラッパみたいに騒がないの! 我が家には赤白帽子なんて、あんたたちが今まで無くして買い直したやつも含めて、タンスのどこかに2、3個は転がってるでしょ!」

そう言って、お母さんはリビングの古いタンスの引き出しをガタガタと力任せに引っかき回し始めた。しかし、出てくるのは片方だけになった伸びきった靴下や、お父さんの色あせたつなぎ、なぜかクシャクシャになったおもちゃの五百円札ばかり。

「……本当におかしいわね、ないわ。お兄ちゃん、昨日学校の机の中に置いてきたんじゃないの? それともマミ、どっかに忘れてきてない?」
「私はちゃんと自分のやつ持ってるもん。ほら」
私がランドセルを指さすと、お兄ちゃんは半泣きで訴えた。
「オレだって昨日、ちゃんと持って帰ってきたよ! ランドセルの横にぶら下げてた気がするんだよ!」

壁の柱時計の針は容赦なく進み、近所の子供たちが集まる登校班の時間が刻一刻と迫ってくる。
お母さんは仁王立ちになり、腕組みをして私たちを交互に睨みつけた。
「マミ、あんた体育は何時間目なのよ?」
「4時間目だけど……」
「お兄ちゃんは!?」
「オレは5時間目!」
その瞬間、お母さんの目が主婦の知恵袋ばりにキラーンと光り、名案を思いついたようにパチンと指を鳴らした。

「じゃあ、学校で貸しっこしなさいよ!」
「ええーーーーーーっ!!!」
私とお兄ちゃんの悲鳴が、狭いリビングに同時にシンクロした。
「そんなのめんどくさいよ! 違うクラスなのに!」
「そうだよ、マミの教室に行くの恥ずかしいもん!」
「ガタガタ言わないの! 失くしたお兄ちゃんが100パーセント悪いんだから、4時間目の体育が終わったら、給食の前にマミの教室まで取りに行きなさい! いいわね! 決まり!」

お母さんの国家権力並みの決定には逆らえない。私は渋々、たった1個の赤白帽子を兄妹でシェアするという、前代未聞の共同作戦を了承させられたのだった。

そして学校へ行き、午前中の授業が始まった。
4時間目、私はグラウンドで自分の赤白帽子を「赤」にして頭にかぶり、元気にドッジボールをして走り回った。体育が終わり、「あー、疲れた。お腹ペコペコ。今日の給食は何かな」と思いながら、埃っぽい体操服のまま教室に戻る。

手を洗って白い割烹着を着て、ちょうど給食当番が食缶を運んできて配膳が始まろうとしていた、その時だった。

「マミーーーーッ!!! マミいるかーーーーッ!!!」

廊下の向こうから、静かな校舎に響き渡る大声が聞こえてきた。
間違いなく、我が兄の声である。
クラスメイトたちが「え? 誰のお兄ちゃん?」「マミちゃんのお兄ちゃんじゃない?」と一斉にそちらを見てザワつき始めた。

(ゲッ……!!! 本当に、よりによってこのタイミングで来やがった!!!)
恥ずかしさのあまり、私の顔は一瞬にして沸騰したヤカンのように真っ赤になった。
クラス全員が集まっていて、しかも担任の先生まで教卓にいる、一番目立つ給食の時間である。

私は自分の存在を世界から消し去りたくなり、とっさに教室の窓際にある、分厚いクリーム色のカーテンの中へと滑り込み、身を隠した。

ガラガラッ!と教室の引き戸が勢いよく開く。
「あの、すいません! 2組のマミ、いませんか!?」
お兄ちゃんが私のクラスの男子に、息を切らしながら必死に尋ねている。

カーテンの隙間から息を潜めて覗くと、お兄ちゃんはすでに体操服姿で、額にねっとりと汗をにじませながら、目を皿のようにして教室内を見回していた。

「あ、マミちゃんならさっきまでそこにいたけど……どこ行ったんだろ?」と親切に辺りを見回してくれるクラスメイトの男子。
お兄ちゃんは「マミー! 時間がないんだよー!」と焦って叫んでいる。

(もうダメだ、隠れきれない……。)
これ以上隠れていたら、余計に不審に思われて大騒ぎになり、一生の黒歴史になる。私は意を決して、渋々と、のっそりとカーテンの中から姿を現した。

「……ここだよ。もう、大声で私の名前を呼ばないでよ! 恥ずかしいじゃん!」
「おお、マミ! 隠れてたのかよ! 頼む、早く帽子くれ! もうすぐ5時間目のチャイムが鳴っちゃうんだよ!」

私は恥ずかしさで下を向いたまま、ランドセルからさっきまで被っていた、ほんのり温かい赤白帽子を取り出すと、お兄ちゃんの手へ放り投げるようにして手渡した。

お兄ちゃんはそれをガシッと両手で受け取るなり、「サンキューな! 命の恩人!」と言い残し、廊下をサイトウ先生に怒られそうなほどの猛ダッシュで、自分のクラスへと帰っていった。

