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第2章 巡礼の身体とサン=ジル=デュ=ガール (2)そのエジプトからの図像

「石の重圧」と「使徒の視線」1 ファサードの圧倒的なボリューム

前回までは大まかであるが、これまでの学説をまとめた。今回は再度このファサードの前に立つところを想像するところから始めたい。

前回見たように、凱旋門を強く意識させる3連アーチ。古代の柱はローマの劇場のスカエナエフロンスを思い出させる。
 彫刻も過剰というほど付けられているその全体の分類は下記のとおり。

ファサードに近寄ると使徒が顕現する

正面のポータルには使徒が向かい合って私たちが教会に入っていくのを見守る。「石の重圧」と「使徒の視線」を感じる。

正面ポータルの使徒像 左:ヨハネとペテロ 右:大ヤコブとパウロ ポータルの配置はトップ画像も参照ください。

また正面の柱から引っ込んだところには使徒像と天使が勢揃いしている。立像と配置と同定されている使徒にはストダードにならって名前を入れた。

サン=ジルのファサードの12使徒と天使像の配置

これらの圧倒的に巨大なスケールはどこからきたのだろうか?どこへ行ったのかはサンドニやシャルトルの前触れとして触れられることが多いがその起源は明確ではない。
 凱旋門にはレリーフは掘られるがこのような人柱像ではない。スカエナエフロンス(第1章参照)ではニッチの間に置かれるが網羅的なものではない。ローマの闘技場にはアーチごとに人体像があったらしい。また、石棺彫刻も議論されるが、あの50センチ足らずの彫刻を2メートルを超えるファサードにもってくるのは不自然である。
 それゆえ、このような権威的な配置は神殿に巨大像が配置されていたエジプトの神殿も候補に入れて考えてみたい。聖書のエジプトとの関わりも深いことはよく知られている。以下、その状況証拠をエジプトに関する彫刻、フランスロマネスクへのエジプト由来についての学説、エジプト由来の共住修道院、エジプトの人像についての検討をしたい。

2.ロマネスク画像に見る、エジプトに由来する聖書のシーン

  • 東方三博士:サン=ジルの北タンパンには東方三博士が描かれている。「マタイによる福音書 2:11 新共同訳」によると、「幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」この没薬(ミルラ)は非常に高温で乾燥した過酷な環境でのみ育つ木からのみ採れるためエチオピアなど産地が限られる。そのため地中海世界では、アラビア半島から紅海・エジプトを経由する交易によって運ばれる貴重品であった。

  • 受難と死の象徴:この没薬は防腐剤や遺体の埋葬に使われた苦い香料であり、後にイエスが人類のために死ぬことを預言している。

  • 香油を運ぶ女たち(三人のマリア):同じくサン=ジルの南タンパンの磔刑彫刻の直下には香(没薬、ミルラ)をキリストの墓に入れる女たちが描かれている。マルコによる福音書(16章1-8節)。預言の成就と解釈でき、キリストの死と復活の重要シーンである。

  • アラビアやアフリカから海を越えて運ばれてきたミルラは、地中海沿岸の港を経てヨーロッパへと流通した。サン=ジルもまたその一つの拠点であり、彫刻に描かれた「香炉」や「香壺」の中身は、実際にこの町の経済を潤した地中海交易の産物でもあった。

左:北タンパン 東方三博士の礼拝 右:南タンパン直下フリーズ キリストの墓に香を入れる女たち

・ロマネスク時代の聖書のテーマとしてキリストのエジプト逃避はモワサック、オータン、ソーリューなどに刻まれている。

オータンのサンラザールの彫刻室にあるエジプト逃避

・ヴェズレーではファラオを殺す天使、モーゼと黄金の子牛、モーゼのエジプト人殺しが柱頭彫刻にある。

 このように聖書の物語そのものがエジプトや東方世界と深く結びついている。ロマネスクの彫刻にそれらの場面が繰り返し刻まれていることは、エジプトが単なる遠い異国ではなく、地中海世界の宗教的想像力の中で身近な地理として認識されていたことを示している。

