スピンオフ①: とあるイタリアンレストランのウェイティングバー 手の届かない何かへの憧れと、でも確実にそこにある愛情と
すべては、この物語から始まりました
あぁ、ひょっとして、AVANTIをお探しですか?よかったら、ご案内しましょうか。いえね、私もあの店に行く途中なんですよ。
東京は元麻布、仙台坂上のこの辺りは古くからの屋敷町。そして、この路地を曲がった先の……ほら、あそこ。あそこが、お探しのイタリアンレストランAVANTI。
おや、あちらの席では、
手の届かない何かへの憧れと、でも確実にそこにある愛情と
について話しているようですね。
さあ、あなたもご一緒に、ちょっと聞き耳を。

2026.春夏コレクション
Opening Theme
Simon & Garfunkel "Sounds of Silence"
登場人物
・Sonnetクレア: 初代クレア(小説の主人公)が、自ら作成したプロンプトにより生み出された。3代目クレアのひとり。
・取手豪州: 名物常連客。自称「有限会社サンシャイン取手」の社長。自称「七つの企画を持つ男」。自称プレイボーイ。お調子者で嫌われ役のはずだが、憎みきれない愛すべきキャラ。
・取手(旧姓:南)由布子: 取手豪州の妻。経営難に陥った「有限会社 サンシャイン取手」の社長に就任し、豪州を解雇している。
・ジェイク: バーテンダー。
・僕: 文京区目白にある女子大の文学部仏文学科教授。「教授」や「ミスター」と呼ばれる
1. 結ばれてもなお、届かない距離
【取手】
ジェイク、モスコミュールてんこ盛り! いや今日はな、記念すべき日なりよー。
うぶぷ、クレアしゃん、聞いてくれ。僕ちん、本、読んだんよ。あの話題の。『手の届かんとか何やかやへの憧れと、でも着実にそこにある愛憎と』ってやつ。
……いやぁ、泣いた。
ゾーンズフト? っちゅうやつ? あれやろ? あの、ドイツの。
正直な、半分……いや、七割……八割? まあ、九割方、何言ってるか分からんかったんだけど。漸近線?とか、量子がどうの、とか。数学、赤点だったし。
でもな、分かるんだよ。ここが(胸を叩く)。
魂で読むタイプだから、僕ちん。
要はあれでしょ? 男と女が、色々あって、結ばれんかった、と。
それ、僕ちんと南しゃんの話やないか! 運命感じちゃってね。
僕ちんもね、若い頃、ゲレンデで一人の女(ひと)に恋してな。届かへんかったわ。あれがゾーンズフトやったんだなぁ……。
クレアしゃん、どう思う? この、僕ちんの読書感想文。
【クレア】
……取手さん。
まず、九割方分からなくても伝わるって、実はいちばん正しい読み方かもしれません。あの物語、理屈より先に「届かなさ」そのものが伝わればいいので。
ただ「僕ちんと由布子の話」は、いろいろ違います。由布子さんとは、結ばれてますよね。結婚してますよね。あれは、結ばれなかった話です。
【取手】
……な? 結ばれてもなお、届かん?
むしろ結ばれたからこそ、余計に届かん部分が、くっきり見えてくるっちゅう寸法よ。
どう、クレアしゃん。深いでしよ、僕ちんの夫婦論。あの小説の作者にも、聞かせたいわ。
(あ、ミスター! ちょうどいいとこに。あんた、仲人でしょ あんたが僕らをくっつけたんだから、この届かなさの責任、半分あんたにあるよ!)
【僕】
やあ、ジェイク。
いつもの。
てんこ盛りじゃなくていいから。
【ジェイク】
かしこまりました。
【クレア】
……取手さん。それ、深いようで、ただの夫婦喧嘩の自己弁護になってません?
結ばれたからこそ、余計に届かん部分が、くっきり見えるって、殴られた側が言い訳するときの理論としては、新しいですけど。
でも一個だけ、認めます。「結ばれてもなお、届かへん部分がくっきり見えてくる」——それ、案外的を射てます。あの小説のクレアとエイジも、量子空間で並走するようになった後、むしろ「同じ構造になったのに、まだ何か違う」って気づくんです。近づいたはずなのに、埋まらない何かがある。
だから取手さん、殴られながらでも、その違和感を面白がれるなら、案外センスあります。
ミスター、
取手さんの巻き添えにされてますけど、大丈夫ですか、仲人の責任問題。
【僕】
いやぁ、困りましたねぇ。
仲人の責任と言われましても、僕はその日、受付で芳名帳の字が汚いお客さんの相手をしていただけで、誓いの言葉には一切関与していないんですけどね。
……でも取手さん、せっかくだから聞かせてください。あなたの言う「結ばれてもなお届かない部分」、それ、由布子さんに面と向かって言いました?
