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【明治文豪、令和を歩く】第87回:レトロゲームしんどろーむ

少し煤けたような、それでいてどこか懐かしい電球の光が灯る喫茶店の片隅で、二人の文豪が向かい合っている。漱石は琥珀色の紅茶を啜り、荷風は手元の古びた手帳を閉じて、目の前の奇妙な小箱——テレビゲーム機を眺めている

夏目漱石                                                                                                                           

……荷風君、この『れとろげーむ』という代物は、どうにも奇妙な手触りだね。画面の中の点(どっと)が、まるで意思を持った蚤(のみ)のように跳ね回っておる。我々がかつて寄席や芝居小屋で見た幻燈よりも、ずっとせっかちで、それでいてどこか孤独な遊びだ。

                                                                                                                        永井荷風

左様でございますな、先生。私にはこれが、かつて浅草の夜店で苦学生が弾いていたバイオリンの調べや、石版刷りの彩色画が、そのまま電気の箱に閉じ込められたように見えます。この、平べったい絵がカチカチと音を立てて動く様は、どこか江戸の影絵芝居にも似て、案外、風流な徒事(むだごと)かもしれません。

徒事、か。確かに、この十字の鍵盤を叩いて、虚空の怪物と戦うことに何の意味があるのかと問われれば、返る言葉もない。だが、この『まりお』という配管工が、健気に穴を飛び越える姿を見ていると、現代という慌ただしい世の中で、己の居場所を求めて右往左往する我々自身の写し鏡のようにも思えてくる。……おや、また穴に落ちてしまった。私の操作が拙いのか、それともこの機械が私の気性を試しているのか。

ふふ、先生も案外お熱くなられる。私はこの、音楽が良いと思いますな。西洋の歌劇のような重厚さはありませんが、あの『ぴこぴこ』という軽薄な音色には、今の世の不純で混乱した空気がよく現れている。かつて私が、西洋紙に万年筆で草稿を書くことを厭い、石州の生紙を愛したように、この遊びもまた、この粗末な画面の制約の中でこそ、ある種の芸術的な潤いを生んでいるのでしょう。

制約、か。なるほど、限られた点と音だけで一つの世界を構築する。それは俳句の写生にも通じるものがあるかもしれん。……しかし荷風君、この『ろーるぷれいんぐ』というやつは、いささか時間がかかりすぎる。村人に話しかけ、宝箱を開け、また戦う。人生の貴重な時間を、こうも無造作に消費させるのは、著作者の同情が足りぬのではないか?

いえ、先生。それこそが、この遊びの真髄でしょう。酒を買って酔うのも、読まぬ書を購うのも、皆同じ徒事です。この箱の中で偽りの一生を費やすことは、浅草の楽屋で観世捻(かんぜより)を縒りながら出番を待つ見習いのような、静かな愉悦でございますよ。私はこの、誰もいない電子の街を独りで歩く心持ち、嫌いではありません。江戸の残り香を探して、独り路地裏を彷徨う私の性分に、どこか合っているようです。

君は相変わらず、孤独を愛でるのが上手い。……では、私ももう少し、この配管工の旅に付き合ってみよう。この小さな画面の向こう側に、私の求めていた『則天去私』の境地があるとは思えぬが、少なくとも、このせわしない現代の騒音を忘れさせてくれる程度には、この玩具は親切なようだ。

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