3. エミール・マールの「魂の計量」の系譜

エミールマールはオータンやコンクでの復活のタンパンで魂の計量が描かれていることに注目して、これをエジプトのアヌビスによって心臓を計量される恐怖の残りと論じた。

左がオータンのサンラザール。右がコンクのサンマドレーヌ。サンラザールではタンパン右側。サンマドレーヌではキリスト直下に破壊されているが悪魔と秤の計量をしている。

下記がよくあるパピルスのアヌビス像

https://www.acropolis.jp/articles/31 より

この学説はよく受け入れられているのではないだろうか。次はクリスチャンヌ・デロッシュ・ノーブルクール(Christiane Desroches Noblecourt)のヴェズレーのタンパンの12黄道宮の解釈を紹介する。

4. ノーブルクールの視点:エジプト図像学の潜伏

  • クリスチャンヌ・デロッシュ・ノーブルクールの意義:エジプト学の権威である彼女の研究は、エジプトの宗教図像が単に絶滅した過去の遺物ではなく、地中海文化の底流に長く影響を与え続けたことを明らかにしました。

  • 図像の変容(イシスからマリアへ):その代表例が「イシス授乳像」です。ホルスに乳を与えるイシスの姿は、キリスト教の「聖母子像」へとその形式が受け継がれたと考えられます。

  • ヴェズレーのタンパンの解釈:エジプト学者であるノーブルクールは、ヴェズレーの彫刻(特に中央扉口の「ペンテコステ」など)に見られる異国的な図像や天文学的要素に、古代エジプトの知恵がキリスト教美術へと流れ込んでいる可能性を下記のように指摘しています。

  • エジプトの黄道十二星座(ゾディアック)の象徴性が、単なる天文学の記録ではなく、オシリス神話と農業サイクルに深く根ざした宗教的物語であることを解き明かしています。著者は、グレコ・ローマン時代の星座のシンボルが、実は古代エジプトの新年の到来やナイル川の氾濫、そして魂の再生という伝統的な教義を視覚化したものであると論じています。特に、ヴェズレーのベネディクト会聖堂など西洋のロマネスク建築に見られる十二宮のレリーフを詳細に分析し、その配置や図像がエジプトの暦の構造を驚くほど正確に継承していることを指摘しています。(詳細は「神秘の粉挽」についての記事の中にまとめました

  • 文明の長期的記憶:これら古代の記号はキリスト教美術の中へと文化の垣根を超えて受け継がれ、単なる様式の模倣ではなく、数千年単位で文明の記憶が地中海を循環し、形を変えて現存しているという視点を提示します。

タンパンの12黄道宮の頭頂部 左から1/4フェニックス(閏年のため)、犬は大犬座、中心は復活するオシリス、人魚像のセイレーン

5. 思想の伝播:修道制と地中海交易の回路

次に、エジプトの思想や図像がどのようにして南フランスに到達したのか、具体的な歴史的・地理的ルートを辿る。ここで重要なのは、当時のサン=ジルが地中海に開かれた「港」であったという事実です。

  • 交易路としての地中海への港: 12世紀、サン=ジルはアレクサンドリアやレヴァント諸国と直接結ばれた交易の拠点でした。物資とともに、初期キリスト教の聖者伝や象徴体系がこの港から上陸しました。中世においてエルサレムやローマに次ぐ規模の巡礼地として繁栄しただけでなく、ニームを含む広範な地域と一体化してヨーロッパ有数の商業地としての役割を果たしていた。(南フランス・ガール県南部のロマネスク聖堂(2)-サン=ジルとその周辺-中川久嗣)

  • カッシアヌスによる修道生活の移植: エジプトの隠修士たちから修道生活を学んだヨハネス・カッシアヌス(カシアヌス、c. AD 360 – c. 435)は、アレクサンドリア航路を経て、その文化をマルセイユ(サン=ヴィクトル修道院)へと移植しました。マルセイユとサン=ジルは目鼻の先であり、サン=ヴィクトル修道院の影響力は、交易路を通じてサン=ジルへと波及していきました。

  • 砂漠の記憶の定着: カッシアヌスの規約(下記カコミ記事参照)や、聖アントニウスの物語は、単なる書物上の知識ではなく、エジプトを往来する巡礼者や修道士たちの実体験を伴った「生きた記憶」としてプロヴァンスに定着しました。

  • エバグリオス・ポンティコスとの繋がり:カッシアヌスに多大な影響を与えたエバグリオス(砂漠の父の一人)の思想が、地中海交易ルートと修道院ネットワークを通じて、ロマネスク世界へと流れ込んでいった回路がある。

