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【明治文豪、令和を歩く】第91回:建国記念日ゾンビ

東京の喧騒から少し離れた、静かな喫茶店の片隅で。漱石は琥珀色のコーヒーを、荷風は窓の外を眺めながら冷めた紅茶を手にしている

夏目漱石                                                                                                                      

荷風君、表を歩けばどこもかしこも旗がなびいて、何やら浮き足立った空気だね。今日は『建国記念の日』とかいう祝日らしいが、我々の時代には『紀元節』と呼んで、もう少し物々しい厳かさがあったように記憶しているが……どうも今の世の祭日は、魂の抜けた抜け殻のように軽やかすぎて、私のようなへそ曲がりには居心地が悪い。

                                                                                                                          永井荷風

左様でございますな、先生。私も先ほど、路地裏の静寂を破って上がる祝砲の音を聞き、ようやく今日がその日であると思い出した次第です。かつて明治の新時代が西洋の真似事をして作り出したこうした祭日の風景も、今や提灯行列も芸者の手踊りもなく、ただ人々が連れ立って上野や日白谷へ繰り出すための、体裁の良い口実になり果てた感がございます。私の家の格子戸には、今日も国旗などは掲げておりませんよ。世間と自分との間に、もはや直接の連絡などないような心地がしておりますから。

ははあ、君らしい。だが、国を挙げた祝い事というものは、個人の内面とは無関係に、有無を言わさぬ暴力的な明るさで迫ってくるものだ。私はね、こうした日に独り書斎に籠もっていると、自分が何だか歴史の遺失物になったような、妙な寂寥を覚えることがある。建国を祝うという名目の裏で、我々が失ってきた古い日本の情緒や、泥臭いまでの人情はどこへ消えたのか。形ばかりの祝辞を新聞の第一面に並べ立てる現代の風潮には、どうにも閉口するよ。

仰る通りです。私は、そんな喧騒から逃れるように、今日も古い書簡を整理しておりました。かつて先生が私にくださったお便りや、鴎外先生の筆跡を眺めている方が、よほど『国』というものの真髄に触れている気がいたします。今の世は、政治も学芸も、鑑別や批判の労ばかりが多くて、静かに玩味する余裕がございません。建国を祝うというのなら、せめてこの土地に積み重なった先人たちの苦悶や、消え去った路地の記憶にこそ、静かに頭(こうべ)を垂れるべきではないでしょうか。

全くだ。一国の成り立ちを想うなら、華やかな式典よりも、君が歩く墨堤の桜や、私がかつて眺めた寄席の灯りの中にこそ、真実があるのかもしれん。だが、今の若者たちは、この休日をただの『暇つぶし』として消費している。彼らにとっての建国とは、一体何を意味しているのか……。まあ、私のような隠居人が、茶を啜りながら愚痴をこぼしたところで、時代の歯車は止まりはせんだろうがね。

ふふ、それで良いのではございませんか。世間がどれほど浮かれ騒ごうとも、私たちはこの喫茶店の片隅で、冷めた紅茶を前に旧事を語り合っていれば。表通りの下駄の音がどれほど稠(しげ)くなろうとも、私の心は、あの梅雨晴れの空の下、病床の友と語り合った静かな午後に留まっております。建国のお祝いなど、我々のような孤独な散策者には、遠くで鳴る花火の音ほどの内容さえあれば十分でございますよ。

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