【創作大賞2024】深海で、灯火を捏ねる①
「商品開発部のエースになる」
製パンメーカーに就職した新入社員の紬麦は、配属初日にそう宣言する。
大好きなパンを販売していた一星製パンで新商品開発に携わり、ヒット商品を世に送り出す。
そう決意する紬麦は、エースになるべく100枚の企画書を提出するが、「小言おばさん」の勝木部長は取り合ってくれない。それどころか、地味な仕事ばかり押しつけてくる。
嫌がらせか、パワハラか。
口の悪いシャイガールやニュアンスパーマの先輩たち。微笑むだけの親戚のおじちゃんみたいな課長。それぞれの紬麦に対する想いとは。
「異動願、受理するから」
そう言った部長の真意とは。
苦しみとやりがい。
仕事に頑張るすべての人へ。
―手間をかけ、種を仕込む
100枚ほどの紙の束と、新入社員の顔を交互に見た。夢ではないらしいことが、他の部下たちの息を呑む音で理解できた。
「どうして、これを?」
勝木の問いを、紬麦は肯定的に受け取ったようだ。昨晩徹夜して作成したことを語りだす。上半身が勝木のデスクを越えてきている。反射的に椅子を後ろにずらした。
「大変だった」「まるころパンみたいなヒット商品を開発します」「花形部署エースを目指してるんで」ウインクしてくる新入社員に、どう伝えるものかと、勝木は逡巡した。
顔にかかった髪を耳にかけながら、視線を船越に向ける。船越が気づいて、下がるよう促したが、彼の熱は冷めない。
1秒だけ、数枚の紙を見た。へたくそなイラスト付きで、1枚につき1案、パンの新商品のアイデアが記載されている。企画書のつもりだろう。今時手書きか。そう感じたが、その点はどうだってよかった。
「まるころがヒット商品のわけないだろ」声が漏れる。目指す場所が低い。そうも言いそうになるが、やめた。どうでもよいことだと、思考を幹に戻す。問題の本質を考えた。これまでの経験上、常に意識していることだった。
「開発は夢を語るサロンじゃあないよ」そう言って、紬麦を見た。彼は首を傾げている。
「アイデアを出したいなら、企画部のある会社に行くか、街のパン屋になりなさい」まだ首を傾げているので「開発部にいたいなら、土台から学べ」と説明した。
時計は9時5分前を指している。
話は終わり。勝木は勢いよく席を立った。9時開始の部長会へと向かう。しかし部屋を出る直前で、足を止めた。
「真城」
呼ばれた真城が駆け足で近づく。開発部に来て1年の彼女に任せるのは酷か。一瞬そう考えたが、勝木は決めた。
「紬麦の教育係、あなたに任せる」勝木の声は、他の部下にも聞こえるぐらい、よく通った。真城が言葉に詰まっている間に、勝木の姿は見えなくなる。
「真城さん、お願いしゃす。おれ、商品開発部のエース、目指してるんで」
ヒット商品連発させます。紬麦は本気で言っている。規格外の後輩を横目に、真城は大きなため息を吐いた。ため息の教科書があれば、最初のページに掲載されるであろう見事な大きさだった。
斜め前の席の吉原が、目を細めて微笑んでいる。同情か、呆れ返っているのか。どちらもだろう。そう思い、真城はさっきよりも大きなため息をついた。
創業六十年。製パン業界3位の一星製パン株式会社。競争の激しい業界で渡り合うため、毎月数十品もの新商品を発売している。その商品開発を、勝木を含め、4人で切り盛りしていた。勝木は部長、船越は課長だ。実際の業務のほとんどを、スタッフである真城と吉原の2人で分担していた。
増え続け、減ることのない業務量に、2人は疲弊していた。喉から両手が出るほどほしかった追加人員。けれど、望んでいたのは新入社員ではない。
少なくとも、ヒット商品を簡単に生み出せると思っている社員では、決してなかった。
「あのね、業務の流れを説明するから、落ち着いて。こっち向いて」
幼稚園児に諭すつもりで呼びかけた。「はいっ」と大きな声で応じる紬麦を見て、素直ではある、と前向きに評価する。
1年前、真城も吉原に説明を受けた。商品開発部の引継ぎスライドをデスクトップに映し出す。吉原らしい、わかりやすく、シンプルなデザインのスライドだ。
「一星では、4ヶ月先の新商品を開発するの。どうしたって、発売するまでに4ヶ月の準備がかかるから。今は7月。考えるのは11月の新商品。紬麦くんがさっき部長にむけてやったアイデア出しだけど、原則企画会議で実施するから、今度からはそうしてね」
紬麦の返事はいい。理解しているかは疑問が残った。しかし時間は限られている。時の流れは何も解決してくれない。真城は続けた。
「11月の新商品発売に向けて、6月末に企画会議をするの。だから次アイデア出しできるのは7月末、12月の企画会議ね。
11月に向けては、企画会議で出た案を形にすることが、これからやるべき仕事。配合―レシピだね。工場で製造することを想像しながら、どういった原料を使用するか、どんな工程で作るかを考えて、実際に自分たちで作って試食するの。何度も作って食べて、案を練り直して洗練させる。それを大体1ヶ月で終わらせる」
真城の説明を、紬麦は持参したノートに書きこんでいる。やる気はある。真面目な部分もあるようだ。真城は続ける。
「8月に各部の部長や経営陣が出席する発表会がある。そこで合格がもらえれば、規格確定。工場での本製造に向けて準備を進める。
不合格なら発売に間に合わせるために、別ルートで各部の部長と経営陣を個別に突撃して合格もらえるようにしないとだめだから、発表会での合格獲得は必須だと思って」
頭が痛い。「余裕っす」「おじさん受けいいんで」と紬麦は楽観的な姿勢だ。ポジティブなのだと評価しようとした。しかし結局、馬が合わないという結論となる。
「一星は毎月新商品を出す。今は11月に向けての話をしたけど、8月から10月の新商品の準備も同時並行でやるし、今月発売した新商品の売れ行き結果を確認することも私たちの責任なの。
ざっくり言うと、4ヶ月分の仕事を1ヶ月でしてるみたいなものなんだ。紬麦くんの得意なアイデア出しも開発の仕事の1つだけど、全体の割合としては1割にも満たない。他の仕事、頑張って覚えてね」
少し言い方が嫌味になった。真城は反省したが、紬麦は気にしていないようだった。安堵する。好きになれないタイプだが、辞められては困る。早く一人前にしなくてはならない。
今日中に作成が必要な資料を強引に渡した。紬麦は嫌な顔を隠さない。それを無視して、真城は自分の業務に取り掛かった。
今後どうやって彼を教育するか。考えると、頭と肩と心が重かった。
痛む頭を軽く振る。一度目を瞑ってから、深呼吸をした。
「クソ」と誰にも聞こえない音量で気合を入れ、作成途中の工程表を、完成させようとマウスを掴んだ。
第2話以降のURLはこちら
・第2話:おいしさを、引き出す
・第3話:いくつかに、分割される
・第4話:少し、休ませる
・第5話:すばやく、形を整える
・第6話:適切に、熟成させる
・最終話:しっかりと、でも焦げないように、じっくりと