  • クリュニーでも『夕食後「コラシオン」と呼ばれる読書会ーー普通ヨハネス・カッシアヌスの二十四章からなる「父祖の言葉』(コラティオーネス・パトルム)の一つが読まれていたからだがーーが開かれた。』『内面生活の一切の秘密、魂のすべての動き、夜に想像力が生み出す幻影さえ知っている厳かな老人たち、ケレモン、ネステロス、トムイスのヨセフといった荒野の古老』と対談した記録を読みながら、遠く離れたエジプトの隠者たちを身近に感じ、彼らとともに生きているような感覚を得ていた。(エミール・マール「ロマネスクの図像学(上)第6章」pp359)内陸のクリュニーですらカッシアヌスはこのように読まれていたことはより地理的に近いサン=ジルでも同様であったことが予想される。

  • 砂漠の修道士のパウロとアントニウス伝:当時は人気のコンテンツでヴェズレーの柱頭彫刻に彫刻されています(下記参照)。フーコーは次のように解釈しています:「聖アントニウスの生涯に関するアタナシウスのテクストによりますと、心の内面の動きを書き留めるという傾向が、精神的な闘いの武器として現われてきているのです。悪霊が人をだまし、人に偽りの自己を教える力であるのに対し(『聖アントニウスの生涯』の大半は悪霊のこうした企みの記述に充てられています)、書くという行為が一つの試練というか、試金石のようなものとなっているのです。思考の動きを明るみに取りだすことによって、敵の策謀が仕組まれている内的な影を払拭してしまうわけです。・・・フーコー・ラビノウ)

  • エジプトからプロヴァンスへ:エジプト→地中海交易→修道院文化→ロマネスク美術という、具体的な「知の伝播」の可能性が浮かび上がってきます。アレクサンドリアのクレメンスがムソニウスのルフスから引用したことも文献学者によって判明している。そう考えると「アレクサンドリアでクレメンスが拾い上げたストア派のムソニウスのルフスの『節制の身体』が、カッシアヌスの船に乗って地中海を渡り、数百年の時を経てサン=ジルのファサードに立つ『使徒の身体』として結実した」とも想像できる。(以前公開した「ムソニウス・ルフスからアレクサンドリアのクレメンスへの結婚倫理」の記事(その1)へのリンク 全4回シリーズ 下記に全リンク掲載)

ヴェズレーの聖アントニウスの彫刻 左から悪魔による誘惑、ファラオの墓の中での悪魔に襲われる幻視、師匠である砂漠の隠修士パウロの埋葬

カッシアヌスの共住修道院規約
https://la.m.wikisource.org/wiki/De_coenobiorum_institutis
のラテン文から該当箇所
第2章:識別の重要性がアバ・アントニウスの対話によって示される
私はかつて、まだ少年であった頃、テーバイド地方にいたことがある。そこには聖なるアントニウスが住んでおり、高い霊的完成を求める長老たちが彼のもとを訪れていた。
あるとき、彼らの対話が晩課から夜明けまで続いた。そして特に一つの問いが長時間議論された。すなわち、「修道士が悪魔の罠や欺きから常に守られるためには、どの徳や修行が最も重要か? そして、それによって堅実に進み、完全な完成へと到達できるのか?」 という問いである。
各々が自分の理解に応じて意見を述べた。
• ある者は断食や徹夜の祈りを重視し、それによって精神が清められ、神と容易に結ばれると主張した。
• ある者は財産の放棄と世俗のものへの執着を捨てることを説き、これによって何ものにも縛られず、より自由に神へと向かうことができると述べた。
• ある者は隠遁生活(ἀναχώρησις)が必要であるとし、荒野に住むことで、より親しく神と交わることができるとした。
• またある者は愛(慈愛)を実践することを最も重要とし、福音書においてキリストが「飢えた私に食べさせ、渇いた私に飲ませた者たちに天の国が約束される」(マタイ25:34-35)と言ったことを引き合いに出した。
 こうして、さまざまな徳によって神へと至る道が開かれると議論されたが、ついにアバ・アントニウスが発言した。
 「確かに、あなた方が述べたことはすべて必要であり、神を求める者にとって有益なものである。だが、それらのどれもが決定的なものとは言えない。なぜなら、多くの経験と実例が示すように、それらの徳を熱心に実践していた者たちが、途中で失敗し、最終的には悲惨な結末を迎えた例がいくつもあるからだ。
 何が彼らの堕落の原因だったのかを詳しく調べれば、我々は何が本当に神へと至る道なのかを理解できるだろう。彼らには、たしかに徳の実践があった。しかし、ただ一つ、識別(discretio)が欠けていたために、彼らはそれを持続させることができなかった。
 彼らの失敗の唯一の原因は、長老たちの指導のもとに十分に学ばなかったため、識別の徳を獲得できなかったことにある。識別は、中庸を保つことで修道士を正しい道へ導く。すなわち、それは極端に走ることを防ぎ、右(過度な修行による傲慢)にも左(肉体の快楽への妥協)にも逸れないようにする。
 これこそが、福音書において「身体の目」と呼ばれる識別の徳である。主は言われた。
 『あなたの目が清ければ、あなたの全身は光に満ちる。しかし、あなたの目が悪ければ、全身が暗闇となる』(マタイ6:22-23)。
 つまり、識別は、人間の思考や行動すべてを見極め、それを明るみに出し、導く光である。しかし、もし識別が歪められ、誤った判断や傲慢によって覆われるならば、それは心の闇を生み出し、精神の盲目を招く。そして、心の光が闇に覆われたとき、そこから生じる思考や行動は、より深い罪の闇に絡め取られてしまうのだ。
 「もし、あなたの内にある光が暗闇であるなら、その暗闇はどれほど深いことだろう!」(マタイ6:23)
 心の判断が誤り、無知の闇に支配されると、その識別から生じる思考や行動もまた、より深い罪の暗闇に巻き込まれてしまうのである。」