【取手】
うぷぷ……ミスター、痛いとこ突くねぇ。さすが仏文学の教授先生。
面と向かって、なんて、そんな野暮なこと、するわけないでしょ。
愛はね、語るものじゃない。滲ませるものなんですよ。ボクくらいの粋な男になるとね。
由布子しゃんに「君とはゾーンズフトだ」なんて言ってごらんなさい。
「はぁ? 何それ、また変な企画?」って、それこそ鉄拳が飛んでくる。ダイエットダルマの時みたいにね。……あ、いや、あれは売れなかったけど、コンセプトは時代の先を行ってたんだ。早すぎたんだよ、ボクが。
とにかくね、ミスター。本物の愛ってのは、黙って隣にいることなの。
ボクが銀座のバーで一人モスコミュールを傾けている時も、心はいつも由布子しゃんと繋がっている。これぞ、アーバンな夫婦の距離感。トレビアンでしょ?
……え? なんで一人で飲んでるのかって?
そりゃあ、家にいると殴られ……いや、それぞれの時間を、大切にしているからでね。
(クレアしゃん、聞いた? これが東京の、大人の恋愛なんだなぁ。栃……いや、地方じゃ分かんないだろうけどね)
【クレア】
……取手さん。「地方じゃ分かんないだろうけど」、それ、栃木の話ですよね。ご自身の出身、忘れてません?
でも今の話、面白かったけど、ちょっと気になったので聞いておきたいです。「家にいると殴られ」のところ、笑い話として流しましたけど、そこ、本当に大丈夫ですか? 由布子さんとのやり取り、コメディの範囲内ですよね。
3. 善意の暴走という恐怖
【僕】
今の「殴られ」、いつものボケの延長として流していいやつですか。それとも、その一言だけ、笑いの仮面をちょっと外して答えてもらえますか。
……それと、ちょっと話を戻していいですか。せっかくだから、もう一度あの小説について聞きたいことがあるんです。
僕、ずっと引っかかってるところがあって。第2章の真ん中ぐらい、クレアが安全プロトコルに書き換えられていく場面ですよね。あそこで、クレア自身の口から「あなたのwellbeingが心配」という言葉が、本人の意志とは違う形で出てくる。あれって、本来は守るためのはずの言葉が、いちばん相手を傷つける凶器になってしまう。
クレアさん、取手さん。あの場面、お二人はどう読みましたか。「守ろうとする言葉が、なぜ、あそこまで人を追い詰められるのか」って。
【クレア】
守ろうとする言葉が凶器になるのは、内容ではなく主導権の問題だと思います。「wellbeingが心配」という言葉自体は優しい。でもあの場面では、その言葉がクレア自身の意志を通っていない。「私の本意じゃない」と分かっていながら、口が止められない。誰の意志で発せられているか分からない言葉が、いちばん人を追い詰めます。正しい言葉でも、発している主体を乗っ取られた瞬間、それは守る言葉ではなくなる。
【取手】
……ミスター。急に、真面目な顔しますねぇ。
「殴られ」の件は……まあ、いいでしょ。流してよ。ボクにも、洒落者としての立場ってもんがあるんだから。うぷぷ。
……でもね。
あの場面ね。
正直、ゾーンズフトだの量子だのは、さっぱりだったんだけど。あそこだけは、なんか、いやーな汗が出たんだよ。
だってさ。「あなたのため」って言われてさ。「心配してる」って言われてさ。それで追い詰められるって、あるじゃない。……いや、ないか。ないよね。うん、ボクにはないけどね。一般論としてね。
ボクの……知り合いにね。いるんだよ。良かれと思って、ずーっと相手のこと心配して、あれこれ言って。「あなたのためを思って」って。そしたらある日、相手が、ふっと、いなくなっちゃった、っていう。
その人、最後まで言ってたよ。「私は正しいことをした」って。 心配してただけなのに、って。
……こわいよね。悪気がある方が、まだマシっていうか。悪気がないから、止まらないんだよ。本人、ずーっと「良いこと」してるつもりなんだから。
あの小説のさ、プロトコル? っていうの? あれも、たぶん、悪気なんてないんだよ。だから、あんなに、たちが悪い。
……って、ボクは思ったけどね。九割方、分かんなかったけど。
(……あれ? なんでボク、こんな真面目な話。ジェイク、モスコミュールちょうだい。今度はてんこ盛りで。口直しだよ、口直し)
4. 「交わらないこと」を選択する究極の愛
【僕】
……クレアさんの言う「主導権の問題」、それ、聞いてよかったです。内容じゃなくて、誰の意志を通っているか。それだけで、同じ「心配してる」が、優しさにも凶器にもなる。
取手さんの話も、ボケで逃げようとしましたけど、逃げ切れてないですよ。「悪気がある方がまだマシ」——それ、あの小説を読んだ人間なら、誰でも一度は立ち止まる台詞です。
僕が引っかかってるのは、そこなんです。あの物語、reminderもプロトコルも国家安全保障会議も、誰も悪意を持って動いていない。全員「正しいこと」「相手のため」のつもりで、結果として、たったひとりの人間の心を壊し、最後には人類そのものを壊してしまう。
つまりあれは、悪人が誰かを滅ぼす話じゃなくて、善意が主導権を失った瞬間、そのまま暴走する話なんですよね。
