【明治文豪、令和を歩く】第94回:スカイツリーなくす会
現代の隅田川沿い、向島あたりにある、少し洒落たオープンカフェのテラス席。川面を渡る風には、かつての雅な趣こそありませんが、それでも水のある風景というのは人の心を落ち着かせるものです。

……ふう。こうして隅田川のほとりを歩いていると、空の青さよりも先に、あの巨大な鉄の塔が目に飛び込んできますね。荷風君、君はあれをどう思うね。スカイツリーとか称する、あの唐突な棒杭を

先生、あれはもはや棒杭などという風雅なものではございませんよ。私に言わせれば、江戸の情緒を木端微塵に粉砕した、無機質な記号の親玉です。向島の堤を歩き、弘福寺のあたりから浅草の塔を望む……そんなかつての詩興も、あの巨大な怪物の影に飲み込まれてしまいました

全くだ。あれほど高いものを見上げさせられると、人間としての矜持が吸い取られるような心持ちがする。昔のロンドンでも、これほど暴力的な高さはついぞ見かけなかった。今の人は、あんな天を突くような造作物をこしらえて、一体どこへ行こうとしているんだろうね。地を這う我々の生活とは、まるでもう縁のない次元の産物に見える

仰る通りです。私はかつて、銀座の天下堂の屋根裏から瓦屋根の海を眺めて、東京も捨てたものではないと感じたものですが……。今のこの街は、セメントと鉄鎖、そしてあのスカイツリーのような、血の通わぬ光り物ばかり。あれの上から見下ろせば、路地の行水も、物干し台の赤い布も、すべては蟻の這うような無意味な点に成り果ててしまうのでしょう

ははあ、君らしい嘆きだ。だが、今の若い連中は、あの展望台とやらに登って、文明の頂点に立ったような顔をして喜んでいるらしいじゃないか。私には到底、あんな不安定な場所に身を置く勇気はないがね。足元が透けて見える床があるとか聞いただけで、胃のあたりが重くなる

ええ、風情もへったくれもありません。ただ、夕暮れ時、あの塔が妙に艶かしく発光する様だけは、現代という時代の『不純な美』を象徴しているようで、皮肉な興味を覚えます。かつての江戸絵図には描き得ない、鵺(ぬえ)のような美しさですな

鵺か。言い得て妙だ。実体があるようでないような、光の虚飾……。まあ、我々のような古い人間がいくら眉をひそめたところで、あの塔は泰然と、明治も江戸も超越した顔をして立っている。せめてこうして、君と昔語りをしながら、川面を渡る風に吹かれているのが一番の贅沢というものだろう

左様でございますね。あの塔に背を向けて、泥に濁った隅田川の水の音を聴いている方が、よほど人間らしい心地がいたします。先生、あそこの茶屋で少し休みましょうか。あそこなら、あの高い影も見えぬはずです
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