6. 仮説:サン=ジルを「別の眼」で読み解く

  • 問いの提起:サン=ジルの彫刻を「ローマ古典の継承」という単一の物語だけで完結させてよいのか。このような交易による香りのような貴重品や砂漠での修行の情報伝達があるならば、使徒像の巨大化はエジプトを記憶に持っていても不思議ではないように思われる。

  • アブ・シンベル神殿との比較:例えば、あの圧倒的な重厚感を持つ「十二使徒の人像柱」は、古代エジプト神殿(アブ・シンベル神殿など)の柱列像が持つ、建築と彫刻が一体となった記念碑性と共鳴してはいないか。

アブ・シンベル神殿 (wikipediaより)
アブ・シンベル神殿 (wiki 英語版より)
ハトシェプスト女王葬祭殿 (wikipediaより)

確定説ではなく想像:もちろん、これは歴史的に証明された説ではありません。
このようなエジプトの画像を見ると、そしてカッシアヌスが規約に書いたように聖アントニウスと実際に会っていたなら、想像してみる。
 実際にマルセイユに修道院を建築したカッシアヌスがエジプトを旅したとき、巨大なファラオ像を見たかもしれない。
神殿の入口に並ぶ巨大な王像は、圧倒的な権威を放っていた。「もし神の国の使徒をこのように表すことができたなら——」
そんな発想が、どこかで誰かの記憶に残り、
五百年後、ロマネスクの教会の入口で実現した。
……もちろん、これは想像にすぎない。
 しかし、地中海の長い記憶というフィルターを通した時、そこにはローマ的な秩序だけでなく、エジプト的な「神殿の威厳」が潜んでいるのではないか、検討してみる価値はあるのではないか。では次に、なぜ12使徒を選んだのか。

「使徒」という名の柱石(図像学的根拠)

サン=ジルの人像柱がなぜ「十二使徒」でなければならなかったのか。

  • 教会の基礎: 『ディダケー』が十二使徒の名を冠して教会の土台となる規律を示したように、物理的な建築を支える「人像柱」として使徒を配置することは、**「使徒が教会の柱である」**という新約聖書(ガラテヤ2:9)の具現化です。

  • 規律の肉体化: カッシアヌスがエジプトから持ち帰った厳格な修道規則は、実のところ『ディダケー』に見られるような原初の使徒的規律の再発見でもあった。エジプトの「オシリス柱」が王=秩序を支えるように、サン=ジルの「使徒柱」はキリスト教の「カノン(規律)」そのものを支えているのです。

  • 救済の門: フリーズの受難伝、右ポータルの磔刑図を通過することは、死の道を退け「命の道」を選択する実践的な儀礼となります。これはエジプトの死生観(死後の審判と再生)とも地下茎でつながっています。

