【明治文豪、令和を歩く】第18回:大地震に猜疑心
現代の隅田川沿い、向島あたりにある、少し洒落たオープンカフェのテラス席。川面を渡る風には、かつての雅な趣こそありませんが、それでも水のある風景というのは人の心を落ち着かせるものです。

先生、どうです。この今の隅田川の眺めは。わたくしが大正の震災の後に見た時も、随分と情趣がなくなったと嘆いたものですが、現代のこのコンクリートで固められた護岸ときたら……まるで紐育(ニューヨーク)のハドソン河畔にある、似て非なる公園の真似事を見せられているようですな。

ふむ。君は相変わらず辛辣だな。しかし、確かに味気ない。昔は『水青うして白帆に風を孕み』なんて風流があったそうだが、今は高速道路とビルの壁だ。文明というのは、便利さと引き換えに、どんどん余白を塗りつぶしていくものらしい。私が生きていた明治の時分でさえ、そう感じていたが、現代はそれが極まった感があるね。

ええ、全くいやになります。わたくしはね、あの震災――大正十二年のことですが、あの後の深川を歩いた時のことを今でもありありと思い出すのです。木場や深川の方へ行くと、焼けた銀杏や松の古木が、まるで炭のように黒くなって天を突くように聳えていました。あの荒涼とした風景には、ある種の『暗鬱なる新しい時代の画図』を感じたものですが、今の東京は、その暗鬱ささえ通り越して、ただただ騒々しい。

大地震か……。私はその時分にはもう墓の下にいたから、直接の揺れは知らんのだがね。しかし、君の話を聞いていると、天災というのは人間が積み上げた虚飾を一瞬で剥ぎ取ってしまうものだという気がするよ。君、その震災の時、書きかけの原稿を随分と無駄にしたと聞いたが?

おや、先生、よくご存知で。ええ、実は『黄昏』という題で百枚ばかり書いた草稿があったのですがね。震災のドサクサもあって、結局完成させる意欲を失ってしまいました。その後、どうしたと思います? 惜しげもなく一枚二枚と引き裂いて、煙管(キセル)の脂を拭う紙縒(こより)にしたり、ランプの火屋(ほや)を拭く反古紙にしてしまいましたよ。

ははは、それは君らしい。自分の作品をランプの掃除道具にするとはね。だが、それもまた一種の悟りかもしれん。地震が起これば、立派な書物も瓦礫の下だ。形あるものに執着しても仕方がないということを、我々はどこかで知っているからね。……それにしても、現代の人間は、あの震災の教訓を覚えているのだろうか。この頑丈そうなビルを見ていると、自然の暴威など存在しないかのような顔をして建っているが。

忘れているのでしょうなあ。わたくしが震災後に見た、あの一変した向島の光景も、今の人にとっては歴史の教科書の一行に過ぎません。かつて枕橋のほとりにあった水戸家の林泉が焦土と化した後、鉄鎖とセメントの公園になったように、破壊と復興は繰り返される。ただ、復興するたびに、江戸の昔が持っていた『潤い』のようなものが、乾いたセメントに変わっていくのが、わたくしには寂しいのですよ。

……潤い、か。なるほど。雨が降って地が固まるどころか、セメントで固めて雨も染み込まんわけだ。私がロンドンにいた時も、あの煤煙と石造りの街には閉口したが、今の東京はそれ以上に、何かこう、精神的な『遊び』がないように見えるね。

仰る通りです。実はわたくし、先生が亡くなられた大正の初め頃から、毎年忌日には小石川の弘福寺へ墓参に参ったものです。その道すがら、この向島を通るのが常でしたが、来るたびに景色が殺伐としていくのを嘆いておりました。枕橋のあたりにあった水戸様の御庭も、震災後はただの資材置き場になり、やがて味気ない公園になってしまった。あれを見るにつけ、わたくしは思うのです。日本人は歴史を尊重するということを知らぬのではないかと。

君に墓参りをしてもらっていたとは、恐縮だね。死人は口無しだが、君のような数寄者に弔ってもらえるなら、石の下で眠るのも悪くない。……しかし、歴史を尊重せぬというのは、耳が痛い話だ。明治の初めもそうだったが、日本人は新しいものをありがたがるあまり、古いものをまるで汚物のように捨て去る癖がある。

ええ。西洋では古い木一本、古い城門一つでも、民族の誇りとして残します。ところが東京はどうです。市区改正だの復興だのと称して、見附の門も松の古木も、何の未練もなく切り倒してしまう。わたくしはね、もう憤るのを通り越して、諦めの境地に達しましたよ。この現代の茶番劇を、一種の滑稽な見世物として眺めることにしたのです。

諦め、か。君の言う『諦め』には、どこか意地のようなものを感じるがね。それで、その見世物を眺めるために、君は今もこうして街を歩いているわけか。

左様でございます。それに、どんなに街が変わろうとも、ふとした路地裏や、古い渡しの跡には、まだ微かに江戸の名残が落ちているものです。先生、あそこに橋が見えますでしょう。今の人はああいう鉄橋を電車や自動車で矢のように走り抜けるのを文明だと思っていますが、わたくしは断然、昔の『渡し船』の方を愛しますな。

渡し船か。懐かしいね。『矢切の渡し』なんてものもあったが。

ええ。木の船に揺られ、老いた船頭が漕ぐ櫓の音を聞きながら、ゆっくりと対岸へ渡る。あれには旅の情趣がありました。鉄橋はただの通路ですが、渡し船は休息であり、詩情です。効率ばかりを追い求める現代人は、あの『待つ時間』の豊かさを喪失してしまった。……わたくしが震災後に見たかったのは、立派なアスファルトの道路ではなく、そういった心の休まる隙間だったのですがね。

君の話を聞いていると、文明というのは『せっかち』の別名のような気がしてくるよ。皆、何かに追い立てられるように時間を節約しているが、節約した時間を何に使っているのかといえば、また別の忙しさに費やしているだけだ。……ふむ、しかし荷風君。君がそうやって嘆く今のこの風景も、百年後の人間から見れば『古き良き平成・令和の情趣』なんて言われるかもしれんぞ。

おやおや、それはまた皮肉な。しかし、もしそうなったとしたら、その時代の人間はよほど不幸な連中でしょうな。このコンクリートの壁を見て涙を流して懐かしむなど、想像するだけで寒気がいたしますよ。
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