【明治文豪、令和を歩く】第88回:将棋遊戯
少し煤けたような、それでいてどこか懐かしい電球の光が灯る喫茶店の片隅で、二人の文豪が向かい合っている。漱石は琥珀色の紅茶を啜り、荷風は手元の古びた手帳を閉じて、目の前の盤に駒を並べている。

ふむ、将棋か。これはまた、先ほどの電子の玩具とは打って変わって、盤上に宇宙を閉じ込めたような静謐な遊びだね。荷風君、君は確か、築地の隠宅で古書を紐解く傍ら、こうした勝負事にはあまり深入りしない質(たち)だったかな。

左様でございます。私はどうも、他人と向かい合って火花を散らすような真似は苦手でして。それよりも、雨の音を聞きながら独り、江戸の錦絵でも眺めている方が性に合っております。ですが、この将棋の駒が放つ、乾いた榧(かや)の音だけは、どこか三味線の撥(ばち)の音にも似て、耳に心地よく響くものですな。

なるほど、音を楽しむか。私はね、この『歩』という一番端くれの駒に、どうにも言いようのない愛着を覚えるのだよ。一歩ずつしか進めず、後ろへは退けぬ。その不器用な歩みは、我々文士が原稿用紙の升目を一つ一つ埋めていく苦行に似ている。ようやく敵陣へ辿り着いて『と金』に成ったとしても、所詮は金(かね)の代用に過ぎぬという悲哀も、また趣深い。

先生は相変わらず、物事を深く突き詰めて考えられる。私などは、あの『角行』の動きに、どこか放蕩息子の面影を見てしまいます。斜めに、どこまでも真っ直ぐに、世間の道筋を外れて駆けていく。それでいて、一度敵の手に落ちれば、今度は逆の方向から牙を剥く。あの変わり身の早さは、まるで銀座のカフェーで見かける移り気な女のようです。

ははあ、角を行く女か。それは君らしい見立てだ。だが、この盤上の戦いというのは、勝ち負けが決した瞬間に、あれほど整然としていた秩序がガラガラと崩れ去る。あの虚脱感はどうだね。あんなに必死に守り立てた『玉』も、詰んでしまえばただの木片だ。人生の栄枯盛衰を、これほど残酷に、かつ鮮やかに見せつける遊戯も他にない。

ええ。ですから私は、勝負が決まった後の盤面よりも、まだ誰の手も付いていない、あの整然と並んだ駒の美しさを愛でたいのです。これから何かが始まろうとする、嵐の前の静けさ……。明治の初年、両国の川開きを待つ夕暮れ時のような、あの淡い期待だけを掬い取っていたい。勝敗に拘泥して、心の平穏を乱すのは、いささか野暮というものでしょう。

野暮、か。確かに、勝ちを急いで血眼になるのは、私の悪い癖かもしれん。……よし、荷風君。今日は勝負を度外視して、ただ駒の音を響かせてみないか。君が『角』で斜めに逃げれば、私は『歩』で地道に追いかける。結末など求めず、この喫茶店の片隅で、終わりのない対局を続けるのも、現代という騒々しい時代に対する、我々なりのささやかな抵抗になるかもしれんよ。
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