教室に残された私は、クラスの女子から「マミちゃんのお兄ちゃん、足速いね。でも何で帽子?」とクスクス笑われ、給食のソフト麺の袋をぎゅっと握りしめながら、ただただ小さくなっているしかなかった。

夕方、家に帰り、ランドセルを床に置くなり、私は台所にいるお母さんに向かって怒りを爆発させた。

「お母さん聞いてよ! 今日ね、お兄ちゃんが給食の時間にわざわざ教室の中まで押しかけてきて、大声でマミ、マミって叫んだんだよ! クラスのみんなに見られて、すっごく恥ずかしかったんだからね!」

お母さんは夕飯のジャガイモの皮をむきながら、ガハハと豪快に笑った。
「そお、でも無事に帽子を貸せたのね。良かったじゃない、お兄ちゃんが帽子忘れで先生に立たされなくて」

そこへ、玄関の引き戸がガラガラと鳴り、「ただいまー!」とお兄ちゃんが帰ってきた。
「ふぅー! 今日のポートボール、マミの帽子のおかげで大活躍できたよ! でもさ、4組の教室に借りに行く時、オレもマジで恥ずかしかったわ。っていうかさぁ、オレの赤白帽子、一体どこへ行っちゃったんだよ!」

お兄ちゃんはぶつぶつと文句を言いながら、リビングの畳の上へランドセルをドサッと放り投げた。
お母さんも「本当ねぇ、どこへ消えたのかしら。タンスの裏も押し入れの布団の隙間も、私が昼間に探したのに見つからなかったのよ」と首をかしげる。

我が家の一大ミステリー。消えた赤白帽子。
その時、私は、リビングのテレビの横に置かれていた、お兄ちゃんが昔お祭りの露店で買ってもらった大きなクマのぬいぐるみに、ふと目が留まった。
いつもは素っ裸で、毛並みもボロボロのまま転がっているはずのクマが、その日に限って、何か妙に「神々しい頭の飾り」をつけている。
「……あ」
私は目を見開き、そのクマの頭部を指差して、家中に響き渡る大声を上げた。

「あーーーっ!!! クマだ!!! クマが犯人だーーーっ!!!」
私の叫び声を聞いて、ちょうどぼっとん便所に入ろうとしていたお兄ちゃんが「なんだなんだ!? 覗き魔か!?」と、ズボンを押さえながら廊下から飛んできた。

全員の視線が、部屋の隅のクマのぬいぐるみに集中する。

そこには——
赤白帽子を、真ん中で綺麗に半分に折り曲げ、額の前にトサカのようにピシッと立てて、見事な「ウルトラマンの頭の形」にしてすっぽりと被らされているクマのぬいぐるみが、何食わぬ顔で偉そうに鎮座していた。

「あ……。」
お兄ちゃんがその光景を見た瞬間、すべての記憶が脳内でフラッシュバックしたかのように、完全に動きを止めた。

そう、一昨日の夕方、学校から帰ってきたお兄ちゃんは、テレビでウルトラマンの再放送を観て大興奮し、「ジュワッ!」とか言いながら自分の赤白帽子をウルトラマンのトサカの形に変形させ、クマのぬいぐるみに被せて秘密基地ごっこをして遊んでいたのだ。
そしてそのまま、遊んだことすら綺麗さっぱり忘れて、翌朝パニックを起こしていたのである。

静まり返る2Kの部屋。
「……犯人は、オレだ……」
お兄ちゃんは耳の先まで真っ赤に染め上げ、蚊の鳴くような消え入る声でそう呟いた。

お母さんの額に、青筋がピキピキッと浮かび上がる。
「お・に・い・ちゃん……!!! 自分でそこに被せて忘れて、朝から大騒ぎしてたわけ!?」
「ひぇぇ、ごめんなさーーーい!」

お兄ちゃんは慌ててクマの頭から赤白帽子をひったくると、ウルトラマンの形を強引に引っ張って元に戻し、お母さんから逃げるようにしてタンスの引き出しの奥底へと帽子を押し込んだ。

それを見て、私とお母さんは呆れ果てて大爆笑。ちょうど工場から戻ってきたお父さんも事情を聞いて、「お前はM78星雲から来たウルトラマンじゃなくて、ただのウッカリマンだな!」とゲラゲラとビールを飲みながら笑い、狭い我が家はまたしても賑やかな笑い声に包まれた。

翌日からは、お兄ちゃんのランドセルの側面のフックに、しっかりときれいに畳まれた予備の赤白帽子が、お母さんの手によって安全ピンでガチガチに留められるようになったのは言うまでもない。

(#8・了)
この小説はノンフィクションです。

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