【明治文豪、令和を歩く】第8回:ポケモンはお手本
現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

さて、荷風君。先ほど万博の話で「ミャクミャク」という妖怪じみたキャラクターの話が出たが、現代にはもっと世界的に広まっている「妖怪」たちがいるのを知っているかい? 「ポケットモンスター」、縮めてポケモンというやつだ。

ポケモン……。ああ、あの黄色い電気鼠のようなものが描かれた看板を、浅草でも銀座でもよく見かけます。なんでも、架空の生き物をボールの中に閉じ込めて、戦わせるのだとか。……まるで、子供が虫かごにセミやクワガタを詰め込んで見せびらかすのと、変わりがないように思えますがね。

まあ、根本はそこだろうね。僕も最初は子供の玩具だと思っていたんだが、これがどうして、奥が深いらしい。「進化」という概念があってね、育てると姿形が変わって強くなる。ダーウィンの進化論を遊戯にしたようなもんだ。それに種類が千以上もいるというじゃないか。

千種類! それはまた、呆れた数ですな。

ああ。それを全部覚えようとする子供たちの記憶力には、脱帽するよ。僕が『文学論』で分類しようとした感情の形式よりも、よほど複雑かもしれん。……君、先ほど『小説作法(※)』の話で「好きこそ物の上手」と言ったが、まさにそれだよ。彼らは誰に強制されるでもなく、あの奇妙な生き物の名前と特性を、経文のように暗記しているんだ。

ふむ。「好きこそ物の上手」……確かに、わたくしがそう申しました。しかし先生、それはあくまで文芸や芸術、あるいは職人の技に対する言葉です。架空の怪獣を覚えたところで、何の役に立ちますか?

役に立つかどうかは別として、その「収集癖」というのは、人間の根源的な欲望かもしれんよ。君だって、古本屋を巡って、誰も見向きもしないような江戸の戯作本や、珍しい浮世絵を買い集めて喜んでいただろう? あれと心理は同じじゃないか。

……痛いところを突かれますな。確かに、わたくしが『来訪者(※)』で書きましたように、木場貞や白井巍といった友人たちに頼んで、珍しい古書を探させ、それが手に入った時の喜びは、何物にも代えがたいものでした。……なるほど、あのボールというものは、現代の「蔵書」や「骨董」の代わりというわけですか。

そういうことだ。しかも最近は、外を歩き回ってそのポケモンを探す「ポケモンGO」という遊びが流行っているらしい。君は散歩の達人だから、これには少し興味が湧くんじゃないか?

散歩と言われましてもねえ。わたくしが見たいのは、路地裏のドブ板や、軒下に干された洗濯物、あるいは夕暮れの空に浮かぶ蝙蝠(こうもり)といった、生活の哀歓が滲む風景です。スマホという四角い硝子(ガラス)の板を覗き込んで、現実の風景を見ずに歩くなど、本末転倒も甚だしい。あれは「散歩」に対する冒瀆ですよ。

ははは、手厳しいなあ。だがね、彼らのおかげで、普段人が行かないような公園や史跡に、人が集まっているという事実もある。君が愛したような「忘れ去られた場所」に、デジタルな妖怪を求めて若者が群がる。……ある意味、現代の「百鬼夜行」を見るようで、僕は少し面白いと思うがね。

百鬼夜行、ですか。……そう言われてみれば、あのデザイン。中には日本の妖怪や、付喪神(つくもがみ)を模したものもいるようですな。西洋のバタ臭いデザインだけでなく、どこか日本的な、グロテスクでありながら愛嬌のある造形が含まれている。

そうそう。鳥獣戯画の現代版といったところか。

もしもですね、先生。そのゲームとやらで、かつての吉原の遊女や、江戸の町火消し、あるいは歌舞伎の役者なんぞを「収集」できるというなら、わたくしも少しはやってみても良い気がしますよ。「花魁(おいらん)ゲット」などと言ってね。

君ねえ……(呆れ)。現代でそんなことを言ったら、それこそ大問題になるよ。君の『裸体談義(※)』のような際どい話は、ここだけの秘密にしておきたまえ。

ふふふ。しかし先生、あのゲームに熱中する人々を見ていると、やはり人間というのは、いつの時代も「ここではないどこか」に夢を求めたがる生き物なのだと感じます。わたくしが過去の江戸に憧れ、彼らがデジタルの世界に憧れる。対象が違うだけで、その切実な逃避願望は、案外似ているのかもしれません。

逃避願望、か。……そうかもしれないな。現実の世の中は、僕の胃のようにキリキリと痛むことばかりだ。ポケットに入るくらいの小さな夢の世界を持っていないと、現代人はやっていけんのだろう。

ええ。ならば、わたくしたちは邪魔をせず、彼らがその小さな夢の中で遊ぶのを、遠くから眺めるとしましょう。……さて、そろそろ日も暮れてきました。ポケモンではなく、旨い酒と肴を「ゲット」しに参りませんか?

それは大賛成だ。ただし、僕の胃に優しいものを頼むよ。
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