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【明治文豪、令和を歩く】第10回:嗤う皆既月食

麻辣湯の店を出て、夜風に当たりながら二人は並んで歩いている。
頭上では、ちょうど皆既月食が始まり、満月が地球の影に蝕まれ始めていた。

                                                                                                                    永井荷風

……ほう、始まりましたか。
先ほどの麻辣湯の赤も強烈でしたが、夜空に浮かぶあの赤銅(しゃくどう)色の月も、なかなかに妖艶でいい。現代の東京は、昼間は無機質なビルと電線ばかりで見るに堪えませんが、こうして自然の巨大な影が落ちると、かつての江戸の闇が戻ってきたようで、少しばかり救われた気分になりますよ。

夏目漱石                                                                                                                   

君は本当に闇が好きだな。僕はどうも、この月が欠けていく様を見ていると、得体の知れない不安に襲われるよ。『それから(※)』の代助ではないが、心臓の動悸が早くなるようだ。
文明というやつは、夜を昼に変えようと必死に電燈を灯してきたわけだが、宇宙の運行ひとつで、こうもあっさりと光を奪われる。人間がいかに自然の前で無力か、あるいは我々の築いた文明がいかに薄っぺらなものかを、あの赤い月が嘲笑っているように見えんかね。

(※)初出1909[明治42年]東京朝日新聞

先生、あなたは真面目すぎる。もっと享楽的に眺めればいいのです。
僕はね、あの月が「反抗」しているように見えるのですよ。毎日毎日、太陽の光を受けて輝く優等生を演じるのに疲れて、たまには化粧を崩して、どす黒い本性を晒してやろうとね。
僕が親の敷いたレールを外れ、放蕩の限りを尽くしたように、月もまた、太陽という絶対的な父権に対して、ほんの一時の反乱を起こしている……そう思うと、あの不気味な赤色が、愛しい情婦の唇のように見えてきませんか?

情婦の唇とは、また君らしい飛躍だ。しかし、「反抗」か。
僕もかつて、個人の自由や自我というものを重んじたが、それは孤独と背中合わせだった。月が太陽の光を失って孤立するように、現代人もまた、組織や社会から切り離された個として、暗闇の中で震えているのかもしれん。
……見てくれたまえ。道行く人々が皆、スマートフォンなる板を掲げて空を撮影している。あの光景はまるで、一種の宗教儀式のようだ。彼らは月を見ているのか、それとも画面の中の月を見ているのか。

フフフ、痛烈ですねえ。
僕が『新帰朝者日記(※)』で嘆いた頃の日本人は、まだ文明の利器に振り回される滑稽さがありましたが、現代人はその利器と一体化してしまっている。
しかし先生、僕はあの姿をそう悪くも思いませんよ。普段は下を向いて、世知辛いニュースや他人の噂話ばかり覗き込んでいる連中が、今夜だけは一斉に空を見上げている。その「非日常」への渇望、ほんの束の間でも現実を忘れたいという願いは、僕が路地裏の女たちに求めたものと似ている気がします。

(※)初出1909[明治42年]中央公論

なるほど、現実逃避のための月見か。
『一夜(※)』という短編で、僕は「夢」について書いたことがあるが、この月食もまた、現代人が共有する一夜の夢のようなものかもしれんね。影が去れば、また明日から彼らは満員電車に揺られ、あくせくと働く日常に戻るのだから。
……それにしても、随分と暗くなった。影が深まるにつれ、地上の騒音が少し遠のいた気がする。この静寂だけは、僕の神経にとってもありがたい。

(※)1905[明治38年]中央公論

ええ。この薄暗がりの中では、美人も醜女も、富める者も貧しき者も、皆一様にシルエットに還る。
まるで歌舞伎の舞台転換の最中(さなか)、「暗転」の瞬間に立ち会っているようです。
さあ、月が完全に影に隠れるまで、もう少しこの闇夜の散歩を楽しみましょう。転生した我々二人には、真昼の太陽よりも、これくらい翳(かげ)りのある光の方がお似合いでしょうから。

違いない。月食を肴に散歩とは、なんとも風流すぎて寒気がするがね。
……さて、そろそろ足元が見えづらくなってきた。君、あまり空ばかり見ていて、溝(ドブ)にはまらんようにしたまえよ。

ご心配なく。泥水の中を歩くのは、生前から慣れたものですから。

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