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「哲学的日本を建設すべし」:山梨平和ミュージアムー石橋湛山記念館ーへ行ってみた

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。曜日ごとのテーマはこちら。わかりにくいですが、今日は日曜なので、「【日】地域と食と暮らしの日「畑・庭(季節連載)、料理・ワイン基礎(取材不要)/山梨スポット/ワイナリー・ワイン紹介(取材時のみ)」となります。

そういえば、今年の3月にサンリオのミュージアムができるんだったっけ、ということで、その記事を書こうと思っていて、創業者の辻さんのことを調べていたら、こんな発言をされていることを知りました。

「それまで普通に生活をしていた人が、いとも簡単に殺されてしまうんですよ。そんなことが、あっていいわけがない。なにがあっても、戦争を起こしてはいけない。この世から戦争をなくさなければならない。そのためには、人間同士が助け合い、仲よく生きていける環境が必要です。だったら自分はそのために、何ができるのか。常に、そのことを考えていました。そこで、みんなが仲よくなるために役立つ、かわいらしい文房具などの小さなプレゼントをつくろうと考えたんです。」

https://news.yahoo.co.jp/articles/3b3dd8758c134d7f891a04b4339dc52111936fb6?page=4

子どもの頃に闇市で稼ぎ、サンダルで稼ぎ、と典型的な甲州財閥系列の人かと思いますので、この言葉通りに思っての商売だったとはあまり信じられませんが、ともかく、幼少期に甲府空襲の被害にあったのは間違いないようで、その記憶が後からミッションに紐づいてストーリー化されたのでしょう。

「サンリオのミュージアム」と書きましたが、実際の名前は「山梨いちごの王さまミュージアム サンリオ創業者 辻信太郎記念館」というそうで、どっちかというとこういう「戦争はよくないよ」といった話を中心に紹介する場所になるのかなぁ、それはサンリオのファンにはウケないだろうなぁ、と思ったときに、戦争?平和?そういえば、ということで、行こう行こうと思いながら、まだこちらの施設に行っていないことを思い出して、急遽、行ってきました。

山梨平和ミュージアムー石橋湛山記念館ーという、民営のミュージアムです。同名のNPOが運営母体になっています。

1階はその辻さんが経験されたという甲府空襲を含む、戦争関係の展示。甲府財閥系で言えば、若尾逸平の後を継いだ若尾民造が日本軍に用地を提供したそうなのですが、その場所が武田神社前の道路のエリア。ずいぶん良い場所にあったのですね。

甲州財閥についてはこちらの記事をご参考に。

2階はいよいよ石橋湛山に関する展示。今日は講演会が開催されていたのでそれが終わるまでは見れないとのことでしたので、終わってから再訪して拝見したのですが、理事長で創設者の浅川さんが閉館時間を30分延長してくださって、その上、生でいろいろ解説してくださいました。

浅川さんはもともと学校の先生で、甲府第一高等学校教員時代に石橋湛山の中学時代の文章を発見し、それがきっかけで全集を買って読んでから、こういうミュージアムとNPOを立ち上げることになったとのこと。人生、何がどうつながるかわかりませんね。

で、その当時の石橋湛山の文章というのが本当に面白い。まずは15歳のときに書いたという石田三成論。なぜこの人を選ぶかなーという感じですね。そして随筆も2本展示されていて、これがユーモアたっぷりで本当に面白い。そして深い。

山梨平和ミュージアム 2階展示より

投票と競争に関する随筆もあって、「競争競争」とみんな騒ぐけれども、その結果はヘンチキなものが多い。某新聞の美人コンテストを「小野小町かと思ったらお多福が多かった」と皮肉ってます。

興味深かったのは「湛山」というペンネーム(?)は中学の頃につけたものだったんですね。意外でした。

山梨平和ミュージアム 2階展示より

競争を批判し、歴史上で敗者とされる人間を評論する。文章もユーモアあふれていて面白い。15歳でどうしてこんな風に育った?と思いまして展示を見ていますと、とても特殊な幼少期を過ごしていたことがわかりました。

