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【明治文豪、令和を歩く】第95回:豆腐夫婦

季節はすっかり桜の前哨戦といった趣。公園にはブルーシートが踊り、人々がせわしなく行き交う。二人は少し離れたベンチに腰掛け、その喧騒を眺めている。

夏目漱石                                                                                                                        

……ああ、歩き疲れましたな。荷風君、先ほど君が言っていた茶屋はまだ先かね。どうも近頃は、少し歩くとすぐに腰を下ろしたくなる。こうなると、贅沢な御馳走よりも、何だかさっぱりしたものが恋しくなる。例えば、真っ白な生豆腐を前にして、胡坐をかいて一杯やる……なんてのは、今の私には最高の休息に思えるがね

                                                                                                                        永井荷風

先生、それは名案です。私もこの頃は、あなごや海鼠といった脂の強いものや生臭いものは、どうも箸が伸びなくなりました。豆腐の、あの柔らかくて温かみのある風合い……あれこそが、荒廃した現代を生きる我々に残された、数少ない救いですな。江戸の昔から、豆腐は庶民の友であり、また風流人の友でもありました

全くだ。豆腐というのは面白い食べ物だ。自己主張がまるでない。白くて、四角くて、ただそこに黙って座っている。それでいて、醤油を垂らせばその色に染まり、薬味を添えればその香りを引き立てる。まるで、世俗の波風を柳に風と受け流す、隠者のような趣があるじゃないか。かつて私の知人に、『豆腐屋主義』などと称して、金持ちや権力者を片っ端から豆腐のように平らげてしまおうと息巻いていた男がいたが、今思えば、あの無抵抗の抵抗こそが一番強いのかもしれん

豆腐屋主義、ですか。それはまた先生らしい皮肉な知人ですね。しかし、今の東京で出される豆腐は、どうもいけません。器ばかりが立派で、肝心の中身に江戸の「粋」が足りない。私が求めるのは、路地の奥から聞こえてくる豆腐屋のラッパの音と共に運ばれてくる、あの素朴な一切れです。あれを湯豆腐にして、雪の降る夜に独り、古本を片手に突つく……。それだけで、明治の残り香を感じることができるのです

ははあ、君は相変わらず徹底しているね。だが、この転生した街で豆腐を食うなら、あまり理屈をこねない方がいい。ただ、箸でそっと持ち上げた時の、あの崩れそうで崩れない危うい均衡を愉しむ。それが、この騒々しい世界で自分を失わずに済む、ささやかな秘訣のような気がするんだ。……おや、あの暖簾は豆腐料理の店のようだが、どうだい、少し寄ってみないか

お供しましょう。もしそこが、あまりに現代的な、落ち着かぬ店構えでしたら、すぐに退散することにいたしましょう。豆腐だけは、静かな心で味わいたいものですから

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