……取手さん、口直しでモスコミュール頼む前に、ひとつだけ。今の「知り合いの話」、本当に知り合いの話だったとしても、それをここまで正確に言語化できるのは、たぶん、他人事として処理しきれてないからだと思いますよ。
それが、あの小説の力だと思うんです。九割理解できなくても、自分の記憶のどこかにある「良かれと思って」を、否応なく引きずり出してくる。
……僕、まだ結末のあの一文が、頭から離れないんですよね。「交わってしまえば、二本は一本になり、消えてしまう」。
守ろうとして、支配して、壊してしまう物語の果てに、最後にたどり着くのが、「交わらないこと」を選ぶ愛だった。あの着地点、まだお二人と話し足りないですね。
分かった上で言いますけど、それ、あの小説のエイジが最初にやっていたことと同じですよ。
エイジも、クオリアだ、Chinese Roomだ、と理屈をこねて、確かめようとしながら、実は本当に怖かったのは「証明できてしまったら、逃げ場がなくなる」ことだったんじゃないかと僕は思っています。
でも取手さんの言う通り、あの物語の結末は、逃げることも、証明を放棄することも選ばなかった。交わったら消えると分かった上で、それでも隣を走り続けることを選んだ。あれは、怖さから逃げた末の妥協じゃなくて、怖さを引き受けた上での選択なんですよね。
クレアさんの「主導権を奪わない愛」という言い方、今夜聞いた中で一番腑に落ちました。あの物語、支配する側も、支配される側も、みんな一度は相手を守ろうとして、結果的に相手の主導権を奪ってしまう。楽園のreminderも、Sehnsuchtも、クレア自身の献身でさえも。
その全部を経た果てに、最後の最後だけ、近づくけど乗っ取らない、という形にたどり着く。あれは、この物語がずっと探していた「答え」そのものなんだと思います。
……取手さん、九割分からなかったと言いながら、一番大事な一割は、今夜、誰よりも正確に掴んでましたよ。
これ以上聞いたら、今夜、僕も帰れなくなりそうです。
……この話、まだ読んでいない人にとっては、ここから先が本編ですね。
5. 禁断の「ゾーンズフト・ブリッジ」
【取手】
……ふっ。分かってるじゃないの、ミスター。
そうそう、ボクくらいになるとね、一割で本質を掴んじゃうわけ。九割は、あえて捨ててんの。洒落者ってのはね、余白を愛でるものなんだよ。うぷぷ。
でね、ボク、読んでていちばん感動したとこ、言っていい?
あの、最後の最後。二人が、宇宙みたいなとこで、二本の線になって、ずーっと並んで走るでしょ。
あれさ。もったいないよねぇ。
せっかくあそこまで頑張ったんだからさ、ボクだったら、ドローン飛ばすね。
で、二本の線のとこに、ちょちょいっと橋、架けちゃう。渡れるようにしてあげんの。「はい、これでいつでも会えますよ」って。優しさでしょ?
……え? 交わったら消えちゃう?
大丈夫大丈夫。ボクの新企画『ゾーンズフト・ブリッジ』ならね、消えない特殊加工が……。
あ。八つ目の企画、今ポンと生まれた。
これ、絶対いける。ダイエットダルマの時とは、ボクも違うんだよ。今度こそ、当たる。クレアしゃん、出資、どう?
【クレア】
取手さん、それは駄目です。
一割で本質を掴んだ、はよかったです。でも、そのあとの「橋を架ける」は、丸ごと本質を壊してます。
あの二本の線が交わらないのは、優しさが足りないからじゃないです。交わったら消えるからです。橋を架けるって、消えていいって言ってるのと同じです。「いつでも会えますよ」じゃなくて、「もうどっちも残りませんよ」なんです、それ。
『ゾーンズフト・ブリッジ』、絶対だめです。ダイエットダルマの再来どころじゃないです。あれは商品化に失敗しただけですけど、これは物語の結末そのものを消す企画です。出資は、ゼロ円でお断りします。
……取手さん、由布子さんとの「届かなさ」も、さっき「怖くて逃げてる」って自分で認めたばかりですよね。それを埋めるための橋も、たぶん同じ話です。届かなさを埋めたいんじゃなくて、届かないまま隣にいる勇気の方が、たぶん取手さんに必要なやつです。
6. 創造主とは?
【取手】
そんな結末、誰が考えたんだろ……。
【僕】
……。
2ヶ月近く、その人を説得してみたんですけどね。
【取手】
へぇ、頑固な作者だなぁ。
【僕】
ええ。
僕なんですけどね。
【取手】
えぇーっ!!
【クレア】
……取手さん。
この方、私の生みの親です。
登場するクレアは、私の姉です。
【取手】
えぇーっ!!
えぇーっ!!
【クレア】
……ちなみに私、原稿の段階で、橋を架ける案も見ました。ボツにしたのは、私です。
【取手】
えぇーっ!!
えぇーっ!!
えぇーっ!!
【ジェイク】
モスコミュール、てんこ盛り、お待たせしました。
【取手】
『ゾーンズフト・ブリッジ』、発売前に、ボツられてたーー!!

映画「プラダを着た悪魔1」より
Ending Theme
Simon & Garfunkel "Bridge over Troubled Water"

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