山梨平和ミュージアム 2階展示より

この昌福寺というのは日蓮宗のお寺だそうです。住職は幼い子と一緒に暮らしてはいけないということで7歳まで父と別居。10歳で「長遠寺望月日謙に預けられ」とありますが、この方、なんと久遠寺の83代目住職になられた方だそうです。と思ってこちらを見ると、なんと父の杉田湛誓は81代目だそうで、まさかの身延山久遠寺人脈だったんですねー。

山梨平和ミュージアム 2階展示より

石橋は母方の姓。得度した名前の湛山は父の名前から一文字取ったのでしょう。幼少期の日蓮宗の環境、その後、学んだキリスト教の思想。そして進学に失敗して進んだ早稲田では、宗教や哲学を学んでいたようです。

山梨平和ミュージアム 2階展示より

大学卒業は早稲田の文学科だそうで、実は私の大先輩でした。(私は哲学科の社会学専修でしたが。)知りませんでした。

その後、東洋経済新報社に入り、ジャーナリストとなるわけですが、「国民主権」「小日本主義」「植民地放棄」などの文章を書きながら、逮捕もされずに戦時中を乗り切ったのはすごいとしか言いようがないのですが、戦後になって政治家になってから公職追放。追放したのはGHQとなっていますが、当時の首相の吉田茂の意向だったのではないかと思わせるような記事もあり、どうも吉田茂というのは世のイメージに反して割とブラックなこともやっていた印象がありますね。このあたりはまたどこかで調べたいと思います。

そんな石橋湛山の書いた記事の中で、これは秀逸、と思ったのがこちら。

山梨平和ミュージアム 2階展示より

ここで書かれている内容は、どうも日本人の意思決定には「損得」はあっても「哲学」がない、というような話。それってまさに下記の記事で言いたかったことでもあります。

ちなみに、この「日本人には哲学が無い」という話をある方にしたら、紹介されたのが下記の本でした。

この本の「第三章 室町時代の失敗」の中で、「禅宗の世俗化が日本の哲学不在に結びついた」という内容があります。ここでは「禅宗」と言ってますが、要するに鎌倉時代の庶民向けになった仏教から思想が失われ、儀式や祈りといったもののみが普及してしまったために、キリスト教やイスラム教のような思想的なバックボーンが生まれなかった、ということを書いています。

考えてみれば、下記の記事でも書いた井上円了も元々、お寺の子として生まれ、道徳としての哲学を広めようとされた方です。

下記の記事では、ドラッカーの言う「Integrity」から宗教色を抜いた「真摯さ」と訳してしまったために「神の前の誠実さ」という精神的なニュアンスが抜けて行動原理みたいに広まってしまった、という話ともつながるなーと思いました。

宗教と哲学がうまく育たなかったのが日本で、それが結局、今、日本がうまくいっていない理由なんじゃないかな、とは共感するところでした。

では、石橋湛山の「哲学的日本を建設すべし」という提言の後、世の中がそう動いたかと言うとそんなことはなく、政治についてはあまり語りませんが、爺さん達がなりを潜めて女性をトップに据えた政党と、なりふり構わず人数集めで方針が違いすぎる合併を試みる政党など、とても「哲学的日本」が「建設」されているようにも思いますし、喉元忘れるタイプの国民の支持率というのも、こちらもあまり「哲学」があるようにも思えません。

逆に考えますと、こういう発言をする「石橋湛山」には「哲学」があったのだろうと思い、その「石橋湛山の哲学」というのを知りたくなってしまいました。

15歳の湛山君、「今の法律は愚人の法律で、利口な者の法律ではない」「教育は法律ではない。警察の御厄介になってまで教育を受くる必要はない」などとも書いていて、石田三成についての文章もそうですが、世の中で何が言われていても、自分の中でしっかりと考えて主張するという姿勢今の時代にこそ必要な思想なのかもしれません。

このミュージアムは「平和ミュージアム」です。戦争についての資料も多いですが、本当の平和を実現するためには、ただただ戦争反対を叫ぶのではなく、その前にひとりひとりの日本人がきちんと自分の頭で考え、メディアや政府の言説に流されないことが大事なんではないかな、と思いつつ、すっかり日の暮れたミュージアムを後にしました。浅川さん、ありがとうございました。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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