【明治文豪、令和を歩く】第6回:ChatGPTと鵺
現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

さて、荷風君。さっきの大谷君の話は、人間の肉体の極致という感じで実に痛快だったがね。今度は少し毛色の違う話題だ。「ChatGPT」とかいう、人工知能の話だよ。君は知っているかい?なんでも芥川賞もAIの作品が獲ったとか。

チャット……何とか、というやつですね。ええ、噂には聞いておりますよ。なんでも、人間と言葉を交わすように、機械がスラスラと答えを返してくるとか。わたくしは、レコードやラディオの音ですら、あの金属的な響きが癇に障って仕方がないというのに、今度は機械が文章を綴るとは。世も末ですな。

ははは、君らしい嫌悪ぶりだ。だがね、これが馬鹿にできんのだよ。僕も少し試してみたんだが、実に流暢な日本語を書く。僕がロンドンで神経をすり減らして研究した英文学の翻訳なんぞも、一瞬でやってのけるそうだ。……ただ、どうも読んでいて、妙な居心地の悪さを感じるんだ。

居心地の悪さ、ですか。

ああ。文法も正しい、語彙も豊富だ。しかし、そこに「血」が通っていないというか、書き手の「顔」が見えてこない。僕がかつて『文学論(※)』で悩みぬいたような、F(焦点)とf(情緒)の結合がないんだよ。ただ記号が並んでいるだけで、そこには作者の苦悩も、胃の痛みもない。

先生、それは当然でしょう。わたくしがかつて『小説作法(※)』でも申しましたが、小説というものは、感情の激動があって、その後に沈思回想の心境に立ち戻って初めて書けるものです。機械に感情の激動がありますか? 恋に破れて涙したことがありますか?

ないだろうねえ。

でしょう。機械には「過去」がない。過去がなければ「回想」もない。あるのは膨大なデータの集積だけです。わたくしに言わせれば、あれは一種の「鵺(ぬえ)」のような文章ですよ。

鵺、か。面白い例えだ。

ええ。明治の初めに流行った、漢文と西洋の翻訳口調が混ざった奇妙な文章をご存じでしょう。あれと同じです。西洋の論理と日本の単語を継ぎ接ぎして、一見もっともらしい顔をしているが、その実、どこの国の言葉でもない。今のAIとやらの文章も、インターネットという広大なゴミ捨て場から言葉を拾ってきて貼り付けた、パッチワークのようなものでしょう。そこには、江戸っ子の「いき」もなければ、文人の「気骨」もない。

君は辛辣だなあ(苦笑)。しかし、その通りかもしれん。僕が恐れるのはね、現代の人たちがこれを便利がって、自分の頭で考えなくなることだ。僕らの時代、「開化」というのは外から押し寄せた波だったが、今度はその波が「知能」そのものを飲み込もうとしている。自分の中に確固たる「自己」を持たず、機械が吐き出す言葉を自分の意見だと錯覚するようになったら……それこそ、日本人は精神的な「テクストの奴隷」になってしまうよ。

おやおや、先生はまた日本の将来を憂いておられる。……しかし先生、案外悪いことばかりでもないかもしれませんよ。

ほう? 君が機械を擁護するとは珍しい。

擁護などいたしません。ただ、わたくしのところへ無心に来るような、志の低い三文文士連中がいなくなるかもしれないと思いましてね。金のために、魂の入らぬ文章を量産するだけなら、機械のほうがよほど優秀でしょうから。そうすれば、真に天賦の才を持ち、書かずにはいられぬ「業」を背負った本物の作家だけが生き残る。文壇の大掃除ができるというものです。

なるほど、毒を以て毒を制す、か。君のその皮肉屋なところは、現代でも健在だね。……まあ、確かに。僕が教師を辞めてまで筆を執ったのは、誰かに書けと言われたからじゃない。自分の中にある何かが、書かせたんだ。AIにはその衝動がない。

左様です。AIは「好きこそ物の上手」という境地を知りません。わたくしが古本屋の店先で、埃にまみれた江戸戯作を愛でるような、あの無駄で、しかし至福の時間を機械は理解できない。……だから先生、放っておけばよいのです。所詮は便利な道具。わたくしのような偏屈者は、これからも万年筆で、冷房の効きすぎない部屋にて、時代遅れの文章を綴るだけですよ。

やれやれ、結局はそこに行きつくのか。……まあいい。僕もAIに負けないように、胃薬を飲みながら、もう少し人間臭い文章でも書くとしようか。それにしても、このカフェの冷房は本当に寒いね。君の言う通り、裏通りの喫茶店にでも河岸を変えようか。

ええ、参りましょう。AIには見つけられない、静かで、少しばかり黴(かび)臭い、落ち着く場所へ。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!