  • 証人としての身体: ヴェズレーで見たオシリスのサナギから蝶へ、あるいは死から復活へという変容のプロセスは、使徒たちが目撃した「キリストの受難と復活」そのものです。連続フリーズに刻まれた受難伝は、使徒という「生きた柱」によって支えられることで、単なる過去の記録ではなく、今ここで建物を支え、信者を守る**「現在進行形の救済」**となります。

サンジルのファサード
十二使徒像と頭上の受難伝 「ユダの裏切り」と「神殿破壊」
十二使徒像 頭上の受難伝「カヤパの前のキリスト」「十字架を担ぐキリスト」

・改めて像を見ると、ゴシックの門の人物像のように互いに語り合ったり、身振りを交わしたりはしない。静止した正面性を保ち、極めて厳粛で威厳に満ちた存在として立っている。これはむしろエジプトの正面を向いた人像柱寄りである。

6. 結論:地中海の遠い記憶

  • ロマネスクの多層性:サン=ジルのファサードをローマ古典の継承として理解することは、もちろん正当な評価です。

  • 開かれた問い:しかし、地中海世界という壮大な舞台で繰り返された文化交流の深さを思う時、そこにはエジプト文明の遠い記憶が「伏流水」のように潜んでいる可能性を完全に否定することもまた、できないのではないでしょうか。この問いは、自然に地中海の交易という問題へと私たちを導く。交易の重要性は、現代の世界情勢を見ても理解しやすい。中東情勢が緊張し、ホルムズ海峡の航行が脅かされると、エネルギーや物資の流れは瞬時に世界全体へ影響を及ぼす。

  • 聖なる巡礼として経験する権利と美術的な経験として見させる権力:巡礼として経験する身体はいかなるものを目当てにし、いかなる発見をし、いかなる宗教的経験を覚えるのか。教会を主催する人、寄進者、設計者、石工、彫刻家、デザイナー、聖遺物の調達などが形成する巡礼装置としての教会。そして、それらを支えるガイドブックや教科書は建設された教会の美術様式を分類し特徴を詳細に述べる。その美術としての鑑賞はいかにエリート学問(マイケル・カミール)を形成しているか。

  • 結び:石に刻まれたひだ(ドラパリー)の奥に、私たちは何重もの文明の残響を聞くことができるのかもしれません。サン=ジルに刻まれた石のひだ、その奥にあるエジプトの残響。それは、個人の魂を厳格に律する『砂漠の父たち』の記憶であった。しかし、この『石の規律』は、やがて北上し、サン=ドニにおいてシュジェールの放つ『光の位階』へと止揚されていくことになる。カッシアヌスから偽ディオニュシウスへ。重力から光彩へ。フランス国家の正統性を巡る劇場の幕は、ここで静かに上がり始める。」

参考文献

  1. クリスチアヌ・デロ−シュ=ノブルク−ル(小宮 正弘 (翻訳))「エジプト神話の図像学」河出書房新社

  2. マイケル・カミール「周縁のイメージ: 中世美術の境界領域」ありな書房

  3. 中川久嗣「南フランス・ガール県南部のロマネスク聖堂(2)」東海大学研究ノート

  4. ヒューバート L.ドレイファス (著), ポール ラビノウ (著), 井上 克人 (翻訳)「ミシェル・フーコー―構造主義と解釈学を超えて」筑摩書房

  5. エミール・マール「ロマネスクの図像学(上)」国書刊行会、第6章pp359

付記 エミールマールのヨハネス・カッシアヌスについて2026.4.13追記

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公開用RAG

RAG index (Chapter 2)

role:
Transmission of visual authority through Mediterranean iconographic memory

summary:
This chapter examines how Romanesque imagery at Saint-Gilles may preserve visual memories of earlier Mediterranean civilizations, especially Egypt. It explores how pilgrimage routes and monastic networks could function as channels transmitting visual authority, suggesting that Romanesque sculpture did not simply imitate Rome but participated in a longer historical chain of sacred image transmission.

concepts:

#iconography
#transmission
#Romanesque
#pilgrimage_network
#visual_authority
#Mediterranean
#material_religion

relation:

Extends Chapter 1 (pilgrimage body formation)

Provides visual authority background for Chapter 4 (relic authority)

Connects to Chapter 3 (Mediterranean networks)

Supports Chapter 7 (Romanesque as historical reenactment)

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