見出し画像

【明治文豪、令和を歩く】第15回:競馬は結婚

街はすっかりクリスマスの前哨戦といった趣。人々がせわしなく行き交う。二人は少し離れたベンチに腰掛け、その喧騒を眺めている。

夏目漱石                                                                                                                     

やあ、すごい人だかりだ。今日はG1とかいう大きなレースがあるらしいね。
僕が英国にいた頃、ダービーの日にはロンドン中が空っぽになるなんて言われていたが、現代の日本も似たようなものだ。みんな血走った目をして、新聞紙を片手に何やらブツブツ言っている。
荷風君、君はどうだい? この熱狂の中に身を投じる気にはなれんかね。

御免こうむりますよ、先生。
僕はどうも、ああいう勝負事には昔から興味が持てないのです。勝ったの負けたのと騒ぐ、あの殺伐とした空気がいけません。
以前、ある女——あれは競馬が好きな女でしたが——に連れられて、千葉の中山競馬場の方へ行ったことがありました。小春日和の、それはいい天気でしたよ。道すがら、松林や大根畑の緑が実に美しくて、ああ、いい景色だと思って車を降りたのですがね……。

ほう、景色に見とれるとは君らしい。だが、肝心の馬はどうしたんだ。

馬を見る前に、あの砂埃と人いきれに辟易してしまったのです。
せっかくの田園の風致が、鉄火場のような怒号で台無しだ。僕は早々に細君を置いて逃げ出しましたよ。馬場の石塀づたいに歩いて、茅葺屋根や木々の梢を眺めている方が、よほど心が洗われる気がしましたからね。
現代の競馬場は綺麗になったと聞きますが、人間の欲望が渦巻いていることに変わりはないでしょう。僕は遠慮しておきます。

ははは、君は徹底しているな。細君を置いてけぼりにして木を眺めるとは、相変わらずの偏屈ぶりだ。
しかし、欲望か。僕の小説『明暗(※)』の中に、道楽者の息子を持った叔父が出てくるんだがね、その叔父が『馬だけは諦めたからまだ始末がいい』と言う場面がある。当時の北海道あたりじゃ、馬なんぞは一頭五、六円で買えたもんだが、それに賭けるとなると身代を潰す。
現代のこの騒ぎを見たまえ。馬そのものよりも、『偶然』に金を払っているんだ。結婚と同じだよ。見ず知らずの者同士が一緒になって、うまくいくかどうかも分からんのに一生を賭ける。競馬も結婚も、当たるも八卦、当たらぬも八卦の不条理な賭け事という意味では、似たようなものかもしれん。

(※)初出1916[大正5年]朝日新聞

結婚と競馬が同じとは、先生らしい皮肉な観察です。
しかし先生、結婚という賭けには、まだ家庭という『形式』が残りますが、競馬のあとに残るものは何です? ただの徒労と、舞い散るハズレ馬券だけでしょう。
僕がかつて『梅雨晴(※)』に書いた、あの中島抽斎の子が身を持ち崩した話じゃありませんが、放蕩にも美学が必要です。今の競馬には、江戸の昔のような、破滅の美しさというものが見当たらない。ただ、機械的に金を吸い上げられているようで、どうも薄気味が悪い。

(※)初出1981[昭和56年]岩波書店

ふむ。確かに、今の競馬はシステム化されすぎていて、破滅の美学というよりは、巨大な集金装置に見えるな。
僕の友人の子供が空気銃のおもちゃを見せびらかした時のように、現代人はこの『馬券』というおもちゃを握りしめて、無邪気に、しかし必死に遊ばされているだけなのかもしれん。
……ま、君がそんなに嫌がるなら、馬券を買うのはよそう。だが荷風君、あのターフ(芝生)の緑色だけは、君が愛した大根畑の緑にも負けず劣らず、鮮やかだとは思わんかね?

……そうですね。遠くから眺める分には、あの緑と、走る馬の筋肉の躍動だけは美しいと認めましょう。
ですが先生、僕はやはり、あそこへ入るよりも、こうして遠くから紫煙をくゆらせて、世の喧騒をよそに雑談している方が性分に合っていますよ。

前へ11121314|15 ▶次へ



いいなと思ったら応援しよう!

ぶるうす恩田 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!